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2012年11月12日 (月)

そーだ、京都に行こーっ(笑)

信長が見た戦国京都  河内将芳  洋泉社

 サブタイトルが、城塞に囲まれた異貌の都なんですが、信長と京都というとついラストの本能寺を思い出してしまいますが、生涯に京都、よく通っていた雰囲気かなぁ?尾張、岐阜から行程として2,3日の距離なんだなぁと…まぁ戦国大名にとっては、京都がゴールというか、上がりというかだし、ある意味京都に着いてからが次のゲームのスタート的な意味合いもあるし…

 さて、そんな信長が初めて京都に上ったのが、永禄2年(1559)2月だそで、ちなみに信長26歳の時…桶狭間の前年なので京都的にはまだ無名に近い頃でしょーか?突然、京都に行くぞと言ってでかけたらしく共も80名位という物凄く少人数なんだそー…成程、戦国大名の移動というのは大軍団でというのが普通だったのか?ついでに言うと、京都の人のこの時の感想は、異形の者達、だったらしー…傾奇者が流行っていたとはいえ、どんな格好で行ったんだ?信長とゆかいな仲間たち(笑)

 本書は信長をタイトルに上げているとはいえ、メインは京都の都とは何ぞや?に近い気がするよな?京都とは平安京の昔から、変わりなくそのまま存続しているつもりでいたら、そんな事は全くなく、時代時代で違っていたと…ちなみにサブタイトルにあるよーに、信長の頃というか、室町末期、もしくは応仁の乱を出すまでもなく幕府が権力争いに突入して戦いな日々になってから、自衛の為に堀に土塁、土塀、木戸門に櫓門に囲まれた惣構によって取り囲まれた街だったとな…もはや京雅なんてどこ?の世界か?

 アリス的に京都は、英都大のあるところでして、それだけでアレですが、京都七口といった門のあったとこの一つが北白川門だとか…今の相国寺とか、同志社大のある辺りも上京、その当時のメインストリート室町通りのすぐ隣辺りなんですよね…成程御所のお隣な立地…

 ただ、当時は火事が多かったので御所もあちこち移動している感じか?里内裏とか?それに幕府もあちこと移動しているみたいなので、京都の町は常に変化しているとゆー事か?

 本書的に時代の変化としては、町人勢力の台頭が一際凄いかも?応仁の乱の時の事後はなかなか復興しなかったにも関わらず、信長時代の京都は数年で人とか街並みが戻っているんですよ…商人達が経済力をつけたのもあるんでしょーけど、ついでに危機管理能力も上がったのかもしれないけど、一番のそれは町の集まりが出来た事でしょーか?今で言う町内会?この単位で、相互扶助的な事をし、なおかつ権力者と交渉してきたと…ええ、賄賂贈って町の安全をはかるとかね(笑)

 また、寺院もそーゆー事の世界で、争ったり、戦ったり、宿営地になったり、と忙しいってか(笑)僧兵が当たり前の時代ですから…まぁ信長はそれに挑んだ男ですが(笑)でも本能寺で宿泊しているよーに、寺の宗教の全てが憎しという訳ではなかったんですねぇ…信長的には敵になった宗教憎しというとこでしょーか?分かり易すぎる(笑)

 そんな訳で、比叡山も焼き討ちにし、京都の街(上京)も焼き討ちにし、逆らった者は全て葬ってきた信長なので、当時の京都での評判は物凄く悪かった模様…子供も泣きやむネームバリューってどーよ(笑)

 さて、町民が逃げる時、御所の中に仮設住宅建てて避難って…当時の御所は避難民の山ってか?まぁ当時の戦いでは兵が町民攫って売っ飛ばすというのが普通だったみたいでまず捕まらない事が必至って…火事とか、強盗とか、治安の問題のとこも凄いけど、本書で一番スゲェ人達と感動したのは、御所というか、公家の人達でしょか?

 本能寺の変の直後、町人達はまだ避難生活している中、公家系の人達は光秀に挨拶とか迎えに行ったりしているんですよ…ええ、次の権力者へご挨拶ですよ…いやーどこぞの官僚のよーに権力には従順なんですねぇ(笑)そして、数日もしない内に今度は秀吉へと…掌返しっ素晴らしかぁーってか(笑)

 とゆー訳で詳細は本書をドゾ。洛中と上京と下京の違いだけでもおべんきょになります。いや、まさに京都は燃えているか?なんですねぇ…

 目次参照  目次 文系

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