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2012年11月 7日 (水)

それはすばらしい。余はとても嬉しい…

ハプスブルク夜話  ゲオルグ・マルクス  河出書房新社

 サブタイトルは、古き良きウィーンなんですが、時代的にはマリア・テレジアからWWⅡ前までかなぁ?スタンダードな歴史の流れというより、小話に近いよな?その中には土地っ子であるウィーン人しか知らない事もあれば、醜聞やスキャンダルもあると…一話一話がとても短めなので読み易いのかも?ネタもある種三面記事的でハーヘーホーだし(笑)で、本書の心得としては、まぁこの手の歴史の裏ではとか、本当のとこはねとか、のノリの話だと元ネタの正史が頭に入っていないと分かり辛いとこが一つ、も一つが原文がどーなのか?今一分からないんだけど、英文(米文?)や仏文の訳書はわりと滑らかな文体が多いのに、どーして独文の訳書というのは滑らかじゃないんだろー?読み手の読解力のせーなんだろか?いえ、もっとこーワルツのよーに流れる文体希望とか(笑)

 まぁともかく、秋の夜長には最適な一冊かも?ウィーンってばネタに困らない街でもあったんだなぁと…ちょっとうっとり(笑)例えば、ワルツ王のシュトラウスですが、この方三回結婚しているんですよ…とここまではわりと今でもある話なんですけど、何と13回婚約しているんですと…それはさすがにないわーではなかろーか?ワルツに生きた方は愛にも生きた訳ですかぁー(笑)

 王様の愛人話は後をたたない訳で、その他セレブのその手の交遊関係も何気に筒抜けだったりして…ちなみに国際的会議なんかあったら「ウィーンっ子は会議の政治上の推移などより、よっぽど知っていた。なにしろ彼らは特に重要な宮殿の前には「見張り」を立てて、王侯たちの恋愛沙汰をできるだけ詳細に、噂にのせようとしていたからである」って、昔からウィーン人パネェ(笑)

 ウィーン、音楽の都かと思っていたら、その実はおフランスとタメを張る愛の国だったんでしょーかねぇ…

 アリス的にウィーン…妃は船を沈めるで観覧車ですかねぇ…ウィーンで観覧車というと第三の男のイメージが強いよーな気もするけど、あの大観覧車って建設当初は暫定的施設のはずだったんですねぇ…それが1897年というから19世紀末…100年の歴史っすか?ちなみに建設したのはイギリス人というから、鉄関係なのでイギリスって事なんだろか?ああでも鉄ならエッフェル塔もあるから仏という選択肢もあるのか?

 ちなみにオーストリアとイギリスの王室(皇室)の付き合いもなかなかに複雑というか、笑える?英のエドワード王は皇太子時代からオーストリア好きだったらしく、毎年訪問していたみたいなんだけど、迎えるフランツ・ヨーゼフ帝はしかめっ面な感じだったらしー…しかも、「彼(エドワード)が母のヴィクトリア女王に財布の紐をぎゅっと握られていたためだった。フランツ・ヨーゼフ帝はあれこれ恨みを抱いていたにもかかわらず、羽目を外して金をふんだんに浪費することで有名な、女好きの伊達男に、いつもいつも金を工面してやった」そな…大英帝国じゃなかったのか、イギリス…

 嫌いな二人となると、ウィーン・フィルとシュトラウスの関係もシュトラウスが生きていた時には演奏されなかったんですねぇ…「フィルハーモニーのレパートリーには、その他の大作曲家は皆、含まれていた。従って、ヨーハン父子およびヨーゼフ、エドゥアルト(の四人)は単なる「娯楽曲作曲家」にすぎないとして、フィルハーモニーに拒絶されたのだ」うわぁー…それが今ではニューイヤーコンサートあれですから…さすがサリエリの国なのか(笑)

 これまた全然知らなかったのですが、リヒテンシュタイン家ってオーストリアの大地主の一人なんですねぇ…「ウィーン、ニーダーエスターライヒ、ケルンテン、シュタイアーマルクにあるからである。リヒテンシュタイン家の人々はオーストリアの最も重要な大土地所有者に数えられ、ここオーストリアにおける家領はリヒテンシュタイン候国全体のほぼ二倍に達する」そな…「現在の侯爵は「昔からの故郷」(オーストリア)からの収入で自分と一家の生活費をまかなっている」とな…スイスよりかと思っていたら、その実オーストリアよりな国だったのか?国に歴史ありだなぁ…

 さて、日本的にはバード・イシュルの塩泉浴も気になるところなんですが、日本語用序文でレルヒ少将のお話とかもこれまた気になるところではあるんですが、ここは1893年に来日したフランツ・フェルディナンド大公のエピですかねぇ?世界旅行の途中に立ち寄ったという事らしーんですが、オーストリアから横浜までは戦艦「帝妃エリーザベト」で、横浜からバンクーバー、ニューヨークへはカナダの蒸気船「中国の皇后」号で行く行程だったとな…

 で興味深いのはボルネオ、香港、横浜と旅してきた訳だけど、何せ次代の皇帝、セレブ中のセレブだから「日本に到着するまで、安全を期して「ホーエンベルク伯爵」の偽名を用いていました。横浜で彼は、フランツ・フェルディナント・フォン・ハプスブルク=エステ大公として旅を続けるために、本当の称号と名前に戻りました。日本人は客扱いが親切だとはよくいわれるところですが、明らかに大公は日本人にすっかり信頼を寄せていたのでした」とな…まぁ著者のリップサービスも入っているんだろーけど、100年前から日本って(笑)

 さてさて、最後にフロイトの興味深いエピで〆たいと思いまする。「フロイトは学生たちに尋ねる。「君はケルントナー大通りを歩いていて、一万シリング見つけるとする。幸い誰も見ている者はいない。もし届け出れば、一シリングももらえない。君ならどうするね。警察に行くかい。それとももらっておくかね」教室にいた学生の十二人のうち十一人までが、金をもらう方に賛成した。ただ一人だけ、金をもって警察に行くと言った。フロイトは、いたずらっぽそうに、眼鏡ごしにその学生をみて、誠実な発見者に言った。「君のモラルはすばらしい。だが君は馬鹿者だよ!」」成程、オーストリアはこーゆー国なんだなぁと、東北の海岸で納得してみたりたり(笑)他にも面白エピ満載ですので詳細は本書をドゾ。

 目次参照  目次 国外

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