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2014年5月18日 (日)

人は人垣、人は城…

山本七平の武田信玄論  山本七平  角川書店

 サブタイトルが、乱世の帝王学なんですが、お題は武田信玄…どーも信玄と言うとおじさんのアイドルな感じがしていたんですが、本書を拝読する分には骨太な人生ぃぃぃというノリだったのかなぁと…戦国を体現している人物としては、多分、信長と信玄の二人に帰結してしまうんでしょか?こー背景とか、持っているものとか、更に目指していたものとか…あまりに好対照すぎて、まさに、うーん、かなぁ?似ていたとこは最期のあっけなさというか、すごろくの上がり一歩手前感が、何とも…どちらにせよ、この二人が長生きしていた場合、両人が、片方が、で相当日本史変わっていたと思われかなぁ?

 そーだ、京都に行こうとゆーポリシーを最初から持っていたのは戦国大名では信玄一人ではなかったか?という件とか…信玄の出自がそんなに凄いとは知らなんだ…でこれまた「戦国の実力者たちの出自は、いずれもさして立派なものではない」となるそ…そーだったのか(笑)家康の出自が五代前までしか遡れないみたいな話は確か日本史の授業で習ったよーな記憶があるんだけど、そしてそんな先生のテストが家康の側室の名前一覧だったりする…秀吉の妾もアレだけど家康のそれも凄い数で暗記に苦労した覚えが…

 そんな事はどーでもいい話で、本題は信玄、甲斐武田家の話になるんですが、これまた信玄って当時一級の文化人だったとはこれまた知らなんだ…教養的な話になると当時の戦国大名は「お粗末な人物が多かった」とな…「まず、読み書きができない」とななな…信長の手紙のかなが多い上に誤字脱字ありまっせらしーし、秀吉はオールかな…家康はワンパターンで「あきれるほど語彙が貧しい」という事になる模様…蓮歌の会なんて出たくないの人だったよーで…そゆ点、若い時から和歌、詩歌、禅をたしなんできた信玄というのは戦国大名としては破格の風流人だったという事か?漢詩もつくるし、絵画もオケなんだぜとか(笑)勿論、孫子を始め中国古典もどんと来いと(笑)あっ蹴鞠もだそです(笑)

 アリス的に信玄…秀吉贔屓の太閤さんの国の人だものなんで、どかな?まぁ近畿圏は京都・大阪が中心の世界だからなぁ…ある意味、正統派戦国、大名というのは、想定外の世界かもしれないし…

 それにしても、信玄も若かりし頃、うつけの振りをしていたとは知りませんでした…出来る長男って皆、親に疎まれる存在なのか(笑)それにしても戦国、うつけにならないと生死がヤバイって、どんだけぇーっ…ただ、信長と違っていたのは信玄の場合、二男たる信繁が信玄側についた事でしょねぇ…故に例の父親追い出しも無血クーデターで済む訳だし…

 で、これまた父親がいなくなった、己の天下じゃーとなるとこれまた今度はうつけではなくて放蕩に走るというのも殿方的パターンなのか(笑)尤も、これも板垣信形の諫言がパネェ…あの時代は言うもするも命懸けだったんだなぁ…

 さて、「戦国の武将や近世の殿様たちの中で、今に至るまで地元の評判のよい人となると、まず例外なく、地域開発をやって、領民の生活基盤づくりにつとめた人である」というのは、多分、近世の話だけじゃなくて人類史一般どの時代でもそーじゃね?じゃね?と思うんだが、やはり経済が安定しての治世でしょ?

 本書にはその例として加藤清正が引き合いに出されているんですが、熊本で加藤時代は二代通しでも42-3年、細川の方は2百数十年と物凄い差があるんだけど、「今でも、熊本の人たちが「清正公様」に対する敬意の念は格別で、二百何十年も領主だった細川家よりよほど人気がある」そな…パンピーは見ていた、ですか(笑)成程、戦後の政治家の名が残らない訳だと(笑)

 経済力とはどーなのか?で甲斐、山じゃけんでお米どーよと思っていたら、戦国当時では山間部の田んぼの方が収穫率は高かった模様…ちなみの慶長検地によると「甲斐一円二十五万石、信濃五十一万石、駿河十七万石、遠江十万石、三河四万石、美濃恵那郡三万石、飛騨吉城郡一万石」とか…後、特産品も結構商売になったそーで、有名な甲斐商人は紙とか蝋燭とか付加価値が高く、軽いもので勝負していた模様…山岳地なので大量輸送は難しいから軽い小さい、持ち運びが楽なものになるとな…

 後は、鉱山系、金とか銀とかザックザックってか(笑)で、信玄は戦に必ず、この金掘り師を同行させていた模様…城を攻める時に「水の手切り」という事で水絶ちを行うのに、この人達はうってつけだったゆー…水脈、地下水、隠した水道、みつけるものあり、また壊すのもありとゆー…籠城戦にはうってつけの人達だっただなぁ…

 信玄的にアレなのは人心掌握術がこれまたパネェというとこでしょか?結局、どゆリーダーが一番か?といえば「この大将のもとについていれば先は明るいという身通しさえ持てれば、部下はついてくる」とな…そーだったのかぁーっ(笑)成程、日本のトップ、コロコロ変わる訳だわ(笑)ちなみに信玄は「家臣たちとくつろいで雑談することを好んだ」とな…で、これが所謂一つの「部下教育」「モラール・サーベイ」となる模様…人を育てるのも上手かったとゆーか、人材を資源と分かっていた人なんでしょねぇ…

 エビ的には、ウルトラスーパー問題児も使いどころがあると分かっているので、家臣達を説得して残していたり、だからと言ってそれを真似する人は処断したりと、なかなかに人を見ている模様…ついでに戦場では超つかえない人材も配置転換して使用し続けた話なんて、今なら即リストラでしょっの人使い捨て時代ですけど、これまた人材を大切にね、適材適所で一丸となって国を盛り立てていこーの姿勢を貫くんですねぇ…信玄的政策は、信長的な一人の天才に皆ぶら下がる、何事も上の言う通りじゃなくて、全体で当たる方法を取ったみたいです。フィレンツェやミラノ方式ではなくて、ヴェネツィア方式の人だったとゆー事なんだろか?

 ちなみにトップの条件とは「第一に人の目利、第二に国の仕置、第三に大名戦勝利」とあったりして…乱世の戦国で、実戦よりまず人を見る目とあるとこが実にリアルかなぁと(笑)それも切り捨て御免ではなくて、適材適所ってなかなかできる事じゃないよな(笑)まぁ切って捨てようをすれば謀反が待っているのが相場みたいですが(笑)おうおうにしてイケイケの時はそんなの関係ねぇー(死語?)なんですよねぇ(笑)

 も一つ、本書はそれが表の信玄としたら、裏の信玄は情報戦の鬼だったとゆーとこかなぁ?何せ元祖あしながおじさんだし(笑)まぁそれはともかく、商人、職人、僧侶に山伏、勿論時代は忍者だぜも含めて一大情報網を築いていたのは確かな模様…実戦の前の謀略、智謀戦も伊達じゃないんですとな…

 まぁ信玄的ハンデと言えば、立地的に四方が敵国に囲まれた内陸国だったとこと、更に海がなかった事による貿易ですかねぇ…それと、政治システムが中央集権的ではなくて、郷士の集まりみたいな中世的土着民を抱えていたところですか…

 その他詳細は本書をドゾなんですが、個人的には信玄は乱世の人というより、人心落ち着いた平時の治世を見てみてたかったかも?戦いよりも、むしろ殖産興業的な、教育とか社会全体のレベルアップに力を注いでいたみたいだもんなぁ…わりと繊細というより気苦労の人だったかもだし余程こんをつめて政治してたんだなぁ…というのも実父を追放して家督を継いだ信玄ですが、実は信玄より強制隠居、亡命、居候?な父信虎の方が信玄より一年長く生き延びているんですよねぇ…

 まっ何にせよ、著者は多分信玄ファンというか、マニアみたいなので、これまた多分信玄贔屓なお話だと思いまする(笑)でもまぁ、気持ちは分かる気にさせられる微笑ましい分析じゃなかろーか?歴史上の人物を見れば、今この人がいたらとか、このスケール感の違いですかねぇ?昔の方が度量が大きい人がいたと思うのは気のせいか(笑)

 目次参照  目次 文系

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