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2013年11月 2日 (土)

クリシェ、クリシェ(笑)

街場の読書論  内田樹  太田出版

 どゆ本かというと、本についても語っているし、文についても語っているし、人についても語っているし、論についても語っている事になるのかなぁ?総じて言うと文章と私でしょーか?うーん?著者が読んだ本もあり、著者が書いた本もあり、そして本を取り巻く外界ありで、その回りをぐるぐるしている人達でしょかねぇ?

 読書とは何か?蔵書とは何か?著作権とは何か?著作者とは何か?ネット社会到来で、環境の激変が本という世界にも到来している模様かなぁ?いや、もー古いという感覚もあるやもしらんの世界かもしれないけど、当事者の間では旗色を決めろが展開しているよーだし…これも白か?黒か?に奇麗に二分される事になるのかなぁ?こーゆーとこが欧米か?(死語?)な気がするのは気のせい?

 まぁそれはともかく、最初の文学棚辺りの少女小説はいいとか、漫画について語っているとこあたりはほのぼのとしたまったり感で進んでいるので、ある種読書の楽しみという雰囲気で、いーですよねぇで済んでいるんだけど…頁が進むにつれて現代に近づき、殺伐感というより切実感が滲み出してくる気がするのは何故だろう…

 アリス的には文学論の辺りが被りそーだけど、まずはホームズの話しが出ているとこかなぁ?ホームズ的物の見方、遡及的に推理についての一考察はミステリ的には見逃せないとこでしょーか?初歩的な事だよ、ワトソン君ってか(笑)

 で、著作権を含めた文学論的なとこは詳細は本書をドゾな気がするなぁ?専業作家的にどよ?というのもあるし、短期で見るか?長期で見るか?というのもあるし、も一つ、相続権的なもので著作権持ち的なとこもあるし、更に政治的な文脈での著作権というものもあるという事ですよねぇ…大人の事情って凄いや(笑)

 相変わらず内田節も炸裂していて、「日本のインテリゲンチャたちの圧倒的多数が「自分の知性の限界や不調を主題化する作業からはほとんど反射的に目をそらす」という事実」とか、「世の中には死ぬほど頭のいい人はいくらでもいる。けれど、そういう人たちも「私は頭がいいのでたいへんハッピーです<金も入るし、ちやほやされるし、うふ>」というようなことは絶対に口にしない。たぶん、『頭が良いので、気持ちいい』というような題名の本を書いたら、ほとんどの人が題名を見ただけで作者に殺意を抱くからであろう」とかはもー日本のエリート万歳ってか(笑)

 その最たるものが「もろちん権力や威信や文化資本を潤沢に享受している人々はいる。才能のある人々もいる。努力して高い社会的地位を得た人もいる。けれども、彼らは単におのれの相対的優越を喜ぶだけで、その卓越性を「世界を知性的・倫理的に領導する責務」として重く受け止めるというようなことは思いもしない」に極まっているよーな(笑)自分の為に生きるのはともかく、あまりにも自分の為だけに生きる人が増えたよなぁ(笑)

 結果、どーなったかというと「金があること、高い地位にあること、豪華な家に住んでいること、高い服を着ていることを端的に誇らしく思い、能力のある人間が優雅に暮らし、無能で非力な人間たちが路傍で飢えているのは自己責任なのである。能力がある人間が高い格付けを受け、無能な人間が軽んじられ、侮られるのは適切な考課の結果であり、それが社会的フェアネスなのだと広言するような人々がオピニオン・リーダーになりました」となる訳ですね、分かります(笑)「私はそういう考え方は「よくない」と思っています」は、まさによく言ったの世界か(笑)弱肉強食って、人として、どーよ…

 さて、本書で頭がいい人、もしくは賢い人の代表に何人か出てくるのですが、個人的に一番なるほろなぁと思わされたのはトクヴィルですかねぇ…「彼が見たアメリカは「変な国」だった。だから、「アメリカは変な国である」と書いて済ませることもできた。でも、トクヴィルはそうしなかった。フランス人から見たアメリカがどれほど「変な国」であっても、そこにはアメリカ人たち自身にとっての主観的な合理性が貫通しているのではないか、それは何かというふうに考えたのである」とな…他者を否定して自分を肯定する人は多いけど、その逆というか、その先を検討する人はまずいないからなぁ…トクヴィル先生は本当に稀有なお人だったのですねぇ…いやーおべんきょになります。

 と、かよーに本書はどこを読んでも成程と唸らされる事必至なんですが(笑)これまた私的には公共性と瘠我慢の項と、エネルギー政策の項の二つは日本人として必読じゃね?でしょか(笑)まぁエネルギー問題は、信頼と実績という点でもー瓦解した世界だもんなぁ(笑)本人達は気付いていないみたいだけど、ついでにあまり気にもしていないみたいだけど…で、まぁ本書で行けば「けれども、電力を管理したのは実質的には政治家と官僚とビジネスマンたちであった。彼らは「共同体の存立と集団成員の幸福」というものを「自分たちの威信が高まり、権力が強化され、金が儲かる」という条件を満たす範囲内でしか認めなかった」人達となる訳ですね(笑)

 原子力発電という選択の根幹は「国家的なプロジェクトとして、膨大な資金と人員と設備がなければ開発し維持運営できないものに電力を依存するという選択は、コストの問題でも、安全性の問題でもなく、発電が原発中心である限り、離散型・ネットワーク型のエネルギーシステムへのシフトが決して起こらないがゆえに採用されたのである」って…人の権力病はもー行き着くとこまで行っちゃた感じかなぁ(笑)

 そして公共性と…の方ですが、これは略す事が出来ない物凄い章です。底本としてはカントと福沢諭吉なんですが、何を検討しているかというと例の尖閣諸島問題、日本の領土問題についての一考察なんですね…多分、読んで思わず本叩きつけたくなる人も出てくるだろーし、逆に泣けてくる人もいるんではないか?という非常に含蓄深いお話だと思われまする…

 そこて高橋源一郎の言葉を引用されているんですが、これも何とゆーか、純粋に第三者的なら正しい言動という事になるんだろーなぁと思いまするの世界か?例えば「「尖閣」問題を、日本でも中国でもない第三国の人間が見たらどう思うだろう。「そんなことどうでもいい」と思うだろう。国家を失った難民が見たらどう思うだろう。「そんなくだらないことで罵りあって、馬鹿みたい」と思うだろう。「私的な争い」としか彼らには見えないはずだ」との件とかね…でも、これその難民がチベット難民の方だったら、どーだろぉ?とか、内モンゴルの人はとか、ベトナムの人や東南アジア諸国の人達も、関係ないで一刀両断スッキリーってあるのだろーか?とふと思ってしまったり…

 更に氏は「ぼくには、家族のために投げ出す命はあるが、国のために投げ出す命なんかないよ。あんたは、領土問題が出てきて、急にどこかと戦う気になったようだが、ぼくは、ずっと家族を守るために戦っている」と言い切る辺り、いえ正論は正論でしょーけど、説得力の問題かなぁと?これで氏が例えば対馬在住でおっしゃっていらっさるならスゲェと思うけど、都市の中に住んでいて言われても説得力がイマイチ希薄な気がするのは気のせい?とかよーに心の狭いの己に気付く始末…

 これを踏まえて、福沢、カント論に行く訳ですので、是非本章の一読を…ものの見方の多様性について考えさせられる気がするかなぁ?何か一つに凝り固まってそれが唯一絶対だぁー、党利だぁー、正道より儲かりゃいーんだぁーとなったらどこかの人達と一緒になっちゃうしね(笑)ある種、究極の武士道を見つけたりの世界かもしれない(笑)つくづくパンピーな己と、エリート中のエリートでは道がというか、器が、世界が違うなぁと…

 本書は一言で言うなら本当におべんきょになった本でござった(笑)に尽きるかなぁ(笑)本書には師を見つけて精進せぇー的な項もあるのですが、その点で行けば著者は私の先生と言えるのかもしれない…ただし地球の裏側から遠くに拝む的な距離感での先生だなぁと…井の中の蛙が見える空の中の星みたいな存在ですかねぇ?死兆星だ、もとい、ラ・セーヌの星だ、もといキラキラ星だみたいな(笑)

 著者は自身をおばさん属性と下していらっさるみたいですが、私的には男臭い感じがしてならないんですけど?気のせいか?むしろ、親父臭いというか、家父長的な気配を漂わせている気がするんだけど?また包容力のある殿方だと思うけど、私的には遠くにありて思うものかなぁ(合掌)

 まぁ何が言いたいかと言うと、取りあえず読んどけですかねぇ(笑)ただし、異論は気にしないかもしれないけど(笑)

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