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2012年1月14日 (土)

えもいはぬ物かな…

京の八百歳 冷泉家歌ごよみ  冷泉貴実子  京都新聞出版センター

 何の本かというと、歌の本でもあり、四季の本でもあり、年中行事の本でもあり、写真集でもあり、京都の生活の本でもあるよーな…判型はB5に近い気がするんですけど、もっと正方形よりの大きさ、そして本にしては写真が多めでそれらがどーも冷泉家の庭先というか、屋敷内というか、お飾りというか、しつらえというかで占められていて、何ともいえぬ風情をかもし出しています。多分、日本人ならば、これらを見て違和感を感じるよりもなーるほどと妙に納得してしまうんではなかろーか(笑)21世紀でも、昔々のその昔が脈々と残っているこの国の底力を目にする事になるのかなぁ?普段、気にもしていない文化について気付かせてくれる感じです…

 例えば正月飾りとして、一対の根引き松を立てて門松とする。更に庇の柱に二尾の干鯛を腹合わせにして裏白と共につるす。加えて裏白と譲葉をつけた輪飾りも飾ると…神棚には鏡餅を供え、三方の上に譲葉を、その上に餅を、その上に橘の実を三つと目刺し一尾をのせる。観音さんには目刺しの代わりに熨斗昆布、先祖神には目指しの代わりに鮑熨斗を使うのだそな…ちなみに鏡餅はおくどさん(台所)にも飾るそーで、何かもー飾り物だけでも凄い事になってないだろかと庶民は思う…これが一年行事事にしきたりありなんだろし…公家って大変なんだなぁと勝手に思っていたら、当事者にしてみればこれが普通だったんですよね…

 アリス的に京都は切っても切れない関係というか、ちなみにこちらの冷泉家のお家、同志社大大学院の東隣にあるそーで、「早く咲いたうちの桜は、卒業式のため美しく装った同志社の学生さんたちの格好の背景として、記念写真に収まっていた」とか、「まずは梶の木。新緑とともに、大きな八つ手のような葉が出てくるこの木は、同志社大学との境界線に、一列に並んで、垣根を造る」とかあって、公家屋敷と大学が地続きと知ったりして…

 ちなみに冷泉家の屋敷が重文になってしまったため、おくどさんで火を焚くことを禁止されてしまったそな…だから豆も炒れないとか…節分の豆まきの豆の炒り方にもしきたりありだったのに…て、ゆーか豆自分家で炒るものだったんですねぇ…行事的にはごりょうさん(5/18)というお祭りがあって、その前日に大門の前に提灯つるすそーだけど、蝋燭の火に火事が心配なのか「防火の観点から消防署に、周囲が無人の時は厳に禁止されている」そな…伝統を取るか?安全を取るか?それが問題だってか(笑)

 さて、冷泉家と言えば言わずし知れた和歌のお家なんですが、「和歌すなわち、やまとうたである。うたであるから、声を出して歌わなくてはならない」そな…もしかして日本って歌の国だったのか(笑)歌会始めの儀から、丸山応挙も冷泉家の歌の門人だったり(そして20年前までは応挙の桜というヤマザクラの木が残っていたそな…)、黄門影供とか(ちなみにこちらの黄門は京極黄門の事で藤原定家の事、黄門とは中納言の事だそな…)、何かもー歌に始まって歌に終わる一年って、どよ(笑)

 さて本書で一番はーへーほーと感心させられたのは、当事者は普通に思っていた年中行事を、今の人は殆どしない、もしくは知らないはずなのに、こーして掲載したりすると「わが家の行事のことを紹介すると、皆さんとても身近に感じてくださるようなのがまた不思議である」とな(笑)みんな日本のDNAを持っているってか(笑)そして、後書きの最後近くに「明治維新は、とりもなおさず、その年中行事だった御所が、東京に遷り、行事を捨て去り、政治家になった事を示す」だそな…そして「文明開化は、結局第一に古い年中行事を捨てたことに始まったように思う。こう考えると、東京に移らなかった冷泉家に、昔のままの行事が残ったのは、やっぱり一つの奇跡なのかもしれない」とな…やおとせのきせきがここにあります…

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