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2014年6月18日 (水)

オストゼーの東?

消えた国 追われた人々  池内紀  みすず書房

 サブタイトルは、東プロシアの旅なんですが、うーん…何と言っていいのか?地理にも歴史にも疎いもので本書を拝読するまで東プロシアがどこにあるのか、漠然としたイメージというか、プロシア、プロイセンの東側の事を指しているのばかりと思っていたら、これ旧ドイツ(と言っていいのか?)の飛び地の事だったのですね…どこかと言えば、ケーニヒスベルクと言えば分かる人が多いかも?で、こちらが東プロシアの首都という事になるんですが、このケーニヒスベルクで一番の有名人と言ったらあのカントなんでございます、ええ、哲学者の(笑)

 カントと言えば独の哲学者というか、世界的にも大哲学者ではありますけど、その独とはどこよ?と言えば、言わずと知れたケーニヒスベルクでカントはここで生まれ死んでいったお人なんだとな…で、そのケーニヒスベルクを中心にした東プロシアとは地理的にどこよ?といえば、現在でいうとバルト海に面したポーランドとリトアニアの間の土地…

 世界地図を見て昔から疑問に思っていたのが、このポーランドとリトアニアの間の土地が何故に露領になっているのか?だったんですが、これ元は独の飛び地だったのか?何とゆーか、欧州の歴史半端ネェというより複雑怪奇じゃまいか(笑)こー言っては何だけど、国境線はこちらから見ると年がら年中変わっているみたいな気がする…いえ、どこもそれなりに歴史はある訳ですけど…

 で、今の最終ラインなのか、暫定ラインなのかは神のみぞ知るですけど、が決まったのが言わずと知れたWWⅡの戦後処理(のドサクサに紛れて?)によるものみたいですが、これで一番わりをくったのは、敗戦国のさだめじゃまいかの独だったというより、その土地に住んでいらっさった独人?独系住民だった模様…

 脱出できるか?出来まいか?のエピ(タイタニック張りというかそれ以上の)もありますが、その難民の数1000万人が追い出されて流浪の民に、現在独の7人に1人がそれに当たると言えば、事の大きさが分かっていただけるかと…成程、独、東独以前に東プロシア問題があったのか…

 アリス的には独…うーん、むしろ独語か?菩提樹荘で独語の話が出てきたっけか?その内、国名シリーズで出てくるのかなぁ?ドイツマイスターの謎とか?ドイツピールの謎とか(笑)そーいや201号室や雛人形でソーセージ出ていたよーな?

 蛇足的だけどアリスが興味を持つというか、雑学データベースに入れてるというか、いつかミステリーのトリックの一つで使いそーなというので独人の名前、トートとかどだろ?ちなみに第三帝国アウトバーン総監督の名はフリッツ・トートという…で、このトート、独でも変わった姓らすぃ…「名前の綴りはTodtで、ドイツ語で「死」を意味するTodとよく似ている。「殺す」はtotenと書くので、Todの綴りは「死」と「殺す」の合成を思わせる。いったい、何に由来してこんな姓が生まれたのだろう?」とあったりするんですよ、この手の意味深なソレはアリスの大好物じゃね(笑)

 も一つ蛇足的に、ホフマン曰く「本を求めるなら「グレフェ・ウント・ウンツァー」書店に限る」とな…作家御用達の本屋きますたじゃないけど、「ケーニヒスベルクのこの書店は、当時、ヨーロッパ最大の本屋として有名で、今日でいうブックセンターの機能を果たしていた」って、東プロシアの文化度おそるべし…今もあれば絶対アリスは足を運んでいそーだと思うのは気のせい?

 さて、話題の東プロシアですけど「まことに奇妙な国であれ、東プロシアは確かに地図にもあれば、地上にも存在した。人口は二百万にちかく、始まりをたどっていくと七百年の歴史をもつ」とな…当時の首都はケーニヒスベルクで、こちらの現在名はカリーニングラード(露)という事なると…「第一次世界大戦後のヴェルサイユ条約によって国境が変化し、東プロシアはドイツと切り離された。海づたいに隣り合った軍港ダンツィヒはどこにも所属しない「自由都市」となったが、住民の大半はドイツ人だった」で、「ヒトラーが強硬にドイツ本国と結ぶ「ポーランド回廊」を要求したのは、それだけこの都市が戦略的に重要だったせいだろう。ポーランド政府は拒否、第二次大戦勃発の口火となった」とな…

 この辺りの事情の一部がWWⅠからの遺恨、懸念でしょか?「政治的妥協がつねにそうであるように、苦肉の策はどこも満足させなかった。ドイツは東の領土だけでなく重要な軍港を取り上げられた。ポーランドにとっては自国内にあるのに大切な港湾が使えない。ダンツィヒ市民には国際連盟の規制にかかるのが不満だった」とな…不満をつつけば政権が取れるし、不満をつつけば戦争に至れると…

 そして1941年1月、ソ連軍がポーランド国境を越えてくると…街も国も消えたとな…

 てな訳で今は露領となっているそこへ旅に出るぅーとなると、直行する道がないというか、ルートが旅行者的にはない模様…で、著者的には電車で移動が多いみたいだけど、何とゆーか当たり前だけど、露領なので露人の都合のいい時間帯にしか走っていない、ついでに言うと遅延が当たり前、で、その遅れが分単位じゃなくて、時単位の模様…それも一時間なんて甘いもんじゃなく、しかも一日一本とか…都市間結ぶ鉄路がその程度の流通で間に合っているとこが凄いよなぁ…

 まぁ何にせよ、町から町へと移動するのは相当に大変じゃまいか?じゃまいか?で車での移動も途中で試みているけれど、国境付近のソレはほぼ絶望的みたいです…賄賂使ってもすんなり入れないみたいで、タクシーの運ちゃんが四時間で行って帰ってこれるといったとこが九時間かかっているんだぜ、しかも袖の下使用して(笑)これ21世紀の話で、結局のところソ連だろーとロシアだろーと伝統芸能は変わらずという事らしー…後、写真もね、カメラぶらさけで歩いていると…

 まぁある意味物凄く物好きの旅だよなぁと…本書にも日本人旅行者に会いましたなんてシーンは出て来ないし、東プロシアにツーリストとして行った事がある日本人って、どんだけいるのか?ちなみに、本書に一度だけ日本人がいるみたいな話題が出てきますが、町に空手の先生が?ですけど、どーもこれ名前からして中韓のどちらかみたいなノリらしー…現地の人からしたら東洋人の区別はつかないからみたいな件が出てますけど…けど…

 てな訳で、バルト海の東南一帯のお話になるのかなぁ?いやもー歴史がパネェで、まずこの辺りの欧州史を知らないと何が何だか?とにかく、話についていけないよーな…というのも、独人のこの辺りへのとっかかりがかの十字軍の話にまで遡る訳で、ドイツ騎士団からの話となるそな…で、中世のハンザ同盟、商業都市的なソレもあり、近代になって飛び地というか、飛び都市的に独人が主流の街が点在していた模様…

 という事は元々あの辺りは独人が開発したとことも言えるという訳なんだろか?昔の名前で出ていますじゃないけど、ケーニヒスベルクが今はカリーニングラードとなっているよーに、ラステンブルク(ケントジン)、アレンシュタイン(アルシュテイン)、マリーエンブルク(マルボルグ)、メーメル(クライベタ)、リーハウ(リエバーヤ)、ダンツィヒ(ダダニスク)、グディンゲン(グディニア)、コルベルク(コヴォブシェク)と名前聞いただけでトーシロにも独だわぁと分かるノリか(笑)

 東プロシア以外にも、独人都市(街)、地域は結構あったみたいで、WWⅡ以前にはズデーデン地方(チェコ北部-ポーランド南部)、シレジア(ポーランド西部)、ガリチア(ポーランド南東部-ウクライナ西部)、ヴコヴィナ(ルーマニア北東部/黒海近辺)と、東ヨーロッパ各地に独人の街があったという事か…これに東プロシアも続く訳で、ヒトラーの大ドイツ構想もある意味、妄想の一言で片づける訳にはいかないのかもかも?

 取りあえず、北ドイツの海沿いの町の場合「地名のおしりに「ミュンデ」がつく町が多い」だそな…「川が海に注ぎこむところの河口の町であって、そこに二男坊や三男坊たちは、東プロシアでもやはり河口の辺りに住みつき、おしりに「ミュンデ」のつく町をつくった」とな…て゛、「森の国に生まれた者たちは、おのずと内陸部を選び、「ローデ」の町づくりをした」…成程、ミュンデとついているか、ローデとついているかでそこの独人の出身まで分かるのか(笑)

 二男三男で蛇足的にも一つ、東プロシアの宮廷は「プロシア王家の二男や三男が身内を引きつれてやってくる」の世界で、今でいうとこの子会社のノリか(笑)本社出向組が幅きかせて、現地生え抜きが冷遇されるというソレと同じ事をしていた模様(笑)

 どこもかしこも壮絶な歴史ですので、詳細は本書をドゾですが、グストロフ号事件は史上最大の海難事件になるのだろぉか?死者は何と9000人、あのタイタニックですら2000人ですから、その規模の大きさ分かるだろーか?しかも事故ではなくて「ソ連軍潜水艦S13号より水雷発射」による沈没なんですよ…乗客は殆ど独に逃げ帰ろーとしていた独のパンピー…「戦後、ナチスの罪業が糾弾されたなかで、バルト海の海難事故は政治的に封印されたからだ」って、何かもー敗戦国の悲哀はどこもアレよのぅと言ってもWWⅡだと日独の二か国しかないってか(笑)

 後、独の失地回復運動、平和的なお墓参りツアーっぽいんですが、確かに700年もいた訳だから先祖のお墓は当地にある訳で…何とも…それにしても独にもお墓参りそれなりにアレだったのか?日本人ならぼたもちとおはぎの頃とお盆に行かねばの世界だけど、独的にはどーなのだろぉ?

 さて、現在のポーランド、リトアニア、ロシアはどーよ?というと、本書で訪れているのは21世紀直後辺りみたいなんですが、あまりいいとは言えないご様子と言ったらいけないのだろぉか?例えばポーランドの場合「国土の大半が平地、あるいは低地帯だが、南に行くにつれて、ゆるやかな丘陵があらわれる。そこに貧しげな集落が点在していた。一党独裁が終わって自由化を迎え、首都や商都は色めき立っているが、南部の田舎までは恩恵が及ばない」というのは、どこの国でも同じ事の世界ですかねぇ…稼げるところから稼いでそれがやがて全体に回るのじゃという経済指針はその通りになった話を聞いた事がないのは気のせいか(笑)

 ちなみにポーランド、ユダヤ人ネットワークもあったよーで、中世のポーランド王カジミエージュが庇護したとな…クラフク-ワルシャワ、更にバルト海へと「広大な商域ネットをつくり上げた」とな…これも現代は跡形もなしで「ユダヤ人が去ったあと、あるいは立ちのきを命じられたのち、その土地と屋敷はそっくり少数派の手にわたった。ポーランド人には、触れたくないテーマにあたる」とな…成程、被害国のポーランドにも大人の事情は多々ある模様…その他、元伯爵の遺品・遺産?の返還請求問題とかもあったりして、取りあえず「ポーランド政府は一切応じない」方針らすぃ…

 これ、独人達のそれも荷物は両手に持てるだけ、「建物、家具にはいっさい手をつけてならぬ」とされた訳で、それが合わせて1000万人分となれば、残してきた総資産…どんだけの額になるのか?どこもバックれる訳だよなぁ(笑)

 これまたちなみに、東プロシアの場合、独人が中心となっていたとはいえ場所が場所だけに他民族国家なんですが「異なる民族、異なる人種が複雑に共存しながら、東プロシアは民族紛争を起こさなかった。暴力沙汰に及んだことは、ついぞなかった。第一次世界大戦後の帰属問題が起きたときも、人々は投票でもって解決した。その際、どの地方も、リトアニアでもロシアでもポーランドでもなく、九〇パーセントに達する多数決で「東プロシア」を選択した」とな…成程、国のモテ度が分かるってか(笑)マッチョ思考ってモテない男の行き着く先なんだなぁ…

 後、その時歴史が動いた系では1917年のリーパウ一揆でしょか?ドイツ人・ラトヴィア人同盟が一斉蜂起してボルシェヴィキ党を追放して、独立国を築いたのだとか…22年間の短いついで言うと小さな独立国でしたけど、これが「ロシア人嫌いのラトヴィア人には、誇らかな名誉らしいのだ」とな…いやもー皆まで言うなの世界か(笑)

 日本的にはメーメル問題とか…こちちはWWⅠ後の話ですけど、この辺りの仏軍と、リトアニア軍の動きがパネェ…結局、戦争が終わってもその後にって、あるんですねぇ…詳細は本書をドゾですが…いや、本書拝読してポーランドとリトアニアのイメージが変わったかも(笑)

 豆知識的にはポーランドといえばショパンですけど、そのショパンのマズルカ、「この地方の伝統的な踊りのリズムを取り入れて」の作曲だそーですが、「その伝統は、どちらかというとドイツ人入植者たちがやしなってきたものだった」って…それってマジですか?その他、東プロシアの有名人的にはホフマンとか、コペルニクスとかいますよってにで詳細は本書をドゾ。

 も一つ豆知識的に、東プロシアの子弟は中産階級の場合、ケーニヒスベルク大学へ、資産階級だとベルリン大に進むのが普通だった模様…尤もケーニヒスベルク大学は「十六世紀半ばの創立になり、北ヨーロッパにあって、もっとも由緒ある大学だった。これにくらべるとベルリン大学は新参者であって、プロシアの学生にとってケーニヒスベルクは、つねに眩しい存在だった」とな…さすがカントの大学ってか?

 文化度的なソレでもういっちょ、「一八九六年開設のケーニヒスベルク動物園は、ベルリン以北最大の動物園で二一〇〇種の動物を擁していた。一九四五年四月、ドイツ敗戦の日に生きのびたのは、ワニの「ハンス」ほか四匹のみだった」とな…英米の爆撃で町の98%が炎上、ソ連軍の包囲戦での結果だそーです…

 所謂一つの紀行本だと思うのですが、内容はことのほかに重いです。場所が場所だけに、歴史が歴史だけに、そして今も明るいとは言える状況・状態じゃないみたいな感じが通奏低音にあるよーな…とはいえ目を背けてはいけない歴史ですので、本書をドゾとお薦めしまする…いや領土問題、とても他人事には思えなくて…はぁ…

 更に現代の独、東欧の関係もパネェで、「ポーランドがEUに加盟したのも、ドイツの強い支援があったからである」の辺り、いやもーねぇ…付き合いの長さが違いますの世界か?それとも独の経済力のなせるわざか?こーして見ると東欧問題と独というのは、相当なソレがあるのだなぁ…

 さて、最後に一つ本書で行ってみたいというか、見てみたいものよのぉ、越後屋と思ったのが、オスタルダ-エルブラング運河運行会社の水陸両用船…何と船が山(丘?)を登るんだぜっ、フニクリフニクラってか?陸を行く時はどーも滑車に乗っけてヒモで引っ張る、所謂一つのケーブルカーみたいなノリみたいだが(笑)写真見るだけでも凄いシュール…これ今もあるみたいなんですよぉおおお…

 その他、エピ満載ですので詳細は本書をドゾ。

 目次参照  目次 国外

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