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2013年8月17日 (土)

御前論議は踊っているか(笑)

政界の導者 天海・崇伝  圭室文雄・編  吉川弘文館

 お盆になったらお寺へゴーではないですが、戦国の終わりって大坂の陣でこれにて一件落着となっているのが歴史的定番ですが、この戦国から江戸への移行期、どっちかというと京都から江戸中心主義に主軸が移ったこの時、法とか、宗教とか、公家・皇室を出し抜いたというと表現が悪いか、理で勝ちにもっていったのがこの二人という事になるんでしょーか?一人は日本人なら知らない人はいないと思われる天台宗にこの人ありの天海で、も一人が臨済宗の禅僧、崇伝、この名前より黒衣の宰相という名前の方が通っているよーな気がするのは気のせいか?

 元々、徳川家の菩提寺というか本寺は三田の増上寺、こちら浄土宗のはずじゃあなかったのか?なんですけど、まぁ家康的というべきか?有能ならどこの宗派だっていいじゃない(笑)かくて、当時の東西対決ならぬ二代勢力はこの二人という事に帰結するよーです。大方の見方では頭では崇伝の方が上だったみたいですけど、政治力は天海の方が上だったと…その結末は歴史の通りなんですけどね(笑)

 てな訳で二人についてのというより、当時の幕府をメインにしての史的側面が大きいかなぁ?宗教的にどよ?というより、政治、権力としてどよ?の方が高いとは(笑)どゆ事かというと一例として、日光の輪王寺の石高が2万5000石、上野の寛永寺が2万1000石の寺領だったのに対して、天台宗総本山の比叡山延暦寺が5000石という事からも分かろーというもの(笑)

 アリス的には天海より崇伝ですかねぇ…ちなみに崇伝は京都出身…振り出しは京都の南禅寺からですが、その後色々変遷して37才の時には南禅寺の住職になっていますから、ある種異例の出世じゃなかろーか?家康の行政官僚として卓抜した能力を発揮の世界でして、あの伴天連追放令とか、武家諸法度、禁中ならび公家諸法度、寺院諸法度の草案を提出したのは崇伝だとな…天海が山王一実神道で徳川を頂点にとどっちかというとソフトで勝負な世界の時に、崇伝は理性というか、法でまとめようとしていたのですねぇ…同じ宗教者でもこの違いがアレかなぁ(笑)

 まぁ天海と崇伝、同時代的ですけど二人の仲はあまり宜しくなかった模様…どちらも自分とこの派閥の利権からんでいますからねぇ…ただ、これにはさすがなのか政治家的肌色が多い天海の方は天台宗や末寺の運用に力を注いでいますけど、崇伝の方は南禅寺の為には動いてるみたいだけど禅宗や臨済宗一般の方の動きはそれほどでもないよーな?結構真面目で理路整然とした人みたいなので、これまた時の権力者藤堂高虎とは非常に仲が悪かった模様…この辺りの鋭利な官吏・官僚に人望がないというパターンはどこぞの石田三成を思い出してしまったりして…味方もいるが敵も多い、とってもという(笑)

 かくて家康との関係は頗るよかった崇伝ですけど、秀忠、家光とは今一の関係だった模様…まっ二代目としては父親の側近は使い辛いとこがあるので、自分に権力がきた途端に前の重臣一掃してしまうというのはよくあるパターンだけど、家光に至っては単なる爺コンじゃなかろーか?と思ったりもして(笑)崇伝は嫌ったが、天海はお気に入り、父母とはアレだったけど、爺様(家康)は大好き、そーいや、秀忠の時にはお家お取り潰しの危機にあっていた真田信之も家光は隠居をなかなか許さなかった位のお気にだし…やっぱ、爺コンじゃね、と邪推するのは気のせいか(笑)

 江戸的、天台宗的、もしくは上野と日光的には天海の成し遂げた事は相当に凄い事だと思われですけど、ついでに後々まで続く将軍達の寛永寺好みもこれまた凄いけど…日本史的な出来事系で行くなら崇伝の方が多くね?かなぁ?この当時、まだ対海外的な事もあった訳で、それもさばいていた一角が崇伝なんですよねぇ…

 とまぁ本当にいろんな側面のお話が出てきますので詳細は本書をドゾ。小論文がたくさんという感じで書き手によってポイントが違うのでおべんきょになりまする(笑)

 で、最後に私的にそーだったのかぁーなとこを、まず天下人の概念…「当時、戦国大名たちが目指した天下人とは、宇宙神ともいうべき「天帝」の命令によって地上の政治を任された者を意味し、このような考え方を「天道思想」と呼ぶ。この思想は、戦国大名たちの弱肉強食の戦いを正当化したが、最終的には徳川家にとって関ヶ原の戦いや豊臣氏を滅ぼした大坂の役は、天下統一のための聖戦であり、その結果としての徳川政権は天帝より授けられたもの、と見なすことになる」とな…いやー何事にも大義名分ってあるもんなんだなぁーと感動したぁーってか(笑)

 も一つは禁中ならびに公家諸法度のとこですが、「これまでは天皇の勅命が最高であったにもかかわらず、身分の低い武士が身分の高い天皇や公家にたいして法度を出し、その生活や行動を規制するということはなかった」とな…故に「その意味において天皇や公家の動揺は激しかったと思われる」とな…とは言え、徳川の、武家の圧倒的軍事力を特に大坂の陣なんかではね、見せつけられては反対のしよーもなかったそーだけど…ある種これも歴史的転回という事になるんでしょーか?

 最後に単純におもろーという事で、いからたいら、と、げれほろたん、これ何の事だかわかりますか?前がイングランド、後がグレートブリテンの事なんですよ…ウィリアム・アダムスから聞いた言葉ってこー聞こえていたんですね、当時の日本人には(笑)ちなみに崇伝、英に返書を送る時に宛名の国名が「伊伽羅諦羅」と当て字あてているんですよ、何それ中二病な名前…国書としてこれが行き来していた大航海時代…バネェ(笑)

 他にも面白(?)知識満載ですので詳細は本書をドゾ。

 目次参照  目次 文系

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