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2014年2月 4日 (火)

プロパガンダとコマーシャル?

嘘だらけのヨーロッパ製世界史  岸田秀  新書館

 タイトルがタイトルなので広大な世界史なのかと思ったら、著者自身が後書きで触れてますが「このタイトルは途方もない誇大広告である」と断言なさっているし(笑)では内実はというと「主としてヨーロッパ文明の起源と、それにまつわるいくつかの事件を論じているだけである」とな(笑)本気でこのタイトルに偽りなしなら全十巻コースいきますっとならないといけない位、ネタはありまっせという事なんだろか?世界史ェ…

 まぁ言われてみればその通りで、歴史って自国に一番都合がいいのが選択されているというのが、どこの国でもやってる事なんだろなぁという…事実かどーかよりも、如何に多くの人が壮大なファンタジーを信じて声高に叫んだ方が歴史なんだよというのは、どこかで聞いた話のよな?

 さて、で本書はまず人種問題から入りまして、とその前に、人類発祥の地はアフリカという事で一応オケ?では、その最初の人類は、人間の人種は?何でしょー?となると多分、黒人という事になるよーで、進化的には黒人→白人→黄色人という事になるみたいです…最近ではどの人種にも当てはまらない人達とかもあるみたいですが、大まかに言って、そじゃね?らしー…

 で、本書の始まりはアフリカから移動したグループは、白人種達ではなかったか?から始まる世界の歴史というより、欧州(後の米含む)人の歴史と人柄と、建前とですかねぇ…移動、もしくは移民とは何ぞや?にもなるのかなぁ?

 アリス的に世界史、雑学データベースのアリスだからあると思いますの世界なのか?ちなみに本書種本の一つは「人種の起源-黒人→白人→黄色人」(高野信夫)が一つ、そして主に取り上げられるのが「黒いアテナ」(マーティン・バナール)の一連のシリーズでしょか?で、しみじみと思ったんですけど、エジプト人って、古代エジプト人の人種は何だったのか?ですかねぇ?エジプト文明、クレオパトラがあまりに有名で、取りあえずプトレマイオス王朝はマケドニアだから白人だろーと思っていたら、エジプト文明、新王国時代だけじゃないよ、中王国もあれば、更に昔の古王国時代もあるよと…

 世界史的だと古代文明は皆白人種が創ったものになるらしーんだが、そーでもないんじゃないか?というのが本書で繰り広げられている感じかなぁ?というより、バナールの説だけでも綻びがパネェで、つつかれた欧米、歴史学の学会・学者達の対応というより反論がこれまたパネェで、どちらかというと重箱の隅をつついているだけのよーな気もするが、ある意味レイシストのレッテル張りとあいまって、えらいこっちゃえらいこっちゃの世界に突入している模様…何が凄いってその反論にいちいち丁寧に返答しているバナールの根気並じゃねぇ…権威に向かうって体力いりそー(笑)

 で、そーゆー下敷きがあって、著者の理論も展開されていく訳ですが、これまたこれも欧米人が聞いたら沸点上がりそーなお話で、結局、辻褄が合わないんじゃないか?とか、おかしいんじゃないか?とか、整合性的にどーよ?というのは、事の中の人というより、中心にいる人達より、メインストリーム以外のとこから出て来るもんなんだろか?

 でで、どゆ流れかという話一、アフリカで誕生した最初の人類は黒人だった。そこにある日、白子アルビノが生まれた、これが白人種の起源であるという説…で、ここからの推論がすざまじいのだが、白子は劣勢遺伝なので普通に交配していけば時々生まれるにしても全体の中に消滅していくはず…しかし、白人は残っている、何故か?マジョリティの黒人グループからマイノリティの白子が阻害された、で白子同士のグループ形成。更にアフリカからヨーロッパに移動したグループもこの白子の一団ではないか?という…かくて人類最初の人種差別を受けていたのは白人種だったんだよぉっで、ええぇーっとキ○ヤシさん状態か?

 時間進行的には、アフリカからの移動という名の追放、著者が言うよーに「エジプト人も黒人であった」とし、征服地から奴隷が白人種であったとするならば、モーゼの出エジプト記もそゆ事になってしまう訳で、これがユダヤ教徒の元となるとな…で、更に時間が経過してヘロデ王の時代きて、ローマ帝国の支配の時代きて、イエス誕生、イエスグループできると…で元々のユダヤグループは反乱(第一次、第二次ユダヤ戦争)を決起、惨敗、ユダヤ民族四散となるとな…で、イエスグループはローマ帝国下でキリスト教を展開、やがて国教となり「植民地のヨーロッパに押し付け」るとな…この不満の一つの結果がカトリック対プロテスタントの宗教革命につながると…で、プロテスタントもその中の一派、ピューリタンが迫害されて新天地アメリカへという流れではないかという話…

 著者的にまとめると「アメリカ人は、黒人に差別された白人のなかでさらに奴隷にされて差別されたユダヤ人に差別されたキリスト教徒に差別されたピューリタンに端を発する」人達ということになるそーな…著者そこまで言うかの論理です…だって「四重の被差別のどんづまりの民族」だとまで断言なさっているし…こーゆー背景があるからこそ「抜群の軍事力で気に入らない他民族を攻撃し虐殺し、現代社会を支配しようとしているアメリカという国の思想と行動を説明するのではないか」とゆー著者の説ですね…「先住民虐殺」は「最初の報復」だったとな…

 どゆ事かとこれまたまとめると「有色人種の他民族に対する近代ヨーロッパ人の差別、侵略、虐殺、搾取、植民地化は、かつて白人が他人種の黒人によって差別され、寒冷地のヨーロッパへ追っ払われた恨み、それに対する復讐、失地回復の要求を動機としているのではないかというのが、わたしの仮設である」という事になるみたいです…欧米からしたら、まさに認めたくないものだなの世界が展開している模様…

 そして、その二が黒いアテナが出たぁーですかねぇ…バナールによる説は、古代ギリシア文明の担い手は誰か?という話が元でしょか?いえ、古代ギリシア人だというのは確かなんですけどね…ただ、その古代ギリシア人とは果たして何人なのか?ついでに言うと古代ギリシア文明は単独で成り立った訳じゃないやんけ、周辺の影響は受けていただろ?という、聞けば当たり前な論が提出されたとな…

 バナール説によると「BC1500年頃、エジプト人及びフェニキア人がギリシアに侵入し、先住民を植民地化した結果成立した文明である」という事になるそな…さて、前述したよーにエジプト人は黒人だったかも、フェニキア人もオリエント、アジア人、黄色人だったかも、で実際は雑多な人種が混在していたかもですが…これのどこが大問題かというと、ヨーロッパ的には、もしくは欧米的にはありえへーんというのが定説だったよーなのだ…

 というのも、例のアーリアモデルですよ、奥さん(誰?)成程、アーリアの歴史もこれまたアレで…「エジプト人がギリシアに入植したことはなく、フェニキア人の入植も疑わしく、古代ギリシア文明は北方からやってきたアーリア人が他の文明と関係なく独自に築いたものである」とな…これが歴史的ジャスティス、のはずなんですが、実はこの論理「十九世紀の前半に新しく唱えられ始めた見方に過ぎない」とな…かくて「「アーリア・モデル」は近代の人種差別主義の産物である」というお話に…ちなみに反ユダヤ主義の行き着くとこまでいってしまったのが「極端なアーリア・モデル」という事になるそな…

 歴史と人種というこれまた壮大なドラマになってこの論争は上を下への大騒ぎとなっていくとな…こちらについての詳細は本書をドゾ。それにしても、文化・文明、ご近所さんや異国や移民、もしくは日本的に言うならまろうどですか?人も物も動くとすれば、何かしら影響があるのは、それこそあると思いますの世界だが、これについては再び認めたくないものだなの世界が展開している模様で…これまた何故かと言えば…「ヨーロッパ人はギリシア文明を近代ヨーロッパ文明の源流」と信じていたからだったりして…

 ところがバナール説によると「ギリシア文明がエジプト文明の亜流で、エジプト文明が非白人の文明だったとする、ヨーロッパ文明の始祖は非白人だったということになるからである」…早い話がメソポタミアやペルシァから引き継いだ文化が、エジプトへ、でそのエジプトからギリシアへ、その後ギリシアの遺産をキープしていたのはアラブで、これがルネサンスでヨーロッパにリターンしてきた訳じゃね?と…ちなみに当時の人々はその流れを知っていたそでコペルニクスの地動説も「エジプト太陽神の観念からきている」そで、ギリシアの前のエジプトもちゃんと認識してたぞなもしとな…

 じゃあどーしてアーリアモデルだのギリシア独自説だのが席巻する事になったかといえば、この後大航海時代・植民地支配の時代がきて、今まで貧乏だった欧州が世界中から富を集めて一挙に豊かになったとな…そしてこの支配の正当化の為に「人類のすべての文明はアーリア人種、白人種、ヨーロッパ人種の創始となるのである、アーリア人種の文化、言語、宗教などは唯一の正しい普遍的なものであって、何の価値もない他人種のものとは無関係であり、そこから何も益を得ていないし、何の影響も受けていない」とな…「他人種は自力で進歩できない決定的に劣った劣等人、野蛮人」だと、白人が支配することが「正統な権利」で「責務」で「他人種への恩恵」であるという論理展開というか、キャンペーンなんだよの世界か…いつでもどこでも電○な人達っていらっさるんだなぁ…そしてこれまたいつでもどこでも○通な広告を鵜呑みにする人達がいらっさるという事か…

 で、元に戻るとそーゆー下敷き、認識があるとこに、ギリシア文明、独自じゃないかも?もしかして非白人文明入っているかも?となれば、ギリシア文明がヨーロッパ文明の源流はどーなる?の世界に突入する事になる訳ですよ…その後の学会・学者の反論の嵐は考えなくても予測出来るってか(笑)

 とまぁこれまだ本書の出だしの部分位の話でして詳細は本当に本書をドゾ。ものの見方は本当に色々あるのだなぁと感心させられまする…例えば、アダムとイブのエデンの追放も、見方によっては、アフリカという、一応裸で暮らせたのか、更に動植物のある程度あった、楽園からの、寒冷地というヨーロッパへの移動という名の追放ともとれると…パネェ…どこから歴史は、物語はつながっているのか?いや、まことにそれが問題だってか?

 後、これまた言われればそーかもしれない歴史のドロドロ観ですかねぇ…「誰にせよ人間が歴史を書くのは、世界の現状に対する何らかの抑えがたい不満、何とかしなければならないという何らかも切羽詰まった目的、あるいは、自分、自民族、自国の業績か何かを是非とも正当化したいというような目的などがあるからであり、客観的事実を正確に記録しておきたいというような純粋で無色透明な動機からではないことは明らかである」という事でしょか?誰しもバイアスはかかっているという事か?それが一人個人の場合もあれば、国一つのファンタジーもあれば、世界的な欺瞞もあると(笑)

 リアルな話でいけば例えばアテネのアクロポリスの場合…「古代ギリシア人と近代ドイツ人のあいだに割り込んで、スラヴ、アラブ、十字軍、ヴァチカン、トルコにそれぞれ支配され、あるいは影響された時代があるのだが、それらの時代の建物は計画的にわざわざ撤去された。そのため、現代の知識人はギリシアにやってきて、五世紀のギリシア人が住んでいた街の風景と何の障壁もなくじかに接することができる」とな(笑)まさにギリシアの前にギリシアなく、ギリシアの後にギリシアなしか…

 人は皆、己を正当化せずにはいられないのが本性だとしても、欧米人の他との違いについて、その差異は常に「ヨーロッパ人が優れていて、非ヨーロッパ人が劣っている証拠と見なして恬として恥じないというか、毫も疑わないことである」になっちゃうとこでしょか?これで多様性と言われても誰が信じるのか(笑)著者的に言うと「自分のものとは違う形のものはそれと認識できないので、そう決め込むことができるのであろう」という事になるのか?さすが唯一絶対の世界に住んでいる人達は違うよなぁ…

 日本的なとこではキリスト教と日本という国の関係性がこれまた…世界的には「最初に迫害されながらも、結局は多神教のローマ帝国を征服するのに成功したが、戦国時代の日本においては、最初はむしろ歓迎され、ある程度、普及しながらも、結局は弾圧に屈し、多神教の日本を征服するのに失敗したのはなぜかという問題」…キリスト教的にはパラドクスですかねぇ…良し悪しを問うのはアレですが、さて(笑)

 も一つこれは正義とは何か?となるのか、最近の「日本国内で中国人の強盗や殺人などの犯罪が増えている」事について、生活に困って犯罪に走ったというのではなく、「日本人はかつて中国で悪いことをしたし、今は中国に対しては居丈高になって謝罪すべきことを謝罪しないが、アメリカに対しては言いなりになっているだらしのない連中だから、少々痛めつけてやってもいいのだと思っているとするならば、言い換えれば、犯罪を正当化している」としている場合、また首相の靖国参拝問題についても「中国が参拝禁止要求は正義であると思っており、正義の要求に従わない日本を悪者扱いしているのであれば、中国の要求に従ったりしたら、とんでもないことになる」とな…「正義の味方の誇大妄想を裏づけることになり、中国は日本をますます軽んじ、日本に対する正義の要求はますますエスカレートしてくるであろう」とな…「正義の要求には、ここまで得られれば満足できるという限界がないからである」からだとな…いやもー正義ほどやっかいなものはないって事ですかねぇ…

 とまぁ、色々色々本当に色々目から鱗の話のオンパレードですので、読んでおいて損のない本と思われですけど、ただ沸点低い人はちょっとアレかもしらんが(笑)アーリア話はアーリア人のインド侵入というー歴史もちとあやしいみたいだし…詳細は本書をドゾ…歴史はおっかねぇーという事ですかねぇ(笑)リテラシーとは何ぞや?の世界か?

 それはともかく、本書で一番ホーホーホーと思われされたとこは、まっキプリングやヒュームのそれはどこかで聞いたよーな記憶が薄らとあったよーな気だけはしていたんですが、「アフリカのネグロは本質的にくだらぬ感情しかもっていない。ネグロが才能を発揮した例を一つでも挙げる者がいれば、誰であろうと、ヒューム氏に挑戦する…。白人とネグロの両人種の違いは基本的であり、肌色に関してと同様、精神能力に関しても大きい」と美学の論文の中でおっしゃっているのが、かのカント大先生でございます…いやーおろろいた、カント哲学と言えば、理性の道徳の天辺にあるかと思っていますた(笑)そのカントの言動がコレとは、かく如何に…

 目次参照  目次 文系

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