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2012年11月 4日 (日)

仮想空間がますます強くなっていく中で、実体験とは何か?かな(笑)

京都「癒しの道」案内  河合俊雄 鎌田東二  朝日新聞出版

 そーだ、京都に行こうなのかなぁ?本書のポイントというか、前提は、心理療法士が患者との会話の中で寺社関係の話が煩雑に出てくる事に気がついた、その手に積極的な人もいるけれど大半は「その場所の持っている力にふれることがとても重要なように思われた」とゆー事で行くだけで違いで出る人もいると…でもってそれはどゆ事とゆーのを京都大学こころの未来研究センターで「京都における癒しと伝統とリソース」のプロジェクトをはじまるきっかけとなったと…だから、こちらは「臨床心理学、宗教学から、認知科学にまでわたる学究的チームである」とな…

 そして著者二人は旅に出るってか?京都の名所というより隠れ名所的な寺社を6ヵ所程回り、こちらはその紀行文っていうか、行って来ました記かなぁ?著者が交互に夏休みの絵日記ではないけど顛末記というか、こんなとことゆー紹介文といおーか、感想文に近いかなぁ?京都だけにどのスポットも語るべき歴史と伝統は山のよーにあり、それだけでもおべんきょになりますが、個人的な感想を述べさせて頂けるものなら、どちらも大変平易な文なのですけど、鎌田先生の文の時の方が何となく近いかなぁと?これ何故かと思ってたら河合先生の文はあくまでもこちらから見たらですけど、京都人の書いた文章だなぁとだから京都目線なんですよね…気のせいかもしれませんが…

 さて、そんな癒し行脚も「必ずうまくいくならば、それはあたかも癒しや悟りの自動販売機のようなもので、主体的なものでない。お寺や神社は、主観的なこころの投影にとどまらない。それぞれの自立した魂としての存在を持っている。しかしそれは、ある意味で客観的な存在ではなくて、そこに主体が入ってくるときにはじめて光り輝くのである。またそれは出会いとも言えるのかもしれない。ある人には姿を現しても、別の人には姿を現さないかもしれない」とな…事によったら「失望させられたり、満足できなかったりすることは、それ以上の意味があるかもしれない」と…人によって効果の程はこれまた違うと…ではこれらの旅(お参り)は何だ?とゆーと、土地の魂にアクセスしようとする試みだとか…「あくまでも内面への案内なのであり、お寺や神社の内面的な価値や体験への案内なのである」そな(笑)

 アリス的に京都と言うだけで、これは読むしかないでしょう(笑)一風変わった京都ガイドかもしれないなぁと思いつつ、本書で究極のアリス的事項は阪神タイガース優勝記念 監督吉田義男なんて石碑(@狸谷山不動院)が沿道にあるとこでしょか?後は東山三十六景の一つに北白川山が入っているとことか?

 豆知識も満載で、例えば閻魔大王が何故舌を出している恐ろしい顔なのかとゆーと「審判を受けている人を地獄に落とさねばならないときに、閻魔さまが辛いので、灼熱の液体を飲み、「地獄」という断末魔のような声を発する。その声を聞いて、地獄の獄卒たちが拷問する手を一瞬ゆるめる。つまり閻魔さまの恐ろしい表情は、実は慈悲の表れなのだという」だそな…閻魔さまの喉は大丈夫なのか?

 個人的に一番おべんきょになったのはヤタガラスの説明のとこでして、八咫烏って和歌山の話かと思っていたら、下鴨神社の境内に祀られている賀茂建角身命(東殿)はヤタガラスの事なんだそな…ちなみにこちらは賀茂別雷大神の祖父神にあたるそな…いわゆる古事記、日本書紀のお話でござりまする…でもって出雲系の神・神魂命の孫だとか…神様の系譜も半端ない…で、この名前の意味が強く猛々しい鴨の身体を持っている男って…でで、彼にヤタガラスの称号を与えたと…ででで、ヤタガラスの意味が偉大なる神の力を持つ鳥となるとな…詳細は本書とか古典をドゾの世界か…この系列に後の役小角とか続くとかあって、賀茂さん家は凄い事になっている模様…さすが京都奥が深い…

 人的にヘェーなのが空也上人でして、踊り念仏とかちょっとファンキーな方かと思っていたら、その実京都に疫病が流行った時なんか「十一面観音を車にのせて、病人にお茶を振る舞い、死体を焼いて供養したという」…「宗教活動というより、むしろ社会福祉活動や、衛生事業活動と考えられないだろうか」とな…昔の偉い人はまっとーだったんだなぁ(笑)

 極め付けが、小野篁。かの小野妹子の子孫、エピソードには事欠かないんですけどその中でも秀逸なのが「篁はご先祖とは異なり、仮病を使って遣唐副使の務めを果たさず、嵯峨上皇の怒りをかって、承和五(838)年隠岐に流された。'(中略)小野篁は入唐する代わりに、閻魔大王のいる冥界に通ったのであろうか。いろいろと理由はあったようだが、あの世には行きたくとも、隣の国には行きたくなかったとは面白いではないか」って、どーよ(笑)小野篁、正直すぎるそんな貴方はオステキ過ぎる(笑)

 さてさて、本書はどこを読んでもはぁへぇほぉの世界なんですが、一つに絞るとしたら「現代の政治家で、境界のスペシャリストになりうる人はいるのであろうか。逆に境界にかかわっている心理療法家で政治的なことができる人がいるのであろうか。それとも単なる境界人(マージナルな人)にとどまっているだけなのであろうか」のとこかなぁ?いやもー日本の政治家で何かできる以前に、何かわかる人っているんですかぁ?と素朴な疑問が(笑)

 訪問先は、狸谷山不動尊、釘抜地蔵・千本ゑんま堂、赤山禅院、御陰神社、六道の辻、伏見稲荷神社

 目次参照  目次 京都

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