« 人も歩けば福に当たる(笑) | トップページ | そして僕も途方に暮れる… »

2013年9月21日 (土)

人は良き方向、正しい理由に基づいて行動しているときに強い信念を持つ事ができる。

傷ついた日本人へ  ダライ・ラマ14世  新潮社

 本書は2011年10月に来日した著者の高野山大学での講演をまとめたものだそな…その他幾つかの被災地を訪れ慰霊と法話を行ったそな…震災半年後に来日とはさすがのフットワークなんでしょか?と思いつつ、今回初めて高野山大学の存在を知りました…高野山にあるのはお寺だけかと思ってました…こーしてみると仏教大って結構あるのかなと?

 それはともかく、本書の内容は現代人の生き方指南ですかねぇ?宗教というより、信仰についてかと…自身にとって必要か、必要でないかはまず宗教を知ってから選択しろでしょか?で、学びましょーとなるのか?「宗教を学ぶことは、自分の人生を見定めることなのです」とな…全肯定でもなく、全否定でもなく、疑いなさいと進めるとこが仏教の仏教たる所以なのかなぁと(笑)

 ちなみにどの「宗教の根本にも「幸せになりたい」「よく生きたい」「苦しみから逃れたい」という共通の願いがあります。この願いをどうやって実現させるか、それを説くのが宗教の本質的な役割であり存在意義なのです」とあり、本来宗教とは救済とか希望だったのだなぁと…ちなみに現代は無宗教の人が結構いるけど、著者は「「無宗教」のままでいても全く構わないでしょう」と言い切っているし、宗教も出会いなのか(笑)ただそゆ人は「一人の人間として正しくあろうとする「倫理」」を持てという事か…

 どんな宗教を信仰していよーと、また無宗教であったとしても、良き人への道程をなお話でしょか?

 アリス的に高野山、海奈良で片桐さんが行ったとこでいいんだろーか?地理に疎いので今一どの辺りかピンと来ないのですが、学文路ってどの辺にあるんだろ?高野山、和歌山でいいんだよね?という位の地理音痴…

 日本人的に拝む時って、神様仏様のイメージでいたら、「仏教は「神」の存在を認めていないのです」とな…お釈迦様も「決して神様ではありません」とな…「仏とは悟りの境地に至った人のことを指す言葉」だそで…「「誰にでもなれる可能性があり、「神」とはまるで違うものです」って、そーだったのかぁーっ?仏教とは己で考え到達する宗教であるという事らしー…その最終形態が悟りであり仏なんだろか?まぁそれはともかく仏教の基本姿勢は「私の考えをあなた自身で疑い確かめなさい。疑問を抱いたりおかしいと思ったりするのであれば、私に従う必要はありません」とお釈迦様も言ってるし…成程、仏教、丸飲みゴックンの世界ではなかった模様…

 そしてお話は現代の幸福論に突入しますが、幸福感が「外部からの刺激」となってしまったというのはけだし名言だよなぁ…「欲しがらなければ幸せになれない」世界…物的欲望にどっぷり浸かっているという事か?「多くのものを手に入れれば幸せで、手に入れられなければ不幸になるというしくみ」となれば、他人から奪っても自分の富を増やすのが至上とな、それは果たして幸福か?「そして、行き過ぎた欲望とエゴが極限まで達すると「戦争」が起こるのです」…

 ただ、これからどーゆー生き方をしていったらいいかと言えば「他人に思いやりを持ち、広い視野で物事を見つめる。利他的な行動をとり、自分が今持っているもので満足する。人を信頼して正直に生き、他人への思いやりや優しさを人間関係の基本にする」って…いやはや全くご尤もなんですけど、それが一番難しいよーな(笑)と煩悩まみれの己としては、遠い目になってきたら、著者自身も「「心の平和」を確立することは、物質的な快楽を得るよりずっと難しいことです」って言いきっているし…もー欲望のままでええやんけええやんけと開き直ってしまいたい位ですが、「安易な方法で得た幸福は、やはり安易に崩れ去るものです」とな…成程、宗教とは人の弱さを自覚し、フォローするものだったのだなぁ…

 で、その為のノウハウが色々と書かれていますので詳細は本書をドゾ。私的に一つ上げるとしたら著者が現代の教育について懸念なさっているとこは、思い当たる事が多すぎるってか?「近代の教育は、稼ぐために必要な、実用性の高いスキルにばかり注意が向けられたり、他人より優秀であることを証明する競争に成り代わってしまったりしたからです」とな…よーは教育も外を見ていると…まずは己を磨けって事ですかねぇ…話はそれからだとか(笑)

 仏教って何な?トーシロでも知っている色即是空、空即是色…この空について考えてみよーもこれまた哲学問答のよーなお話だよなぁ?自分とは何ぞや?真理とは何ぞや?絶対的な実体なんてないんだよという世界観…全てを空だと認識できたら、己の感情もコントロールできる、できやすくなるという事なんでしょか?知性があるからこそ悩みは深い、だけど知性があるからこそ想定能力があるという事なのかなぁ?こちらも詳細は本書をドゾ。口語体で平易な口調なんですが、奥が深い…

 ただし「全てが「空」だとわかり、実体にとらわれることがなくなったとしても、この世の真理が見えるようになったわけではないからです」とな…再び、何だってぇーっ?の出番でしょか(笑)悟りの境地の道は厳しい…ちなみに悟りを開いた人を「仏陀」「仏」と言うそーな…でもって修行の果てに仏陀となった人は、「今のところは、釈尊だた一人しか仏陀になれていません」って…2500年以上かけてまだ一人…

 修行すりゃええやんけ、というけど本当の修行をしないとダメだよとな…「瞑想ばかりして勉強を疎かにしている僧侶が多い。また、日本ではよく禅を組む修行が行われていますが、ただ座っているだけの人が多い」って、駄目だしも厳しい(笑)「儀式やお祈りばかりしていても、そこに救いはありません」とな…もしくは「高いお金を出して戒名をつければあの世で幸せになれるのか」…心の平和を得るためには「自分で仏教の教えを学び、実践し、煩悩を減らす意外に方法はありません」とな…2500年以上かけて一人しかいないゴールに向かって走れとな…小さな事からコツコツとですかねぇ…

 意識とか、虚空とかの概念についても詳細は本書をドゾ。科学なのか、哲学なのか、思考の内包する境界線ってあるんだろーか?因果とか、カルマも、また人なりですかねぇ…なるほろなお話いぱーいですので、本当に本書をドゾ。

 それにしてもチベット仏教って、とっても古いイメージでいたら、日本の仏教は六世紀に入ったけど、チベットには七世紀になってからだそ…そーだったのかぁーっ?でして、これまた知らなかったのですが、チベット仏教って密教だったんですね…でこれまた知らなかったのですが「実は、古代から現代に至るまで、密教の信仰が継承されているのはこのチベット仏教圏と日本の二地域だけなのです」(@藤田光寛)とはとは…意外なつながりにびっくらしてしまったりしてるのは余りに無知という事か…

 さて、著者が初めて日本にきた時の印象が「お寺が多い国だな」でして…これまたそーだったのかぁーっ?だったり…お寺とか神社とかはどこにでもあるイメージでいたけど、他所では違っていたんだろーか?いずこの街も信仰の場はそれぞれにの世界だと思ってますた…うーん?

 まっそれはともかく、本書で一番ハーヘーホーと感動したとこを最後に一つ。仏典からのお言葉なんですが「この世のあらゆる楽、それらはすべて他者の楽を望むことから生ずる。この世のあらゆる苦、それらはすべて自らの楽を望むことから生ずる」(@寂天)八世紀に書かれた言葉だそーですけど、今でも身に染みる真理でしょか…

 目次参照  目次 文化・芸術

|

« 人も歩けば福に当たる(笑) | トップページ | そして僕も途方に暮れる… »

文化・芸術」カテゴリの記事

書籍・雑誌」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 人は良き方向、正しい理由に基づいて行動しているときに強い信念を持つ事ができる。:

« 人も歩けば福に当たる(笑) | トップページ | そして僕も途方に暮れる… »