« おまえをみればこころがひえる(笑) | トップページ | 客観、中立、公正(笑) »

2013年9月12日 (木)

あの日、あの時、あの場所で…

河北新報のいちばん長い日  河北新報社・著  文芸春秋

 サブタイトルが震災下の地元紙なんですが、先の震災時1、2ヶ月の歩みでしょか?その時、地元新聞社はどーだったのか?が掲載されている感じかなぁ?報道部次長お言葉「われわれはみな被災者だ。今は誰かを責めるようなことは絶対にするな」に集約されているよな…取材する側もされる側も被災者ってゆーのはこーゆー事さというか、目線が違いますというお話になるんだろーか?当時から言われていた温度差という言葉は、地震直後からあったと見ていいんですか?になるのかなぁ?

 その前に東北には足を踏み入れた事が多分片手位しかないので、河北新報という名前をあの震災で初めて知りました…というていたらく…いえ、地方紙が存在している事は頭の中では分かっていたんですけど、実際全国にどの位あるのか?は全く無知だったんだなぁと…かくて仙台市に本拠地を構える新聞社のリアル、ですかねぇ…ある意味不屈の根性もんの気がしないでもないんですけど、何せこちらの社の名前、河北…由来があの「白河以北一山百文」からきているそーで…東北魂ってか…

 それにしても自社サーバーダウンという非常事態に突入した河北新報社、自力で新聞が発行できないとなれば、どーする?というと、そーだ、新潟に行こうではなくて、新潟日報社に組版システムを依頼する事だったんですね…ちなみに河北新報社と新潟日報社は「緊急時の新聞発行相互支援協定」を結んでいたとか…これまた全然知らなかったのですが、阪神・淡路大震災の時に神戸新聞の紙面を京都新聞が作成したという話があって、地方紙の相互協定みたいなのが出来ていたんですねぇ…

 かくして、地震の翌日の新聞を無事発行する事が出来るのか?何せ、新聞はお客さんの下まで届けたまでいれるとなると…うん、山は幾つあるんだ?の世界が展開していく訳ですよ、奥さん(誰?)

 アリス的に新聞というと、東方新聞の因幡丈一郎という事になるのかなぁ?准教授の追っかけのはずなのに、何故かコンタクトはアリスにとるという辺り、どこかジャバウォッキーと方と重なる気がするのは気のせいか(笑)

 さて、河北新報奮戦記の方はどーかというと、震災直後から本社近辺は電気、ガス、水道がストップしました…ただし、本社ビルには自家発電機があるので電気は何とか供給されたけど、新聞は発行(し続ける事が)できるのか?ではなく「いかなる状況になっても新聞を発行し続ける」とな、それが「使命」なんだそー…新聞社の意地が立つ時なんですね(笑)

 で、本書は全社一丸となって新聞をつくるぞのドキュメントなんですけど、本人達の職場環境も被災していて満足じゃないのもあるし、更に取材先の被災地は被災地というだけあって被災地なんですよ、おぞーさん(笑)道は寸断されている、ガソリンはない、陸の孤島と化した場所へどーやって行き帰るのか?も問題だし、通信機器が全くアテにならない状態で連絡伝達はどーするのか?そして現場は?とか、問題山積みなんですよねぇ…

 野戦病院ならぬ野戦新聞社で、短期の明日もいつも通りの朝刊発行もあるのですけど、中・長期的にはロジスティクスの問題が出てくる訳で…取材・配達のガソリンもそーですけど、新聞紙というだけあってその紙とか…ちなみに供給先が被災して後に紙がないや水がないとカラー印刷できない事態に突入するんですけどそちらの詳細は本書をどぞ。新聞的にも考えなくても電気も水も機械もインクも諸々物不足に対応しないといけなくなるのですけど、一番のソレはご飯ですよね(笑)

 腹は減っては戦は出来ぬと社員食堂は電気・ガス・水道止まった時点で営業できませんとなれば、その日の夜から食べるものがない事に…不幸中の幸いにして電気だけは自家発電できるという事で近所に住む社員の自宅から炊飯器を持ってきて社で御飯を炊くおにぎり部隊結成というか、有志一同でしょーか?多分、美談なんでしょーけど、ふと思うのは本社ビルなのに非常時の食料を備蓄していなかったのか?たいていの本社って三日分位用意しているのが普通かと思っていたんですが違ったのか?と、も一つはその班員が女性社員が主みたいなところ…それも最初は有志なので普段の仕事と並行して行うという、まるで共働き夫婦の家庭内家事分担を見るよーな雰囲気に見えたのは気のせいか(笑)

 で、更に付け加えるとしたら食べる物がないという事で、時におにぎり一つしかも小さい…後に山形支社からご飯の配達がきたりするのですが、この山形の人達にしてみても土日はいーだろ?と思ってしまったりする、結局は届けるのですが…辺り、同じとは言えないまでも被災地、もしくは被災地の隣でも温度差があるという事ですよねぇ…

 となれば、被災した仙台市本社ビルと、更に宮城の海岸線の被災地の違いもいやがうえにも浮かび上がってくる訳で…それが如実に出ているのがカメラマンの方の葛藤でしょか?自社のヘリは被災して飛べない、中日新聞のヘリに便乗して被災地を空撮したカメラマンの方は撮影してる時も、そして後も悔恨に陥る事になるんですね…というのもSOSと取材ヘリに手を振っていた人達の現状は、600人の人が食料なしの状態だったと…しかも小学校だけに内400人が子供…スティックの砂糖をなめて飢えをしのぎ、大人は2,3日「ほとんど食べるものがない状態」って…しかも学校施設だから次々と近所の被災者もやってくるで1300人が飢える状態に…炊き出しをしたくても辺りに「ガソリンやガスの臭い」が漂っていたら断念するしかない…ちなみに自衛隊が入ったのが19日みたいなので、飢餓状態はどこまで続いたのか?も一つ小学校に緊急時の食料の備蓄もなかったのか?乾パンのカンヅメとか?津波で流出しちゃったんだろか?と素朴な疑問が?

 報道のヘリが飛んだのが12日として記事になったのが、その日の夕刊…新聞に載ればすぐに救援が来るとか、世の中そんなに甘くなかった現実…現場にいる人達の葛藤は大きいですよね…助けてくれと手を振る人に食糧ではなくてカメラを向けるだけとは何か?記者やカメラマンの人達の心のケアも必要になってくるよねの話か…更に福島支社の20代の女性記者の現場退避と帰還辺りの葛藤も、これまた何だかなぁ…な話でして、こちらの詳細も本書をドゾ。原発、放射線、放射能と現地取材…河北新聞社は皆社員で賄うが当たり前なんでしょか?マスメディアの方々は50km圏内に自社の社員は入れていないと聞いたけど?ええ、現地・現場は皆フリーとか派遣の記者ばかりとか?河北は違ったのか?

 その他、宮城県の場合、県北と県南の取材、掲載について温度差があると現地住民の方は感じていたみたいな話や、「南相馬市長から「市内に足を運んだメディアは、TBS、福島民報に次いで三社目。あとは皆電話取材」なお言葉とか…その時メディアがどーだったのか?も浮き彫りになっていてある意味凄い…

 そして、やはり新聞社のお話ですので現地で新聞がお役にたった、届けられたみたいな大団円な気配もチラホラ出ているのですが、どーなんだろー?この辺りも停電しているからテレビは届かなったとかはよく聞くけど、新聞も道が寸断されていて届かなかったという話も聞いたのですがその実はどなんだろ?本書的には何とか届けますの世界が展開している模様だけど?人によっては現場に届いていたのはラジオとツイッターだけと言った人もいたしなぁ?情報が錯綜しているのは今に続くという事でしょか?

 震災に対する検証はこれからも長く続く話になっていくと思います。次世代の為にも残さなきゃいけないはずなんですけど、これもどこまで進んでいるのか?何かもー色々と考えさせられる本でございました…で、本書で一番なるほろと思わされたシーンが南三陸町の町防災対策庁舎ビルに津波が押し寄せた連続写真…屋上に避難していた職員の数は…共同通信のスクープとして各社の紙面に踊ったそーだから目にしている人も多いはずだとか?

 ちなみに河北新報ではその写真を掲載しなかったそー…何故か?現地取材班の記者曰く「その写真を地元の人が見たら、多分もたないと思います」…

 他にもたくさん貴重なエビが掲載されていますので、詳細は本書をドゾ。これも一つの日本のリアルなんですよねぇ…

 目次参照  目次 未分類

|

« おまえをみればこころがひえる(笑) | トップページ | 客観、中立、公正(笑) »

書籍・雑誌」カテゴリの記事

未分類」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: あの日、あの時、あの場所で…:

« おまえをみればこころがひえる(笑) | トップページ | 客観、中立、公正(笑) »