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2013年5月23日 (木)

名誉と自己犠牲?

男の嫉妬  山本博文  筑摩書房

 サブタイトルが、武士道の倫理と心理でして、何故にいきなり武士道と思ったら、江戸時代は男という言葉は武士を指す言葉だったそな…お百姓さんも、町人の男性も男とは呼ばれねぇとゆー事らしー…ただし、その中でも男の中の男的な人達を、男伊達と呼んだとな…身分がはっきりしている世界って、言葉がスッパリ分かれているもんなんだなぁと、ちょっとびっくら(笑)

 ちなみに、武士とは何か?と言えば、主君の為に命を惜しむなが一つ、も一つが我が身は主君からの預かりものだから粗末にせず、日々文武に精進潔斎、我欲を捨てて主君に奉公せよという事らしい…武士の生き方も半端ねぇ…ただし、これはあくまで建て前というか、額に入れて飾っとけ、むしろ汝○○するなかれの世界か?そしてそゆー縛りが100%機能する世界なんてある訳ないと(笑)本音は、己の昇進と他人の出世の嫉妬が日常茶飯事だった模様…

 で、そんな武士の本音部分にスポットライトを当てた本かなぁ?嫉妬、やっかみ視点から見た武士世界とでも言いましょーか?

 アリス的に江戸、武士、嫉妬…あちこちで内心、毒を吐いていたりするけれど、実質それは大阪人の突っ込み体質的要素が主な気が(笑)いえ、本当にやっかみ体質だったら、男として准教授の隣にはいられないでしょー?利用してやるぜ的な野心があるなら、ともかく(笑)ついでに言うと、江戸時代ならなおの事、大阪と江戸では感性が違うだろーしなぁ…江戸が建て前重視なら、大坂は本音重視ではなかろーか?と…武士は食うわねど高楊枝は、大阪的にはありえへーんじゃなかろーか?

 で、本書に初っ端に登場するのが大久保彦左衛門でござるですかねぇ…彼の三河物語から見る嫉妬ですか?武人としての誉れというか、生き方ですか?関ヶ原からというより、大坂冬、夏の陣の後と言うべきか?それまでの武としての生き方より、文としての生き方の方が尊重されていく訳ですね…戦争が終わって官僚がのし上がる、どこかで見た構図ですが(笑)それまで命がけで戦ってきた人達より、現場を知らない人達が重用されるとなれば、古来からついてきた譜代達の心境はいかに?ですかねぇ…

 ある種、彦左衛門の嘆きは年寄の愚痴的な要素がなきにしもあらずですが、古参の心を代弁していると言えば言える訳で…武士とは戦場で功績を上げた者じゃね?礼儀作法がナンボのもんじゃいという啖呵きる彦左衛門は男でござるってか(笑)

 殉死の美学なんかも、自分の命も預かりものだとすればありえる話しで、詳細は本書をドゾですが、殉死者を禁止する通達が出ているにも関わらず、初代より二代目の方が殉死者が多い傾向にあるというのが、何とも…

 で、次にお題に上るのが葉隠なんですよ…武士道とは死ぬ事と見つけたりのあの葉隠…彦左衛門が江戸時代の一世の叫びならば、こちらの山本常朝は二世の処世術という感じでしょか?よーするに戦場を知らない子供達が武士となり、過ごしていった日々を回想し、己が正義を語るとなれば、こーなるみたいな(笑)ちなみに常朝自身も小姓あがりだったそーで、ずっと主君の側用人的仕事をしてきた人だとか…文官といえばどちらかと言えば文官だけど、公的なというより私的な方かなぁ的な(笑)武官的な要素はからきしないと…

 でで、主君が死んだ時に殉死は禁止されているから誰もしなかったけど、身を引いて出家までしたのが藩内で常朝一人だけだったというのが、さすが武士でござるという事になった模様…で、その人が言った事だからスゲェと残されたのが葉隠だとな…いやー武士のバイブルとまで言われた葉隠を、著者はあまり重く見ていない感じでしょーか?結局、この手の本は世の正義を語って、自分の正しさを告白しているよーなもんになってしまうんでしょーかねぇ…矛盾してるとこを突き合わせていくと、透けて見えるものもあると…詳細な分析については本書をドゾ。まっ、うん、アレだ(笑)

 時代が下るにつれて家格、身分が鮮明になっていくんですね…「武士は家格相応の待遇がなされるべきだという観念は、それぞれの武士の心の底に等しく成立していた。その場合、それを逆なでするような人事があれば、多くの武士に心穏やかでない感覚を呼び起こした」とな…時にこれ、刃傷沙汰にまでいっているんですよ…武士は刀を常備してますからねぇ…キレたらやばいという事なんですね…もしくは内部告発とか…何にせよ、何らかの行動に出られるという事は大きくは体制を動かしかねないとな…正義の名の下に集えとかね…異物排除にやっきになるのは、この辺りから日本のお家芸なんですかねぇ…

 ちなみに内部告発についてですが現代でもホンマでっかーな話しって転がっているんですね(笑)「(クォリティーペーパーを自認する某大新聞社が)社説で内部告発者保護を訴えながら、自社に対する内部告発者には懲戒免職で応じたその新聞社の議論の本質を露呈したことこそ興味深い。自社にかかわらないことでは正論で他社を批判し、事が自社に及べば口をつぐみ、他社同様の行動をとって恥じない大マスコミのダブルスタンダードを露呈したといえよう」オンブスマン制度はどーなったんだろー(笑)

 面白いのはと言っていいのか、あの鬼平の長谷川平蔵も仕事は出来たけど、その能力故に出世できなかった人なのね…いえ、仕事振りは認められた、世間の人気も大きかった、だけど幕府内での同僚達の空気的には面白くない…かくて、本来なら大坂奉行で、次に江戸の町奉行という出世街道を歩くはずが、しかも家格的には問題なかったにもかかわらず火付盗賊改方で終わっているんですね…詳細は本書をドゾ…

 で、更にその後任となった森山孝盛なんですが、この方もパネェ…で平蔵がどちらかという武よりなお人だったとすると、こなたは文の人だった模様…しかも優秀なというか秀才タイプでしょか?森山的には左遷的な人事だったのですが、この人の生き方も当時を表しているよな…詳細は本書をドゾですが、時代は田沼意次の賄賂政治の頃でござるなんですよ…ではどゆ事かというと、孝盛は能力ならある、今までだったら家格で仕事は決まっていたと…だけど今なら賄賂で昇進できる…自分の能力を使わないのは世間・幕府の損であると…かくて賄賂でのし上がれとな…ただし、能力をひけらかせたいので仕事は真面目に、それこそ超真面目に遂行するんでござるよ(笑)

 まぁ賄賂だっていいじゃない、できる人間登用した方がいいじゃない、の世界でしょーか?家格システム、年功序列システムより能力システム、賄賂システムだよねですかねぇ…しかし、何事にも効用があって仕事が同じように出来ても出世できないのは、身分が違ったからだという言い訳が必要なんですよ、己の精神安定には…「競争社会になればなるほど人間は活性化し、それに付随して妬みや羨望の念も強く起るが、それを緩和していたのが各役職内にあった年功序列の慣行だった」とな…一種のスタビ的役割だった訳ですか?

 で、元に戻るじゃないですけど、彦左衛門の時は武辺よりもお行儀の良い人達を重用して、ふざけんなぁーの卓袱台返しだったとな…時代が下って家格や年功序列を越えて、勉学ができる・能力がある人を重用するのはざけんなぁーというのが主流だった模様…かくて幕末に人材がいないになるんでしょかねぇ…前例のある事なら誰でも出来るが、風雲急を告げる時代には何の役にたたんとな(笑)だからといって成果主義に走れば、どーなるか?というと、どこぞの企業のよーになるとか(笑)

 かくて、男の嫉妬というより、男の正義とは何か?ですかねぇ…どんな事にだって裏というか、影はある訳で不満に思うものは正義面を掲げて叩けばいい訳ですから…「「男の嫉妬は、多くの場合、自分の中に正義があると考えることから生じてきた」とな…そして「自分に正義があると確信するとき、人は攻撃的になる」とゆーのは、どこぞの大国を思い浮かべるまでもなくの世界か(笑)

 社会の安定性というものを考えた場合、システム的に硬直化した方が利はあるのか?まぁ家格とか、年功序列は分かり易いからなぁ…成果主義とか、賄賂主義って汚職がはびこるし、能力主義は分かりにくいとこが問題か?その能力を見極める事が出来る人事って、どこ?更に、平事では出来ても有事の時はどよ?となるし、その能力を我欲に使われたらたまらない訳で…誰もが納得するシステムの構築って、どこにあるんだぁーっ(笑)

 最後に新渡戸稲造さんで、「武士道の全教訓は自己犠牲の精神によって完全に湿潤せられて」いたそーな…

 目次参照  目次 文系

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