« じゅげむじゅげむ? | トップページ | 鏡映像は、人が見ていないときには存在するのをやめてしまう(笑) »

2013年6月13日 (木)

この世の光と共に眩しく…

神話と日本人の心  河合隼雄  岩波書店

 日本の神話というと、古事記、日本書紀の世界みたいなんですが、それらを中心にして考えたな話しかなぁ?世界中に多様な民族がいるよーに、これまた世界中に多様な神話が存在する訳で、神話というくくりでいけば日本の神話もその中の一つに過ぎないと…で、それらは全く同じかと言えば違うし、全く違うかと言えば違うと…まぁ当たり前の事ですが、似ているとこもあれば独自性を発揮しているとこもあり…いずこの国も皆それぞれに文化はあるんですよ、奥さん(誰?)

 で、日本の神話とは何ぞや?と日本人視点で、現在の日本人視点で見てみたらこーなるになるんでしょーか?うーん…この手の話しは抽出すると全然違う解釈になってしまいそーなので、詳細は本書をドゾ。しかないよーな(笑)アマテラスからというより、その以前のイザナギ・イザナミ以前の独神辺りから続く道でしょーか(笑)

 繰り返すポリリズムじゃないけど、似たよーなモチーフが繰り返し繰り返し現れては治まっていくとこが実に日本的かなぁと…どこぞの人達が戦闘民族だの何だの断定して下さってやがりましたが、どちらかというと古代から平和解決の国だったんですよ、おぞーさん(誰?)戦う事によって得る事より、盛者必衰の理をあらわすって奴でしょか?元祖ヒッキーのアマテラスもいるし(笑)

 アリス的に神話…オノコロ島ですかねぇ…イザナギ・イザナミ辺りは淡路島と無関係ではいられない訳で(笑)まぁ何にしても、日本の場合、男性性と女性性の位置が曖昧なとこでしょか?所謂、母性社会から父権社会への推移みたいな分かりやすい話ではなくて、男性が優位に立ったと思えば、女性が上に立っていたり、実は違っていたり、どーなのよ?の展開が続くとゆー…このはっきりしなさ、唯一絶対なんてないんだよ、な世界観って日本人的には普通なんだけど、どーも世界は違うみたいで、まず文化摩擦ありなのか(笑)戦って争っていないからどちらか勝ったかも曖昧だしねぇ…善と悪の構図っていうのもクッキリキッパリしていないしねぇ…知らない人から見ればどっちつかずでも、世の中ってそんな白黒きっぱりじゃなくてどちらもあるやんけ、それが人生だろっな見解って分かってもらえないんだろか?

 争い的な対比ではアマテラスとスサノオの対立、最初が誓約で、次が説教で、最後にヒッキーですからねぇ…一応、誓約の前に戦闘準備してアマテラスはスサノオを待ち構える訳ですが、ここで戦争は行われないんですよ…後のオオクニヌシの出雲の国譲りなんかも、話し合いといっていいのかで結局解決しているし…殺し合いより妥協を選ぶ民族なんでしょーか?日本(笑)

 対立を好まないという点では、オオクニヌシとスクナビコナの関係にも表れているのよーな?二人で出雲の国をつくっていくのに、最後にスクナビコナは常世の国に帰ってしまうとな…このあっけなさは何事という位去り方が早い…「二人で最後まで仕事を成し遂げたときは、いずれ、二人で雌雄を決する戦いをしなくてはならなくなるだろう」とな…平和的解決の為には片方が消える事と…一番じゃなきゃいけないんですかぁ?って、言ってもいいかな(笑)

 後、いざという時男は逃げるパターンの国でしょか(笑)イザナギ・イザナミの黄泉の国に言って奥さんの本性みたら逃げ出すイザナギとか、兄達のイジメで逃げ出すオオクニヌシとか、奥さんの出産に立ち会って逃げ出す山彦とか…でまぁ、ピンチになると助けてくれるのが母親だったり、妻(恋人)だったり、小母だったりと…女性の手が差し伸べれらるんですね…まぁ元祖マザコン男、スサノオですから、これは伝統なのか?でもスサノオって父親の鼻から生まれている訳で、それで母親に会いたいと泣き叫ぶって、ドンダケェ…

 も一つ、本書的に一番重要なとこは中心がいない、もしくは中心が無為というとこでしょーか?例として幾つか出でいるのですが、アマテラスとスサノオが対立構図とするなら、その中に何もしないツクヨミがあると…海彦・山彦のところではホデリとホヲリの対立にホスセリが間にいてこれまた何もしないと…三者が存在するのに中間子は何もしない人という、ここでは神か?というバランス感覚は繰り返し出てくるんですね…

 この辺の論点については詳細は本書をドゾ。日常、日本神話、そんなに意識しなくてもそんなもんかぁーで生きている日本人が多いと思われですけど、これってよそから見たらまた全然違うぅーっの世界だった模様…違うを分かる、事から対話が生まれるのかも(笑)まず他者の違うを認識できるか否かが問題だけど(笑)

 最近はG20とかになってしまいましたが、G7または8としても日本以外の国は皆キリスト教文化圏に属しているんだよと…「日本は極めて特異な位置を占めている」「この世界がどのようにしてできたのか、というとき、他の七国は共通の物語をもつのに対して、日本のみ相当に異なる物語をもつという事実は、しっかり認識しておいた方がよいと思われる」違うが分かる、分かってもらえるは相当に難しい問題だよなぁ…こちらはともかくあちらは唯一絶対の方々ですけん(笑)例外を認める余裕があるなら、聖戦なんて、ねぇ…

 ちなみにフォン・フランツによると「日本の文明は、私たちが未開文明と呼ぶものとは違うでしょうが、根源となる原始的な根から切り離されたことがなく、連続性をずっと保っています」となるそーな…どゆ事がというと日本は先進国なのに「古代から現代にいたる不思議な連続性を未だ保っている国」という事になるそな…いやもー八百万の国ですから(笑)

 「ユダヤ・キリスト文化の根本に「原罪」があるなら、人間と自然とのつながりを切ることのない文化の根本に「原悲」があると言えないだろうか」という件で、原悲の感情がその民族・国によって表現が異なっていくとすれば…「日本の場合、それは「あはれ」として表現されてゆくが、隣の韓国においては、むしろ恨みの方が近い「恨」という感情として大切にされてきたと思われる」とな…コメントはパス一で(笑)

 さて、アマテラスが天岩戸に隠れてしまった時、八百万の神々は何とかしてアマテラスを誘いだそーとし、最終的に宴会突入、アマノウズメのストリップとアマテラスをはめる大芝居をうつ事になるのだけれど…これのまとめ役は誰というと誰もいないとなる実にリーダー不在で物事が進む、日本だわーな世界が展開(笑)「日本と同じく多くの神々の存在するギリシャにおいては、主神ゼウスが調整役を務めることが多い。この重要な危機場面に誰も明確な調整役もリーダーもいないのが、日本神話の特徴である」とは…とは…集まれば自主的に役割分担する国だもの?なんですかねぇ(笑)

 神話を通して、本書も最後には現代日本、そして世界の問題点に立ち入る訳ですが、コジンシュギ(@ポーリン・ケント)でない個人主義の確立ですかねぇ…氏によると日本の若者のコジンシュギは、「個人主義に必要な社会性も責任感も身につけていない」という事になるそーな…著者的には個の確立を、だそーだが、だからと言って即欧米か(死語?)というとそれもまた違うんじゃないと…

 ちなみに著者は「日本の生き方を捨てて、欧米型の生き方に変えるように提案しないのは、彼らの生き方が「模範」になるとは思わないからである」とドキッパリ言い切っていらっさるとこかなぁ…「現代のアメリカ人の生き方が模範とは、とうてい見えない。したがって、中空均衡構造と中心統合構造の併存などと言わざるを得ないのである」とは…それが生きてゆくって事だからってか…

 非常に平易な文章で、分かり易いんだと思われなんですけど、一言でまとめる事が己の頭では無理です、センセェ…まず、日本人なら読んで損の無い本だと思われですので、是非ご一読をとお薦めしまする…中高生辺りに特にどだろ、と思うけど?

 本書はどこもアレなんですが、個人的に一つと言われればここを上げ時ましょか(笑)「女性の課した禁止を破る男性は、現代も後を絶たない。当然、女性の恨みや怒りは強烈であるが、男性がしっかりと「畏む」ことをした場合、それは解決に向かう。女性が太陽であったり岩であったりすることの認識のない男性は、妙な優越感を棄て切れず、「畏む」ことができない。そのとき女性の怒りは個人のレベルを超えて、人間のコントロールのきかない神々のレベルに達する」とな…最早、怒りをおさめるのは至難の業とな…でっきっるかなぁー?というより、わっかっるかなぁー?が先か(笑)

 目次参照  目次 文化・芸術

|

« じゅげむじゅげむ? | トップページ | 鏡映像は、人が見ていないときには存在するのをやめてしまう(笑) »

文化・芸術」カテゴリの記事

書籍・雑誌」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: この世の光と共に眩しく…:

« じゅげむじゅげむ? | トップページ | 鏡映像は、人が見ていないときには存在するのをやめてしまう(笑) »