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2013年3月20日 (水)

華麗なる一族…

華族家の女性たち  小田部雄次  小学館

 華族…簡単に言うと日本の貴族という事になるんだろーか?戦前のセレブ、明治維新後の特権階級、後づけ的な組織というのは、こー言ったらアレだけど、寄せ集め的な要素もなきにしもあらずで、元々の公家、摂関家の流れでございます的なソレもあれば、維新前の幕閥的な諸侯系もあるし、維新の元勲達のあれば、奈良華族みたいな還俗派もいらっさると、更に後に財閥成金系から、軍閥系もあるという事で、その出自はどこ?と一つには言えないとこが凄いよなぁ…

 で、そのお嬢様達とはどんなんだったのか?というのが非常にシリアスに淡々と語られているとこでしょーか?本書の凄いとこは、著者の視線がぶれてないとこでしょかねぇ?よいしょに走らずスジ通っていますって感じで、背筋のびるかも?時にシビアに時に哀惜をにじませていってみよーってか(笑)

 で、女子的なそれでいくとやはりあの悪名高き鹿鳴館時代ですか(笑)世界中の物笑いの種になったというソレ…それだけ日本がせっぱつまっていたというのもあるんだろーけど、100人近くの会場で踊れた女性が7人しかいないとな(笑)ちなみに主催の伊藤梅子(博文夫人)も「壁の花」だったとか…舞踏会は一日にしてならずってか(笑)

 ちなみに批判の一つに「舞踏会に老婦人の甚だ多いのはどうしたことか」なんてのがあったりして(笑)

 アリス的に華族…名前だけなら有栖川宮のとこでしょか?ただ、本書女子的な方向なので、あまり登場機会はないよーな?熾仁に威仁といった有栖川宮家は殿方の方の名前の方が出てくる回数多いよな?後は有栖川宮威仁夫人の慰子が美人の一人として登場しまする。ちなみにこの方は前田慶寧の四女だったそで、加賀前田藩最後のお姫様という事になるのか?

 さて、お姫様と言えば美しいの世界でこれ世界共通概念なんですかねぇ?というのも「華族家の女性たちを特徴づける第一は、「近代美人」であるといえよう」でしょか(笑)「上流婦人イコール美人という原理は一般化しており、万が一、「美人」でない場合は、例外として見なされた」とな…ちなみに理由の一つとして「卑俗的になるが、地位と資産と権力のある者は、美しい女子を伴侶に求めたがり、かつ、手に入れやすいからということにあろう。当然、その娘が美人になる確率は高い」とな…かくして美女は巡るってか(笑)

 ちなみに、深窓のご令嬢が美人である事はオケだったけど、「その美を衆人にさらすことは許されず、ましてやそのことで景品を得たり、職を得たりしてはならなかったのである」とな…まさに深窓…箱入り娘ってか…遠くにありてチラリズムに思うもの?なんでしょか?

 興味深いのは、この華族の結婚なんですが、だいたい同じよーなとこに行くのを目指していたよーな?特に初期は、皆出身が違うのでそれぞれに葛藤があった模様…特に明治の元勲達の結婚となると「伊藤に限らず、爵をもった明治の元勲たちの妻には、もと芸妓が多い。元来が士族、それも多くは下級士族であった彼らは、将軍家や大名家あるいは公卿から嫁をもらうことは、ほとんど考えられなかった。それほどに身分の壁が残っていた時代であったともいえる」とな…

 華族的な悲劇の誕生の理由の一つが、爵位の継承を男系のみとした事でしょか?養子を貰うにも血族内という掟ありで、華族の維持繁栄は物凄い努力が必要となってしまった模様…ちなみに華族とは1011家あったそな…その中で本家だの分家だの支流だの傍系だのとある訳だから…いやはやいやはや(笑)

 華族にとっての結婚とは、まさに家そのものだったんですよねぇ…「不思議なことに、華族社会にとって、もっとも重大な問題は、「純愛」による「身分違い」の婚姻である。「持参金」など見返りのない閨閥は、親族はじめ、多くの関係者から白眼視された。そのため本来、「愛」によって結ばれるはずの男女が、別の要因で結ばれていく」そで、結果「男は妾を囲い、女は不倫をなす」とな…政略結婚での幸せって…まぁどこの国の王族史みても家庭的に成功した人の方が稀だもんなぁ…こー言っては何だけど、まだ不倫で済んでいる分にはマシじゃね?状態のよな?

 ちなみに庶子として生まれて子供と認められても、その母の身分が低いと結婚しない、もしくはしたとしても子供との身分差はそのままみたいなノリだったよーで…端的に言うと子供が母と呼べない状態…生みの母は使用人のままみたいな身分もあったとな…「こうした身分の「壁」は、妾である母よりも、庶子である子のほうに「心の傷」を残した」とな…「実の母が身分の「卑しい」平民や芸妓であることは、永遠にぬぐえないコンプレックスとなった」そーで…「大正天皇も貞明皇后も、ともに正妻の子ではなく、正妻よりも身分の低い妾の子であった。彼らが一定の年齢になってそれぞれにこの事実を知り、彼らの心は深く傷ついたという。そしてこのことが、天皇家の一夫一婦制の道を開く、ひとつの要因になったともいわれる」とな…

 ある意味天皇家には理性があったという事でしょかねぇ…でも、殿方にとっては男系を守る為にを理由として妾保持が容認され続ける訳です。「「男の甲斐性」などと男の力量として肯定する言葉すらあった」とな…とゆー事は子供の精神の安寧よりも、ついでに傷ついた本人も多分含めて色に走って何が悪いの世界だったという事か?で、戦国時代の源氏物語ブームのよーに「天皇に側室があることは、こうした華族の妾保持の習俗を容認する理由ともなった。さらに、実子がなくとも気丈につとめを果たす皇后美子は、華族たちが正妻の不平を抑え込む口実にも利用された。皇后が忍耐している以上、妻が忍耐するのは当然であるというのだ」そして、女性には姦通罪まであるでござるの巻ですか(笑)

 これまたちなみに後のWWⅡの頃になると、婚約はするが相手に召集令状がくると婚約破棄するご令嬢がいぱーいってか…「当時は、戦争寡婦の再婚は非難の的であり、そのため、未亡人になることを恐れて婚約破棄をした者も少なくなかったというのだ」って…何とゆーか、誰がために結婚はある?の世界ですかねぇ(笑)

 華族の娘としては、結婚するか、後は女官として生きるかが主なんでしょか?まぁこの女官職もかなり縁故な世界みたいですが、後は教師職ですかねぇ…海外留学してその知識を広めるという生き方も幾つかはあったみたいです。詳細は本書をドゾ。まぁメインは、良妻賢母ですけど…

 豆知識的なとこでは服装についてはまだまだ洋装が珍しかった時代だけに、これまた色々とドラマがあったよーですが、宮中の礼服が、大礼服がマント・ド・クール、中礼服がローブ・デコルテ、通常服がローブ・モンタントだそーで…最近ではローブ・デコルテは耳にするよーになったけど、このマント・ド・クールとかってどんなんなんでしょ?取りあえず仏式で行こうの世界だったのか?

 爵位を捨てた恋じゃないけど、生きざま的で行くなら、白洲正子と沢田美喜でしょか?どちらも豪快としかいいよーがないよーな気がするが、詳細は本書をドゾ。それにしても若き日の美喜の言葉が「祖先の栄光と地位を、それにふさわしくない子孫たちが、かさにきて、そっくり返っているのがたまらなくいやだった」とか「学習院の生徒は、新しい先生がくると「だれそれの家来」だと、先生に対しても、昔のままの一国一城の主のごとくふるまうということを聞いたとき、わたしは華族をいよいよ嫌いになりました」と言い切るとこがスゲェ…目のくもらないお嬢様もいらっさったって事なんですねぇ…

 後の代議士の加藤シヅエの元夫の離婚の時の言葉も時代を表しているよなぁと「そうか。よしわかった。離婚に同意するよ。君は賢くなりすぎて、もうぼくの手には負えない」とな…捨て台詞乙なんでしょか(笑)

 まぁ華族のお嬢様の生き方、明治・大正・昭和と激動の旅路の果てにのノリか…本書的に最後に一人チョイスするならこの人かなと(笑)「渼子亡きあと、利為は姫路酒井伯爵家の菊子と再婚し、その長女美意子をもうける。美意子は加賀前田家の末裔であることを誇りに生き、戦後は「華族の語り部」として知られた女性であるが、厳密にいえば、美意子の父は分家からの婿養子であり、母は酒井家からの後家であった。美意子が生まれる以前、資産家の雄藩である加賀前田家には、同じ資産家の雄藩である佐賀鍋島家との姻族関係があったのだ。そして、それを体現していたのが渼子であった。加賀前田家は、利為と渼子の長男である利建が嗣いだ」とな…

 他にもエピ満載ですので、詳細は本書をドゾ。ご令嬢が、美女が、はたまたはいからさんが一同にかいしておりまする(笑)

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