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2011年11月 8日 (火)

おあとがよろしいようで(笑)

日本語の森を歩いて  フランス・ドルヌ 小林康夫  講談社

 サブタイトルがフランス語から見た日本語学なんですが、何の本というと、言語学の本なのかなぁ?比較文化論みたいなノリもあるよーな?でもまぁ文法を金科玉条のよーに縋りつくタイプではなく、むしろ会話的なノリに近いよな?人は変わっていくのね、のよーに言葉も変わっていくと…いわゆる「発話操作理論の言語学」に基づいているらしい…ちなみに「この言語学の最大の特徴は、人間の言語というものは、人間が話し、語るという行為=出来事(この出来事を発話と呼んでいます)を中心にして形成されるさまざまな関係の網だと考えるところにあります」なんだそー…

 説明は何だかアカデミックですが、例文が出ていてなるほろ~な世界が(笑)例えば、「あっ、いたっ!」は文かとあって、「ああ、わたしは痛い」が正しい文か、それとも「わたしは痛いです」が正しいのか?昔流行った政治的に正しい何とかじゃないけど、文法的に正しいが普通に使われいるじゃなし、そして、本書はその言葉がどう展開していくか?を追っている感じかなぁ?

 トーシロから見ると当たり前すぎるとくどすぎる感の多い業界用語的言い回しですが、言っている事はしごくご尤も…また、本書もトーシロ相手のエッセイ風なので非常に平易な文で分かり易いです。フランス語はともかく、日本語に対しては日常と違う視点を垣間見せてくれるので、興味のある方は本書をどぞ~

 アリス的にフランス語…アリスの第二外国語は法学部だとするとドイツ語かなぁ?アリスが民法を専攻していたらフランス語なんだろか?うーん?准教授は独仏出来る設定のはずなので、この辺りは当たり前なのか?ただ、本書は、フランス語もなんですが、日本語的に引っかかるというか?普段、本当に気にせずに言葉って使っているんだなぁと、ちょっと遠い目をしてしまった(笑)日常で言葉と格闘しているアリスなんかは、納得の一冊か(笑)

 それにしても、in the strreetとon the roadと、同じく歩いても内と外は違うのか?とか、汽車に乗るとか、船に乗るとか?仏的には中にだけど、英的にはonなんですねぇ…空間把握って国によって違うのか?ちなみに日本人なら森の奥という表現は普通だけど、仏的に森に奥はないと…その心は森にはどっからで突っ込めるから(笑)でも、これが複数形の森となれば奥という概念が出来るらしい…ただ、日本語と違うところは日本語の森の奥は森の向こう側だけど、仏語の森(複数形)の奥は森の中心…森の奥の魔女はどこに住んでいるんだぁーってか(笑)蛇足的ですが、日本人がよく知るブローニュの森とかヴァンセーヌの森とかは、仏語的には森ではなく林だそーで…訳語ってむつかし(笑)

 他には、日本語の「で」は「にて」が縮まったものだとか…城崎にて、城崎で、うーん、そゆこと?後は日本人的には当たり前すぎる言葉「いってきます」も仏人的にはなんじゃそらになるらしい…とゆーのも「日本人と結婚したフランス人の友人が教えてくれた彼女の息子さんの反応です。息子さんは、もちろん日仏二ヶ国語を喋るのですが、誰かが「行ってきます」と言うのを聞くと、「行くか、来るか、どっちかひとつにしてください。ふたついっぺんにはできません」と理屈をこねるのだそうです」とな…そっか、仏人的には相矛盾している行動だったのだな(笑)他にも「お湯を沸かして下さい」とか、お湯ならもー沸いている状態だろって、そーすねぇとしか言いようがないよーな(笑)

 日本人がよく使う表現で仏人が使わない言葉としては、ただいま、よろしくお願いします、どうもどうも、さすが、せっかく、よくとかあるらしい…このよくは、よく来たねとか、よくやったねとかのよくで、そー言われて見れば、よく使っているかも(笑)他にも時制について、仏語は現在、過去、未来の他に前過去と前未来があるそーだけど、「日本語のように未来を表すための特別の形態を持たない言語はけっして珍しくありません。むしろ特別な「未来」時制を持っている言語のほうが少ないと言えるくらいです」だとか…

 その他にも主語のあるなしのとことか、社会関係のズレが生じた場合の謝罪とか、興味深い話がたくさん出てきますので(ちょっと見これはコメディか?のノリ?)延々続けられそーなんですが、最後に二つだけ、はっきりしない日本語という事で論理的じゃないとよく非難されるんですが「論理的でなかったら、コミュニケーションできるわけないのに、暗示的指示か明示的指示かの違いを論理・非論理などと言う人のほうがよほど非論理的ですね」と明言なさっているとこと、も一つは「日本語なら日本語の文法的に正しい言表をすべて生成させる規制を探そうなどとは思わないわけだよね。そんなことはまず不可能だし、文法というのはそのような意味での生成規制の集合というわけではない。言語はたえず詩文自身を生み出しているものでもあるけど、そのときにどんな関係次元、どんな操作領域が起動させられているかこそが問題だというわけだ」とな…なんとゆーか、万物は流転するってか(笑)

 目次参照  目次 文系

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