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2012年10月30日 (火)

何であろうと、ハンニバルは通過する(笑)

ローマ人の物語 4 ハンニバル戦記 中  塩野七生  新潮社

 ハンニバルとの戦いって一つじゃなかったんですねぇとゆー…ある種これは川中島の戦いみたいに何回も、更に何年もかかって戦争していると…こーしてみると平時より戦時の方が長いんでないかいっと思わず突っ込み入れたくなる位、今日もイタリアのどこかでドッカンドッカンか?

 とゆー訳で、中巻は紀元前219年から206年までのお話…この間ずっと戦争継続中なんですよ、昔は気が長かったとゆー事なんだろか?ちなみに開戦当初は毎年四個軍団を編成するそーなんですが、これからハンニバルとの戦いの為にどんどん軍団増えていくんですよ…

 一方、ハンニバルの方はスペインからピレネーを越えてガリア(仏)横断、アルプス越え決行でございますよ、時にハンニバル29歳の秋でございました(笑)ちなみに、どのルートを通ったか?は未だに論争の種らしーんだけど、2000年後にはナポレオンもしている訳でイタリア南下とはそーゆーもんなんだろか?

 この時のハンニバルの軍勢は2万5000人だそで、対するローマの動員力は75万と言われていたそで、ある種ハンニバルの戦いは狂気の沙汰な気がしないでもないけど、所謂ローマの軍勢というのは専業軍人だった訳でなく、半農半漁ではないけど、国民皆兵、普段は普通の生活をしていていざ鎌倉の時に軍務につくのが常道…となれば、ごっそり全部を動員できる訳がないと…そんな事したら国の経済が傾いてしまうじゃないか?とゆー事で常に一定数が持ち回りで軍務についていたとゆー、となればハンニバルにも目は十分にあるとゆー(笑)しかも、途中通ってきたガリア人がハンニバルの軍下に集まってきたりして、いよいよ数は不透明になっていくよな(笑)

 かくして、第一回戦ティチーノのゴングが鳴る、と…

 アリス的に、ローマ…まぁ物語好きならローマ帝国の興亡は必至アイテムか?取りあえずアリスならば得意のデータベースに入っていそーだけど?どだろ?今回の巻は特にハンニバルの活躍の巻なので、男の子なら血わき肉躍るという感じだが、アリスどっちかとゆーと室内芸術家タイプだしなぁ(笑)でも、当時そこにいたら戦士としてより記録係でいそーだよなぁ(笑)

 さて、ティチーノの戦いで勿論ハンニバルの勝利で終わりまして、執政官も敗走する形となります、ついでに言うとこの執政官を逃したのが息子のプブリウス・コルネリウス・スキピオでして、後の因縁に繋がります(笑)次の第二回戦はトレッピアでハンニバルは朝駆けをかけるんですよ…そしてハンニバル得意の包囲戦で圧勝。ただ一つハンニバル的に失敗したのがかの象部隊ですかねぇ…本書を読む分にはこの後も象って殆ど戦場で役に立ってないみたいなんだが、むしろ逃げていなくなっただの味方に突入したのだの、こんなんどーしてわざわざ連れてきたのか?見かけで脅す為か、トラック代わりだったんだろか?

 ハンニバルの勝利は続くよ、どこまでもで三回戦はトラジメーノ。ちなみにハンニバルは30歳になっておりました…湖畔の包囲戦はこれまたハンニバルの圧勝…ただ、後世の歴史家によるとこれは戦闘ではないだまし討ちであるという評価だそな…

 そして、戦史上これ以上有名な戦いはないんではなかろーか?なカンネの戦いが第四回戦として待ち受けていると…時は紀元前216年8月2日、二か月以上のにらみ合いの末の戦いである。ローマ軍七万に対して、ハンニバルは五万。詳細については本書をドゾ。まさに教科書のお手本のよーな包囲戦でござる、でしょか…ハンニバル恐ろしス…

 この時、ガリア人の蜂起での戦いにも敗戦しているんですよね、ローマは合わせて戦死者八万…さすがのローマも「神託うかがいのためにギリシアのデルフォイに出向いた」そな…デルフォイ、日本で言うなら宇佐神宮なのか(笑)は、ともかく、ローマの偉いところは、敗戦を隠さないところではなかろーか?先の戦いでハンニバルに負けた時も「われわれは、完敗を喫した」と素直に認めているんですよね。市民達にも「何の粉飾もほどこさずに言った」と情報公開している訳ですよ。「ただちに問題ありません」とか「想定外だから責任ありません」なんて言うとこぞのトップの方々とはメンタリティが全然違っていたんだなぁと…メンタリティで言うと、「同盟国を見捨てることくらい、当時のローマ人の意に反する行為はなかったのである」だとか…ローマには漢気があったとゆー事ですかねぇ…

 さて、南伊とシチリアをほぼ手中に収めたハンニバルは、これまたナポレオン的なジレンマに陥るんでしょか?よーはハンニバルのいるところではハンニバルの勝利だけど、そーじゃないとこはヤバイと…更に、友軍がアテにならないというか、マケドニアとかハンニバル側についたけど合流できないし、スペインでの戦いもあるしなんですが、一番ハンニバル的に不幸だったのは自国カルタゴの政治家がまさに無能だった事でしょーねぇ…ハンニバルが常勝している内に、有利に事を運ぶ事が何一つできなかったというのは、まさに戦いで一番の問題は敵ではなくて頼りにならない味方であるというのは至言だなぁ…

 だって、補給一つできないんだぜぇー…年単位を越えて敵地で戦っている自軍に補給路確保できないってそれロジスティクス的にヤバイでしょ…せめて政治的にも地中海諸国に働きかけるとかするべきじゃなかったのか?マルセイユとか、エジプトとか…まぁ無能で不能で痴呆な政治家を持った不幸は、日本人的にはよく分かる(笑)

 そしてアレキサンダー大王の再来か?なハンニバルですが、ハンニバルの再来というか弟子ではないかのスキピオが登場するんでございますよ、ええ、あのティチーノの戦いの執政官の息子でございます。そして彼はハンニバルの本拠地、スペインで大活躍するのでございます。

 ハンニバル不幸的にもう一つ上げるとしたら、味方の将がハンニバル以外が今一というとこではないか?と…ローマはハンニバルに匹敵する程の将軍はいなかったとしても、それなりに戦える将校がいぱーいいたという事ですかねぇ…かくして持ちこたえる事が出来たんですよ、更に時の経過のおかげでスピキオも出てくるし…人材的にローマは恵まれていたとゆー事か?やっぱ人的資源は大切だよなぁ(笑)

 かくて第五回戦ベクラの戦いですよ…紀元前208年スペインでの戦いとなります。こちら、スピキオ対ハシュドゥバル(ハンニバルの弟)、ちなみにスピキオ27歳。ローマ的には異例の若さです…ちなみにローマは40歳以降が普通…この後負けたハシュドゥバルはピレネー越えてハンニバルの軍に合流すべく進み、スペインにはマゴーネとジスコーネの軍が残ると…

 そして第六回戦メタウロの戦いに突入…イタリアを南下してきたハシュドゥバルの軍はここでローマ軍に敗戦し、戦死すると…その弟の生首をハンニパル軍に届けて投げ入れるというのだからはローマも恨み骨髄だったのね…この時ハンニバルは40歳になっていたと…

 翌年、第七回戦イリバの戦いの舞台はスペイン、ええ、スキピオの戦いでござーる。勿論スキピオが勝利し、紀元前206年冬、スキピオはローマに凱旋するとこで本書は終わっているんですが…

 取りあえず、詳細は本書をドゾ。いやもー戦いに次ぐ戦いで息つく暇もありません…この頃のローマの不屈の精神はスゲェの一言しかないよーな…

 目次参照  目次 文系

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