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2012年6月30日 (土)

解説者が多すぎる(笑)

出雲という思想  原武史  講談社

 タイトルが思想なので思想なんだと思うんですが、何となく宗教臭い気がしないでもなく…でも、それが神道系となると、日本人なら皆知っていて実は知らないとゆーか、本当は怖い古事記の話みたいなノリといおーか?何の話かというと、出雲大社とオオクニヌシノミコトかと…で、スサノオまで行ってみる?だろか?

 事の起こりはやはり、古事記と日本書紀ではちょっと違うし、日本書紀には本文と一書があってこれまた内容が微妙に違うと…おらぁー何を信じたらいーだーとゆー展開に…この重箱の端をつつく話なのか?はたまた壮大な国家ロマンなのか?は知らないが、まずは江戸の国学者が飛びついたネタだった事は確かみたいです(笑)

 で、そーなれば出てきますよの本居宣長…古事記論だとまず出ない訳にはいかないけど、取りあえず丸飲みみたいな宣長流といおーか?ついでに出雲風土記もオッケーだしちゃうもんねのノリから、次はこれまた国学と言ったらこの人も忘れてはいけない平田篤胤…でこちらは宣長を超えて、スサノオ-オオクニヌシ系統をメインに据えてみよーのノリか?結局これは、顕と幽とは何ぞや?という違いが分かるオトコのロマンですか?その後、このスサノオとオオクニヌシのスタンスがどこにあるかで揉めていく模様…逆賊か?殉教者か?それが問題だってか?

 でで、佐藤信綱とか、鈴木雅之とか、大国隆正とか、本多応之助とか、六人部是香とか、矢野玄道とか、津和野派とか、薩摩派とか、千家尊福(出雲派)とか、伊勢派とか、出口王仁三郎とか、折口信夫とか…皆様それぞれに正しい神様論をもっていらっさると…

 アリス的には、出雲…出雲大社…うーん、どーなんだろなぁ?大阪は住吉大社な気がしないでもないし、ダリ繭なんかで伊勢に行っている位だから、どっちかとゆーと伊勢派になるのだろぉか?

 江戸期の国学的なスタンスで、スサノオとは?とかオオクニヌシとは?とかのポジション的な見地について、どーよ?と始まったらしいそれは、出雲ではそれが密着している感じかなぁ?「そもそも出雲大社では、出雲国造と呼ばれる世襲の神主が、祭祀をつかさどっていた。出雲国造は、国造制が消えたはるか後の近代日本にあっても、全国でただ一つ国造を名乗っており、その祖先は天皇と同じく、アメノホヒノミコトという神とされていた。つまり出雲国造とは、天皇と並ぶもう一人の「生き神」であったのであり、天皇にも匹敵する宗教的な権威をもっていたのである。しかも天皇の権威が、明治になって作られた要素が多かったのに対して、出雲国造の権威はそれ以前からあり、特に中国、四国地方を中心とする西日本では、その存在は明治以前からよく知られていた。このような権威をもつ出雲国造であった千家尊福という人物が、明治になって篤胤以来のオオクニヌシを中心とする神学を受け入れたことで、出雲が伊勢に対立する思想的中心となっていったことは、注目に値する」と、著者の前書きにある通り…

 結局、本書は国家神道として伊勢に軍配が上がるんだけど、出雲派が意外と優勢だったところが悩ましいというか、つわものどもの夢の後なのか…明治から戦前にかけての、神道的、国学的、思想的戦いが熱いわぁ…なのか(笑)詳細は本書をどぞ…王政復古といっても日本には八百万の神がおりまするとゆー事かも?さて、拝むならどの神様でしょー(笑)

 目次参照  目次 文系

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