« この人は、今どこ? | トップページ | 海に行くぞぉー(笑) »

2012年10月12日 (金)

旅は道連れ、世は情け?

江戸の温泉三昧  鈴木一夫  岩田書院

 コピーが温泉に癒される人々温泉に生きる人々なんですが、湯治というのはもー日本人のDNAにくっきりきっぱり組み込まれているんじゃないか?と思う今日この頃(笑)奈良の昔から湯治の記録が残っている国だものですから、1000年2000年なめんじゃないよかな(笑)で、こちらはその中でも江戸時代の湯治とはどんなもんだったんだぁー?なお話…しかも、お代官様ぁーなセレブな皆様ではなくてパンピーの入湯事情ですかねぇ?武士でも中・下クラスとか、ええ農家の皆様とか…読後に思った事は、身分の上も下もなくれっつ・おんせんな世界…もー生活にきっぱりと組み込まれているんですよ(笑)

 とは言え、今のそうだ、○○に行こうっなんていきなり新幹線でれっつらごーと遠出もオッケーな世界とは違って、普通の人は近場の温泉、取りあえず歩いて一日で着くというか、同じ藩の領地内の湯治場へ行くのが主流だった模様…ちなみに、近くても隣の藩のとことなれば、温泉行くもんね、という理由では行けなかったので、病気治療の為とか理由つけて行く事になったそな…じゃぱーにーず、建前と本音は健在です(笑)

 でもって、温泉旅館というのは、今だと朝夕食付きが標準装備だけど、昔は泊まるのだけがこれまた主流みたいで、自炊しろとな(笑)今で言うコンドみたいなものなのかなぁ?食材は勿論持ちこみOKだし、現地でも食材や燃料なんかも販売していた模様、自炊道具は貸し出していたそーで、掃除洗濯ご飯炊きと自分でやってくなんしょと…勿論、それなりの温泉なら頼めば仕出しがあったそーで、自炊しなくてもやってけたそーだけど、たいていの庶民は皆、自炊派となるそーな…

 というのも、温泉の宿泊単位が一泊な人も勿論あるけど、湯治客となれば一単位が七日だったみたいで、七日で幾らみたいな料金体系…だから七日から一か月位が当時の主流って、行き帰りで一日ずつ使うとなると最低でも九日の旅路なのか?うーん、一泊二日とかせいぜい二泊三日が主流の今より、江戸の方がリゾートしてないか(笑)

 アリス的に温泉となると、異形の客でしょかねぇ?何せ、締切明けたぁー修羅場も去ったぁー、そーだ温泉に行こうと思い立ってそのまま行く人ですから、アリスって温泉好きですよね(笑)

 さて、本書は江戸の温泉事情に迫るという事で、当時の方の残した資料を元にしているんですが、さすがにパンピーが残した資料は少ない(特に農民階級では…)けど、お侍さんとか、商人とか、町人とか、文人とかは書き残していらっさって、それから何となく分かる事もあるみたいなノリですか?それぞれに個性が出ていて面白いとか(笑)

 で、最初に出てくるのが本居大平、ええ本居宣長の養子、宣長の後引き継いだ人らしい…後とったはいいけど何だかこの頃調子悪いという事で、そーだ有馬に行こうと、松坂から旅に出るぅー(笑)友達連れてのんきな男二人旅、松坂から有馬までは歩いて五日位の行程だとか…で、温泉宿の楽しみはお湯に入る事もだけど、一番は隣近所の人と交流する事だったらしい…宿についてまずする事が両隣の部屋の人に挨拶する事ですから、まっ当時のお部屋の仕切りは襖一つですからねぇ…開けてみれば隣部屋って…防犯は大丈夫だったのだろーか?

 でで、そーゆー先客から湯治場のしきたりを教わったり、湯治場客のサークルを紹介してもらったりと…湯治場で客は入浴していない時は何をしているか?というと、将棋とか碁を打つとか、歌うたったりとか、宴会したりとかしていたらしい…さすが文人なので飲めや踊れや博打やらには手を出しづらいものがあった模様ですが、近場のピクニックには行ってたよーで、詩を読みあう事になったり、それなりに趣味の同好の士にも巡り合えるよーそれだけいろんな階層、教養の人がいたとゆー事か?

 さて、その次に出てくるのが菅江真澄…文人は文人であったけど、こちら元祖フィールドワークなお人と言ったらいいのか?現地に行って集めた、見聞きした民族誌的紀行をたくさん残していらっさる、今でいう民俗学・文化人類学・歴史学の先人という事になるそーな…まさに知る人ぞ知るですか?そんな御仁であるから、日本全国行脚してらして、行けば泊まる、時には温泉地もありで、その内その温泉地の雄大な景色にインスピレーションを受けて温泉行脚に目覚めてしまうと(笑)どんだけ凄かったかというと、当時は殆ど未踏の地であった蝦夷地まで足を延ばして今でいう道なき道を踏み分けて秘境の温泉に入りに行っている訳だから凄い…出かけます、温泉あればどこまでも、ですか(笑)

 で、お次に出てくるのが小林一茶、日本人なら知らぬ人はいない俳人ですが、この人の場合、生家の近くに温泉地がいぱーいの世界で幼少の頃から温泉がある暮らしが普通だった模様…で、江戸で一旗揚げた後故郷に居を構えて用事があれば江戸に出る生活をしていたそーで、となれば江戸滞在期を除けば毎日温泉な事も可能な日々とゆー…普段着の温泉事情でしょかねぇ…かくして、一茶の俳句には温泉の事も結構出てくるみたいなんですけど?どなんでしょ?

 そして、武士階級…と言っても中級かな?位のお侍さん登場、沼田藩の家来、原正興とお友達で同僚の神村光興と下男を連れての男二人+一人旅…最近調子悪いなら湯治に行けと、熱海箱根へ一ヶ月の予定で出かけるぞと(笑)ちなみに旅先では自ら魚を買い、調理していた模様で(メインは下男としても)、時には漁師から直でもらいうけたり、近所の散策、神社仏閣とか、観光名所(史跡とか、奇岩とか、お墓とか)に廻ったり、釣りに行ったり、ピクニックしたりで結構武士ってお出かけ好きだったんだなぁと感心するんですけど、実に宮仕え的なとこは、仕事休んで来ているのだからとお土産をちゃんと購入しているとこですかねぇ…しかも熱海なんて大きな温泉地だと、そーゆー需要が多いらしくって熱海で買った物の受け取りが江戸のお店で受け取り可なんですよ…元祖宅配というか、本人達は手ぶらで帰って、江戸の店に受け取りに行けばいいだけ…その頃から日本ってこーゆー国だったんですねぇ(笑)

 さて、更に続いて出てくるのが能登屋甚三郎(梅田甚三久)という金沢の町人なのですが、こちらは夫婦共に旅行が趣味という人物だったらしー…で、資料として残っているのは友人と二人で参詣という名の温泉巡り(笑)かくして男二人の気軽旅、あっちこっち見て回り、小さなお土産品を買ったりしているけど、一番のそれは買い食いというか、飲み食いでしょかねぇ(笑)珍しい物は口にせずにはいられないと見えてあちこちで散財していると(笑)元祖グルメな人だったのか?はずれても更に次に挑む姿は執念か(笑)病気治療の為の湯治ってそれだけ健啖な胃を持っていたら、必要あるのかと思う位(笑)後、町人の人達は宴会もお好きで飲めや歌えやのどんちゃん騒ぎをしていた模様…意外と武士の方が静なのね…

 と、まぁ旅人を追うだけでも凄いわぁな本ですが、勿論、その他温泉一般というか、江戸の温泉事情も載ってますので、詳細は本書をドゾっ。何か、昔から日本人って温泉好きだったんだなぁと納得というか、農家の方も農閑期には近場の温泉へ行く訳で、でもこちらは食材全て持って行ってなるべくお金のかからない旅にしていた模様…時には現物で払ったりとか(お金ではなくてタバコでとかね)だから、彼らの湯治は上記の人達みたいに出歩いたり、お店ひやかしたり、宴会したりはなくて、ひたすら一日温泉に入る、のんびり横になっているの繰り返しだったとか…人それぞれに温泉の楽しみ方が違うってか(笑)

 まぁ何にせよ、温泉旅行を本気でお任せコースで行くと相当に費用がかかったよーで、関東の(千葉辺りか?)鐘ヶ谷から草津への旅42日間で男二人、荷物はともかくほぼ歩きでかかる費用が今でいう105万6500円…別にこの人たちは特別な身分ではなくて農民であって、ちょっと豊かな方たちらしーが…てか、ちなみに江戸時代って三両だか、四両盗んだら首が飛ぶとか言われたはずで、ここではおよそ15両位かかっていると見ると、庶民には遠出の旅ってまずありえないか、一生に一度の事だったんですねぇ…本書によると最近の江戸本では誰もがレジャーを満喫できたと書いてあるけど、そんな訳あるかぁーという事になるらしー…やっぱ、旅は贅沢なんですねぇ…

 目次参照  目次 宿泊・温泉

|

« この人は、今どこ? | トップページ | 海に行くぞぉー(笑) »

書籍・雑誌」カテゴリの記事

宿泊・温泉」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 旅は道連れ、世は情け?:

« この人は、今どこ? | トップページ | 海に行くぞぉー(笑) »