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2013年4月 8日 (月)

価値観のきわめてあいまいな、こういう時代に(笑)

本が虫  養老孟司  法蔵館

 本の解剖学2という事は1があるんだろーなぁ?と思いつつ(笑)さて、どゆ本かというと、書評本?四つの章に分かれていて、最後の章は読書エッセイという感じで単独の本についての雰囲気とは少し違うよーな?まぁそれでも大きく本についてはという事では一括りに出来るのか?

 で、ジャンルはというと、これぞまさしく乱読といった話しで、小説もあれば、科学書もあると…何か何でも並んでいる気が?かなり古い本になるはずなんだけど、今読んでも遜色が全くないのが素晴らしスの世界かなぁ?こーゆーまっとーな読書記を読むと、己のアラしか見えてこなくて凹みそーですが…「書評もそうだが、誰かが「書いたもの」について「書く」。これは「メタ」作家である。実物からは、二段階遠くなっている。そんなものを人に読ませていいのか」と著者は後書きで述べていらっさるんですが、このレベルでそれを言われると…お金取ってないからいーかと逃れるしかないかとか、書評じゃないんです覚書ですとか、逃げの一手しか浮かばない…ついでに今回のブログなんてメタのメタになるからメタメタなんて親父ギャグ飛ばしてみたりとか…

 更に著者は「本を読むのは楽しいが、生産的ではない」と断言なさっているし…それでも読む人は読むし、読まない人は読まないと…まぁ言い出したらキリがないですが(笑)面白い、面白くないは好みだしなぁ?と思っていたら「科学に限らず、たいていの学問は面白い。その専門家が書いた本はまず面白い。それがつまらないとすれば、読む方の理解力不足か、書いた人がほんとうの専門家ではないのである」と言われたら、平伏するしかないよーな…全ての学問を面白いと断言できる頭が欲しいとか(笑)

 アリス的に書評というのは、日常なんだろか?だよなぁ?作家は常に読まれているものだし…お仕事の評価というものにもなるだろーし?ついでにアリスも書評もしてそーだしなぁ?でも一番の書評家としたら准教授か?ええ、気になるな、と(笑)

 後アリス的といえば、本書では法学の本として、「法律学の正体」という本が掲載されていますが、「法律学とはなにかを議論した、一般人の読める本は、ほとんどない」という著者の指摘は確かかもなぁ?法学関係は傍から見る分には、身内での囲い込み運動に終始している気が…オープン・マインドな法も人も見た事ないよーな気がするのは気のせいか?

 他にミステリ的というのならば「ガラバゴスの怪奇な事件」は実際にあった事件だけにミステリというより失踪事件になるのか?うーむ…本のさわりだけでも何やらすざまじい雰囲気だだもれなんですけど…更にすざまじいと言えば、「ヒトは狩人だった」は准教授の方が専門になるのかなぁ?ヒトの攻撃性についてのとことか…「たとえば、青少年グループによる、強姦事件。こうした事件のいくつかは、多くの読者が、新聞などでよくご存じの通りである。こうした事件における犯人たちの行動を追ってみると、われわれの祖先が行っていたと思われる、狩猟における集団の行為に、よく似た点が認められるのではないだろうか。こうした事件の犯人は、殺人と異なって、かなり冷静である。輪姦事件では、犯罪者側の行動と、狩猟行為との間の一致点が目立つ」とな…だとしても、太古の昔からそーだからとか、本能だから仕方ないという言い逃れだけは勘弁して欲しいよなぁ…

 著者は医者だけあって、医学関係のお話も多いよな…そして、やはり医学界も問題は山積みのよーで…今では臨床医も患者の顔を見ずにデータを見る世の中じゃけんというのか「患者さんは、顔を見れば、だれだかわかる。それは、当たり前だが、瓶という人工物とは、まったく違うのである」の辺りは嘆き節かなぁ?手術して患者を取り違えましたなんて話しもよく聞くよーになったし…ただ、「いまの大学病院で患者中心主義をとったら、研究業績は上がらない。上がらなければ、大学にいづらいから、やっぱり外で文句を言うしかない」というのは…患者も研究材料の一つという事でオケって事なんだろか?

 ちなみに米の医学部は病は気からを実践しよーとしていたり…「ずぶのしろうとを教授会にむかえる医学校であり、そのしろうとの考えに巨額の寄付を投じて、その実現をはかる個人の存在である。こうした面に、さまざまな欠点をもつとはいえ、米国の医療の底力を見るように思う」は、翻って日本は、がんじがらめなんだろなぁとゆー事が浮き彫りの気が…

 他にも名言の嵐(!)ですので、詳細は本書をドゾ。紹介されている本を読んだ事があると一粒で二度おいしい気になれるよな(笑)最後に本書で一番はーへーほーと思わされた記述は「子どもが喧嘩をしていれば、大人はだれでも止めに入って両側の言い分を聞く」とあって、どちらのカタも持たず「両側の見解とはやや違った、正しい解答があるはずなのである」と仲裁するそな…しかし「そんなものはない。そう思うのであれば、学問をする必要はない」そー、「ただ現実に従えばいいからである」とな(笑)

 「対立があるなら、それにはそれなりの理由があるのだろう。放っておけ。そういうことになる」というのが、最近の普通じゃなかろーか?もめごとの仲裁に入る人なんて、最近とんとご無沙汰な気がする(笑)いえ、どこぞの永田町とか、霞が関とか、新橋とか見てるとことさらにのぅ、なんてねぇ(笑)

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