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2011年3月23日 (水)

現代のアポリア?

身体のダイアローグ 佐藤学対談集  佐藤学  太郎次郎社

 何の本かというと対談本なんですが、著者が教育学者なだけあって、お話は教育とか子供とか親とか地域社会とかに比重がぐっといってる感じかなぁ?うーん…今ほど教育の行き詰っている時(所/?)はないとゆー話みたいですが、とするとこの国で教育の行き詰っていなかった頃って何時だ?とふと思ってしまったり(笑)何かいつでも行き詰っている気が勝手にしていたので(笑)

 まずは絶対的他者がいなくなった話から始まって、リンカーンのゲティスバークの演説までに及んでいたりして、ちなみにリンカーンは「民主主義は死者の遺志だ」とおっしゃてるそーな…南北戦争で60万人が死亡している訳で抽象ではなくて実在なんですねぇ…でもって9.11のテロを見てのメキシコの知識人の当時の反応は「アメリカはまた負けるね」だったとか…WW2以降アメリカは一度も勝っていないとゆー認識があると…うーん、テロはよくないという前提にあって、それしか方法がなくなっている事態の方が深刻だと中沢氏は言ってたり…

 言葉にたいしては「自分のいうことをちゃんと受けとめて聞いてくれる人がいたらすごくしあわせなことだけど、なかなかそうはならない」でメールや携帯での会話でその心の渇望が癒されるとは思えないけど、その程度の言葉の交換すらないから喋り続けないと不安になると。で「ケータイがなかったら死んじゃう」にいきつく深刻さとか…うーん口調は軽いんですけど根深い話が並んでおりまする…

 アリス的にはげいじつのところかなぁ?天農画伯なんかと重なるかもなぁで「現代芸術なんか、もうだいぶ前から出口がないでしょう。商業主義と結びついているから、無名性なんかとんでもない。自分がスターにならなきゃ生活できない」…日本人はスターがお好きだからなぁ(笑)

 後は准教授のフィールドワークと重なるかもで神戸の酒鬼薔薇事件なんかも話題になってます。それにしてもあの中学校のすぐ側に校門圧死事件の高塚高校があったんですねぇ…よーするに60年代はいいか悪いかで、70年代は好きか嫌いかで、80年代以降はパルス(衝動)って…キレてナンボとは思いたくないなぁとゆーのはあまりにも奇麗事過ぎるのかなぁ…

 准教授が教育者の端くれとゆー事で教育論的なとこをチョイスすると、高校の教科書に死の項目を入れたら、現場の先生が死なんか教えられないと反発、結果、却下となったとか…個性化はある型を通して開かれるとか…先生方は管理者としてよけいな事が入っちゃ困るという意識がかなり強いとか…反面、若者たちといっしょに新しい社会を模索している教師もいるとか…新しいアプローチなどは創造的な教師がいなくて続けられなくなったとか…教師の尽力を負うとこ多し、加えて教師の人材の問題とか、国家制度の問題だとか…日本の教育は家父長制度をモデルにしているとか…欧米では教師は女性の方が多いのでフェミナイズされるが、日本は男性教師が多いのは戦前は武士の失業対策で、戦後は軍人の失業対策で、男ばっかで家父長制の再生産とか…社会全体が学校化していてこれが暴力装置として機能しているとか…「社内研修なんか学校以上に暴力的な管理になっていて、人格破壊的です」とかとか…

 こー問題点が羅列されると正視する根性が試されている気がしないでもないんですが、本書的には「一生懸命に話し合っても、すれ違って帰る。だけど、ああ、会えて、よかったよなと思うこともあります」に尽きるよーな(笑)

 対談者は、養老孟司、藤原新也、中沢新一、谷川俊太郎、三善晃、松岡心平、芦原太郎、鮎川透、趙恵貞、栗原彬

 目次参照  目次-社科

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