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2012年2月16日 (木)

お墓参りにまいりましょー?

信州あの人ゆかりの菩提寺・神社  北沢房子・文 安藤州平・写真  信濃毎日新聞社

 お寺にはお墓がある…というのは当たり前、な感覚だったのですが、そのお墓、ちょっと待ったぁーってノリでよくよく見てみると、これ誰ぇー?な人から、全国区で超有名なビックネームから大判小判がざっくざっくではなくて、お墓なんだろなぁがざっくざっくですか?こーしてみると日本ってお墓の国の人だもの?か(笑)

 で、場所が信州、長野という一つの県内の話でありながら、こんなにこんなにお墓ってあるんだなぁと、ちょっとびっくりしてしまいました、マル…とか(笑)いや、歴史って本当に連綿と続いていたんだなぁ…そして、途中で中断したりとかあったとしても、地元の人がちゃんと伝えていたり、守っていたり、続けていたりしているんですよね…

 でで、また、祀られている方々が皆半端ない(笑)戸隠中社の宣澄社での祭神となっている宣澄は天台宗室町中期の高僧、戸隠天台派の最高位「大先達」だった人…でお祭りには故人が酒と踊りが好きだったからと今でも飲んで踊ってのお祭り騒ぎとゆー状況…4-500年続けている氏子って凄い…ちなみに宣澄は必ず思う願いをかなねさせる人だそーで…霊験あらたかなんでしょーねぇ…今でも選挙、病気、入試で踊ってるそーだとか…

 とまぁ、出て来る人出て来る人、一家言ある方ばかりなので、興味のある人は本書をドゾ。日本史好きには、今更かもしれないけど、名前聞くだけで涙だったりして?

 アリス的に信州というか、長野というと、46番目の軽井沢位しか土地的にはかすっていないよーな気がするけど?四天王寺で、聖徳太子絡みというと、兎川霊瑞寺(松本市里山辺)かなぁ?聖徳太子が創建したという格の高い名刹だったそーで「聖徳太子が諸国に仏寺を建てようと当地に入った時、東の峰から赤白の光がさすのを見て麓に至ると、奇異な老翁が現れ「ここは霊徳の大きな土地であるから、白兎河のほとりに寺を建てるように」と伝えて姿を消したため、太子は山中より霊木を得て千手観音を刻み、堂宇を立てて安置したのが始まりとされる」とか…ちなみにここに石川数正夫妻の供養塔があるそーで…それはそれで凄いよねぇ…

 アリス的に長野というと、真田幸村の生地という事になる気がするんだが?ちなみに、本書を見る分には幸村の墓は出てこない…まぁ徳川からしたら逆賊だからねぇ…不倶戴天の敵だろーし(笑)でも、上田は所縁の地だし、松代は兄信之から続く真田家の地だし、で祖父幸隆、父昌幸、そして信之以下のお墓とエピソードにはことかかない感じかなぁ?

 例えば、松操山典厩寺(長野市篠ノ井)は武田信繁を祀る寺なんですねぇ…武田家に詳しい人がいれば聞くだけで涙さそう信繁ですが、信玄の弟にして物凄くできたお人だったらしい…信虎は本当は信玄ではなくて信繁に家督を譲りたかったとゆーエピもある程…で、まぁ川中島で討ち死にし、後に松代藩主となった真田信之が供養を始めたみたいで、代々真田家が幕末まで守っていた模様…更に、川中島の戦死者の救済の為に、こちらには日本一大きい閻魔大王がいらっさると…うーん、写真で見ても確かに大きい…それにしても信之、徳川方についたのにこーゆー事をしている辺りが、何とも…ちなみに幸村の名前は本当は信繁と言って、この武田信繁から命名されたとか…縁が深いのねぇ…

 も一つ武田に関係してだけど高坂昌信のお墓がある龍潭山明徳寺でしょか?美談がもの凄いというか、高潔の人ですか?武にはばった戦国で、沈着冷静というか文にも秀でた方だったと、しかも敵に礼を忘れず、敗残の将の勝頼にもつき、裏切りが当たり前のご時世にこーゆー人もいらっさったんだなぁと…で、これまたこの寺の法会に真田が参加していたとゆー…松代真田家、もしかして旧武田の将の霊をフォローしていたのか?

 そーゆー真田家の墓とゆーと、真田山長谷寺(上田市真田町)に幸隆と昌幸を弔っていると…ちなみに真田家の菩提寺は長国寺(松代)にあるそーだが…でも、こちらはそのルーツがふるっていて、かつて真田幸隆は海野平の合戦で敗れ、長源寺(曹洞宗/上野)に身をよせたそーなんだけど、敗残の将に修行僧は冷たかったそーな…でもその中の一人、典座職の晃運和尚だけはよく世話をしてくれたとか…そこで「あるとき幸隆公が冗談に「某が旧領を回復したら、そなたに寺を建ててやる」と言いますと、和尚は「戦に負けてきたあなたのような意気地なしに何ができましょう。あてにはしません」と笑い合ったという逸話が伝わっています」(@現住職)戦国ほのぼの話ですか(笑)ちなみに、この後幸隆は信玄の家臣となり、旧領を復活させます。「そこで、お世話になった晃運和尚を招いて、この地にあった無住の小寺を長谷寺と改めて開山したのが始まりだと伝えられています。そのころ和尚は、首座といいまして、長源寺の次を約束されているような地位にあったのですが、それを振り切ってまで来たということです。和尚も幸隆公も、豪快な人だったのでしょう」(@現住職)戦国、麗しい友情物語じゃね(笑)

 さて、真田というと幸隆、昌幸、幸村の系譜が一般的なんですけど、実は昌幸は幸隆の三男で長男は信綱と言って、一応幸隆から家督を譲られています。ただし、一年で長篠の合戦で討ち死に(次男も一緒)、で三男昌幸が次ぐ事になった訳ですね…そんな信綱のお墓は、大柏山信綱寺(上田市真田町)にあるそーな…ちなみに、信綱のお墓は終焉の地設楽原(愛知県東部)にもあるそーな…敵方徳川の地で430年以上に渡って供養されているとか…とゆーのも長篠の合戦は今でいう七月の頭にあった模様で、田んぼにとっては生育の大事な時、「戦が終わって、帰った農民たちが見たのは、稲の無事な姿でした。どこで合戦するにあたっても、田畑の場合は畦道を走れというのが真田家の教訓でした」とな…まさにお米の国の人だものの面目躍如ってか(笑)「ただ戦術に優れているということではなく、土地を大事にし、よその土地に入っていくにあたっても、守らなければならないわきまえがあったということですね。真田が「日本一の兵」と言われたのは、決して昌幸や幸村だけのことではない、というのがわかります」(@現住職)結局、庶民が一番真実を見ていたという事かなぁ?まさに驕れるものは久しからずって、どーよ(笑)

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