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2011年11月11日 (金)

ゆびきたす?

モモレンジャー@秋葉原  鹿島茂  文芸春秋

 いわゆる一つのエッセイ集だとは思うのだが、今回はタイトルがうーん日本的?戦隊ものと秋葉原…おたく臭が匂いたつよーな気がしないでもないが、実質は漫画とかアニメとかのサブカル色の話というよりは草食系男子と肉食系女子の増加について憂いていらっさる話かなぁ?若い(?)男も女も出会いがない…となれば突撃女の子(?)を引き連れてのin アキバとなる訳で、戦果は暗くて深い川があるのを認識しただけだったとか(笑)出会ってすぐに恋に落ちるなんてある訳ないし、むしろこんな男(女?)はちょっと…となるのが実状のよな(笑)えり好みはしないと言いつつ、双方の普通の男性(女性?)のラインは限りなくとほいとか…

 おままごとボーイの概念といい、ダンパの薦めといい、マスオさん論といい、何か昭和の香りが漂っているよーな…著者が真面目に現代日本の男女を考察していらっさるのはよく分かるけど、イロモノ系は著者的には19世紀より昔の、更に言えば仏の話しの方がしっくりくるかなぁ…フランス的ナンパは「臆病、弱気、自己嫌悪、それに怠惰」を打ち勝つ精神修業だったのか?だし(笑)仏には姦通罪が1975年まであったとか…尤もコキュの本場の仏だからこんなのに訴えるのはヤボの極みで男を下げるから実質は殆ど施行されない法律だったんだけど、一つだけ効果的に使う方法があったと…それは無名人の夫が「妻の浮気相手が有名人」である場合は浮気による嫉妬とかの個人的感情ではなくて、有名人のスキャンダルで落としいれようというその他おおぜいの魂胆…うーん、仏の男性も半端ない…更にありえるのがこれで奥さんと離婚できるとゆー下心も…同じ浮気するなら新しい(若い?)嫁さんの方がいいんですね、分かります(笑)さすが、どこまでいっても愛の国フランスなんだなぁ(笑)

 アリス的には、日本ドーダ文学史のとこかなぁ?作家とはとゆー何か業の深さがやってくるみたいなノリで(笑)「近代文学とは、ドーダ心が人一倍強い人間たちが次々に現れては「ドーダ、マイッタカ、オレの方がすごいだろう」と自らをドーダするが、そのドーダ人間も次の世代のドーダ人間にドーダされて、すごすごと退場するという「ドーダのK1」のアリーナなのである」そな…でもってこれまた日本でもてはやされている私小説ジャンルも「小説家は、まず生活能力もないの結婚して家庭をつくり、次に、飲酒、麻薬、暴力、貧乏、愛人、私生児、獄中生活というマイナス要因を強制的に導入して家庭をぶち壊し、その不幸の様子を実況中継する」…タフな神経でなくてはやってられないと…て事で「まず第一に必要なのは、徹底した羞恥心の欠如。次に、見せてはならないものを他人に見せることで快感を感じる公然猥褻的なサディズム。第三に、自分の不幸話を聞けば、他人は必ずや感動するにちがいないと思い込む根拠なき確信」…確かにこーゆー人ならば「怖いものなど何一つない」になるんだろーなぁ…作家って凄い(笑)

 他のアリス的なとこというと、猫に姓をつける話でペルシャ猫にカミュ(獅子鼻)とつけるのはどーか?とか、カラスの知能指数で脳の神経細胞密度では人間より烏の方が上とか興味深い話はつきないんですけど、個人的に本書でへーへーへーと思わされたのは食い意地が張っているせーか食べ物のところでして…フォークとパスタの話とか…ちなみに欧州で初めてフォークが使用したのは16世紀のアラゴン(スペイン)だったと、それまで王侯貴族とはいえ手づかみで食べていらっさったんですねぇ…ただしここでは2本指のフォーク、今の4本指のフォークが出たのは太陽王のルイ14世の頃から(でもデザート用で、メイン用は相変わらず2本だったと…)で、これが4本指のフォークになったのはパスタを宮廷で食べる為…となればイタリアのナポリ王家が発祥とならーなとなるそー時代的には1830年以後というからフォークの歴史も結構浅い?

 で、これで麺類はクルクルまとめて食べれるよーになったというのに、何故か仏では(欧州的には?)皿の上のパスタをナイフで細かく切ってそれをフォークですくって食べるとな…さて、そんな仏人の凄い食生活はパスタだけでなく米にもいっちゃっていて、米は野菜感覚なのだと思い知る日本人の驚愕…だから、ジャポニカ米ではなくインディカ米が主流というかそれしかない(笑)昨今流行の寿司だってインディカ米で、酢飯でもないし、ワサビもないよの世界…日本人的にはそれは最早寿司ではないのでは?だけど…仏人的にはオッケー、地方に行けば醤油じゃくてニョクマムもあり…

 なんでこーなるのとゆーと、仏人的にはもちもちとした米というのは不味いを通り越して嫌悪の対象になるよーで…「今日宣伝に大いに利用されている謳い文句、ベトベトくっつかないコメをフランス料理で自由に使えるようにするために、沢山の技術的工夫が必要だった」(@ジャック・バロー)となるそーな…仏と日本、味覚の不一致か(笑い)こーなると餅とか、白玉とか、納豆なんてもってのほかになるんだろーなと著者も言ってらっさると…食の道は厳しかぁー(笑)

 厳しいと言えば、仏での中華料理って基本小皿料理で、個人個人銘々に給仕されるものだそー…日本人的感覚でいくと中華って大皿料理で出てきて一人一人取り分けて食べるものみたいなノリがあるけど、仏ではそれは全くないそーな…シェアして食べる概念がない…で、その根底にあるのが他人への不信…大皿で盛られたら量少なくなってるんじゃないのとゆー店への不信、取り分けたら自分の分が少なくなっているんじゃないのとゆー会席者への不信…なる程仏人は他者への不信で成り立っていらっさるのか…同じ釜の飯を食うなんて概念あるんだろーか?

 そんな仏人の心の友、もといご飯の友、フランスパンも需要が減って、味も下降しているとゆー…本国でそれではゆゆしき問題では?と思うが、フランスパンってまともに作ろうとすると物凄く手間隙のかかるパンだったんですねぇ…仏でフランスパンが一番美味しかった頃って18世紀の話だそな…それはベルサイユの頃ですか…なる程パンがなければお菓子を食べればいいじゃないの世界納得しました(笑)と、それはともかく1980年半ばからはもー下降線辿るしかない状態らしい…一部のカリスマシェフならぬパン屋さんは脚光を浴びたがいわゆる普通の街のパン屋さんは減少の一途なんだとか…

 酵母を替える、発酵時間を省略する、機械でこねる、そら豆の粉を添加する(酸化防止の為)など手抜きの限りをつくしていったら、当然ながら味は落ちるよね…かくしてますます客は離れるよねとゆーまさにデフレスパイラルならぬフランスパンスパイラル…ダイエット流行もあるにしても19世紀には一人当たり一日3,4本のバケットを食べていたのに今じゃ半本って…それは落ち込み過ぎでしょー…食の文化を自認している仏でこれとは…でも日本の米も他人事ではないのか…

 目次参照  目次 文化・芸術

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