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2014年1月16日 (木)

西行は歌よみだが、定家は歌をつくる(笑)

私の百人一首  白洲正子  新潮社

 あけましておめでたいと言う事で、ちょっと懐かしくなって本書を手に取るとか?いえ、一昔前はお正月というとカルタというか、百人一首もどきをやった覚えがあるんだが?今となると殆ど手にしなくなったよなぁと?お正月に一家揃ってというのが一つ、更に家族揃って何かするというのが二つ、今時、お正月シーズンにちゃんとお家で百人一首してる家なんて、どの位あるんだろーか?と(笑)

 さて、百人一首と言えばたいてい小倉百人一首を指すよーな気がするんだが、これ藤原定家が「嵯峨の山荘において、宇都宮頼綱のために、みずから書いて贈った」というものらしー…ちなみにこの宇都宮頼綱とは息子の嫁の父、これまた嵯峨で隠居暮らしをしている裕福な関東の豪族という事になる模様…ちなみに作成したのは嘉禎元年(1235)以降という事らしーのでこれまた定家的には最晩年70歳過ぎというより、80歳前と言った方が近いのか?

 で、歴史に疎いのでこれまた定家というと和歌の達人、平安調の代表者みたいな気でいたら、時代的には平安というより、鎌倉なのか?成程定家、京都人としては激動の時代に生きていらっさったんだなぁと、今更納得ってか…ある意味これは京都の黄昏的なニュアンスもあるのだろーか?武家政権的にはにっぽんのよあけじゃーかもとしれんが(笑)

 アリス的に百人一首…どこかで重なるとしたら比類なき辺りになるのかなぁ?ただ、百人一首、舞台は京都となると婆ちゃんか、朝井さんか?特に朝井さんは嵯峨在住だしなぁ(笑)ただ、雑学データベースのアリスならば百人一首も諳んじていそーな気がするんだが?いかがなものか(笑)

 後、アリス的というなら歌に月が入っているのも多しというとこかなぁ?
天の原ふりさけみれば春日なる三笠の山にいでし月かも(阿倍仲麿)
今こむといひしばかりに長月の有明の月をまちいでつるかな(素性法師)
月みれば千々にものこそ悲しけれ我身ひとつの秋にはあれねど(大江千里)
朝ぼらけ有明の月と見るまでは吉野の里にふれる白雪(坂上是則)
夏の夜はまだ宵ながら明けぬるをくものいづくに月やどるらむ(清原深養父)
めぐり逢ひて見しやそれともわかぬ間に雲がくれにし夜半の月かな(紫式部)
やすらはで寝なましものを小夜ふけてかたぶくまでの月を見しかな(赤染衛門)
心にもあらで憂世にながらへば恋しかるべき夜半の月かな(三条院)
秋風にたなびく雲のたえまよりもれいづる月の影のさやけき(左京太夫顕輔)
ほととぎす鳴きつるかたを眺むればただ有明の月ぞのこれる(後徳大寺左大臣)
なげけとて月やは物を思はするかこち顔なるほわが涙かな(西行法師)
ザッと見た感じこの位ありまする。根がボケているので抜けているのがあるかもしれないけど、それにしても月はお題にしやすかったのかなぁと(笑)

 で、今回百人一首、端から全て読んでみて、意外と覚えているというか、聞いた事あるよなぁがあっておろろいた(笑)日常で忘れていてもどこかに引っかかっているとこが日本人なんですかねぇ?学校の古典なんて、何じゃそりゃぁーっの世界だったんですが、ついでに歌は嘆き節が多いので若い頃なんて何て浪花節というか、男が泣いてどーすると思っていたりもしたんですけど、今読むと、恋の歌は表の顔でその実はという実に日本的な建前と本音というか、裏を読んだからキリがない世界に突入するのだなぁと納得ってか(笑)

 歌とは何ぞや?という一つの答えがここにあるのかもなぁですが、定家的な深読みもこれまたアレですよねぇ…読むのも野暮、読まぬのも野暮な気がしないでもないですけど、だからこそ歌は独立しているんですかねぇ?ちなみに定家的には「定家が理想とした妖艶・有心の歌論は、王朝文化のいわば最期のかがやきであり、和歌が行きついた果ての幻の花だったが、持囃されればされる程、誤解をうけやすいこの詞は、思わぬかたへ流れて行き、彼は絶望の極に達したであろう」となそな…結局「いつの時代にも、ものが見えるというのは辛いこと」に違いなしという事でしょーか?

 豆知識も満載で例えば万葉の頃は柿本人麻呂と書いたけど、平安期になると人丸と書くよーになって後期になるとヒトマルと読むよーになったとか。元良親王は「声がいいことでも有名」だったそーで、「元日に御所で祝賀をのべる声が、遠く鳥羽のあたりまで響いたと伝えられている」って、それは単に声が大きいのでは?と思うのはアレか?この方光源氏もモデルの一人とされている人物なんですが、声がいいも貴人の美の一つだったのか?准教授のバリトンはどーなんだろー?

 これまた知らなかったのですが、「「秋の扇」という言葉がある為に、男女の間で扇を贈り物にすることは、忌むべきこととされていた」そな…扇ってそゆポジションだったのか?

 平安期は藤原一族絶世期なので、他の貴族は相当なプレッシャーの中で生息していた模様で、有名どこの歌人というのは中流貴族の出が多いそな…家門ではアレなので歌でのし上がろうという事らしー…何か風流というより目的か、手段かの世界が展開ですが…まぁ藤原氏でない人達は「のけ者の悲しみを味わったに相違ない」人達の群れなんですね…それじゃあ、歌の哀調というか、屈折率も半端ない事この上もなしも仕方なしってか(笑)また歌の凄いところは、わがままいっぱいおれいっぱいな「欠点のある人物の方が、美しい歌を残しているのは面白いことである」もある訳で…げいじつってむつかし…

 各歌の解釈についての詳細は本書をドゾ。何せ百首もあるんですから、いづこの歌も皆それぞれにの世界でごさります(笑)ただ、定家という人の冷めた目線というか、技巧の限りを尽くした後の素朴さ、基本還元姿勢が垣間見える感じなんでしょかねぇ?遊び心とも言うかな(笑)ちなみに定家という人は「自分の息子達を、少しも信用してはいなかった」というお人ですから…見える親の下に生まれた息子というのもアレだし、息子に恵まれない親というのもアレだよなぁ…

 さて、個人的には百人一首の98番目を飾る従二位家隆を(笑)歌的にどーというよりも、歌人として定家のライバル的な存在というか、対象的な存在の方だった模様…実に自然というか、素朴な感じの歌多しの人みたいですが、何が引っかかったかというと、この人の最期が凄いとしかいいよーがないよーな?「臨終が近づいたことを知り、天王寺に参籠して、念仏を唱えながら、心静かに往生をとげたという」とな…ええ、アリスのお膝元四天王寺でございます。この生き方は見事というか、天晴というしかないよーな?

 ちなみに辞世の句は七首あるそーだけど、その一つが掲載されています。
 契りあればなにはの里にやどりきて浪の入日を拝みつるかな

 目次参照  目次 文系

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