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2013年2月20日 (水)

無所属、中立、肩入れ、超然性?

サイードと歴史の記述  シェリー・ワリア  岩波書店

 歴史とは何か?ではないけど、著者的にはサイードへのオマージュでしょか?何とゆーか、歴史学者的には歴史学って、社会科学系として認識して欲しいけど、その実、文学と大差ないというか、フィクション入ってまっせの世界か?まぁ、本気で歴史をやるなら、それと同じ時間が必要という事になって、いつまでも終わりませんの世界になるし、結局、端折ればその人の思惟が反映してしまう訳で、限りなく個人的なソレになってしまうと(笑)最大公約数的何かですが、それこそ何か?の世界か(笑)

 取りあえず、サイードの「オリエンタリズム」と「文化と帝国主義」の一解釈のよーな気がします。サイードの立場というか、立ち位置が、純粋なと言っていいのか、欧米人でなかった事から、中東、インド辺りというか、植民地的なそれの解釈が違っているという事でしょかねぇ?欧米列強が作った歴史という神話というか、情報操作ですか、とは異なる認識というか、歴史があると…

 ちなみにサイードという人はどゆ人かというと、あまりに超有名人ですけど、本書からチョイスすると「パレスチナのキリスト教徒で、アラビア語の苗字に英語の名を持ち、アメリカ在住という立場」の人、これはもーアウトサイダーと認識して宜しの世界か?その人の世界観、歴史観、一筋縄で行くとは思えないよね(笑)

 アリス的にサイード…まぁオリエンタリズムとかある意味、文学評的に見れば関係あるのか?うーん…むしろ、准教授の社学的な視点の方が近いかなぁ?ただ、サイード、フーコーの影響についてもアレなので、そちらのスタンスで行くと江神さんの方か?エグザイル的なとこでも江神さんと被ると言えば被るのか?うーむ…

 取りあえず、サイードという人は型に当てはまらない人だというのが一つかなぁ?「何らかの肩入れを求めてくるイデオロギー的な問題に手を差しのべようとしない臆病な学界知識人や、難解な専門用語が役立たないのを尻目に、彼は超然としていられるからである」という事で、殆ど異端児という事でオケ(笑)

 文学的なとこでは、先の二書で「西洋の知識が純粋な学問などではなく、いかに権力や政治的な動機に染まっているか」「作家の意識も、19世紀の英国にはびこっていた帝国主義的な傾向によって形づくられていると考える」とな…

 「歴史の物語は「歴史家がふだん認めてもよいと思っているよりもはるかに多くの、フィクションの物語と共通するものがある」ことは明らかだ」となれば、スプーンのよーにびったりとまではいかなくても、分離するのは難しいという事か?どこまでが真実なのか?そんなの誰にもわかりませんってか(笑)

 「サイードは新しい認識の枠組みを提唱することによって、西洋の文学や歴史に培われてきたヨーロッパ中心のものの見方にズレを生じさせる。彼が最終的に強く言いたいのは、このような文学の営みはすべて政治的な性格を持っているということである」とな…何とゆーか、男の人は政治がお好き(笑)かくして「サイードは、歴史の「真実」といわれる記述も、権力と物質的な利得とを手離すまいとする動きに合わせた文化的な戦略の結果にすぎないと論じる」いやもー、どこから仕組まれているのか?誰にとって都合のいい、真実、なのか?それが問題だってか(笑)

 知と権力の結びつき、制度、官僚制、と続く道辺りはフーコーの論と似ているというか、依拠しているそーで、それの行き着く先は「支配のために、相手を打ち負かしたり取りこんだりする戦略に、始終たずさわっている」そな…勝ち組の勝ち組による勝ち組の為の歴史ってか(笑)フーコー的に言うなら「エリートの命ずるまま社会を監視することをうながすものである」ですか?誰がために社会はある?一部のエリートのためでござるってか(笑)

 何とゆーかサイード的視点で行けば、みんな加害者って事でしょか?「西洋が東洋を支配する裏には、意識的な計画や志向性が見られると主張する。政府や著述家たち、単なる個人も、このような戦略を受動的に媒介するだけのものではないのだ」となとなとな…文化の受容度的なとこもあるんだろーけど、「知識人たるものは権威主義の行使に強く反発せねばならず、ヘゲモニーが持っている抑圧的な神話を作り上げる戦略を警戒しなければならない」と主張しているみたいですが、大本営発表に批判的なというより、太鼓持ちが多すぎるの世界だからなぁ(笑)そんな骨のある知識人、どこにいるんだぁー(笑)

 ちなみに欧米的な正しい主張…「支配する側の言い分では、アフリカ人やインド人は野蛮であるがゆえに、外国による占領は必然的なことであった。彼らは、野蛮人たちが植民地支配を乞い求めるのだから、ヨーロッパ人は「文明化する使命」を果たさねばならないと主張した」となるそーですよ、奥さん(誰?)オステキすぎて何も言えねぇ…

 更に「オリエントとは常識から外れたもの、後進的で下等なもの、みずからが何なのかも規定する力を持たないものだという、彼らの思い上がりの裏には、独断的な考えがしぶとく存在していた」そな…21世紀、表向きは人類平等、果たして心底では、いかがなものか(笑)

 西洋のオリエントの学問的研究というのは、結局は「実益や実利を重視する西洋の帝国主義者たちが権力を手に入れる手段として使う」事に直結しているんですねぇ…「オリエントに関する研究が19世紀に自然増殖して活発な学問領域になったことは、植民地の拡大が絶頂期にあったことをはっきりと示しているとともに、東洋に関する知は権力をめぐる言説の始まりである」となとなとな(笑)

 何かもー私にとっていかに都合のいいものをでっちあげるか?の世界に突入していくみたいで「東洋は西洋の学者が「自己」として認めたがらないものの代理となり、残虐性や肉欲、頽廃といったものは決まって「エキゾチックな他者」の本質的な特徴だと考えられる」なんだそーですよ、おぞーさん(誰?)「東洋を、際限のない快楽と倒錯をそなえ、植民地化されるのを待つばかりとなった「巨大なハーレム」に見立てている」そー…わぁー男のロマンだわーってか(笑)

 何かどこぞの新聞の彷彿とさせる話しじゃあーりませんか(笑)「キリスト教の世界は現実から乖離した天国を表しているのに対して、東洋は色情と貪欲に満ちた楽園を思い描いている」そで、「旅行者はしばしば、東洋を享楽的なものとして、つまり白人の男性が好色な奴隷や、情熱的な女性が満載のハーレムをいつでも手に入れることができる場所として描いた」酒池肉林、万歳ってか(笑)現実とフィクションと妄想の区別がつかない人達って昔から枚挙にいとまないという事なのか?そーなのか(笑)

 そしてそれが国家戦略に繋がる道なんでございますよ、姐さん(誰?)「帝国主義者たちは、間違いなく、怠惰でみだらな原住民という表象のおかげて、本国から出たことのない読者に対して、野蛮な東洋を文明化することこそが自分たちの高邁な使命であることを証明し、またそれによって、すべての大陸をすみずみまて征服することについても世間一般の支持を獲得できたのだろう」ほら、よく言うじゃない、騙された方が悪いんだって(笑)あっむしろ、こっちか?信じる者は救われる(笑)

 てな訳で歴史とは何か?「歴史の記述は、権力の有無に左右される一方で、さまざまな条件づけや社会化のプロセスに支えられている。「本物」で「真実」の記述という名のもとに広められたそうした表象のすべてに対して疑問を突きつけ、その権威や一貫性を綿密に検証し直すのは、きわめて重要なことなのである」と言うけれど、大国でそれを認める国はどこにあるんだぁー(笑)自称、正義の国ばかりなりだと思うんだけど(笑)

 とまぁ、上げだしたらキリが無い位、論が進んでいきまする。これでもごく一部というとこが本書の凄いとこかも?本的には薄い部類に入ると思うんだけど?さて、サイードは「人類のために、またそこに含まれているはずの自由のために「強圧的でない知」を作りだすように、批評は「いかなる形の圧政や支配、虐待に対しても反対する」ものであってほしい」と考えていたそな…そーゆー人に私はなりたいって、雨にも負けずってか…それでもってこの手の知識人としては珍しいと思うのはアマチュアを高くかっているとこかなぁ?

 最後にハーヘーホーと思わされたとこはグラムシのヘゲモニーの論のとこですかねぇ?「無意識とさえいえるレベルで説得が駆使されて大衆を動かす」とな…その為には「言語を押しつけること、そして押しつけた言語でもって文学や歴史を書くことが、支配階級のイデオロギーを永続させ強固なものにするシステムや制度を打ちたてるさいに、重要な役割を果たすのである」でしょか?英語という言語も国家戦略の一つなんですよ、みーんな英語社会、何て素晴らしい英語媒体、英語の価値観って素晴らしス、英語支配万歳ってか…こーしてみると国とは国語であると言い切った山本夏彦は、真に意味深だったって事なのか(笑)

 他にも名言至言の嵐ですので、詳細は本書をドゾ(笑)

 目次参照  目次 文系

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