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2012年10月27日 (土)

素波に出でて朝帰る月…

忍びと忍術  山口正之  雄山閣

 忍者というと、昨今のブーム的なとこで何となく胡散臭い気がしないでもない今日この頃?いえ、日本人的感覚でいくと海外の盛り上がりはちょっと引いてもいいですか?の世界のよな…名前からして表に出てはいけない稼業のはずなのに、何か前面に出てないか?それ…とまぁ、史実の忍者とは何ぞや?だし、またフィクションの忍者とは何ぞや?でもあるし、で、本書はその両方を取り入れている本かなぁ?

 と、言うのも結構古い本らしく、まだ忍者ブーム前ですか?真面目に研究対象だったのだろーか?ついでに言うと真面目に研究しよーにも資料が無い(笑)さすが、忍びだけあって、口伝が多い、ついでにいうとその口伝も絶えていると…それでも本書の忍書探訪の章には、古書の類が掲載されていますが、万川集海とか内閣文庫にあったり、伊勢文庫にあったりで結構忍法書は国の中枢に残っていたりしてたのか?

 と、思えば、かの立川文庫…フィクションの王道ですか(笑)もあったり、これ一書で忍者のお話がよく分かる仕組みかな?

 アリス的なとこでは、大阪の陣の時の忍び使いですかねぇ?「豊臣方の勇将であり稀代の戦術家であった真田幸村が、大坂城の一角の真田丸に陣取って、奇策をめぐらして徳川軍を悩ましたとき、徳川家康が、やれ十万石やるの、信州一国を進呈するのといって投降を勧誘した謀略もこの矢文であった。幸村は矢文でまた拒絶し、二回目は返事も送らなかったという」という件からも、日常使っていたのか?矢文…一応、忍技の一つではあるそーだが…とゆー事は忍者とは弓矢も上手じゃないとやっていけない商売だったのか(笑)

 ちなみに古図によると「真田丸の部分に注目すると、推察通り、実は真田丸の三の丸が忍び組三十名の詰所だった」とな…真田の忍び使いは本当だったんですねぇ…とはいえ、物量的には徳川優勢は固しで、「慶長19年11月の夏の陣では、元貞は伊賀衆を特戦隊として活躍し、同年12月4日真田幸村が大阪城に特設した真田丸に奇襲をかけた。真田丸には幸村がよりすぐった忍者三十名がたむろしていたが、元貞の率いた伊賀忍者のためにさんざんの敗戦となった」とな…井伊の赤揃えといい、井伊家とは何か因縁あるよね…

 他にアリス的というと、関西ではスッパといい、関東ではラッパといったとか?大坂は素波という事か?その他、忍び文字なんかも暗号化の話に通じる訳で、この手の話はアリスが好きそーだよなぁ?符丁のとことかね(笑)

 さて、忍びについて上忍、中忍、下忍とあるそーなんですが、名声に鳴るのは中忍だそーで、上忍は決して表に出ないのだそー…「真の名忍は「音もなく、嗅もなく、智名もなく、勇名もない」」のだそー…とはいえ、これは理想であって実際は評判となって名を知られていたそーだから、世の中って(笑)

 てな訳で忍びについてのお話がいばーいなので詳細は本書をドゾ。

 目次参照  目次 未分類

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