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2013年4月24日 (水)

草、もえる?

たばこの喫みの弁明  本島進  慧文社

 サブタイトルが喫煙規制に見る現代社会なんですが、著者は元JTの京都支店長だったお人、かくて滋賀で行われた世界禁煙デーフォーラムin滋賀に出席し、「JTという看板を背負っていた檀上の私は、「親の敵」のような目で見つめられたのです」な世界を経験したお方らしー…まぁ色々あって、その後にJTを退職なさっていらっさるよーですが…

 本書の主旨は、煙草とは大人の嗜好品なんだから、自己責任でそれぞれ楽しむものであって公権力によって強制されるものではないになるんでしょーか?一応、擁護派になるのかなぁとも思いまする。

 で、まぁ本書でも幾つか明らかにされていますが、純粋に健康問題を通り越して、政治的な権力闘争と、会社的な思惑と経済と税金ですか…その辺りの錯綜も何ともアレな気がしないでもないんですけど、例えば中央官庁から地方に官僚が出向してきて話しが進むとかね…医学界にしても足並みはどよ?的なとことかね…

 著者的懸念も分からないでもないけど、「国の「健康日本21」計画において、たばこに関する数値目標設定が当初の案には入っていました。しかし、JT本社やたばこ業界、自民党たばこ族と言われる国会議員の攻勢により、厚生省は数値目標設定を断念させられたのです」という件もあって、まさにどっちもどっちな闘争現場という気がしないでもないが(笑)

 個人の問題ですと言いながら上で殴り合いでは説得力ないぜよ、と思うのは気のせいか?まぁ本書的には疫学は絶対ではないに主軸があるみたいですが…

 アリス的に煙草と言えば、准教授に尽きる気がするけど、禁煙運動はどこへ行くですかねぇ…心置きなく喫えるのは、下宿と研究室位になるんだろーか?それとも研究室も大学内という事で全面禁煙になっているのだろーか?そーなると、それでなくても休講が多くていない准教授、殆ど学内にいる事なくなるんじゃなかろーか(笑)

 煙草の依存性については、レベルについての感覚は違うんだなぁと思わされたのが、日本健康科学学会誌「Health Sciences」の論文でしょか?「ニコチンには精神依存性がある。これはひとたび喫煙習慣が出来上がると簡単には禁煙できないことによっても容易に察知できる。また、動物でニコチン投与により側坐核のドパミンが増えることも確認されている。しかし、ヒトにおいて毎日の生活にたばこが中心になるほどの著明な依存は見られず、ニコチンの精神依存性の強さは麻薬やアルコールに比較すると明らかに弱い」とあって、依存度は中程度という認識だったんですねぇ…何か比較対象が違う気がしないでもないけど?ちなみに精神依存性では、コーヒーは弱く、アルコールは強い、ヘロイン・コカインは最強という事になるそな…医学的には煙草よりお酒の方が依存性高いと判断されるのか?

 さて、歴史的なとこでは度々禁令が出ているみたいで、これらについての詳細は本書をドゾ。世界各国本当に色々ありまする…して、我が国はというと、江戸幕府が煙草の火の不始末から火事に発生した事件の後に禁令を出していたりしますが、その心は「当時、大坂方や関ヶ原の残党による放火が多く、火事の原因を理由とするたばこの禁令は多分に政治的色合いが強かったのかもしれません」とな…更に「本当のところは、キリシタンの魔力とたばこの魔力を結びつけて考え、キリシタンに日本を侵略されることを恐れたためにたばこを禁止したとも言われています」…煙草とはマジカルなものなりの世界だったのか?

 そして現代はというと、「欧米世界の価値観の影響下にある世界保健機関(WHO)も1970年に各国政府に対し、積極的な喫煙規制対策をとるよう勧告を行っています」という本書の認識らしいです。かくて世界中で禁煙の狼煙は上がったという事でしょか?ついでに言うと「米国における喫煙は、肉体労働者階級のライフスタイルの一つという特徴があります。米国における反たばこ運動の特徴は、反たばこ運動を推進している中流の上層の階級的価値と彼らのライフスタイルを肉体労働者階級の人びとに押しつけ、その押しつけを強化するために政府権力を利用してきたところにあります」とな…何と煙草は階級闘争が元だったんですよ、おぞーさん(誰?)「喫煙者と非喫煙者が階級的に分化している西欧諸国では、その国が民主的であればあるほど、反たばこ運動は階級間対立として政治問題化してくる危険性を孕んでいます」って、ほんまでっかぁー?

 疫学関係についての絶対性についての詳細についても本書をドゾですけど、ホンマでっかー?第二弾ととしては平山データですかねぇ?「WHOの公的資料や健康増進法の根拠としてもいまだに使われている資料です」とな…ところが「行政がその権力行使の正当性を主張する場合によく使われるこのデータは、原データが公表されておらす、加工処理した結果のみが公表されているところに、その信憑性が問われているのです」となな…ちなみに公表すべしという意見に対しては、原データの公表拒否を貫いていらっさる模様…まぁ元データが1965年とその17年後の話しで、21世紀の今データオープンしても何て事はない気がするが?喫煙派vs禁煙派の間ではそーでもないのか?両者共にホンマでっかぁーな世界でしょ(笑)

 も一つ、本書は擁護派なのでWHOの付属機関である「国際がん研究機関」の発表がこれまたアレでして、「受動喫煙と肺がんの関係について有意な関連は認められなかった」とな…いやーもー何と言っていいのか?果たして、誰が本当の事を言っているのか?パンピー的には藪の中ですか?結局、漁夫の利で研究者って事になるんだろーか?ええい、データを出せ、データをってか(笑)

 日本的禁煙運動推進的なとこでのメディアの対応とかについても詳細は本書をドゾ。また物事を決めていく日本的な方法として「座長一任」辺りの悪用、もとい流用の仕方についての懸念についても本書をドゾ。「この方式は、対立を好まない日本人特有の決着の仕方であり、多様なメンバーが参画した格好はつけられるとともに行政の意のままに結論を得る方法として、行政のいろいろな場で使われています。本当の住民自治とは何かについて考えされられた事例でした」とな…角を立てないで物事を決めるってむつかしーってか(笑)

 その他迷惑行為についての感覚の相違は、吸う人と吸わない人の間には深くて暗い川があるの世界かなぁ?分煙辺りで妥協できると信じているJT辺りは本当に素晴らしい企業ではなかろーか(笑)個々の自由とマナーと我慢の程がここにきて決壊した感じかなぁ?文化だのマナーだの言うならば、多分クリミア戦争前の煙草を吸う場合は、喫煙室、もしくはボールルーム(ビリヤード室)、もしくは馬屋でのみ可的な紳士の暗黙ルール的なのがずっと続いていたら、現在問題視されなかったかもしれないけど、裾野が広がって、いつでもどこでもだれでもとなった結果、さて誰が我慢するか?が…

 煙草には文化がある、歴史があると言ってもそれアメリカ大陸のネイティブの方々はそーかもしれないけど、世界史的には4、500年の話しなんですよね、紙巻煙草に至っては多分150-200年位か?全体的に言えばなかった時期の方が長いよな?それはともかく、本書の後半は煙草と生活的なとこで通過儀礼的な立ち位置としての煙草とか、大人のたしなみ的なとこでの煙草とか、社会文化的な側面について書かれているよーです。大人の嗜好品としての煙草とするならば、人に帰結する訳ですからねぇ…

 とまぁ興味がある人は本書をドゾ。煙草も色々、人も色々ですが、色んな側面を出すのなら、煙草と土壌辺りも、どーよとは個人的に思いましたが(笑)米建国の開拓民は煙草栽培でゴーウエストだったよな?何故移動するかというと、土壌を荒らして連作できないんですよ、奥さん(誰?)それなりの収益を上げよーとしたら、肥沃な土地にドンドン移動した方儲かるぜよの世界なんですね、かくて間接ながらグアムまでの道になったりして(笑)

 煙草の影だけじゃなく、光も見ろというのも本書の主旨だと思いますが、換金植物としての煙草が成立した時に、限りなく欲望史としての側面は光なのか?影なのか?

 目次参照  目次 らくだ

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