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2013年1月 3日 (木)

明日も音楽っ~

楽都ウィーンの光と陰  岡田暁生  小学館

 サブタイトルが、比類なきオーケストラのたどった道なんですが…どーゆー訳が新年のイメージするものの中で浮かぶのが、ニューイヤーコンサートなんですよ(笑)となれば、ウィーン・フィルじゃね?でして(笑)毎年、ラデツキー行進曲を聴くと年明けたんだなぁーと己が妙に納得するとゆー(笑)

 そゆ訳で、単純に手に取ってしまったのですが、ウィーン、そんなに軽い都市じゃなかったんですねぇ…音楽の側面から切り取っただけでも、ウィーン半端ねぇー(笑)多分、今となってはウィーンのどこを取り上げても音楽と直結するよーな気がする…文化の根付き度が違うんですとゆーとこか?何かもー遠い目というか、異邦人しちゃうよの世界…

 一応、ウィーン・フィルの本拠地となると、国立歌劇場と楽友協会ホール…ニューイヤー・コンサートは勿論、この楽友協会ホール、黄金のホールで開催されています。ちなみに楽友協会ホールが建てられたのが1870年というから、日本だと明治初めの頃か?一応、金融成金もとい金融貴族の方々の出資がもの言ったとはいえ、セレブな音楽愛好家の為のホールだったんですねぇ…よーするに大衆相手というより、プライベートな空間、クラブ的と言っていいのか?のノリか?いえ、実にウィーン的ですよねぇ…

 ちなみに国立歌劇場が建設されたのが1869年というから、この頃が一つのウィーン音楽建築ラッシュだったのか?で、こーゆーとこで定期公演しているウィーン・フィル…そーゆー事なんですよねぇ…

 アリス的にクラシックというと、准教授のバッハとかになりそーだけど、結構あっちこっちでクラシック系は出ているよーな?赤い帽子とか、長い影とか、四風荘なんかもそかな?他にアリス的なとこというと、コルンゴルトのとこでしょか?えーと「死の都」の作曲者なんですけど、ええ乱鴉に出てきた「死都ブリュージュ」のオペラ版…WWⅠの後の話しなんですが、この作曲家とこの後のWWⅡとハリウッドとウィーンの関係についての詳細は本書をドゾ。

 さて、ウィーンの街で観光客がイメージするのは国立歌劇場の回り、ケルントナー通りの辺りらしー…行った事のない人でもどっかで見たな?な街並みはこの辺りが基本のよーですが、建築当時はウィーン市民には非常に評判が悪かったとな…やっぱ歴史と伝統の国じゃけん…折衷様式の歴史様式なんて認めないぞっの世界か(笑)

 でもって、アリス的ならホテルかな?という事で、ウィーン二大ホテル、ホテル・ザッハーは国立歌劇場の隣というか、裏にあるし、ホテル・インペリアルも楽友協会ホールの隣というか、表にあると…この辺りも実にウィーン的ですよねぇ…ザッハーの方は女子的には知らない人がいないだろーあのザッハートルテのザッハーですよ(笑)更に、ウィーン大貴族様御用達だったと…金融成金が入り込む隙がない位「ウィーン貴族の第二の家」だったそな…

 そしてホテル・インペリアルの方は、元ヴュルテンベルク公の私邸を改装してオープンとゆー、元はウィーン万博の賓客が宿泊する為のホテルという位置付けだったらしー…ちなみにワーグナーも泊まっていたりして(笑)それより何よりこちらにもインペリアル・トルテというのがあってこれ結構有名らしー…うーん、ウィーンはチョコレート・ケーキの街だったのか(笑)

 それにしても、歌劇場とコンサートホールって全く別物だったんですねぇ…歌劇場のルーツは宮廷文化の延長…コンサートホールは仏革命以後の近代市民社会の為にだそーで、どこが違うって、立見席があるか?否か?原則コンサートホールには立見席は無い事になっていると…市民全てが平等に音楽が聴けるとことゆー理念にのっとれば「立見席などという「差別的な」制度は、原則として存在していない」とな…自由、平等、博愛のせめぎ合いってか(笑)

 で、楽友協会ホールって一応、コンサートホールの範疇に入るらしーんだけど、「ヨーロッパでは立見席がある数少ないコンサートホールである」とな…色々例外があるホールなんだろか?ちなみにこちらは演奏中でも客席の照明落とさないんだそーで、そーゆー意味でも例外が多いホールなのかも?

 ついでに言うとこの楽友協会というのが、凄すぎる…元はアマチュアのもっと音楽をの世界だったのに、それがより良いコンサートの為に音楽学校まで設立(1818)しちゃうんだから、しかも校長があのアントニオ・サリエリっすよ…演奏会の方も、サロン開いたりとか、シューベルトを囲む会とか開催したりしていた模様…元祖イベンターだったのか(笑)

 で、この楽友協会とウィーン・フィルが紆余曲折の内に手を組む事になって、楽友協会ホールでウィーンフィルが定期公演する事になった模様…詳細は本書をドゾ。

 さて、ウィーン・フィルというか伝説の指揮者のマーラーが19世紀末ウィーンに登場の件も本書をドゾ。国立歌劇場の監督という肩書だが、マーラーってユダヤ人だったそーで賛否両論凄かったらしー…しかも「マーラーのこの直情径行の芸術改革は、いうまでもなく劇場マネジメント的な意味で極めて危険な振る舞いであった」そな…ええ、パトロンから一言の世界ですよねぇ…

 まぁ尤も、マーラーの監督就任にもマーラー自身根回しの結果だそーだから、裏工作は宮廷文化の嗜みってか(笑)この辺りの狐と狸なのか?蛇とマングースなのか?は本書をドゾ…ちなみにウィーン・フィルはマーラーが辞めてからしばらく主席指揮者をおかなかったそーだから、トラウマ凄かったんでしょかねぇ…

 で、これまた全然知らなかったのですけど、音楽の都ウィーンと表だって出てくるのは1970年以降の話しなんですねぇ…「音楽こそは、ウィーンがベルリンに対して圧倒的優位に立つことのできた、ほとんと唯一の領域」って…ウィーン的には音楽こそが武器って事なんでしょか?

 さてさて、新年ですからニューイヤーコンサートの話しをば。実はこれの第一回って1939年12月31日だそで、意外と新しいのか?まぁでもやはり美しき青きドナウは年に聴きたいよね(笑)

 ウィーン的には1-3月は舞踊会シーズンだそーで、今でも土曜日には市内のあちこちで開催されている模様…さすがウィーンなんだけど、これセレブだけでなくて市民全員参加の様相か?だって、「オーストリア公務員の舞踊会」とか、医者のとか、銀行員のとか肉屋とかあるんですよ、他にも警察官の舞踊会なんかもあって、大坂でもあったらきっと森下刑事は凄い事になるんではないか?ピッキーのそれは見てみたい気がするが(笑)でも極め付けは「難民の舞踊会」があるんですよ…将軍サマだって踊るご時世…難民だってワルツっすよ、人生は(笑)

 と、他にもいろいろいろいろいろあるので詳細は本書をドゾ。音楽の一口ですら語り切れないウィーン…奥は本当に深そーです(笑)

 目次参照  目次 音楽

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