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2014年6月 7日 (土)

ガンバレ、ニッポン!

日本サッカー史 日本代表の90年 1917-2006  後藤健生  双葉社 

 W杯がもぉすぐやぁってくるぅ(笑)という訳で、その前におさらいを一つやっとこーと思いましての本書なんですが…まぁ著者が後書きがおっさっているよーに、何かというと「日本のサッカーは歴史がないから」というセリフが出てくるとは如何なものか?ですよねぇ(笑)いや確かにJリーグというプロリーグが出来てよーやっと20年か?ですけど、サッカー史的には100年近い歴史があるんですよ、奥さん(誰?)サッカーが入ってから伸び悩みの時期もありましたが、連綿と積み重ねてきたものがあると(笑)

 そんな訳で、本書表題通り、日本代表史の歩み、そのものですね…日本サッカー史的なそれも含まれてはいますけど、メインは代表…これ一本に絞っているとこが潔しでしょか?ちなみに日本代表初の国際試合は1917年5月9日、第三回極東選手権大会の対中華民国戦だそな…で、これまたちなみに当時の日本代表は「ヘディングという技術も知らなかった」レベルだったそーだけど、まぁサッカーはサッカー、頑張っているんですよ、おぞーさん(誰?)

 じゃあ、日本で初めてサッカーがプレーされたのはいつ?というと、幕末の横浜で在英人によってらしー…記録的には1866年(慶応2)1月24日の「Japan Times Daily Advertiser」紙に横浜フットボールクラブ創立集会の記事が掲載されているとな…

 じゃじゃじゃあ、日本人が初めてサッカーしたのはいつ?となると、「海軍兵学寮で英国海軍顧問団団長のアーチボルト・L・ダクラス中佐と33人の部下たちが教育の一環としてプレーしたことが伝えられている」そな…時に1873年(明治6)の事でございました(笑)それだけじゃなくて、工学省工学寮でフットボールしたもんねという記録も残っているそな…こちらは「1874年以後、スコットランド人の測量技師であったライマー・ジョーンズが、体育教育の一環としてフットボールを教えたという」とな…まぁ何にしても英人あるとこにフットボールあり、これが大英帝国的ジャスティスだったのだろーか(笑)

 アリス的にサッカー…まぁアリスは野球オタというより、阪神オタだからなぁ(笑)ガンバより、セレッソより、タイガースやねんだろーし(笑)サッカー的にありえるとしたら、やはりここは英人登場でウルフ先生の出番なんだろか?フーリガンじゃありません、英国紳士ですってか(笑)ちなみに、「英国人は植民地を獲得すると必ずといっていいほど、そこに公園、競馬場、芝生のグラウンドなどを作ったものだった」そーで、芝生のグラウンドがあればそりゃサッカーできまんがなの世界か?こーして世界に広げようサッカーの輪ってか(笑)

 さて、第三回極東選手権から始まった日本代表の歩みについての詳細は本書をドゾ。まさに山あり谷ありでよくまぁ続いたものよのぉ?越後屋のノリか(笑)特に問題なのは、WWⅡで寸断と、70年代以降の停滞ですかねぇ?戦争が理由なのはともかく、せっかくメキシコ五輪で銅メダル獲得したのに、その後斜陽していくのは何とも…まぁそれでも五輪直後はメダル特需なのか?それまでできなかった親善試合とか遠征とかがぐっと増えているとこは分かり易すぎるなんですが、これまた停滞に入るとそれらがなくなっていくとこも…

 でまぁ、パンピーな方にはオフト以降が日本代表のそれみたいなものだろーし…この辺りの代表監督の系列もまた実に日本的な、まさに日本的な話じゃね?ですかねぇ…ちなみに本書は2006年のオシム就任までの歴史でして、あの敗戦の独W杯までなんですよね、試合的には…日本、黒歴史といっていいんじゃまいか?の…

 代表の歴史と付随して、結構、来日している、もしくは対戦している選手達との後の邂逅がこれまたアレですねぇ…例えば、東京五輪のオシムだったり、アルディレスだったりetc.この時の顔ぶれが後にクロスしていくさまは何とも…人の縁って本当にあるんだなぁと感心しますた(笑)

 後、サッカー界の動き的なとこで「1920年代に入ると、世界各国で国際スポーツ大会に国家が関与して、積極的に支援を行うようになってきた。ヨーロッパ各国では、スポーツがナショナリズムと結び付けられ、「サッカーの国際試合の勝敗に国の威信がかかっている」などと言われ始めたのも第一次世界大戦後、1920年代に入ってからのことであった。政府がスポーツに関与しないことを伝統にしていた英国も、こうしてヨーロッパ大陸諸国の動きに対抗して、政府がスポーツ界に対する支援を始めた」とな…かくて単なるスポーツではなくなったってか…

 も一つ、豆知識的にサッカーの聖地というと、マラカナンとウェンブリーが二大聖地となると思われですけど、このウェンブリーって1923年に建設されたんですね…ちなみに同じ年にNYではヤンキー・スタジアムが出来たというから、英と米、国柄が出ているという事なんでしょか(笑)

 日本サッカーのルーツ的な一つにビルマ人のチョウ・ディンのコーチもあると思うんですが、この人のサッカーの師が多分スコットランド人だったよーで、日本に広めてくれたのもイングランドサッカーではなくて、スコットランドサッカーらしー…どゆ事というとショートパスサッカーでんがな(笑)「体の小さなケルト系のスコットランド人が、大柄なイングランド人のキック&ラッシュに対抗するために編み出したものと言われており、そのショートパス戦術はハンガリーやチェコなどの中欧諸国や遠くアルゼンチンにも影響を与えている」そな…成程、世界的にみたら身体の小さい日本人にはショートパス系のサッカーの方が向いているんだろか?でして、最初の頃からそゆ歴史的選択、偶然が重なっているのねぇ…ちなみにこれは1920年半ばの頃の話…

 後、ユニフォームの色ですけど、最初は東京高等師範の海老茶、それが東京帝大の青になって、まぁ途中国旗の赤とかもありますが、概ねこの青の時代だった模様…サムライ・ブルーってどんな青?と思いつつ、ネーミングはださいというか安直じゃね?でも世界的には通用するよーにはなってきたよな?その内なでしこピンクとかも流行るのだろーか?それ以前に2ndユニ、歴史に敬意を払って海老茶あると思いますになる時がくるのだろぉか?

 ちなみに最初のW杯が行われたのが1930年(昭和3)のウルグアイW杯で、そっか、W杯って昭和の香りがの世界だったのか(笑)さて、試合の内容とかの詳細は本書をドゾ。まぁそれにしてもサッカーの試合って民度が出るのは初っ端の昔からそーだったのか?とおろろきました(笑)いえ、日本がとか、日本人がという訳ではなくて、参加しているどこかとかどこかとかどこかとかが…

 東京五輪に向けて新国立競技場の話が上がっていますが、戦前には「明治神宮外苑競技場を12万人収容に改装し、青山に5万人収容のサッカー・スタジアムが作られる案もあった」そーで昔の方が気宇壮大だったのか(笑)

 それはともかく、戦後の日本のサッカー事情ですけど、まずは「第二次世界大戦の影響で、日本やドイツなどはFIFAから資格停止処分を受けていたのだ。また、1948年のロンドン・オリンピックにも、日本とドイツの両敗戦国は戦争の責任を問われ、招待されなかった」とな…そんな日本が復帰するのが「1950年のワールドカップと同時にリオデジャネイロで開かれたFIFA総会で、日本とドイツの復帰が可決され、日本蹴球協会は9月23日に正式にFIFAに復帰したのだ」となる模様…で次の年にはアジア競技会に出たよーで…人材もアレだけど財政的によくぞと思っていたら、後のヘルシンキ五輪、「日本からも少数の選手が参加したが、当時の苦しい財政事情のため派遣人数の多いサッカーなどの競技は参加できなかった」となる訳ですよ、姐さん(誰?)

 ちなみにこれまた後のメキシコ五輪の時、「冬季オリンピックで日本選手団が不振に終わったことで、国会などで「国費の無駄使いではないか」という批判が高まり、それに対して日本オリンピック委員会が「少数精鋭」の方針を打ち出したのだ。そして、サッカーは本来19人の選手が登録できるにもかかわらず、JOCは16人の登録と決めてしまったのだ」とな…結果的に選手18人、役員1人で決着、「日本は他国と比べて1人少ないメンバーで戦わざるを得なくなった」って…メキシコ高地なのに…しょーがないから日本蹴球協会からコーチ派遣になると…いやメダリスト達の舞台裏こんなもんなんですねぇ…

 これまたちなみにこの時のメダルが、アジア勢で初めてのメダルだし、「当時のオリンピックで東ヨーロッパ以外のチームがメダルを取るのも珍しいことだった」とな…ある意味歴史的快挙って奴ですね…この後五輪で再びメダルをとなるのはロンドン五輪のなでしこまで開くのか…

 政治的情勢というか、予選の組み分け的なそれでW杯予選、70年代はイスラエルが入ってきたり、対台湾問題で1958年にFIFAを脱退した中国が1974年FIFA総会で「中国加盟案は否決されていたが、同総会で新会長に選出されたばかりのジョアン・アヴェランジェ(ブラジル人)は中国のFIFA復帰に意欲的で、FIFA理事会は中国のアジア大会参加を特例として認めていた」とな…成程、FIFA会長の伝統芸能もこの頃からお墨付きだったのか(笑)ちなみに中国のFIFA復帰は1979年…

 これまた今に続くクラブと選手と代表とですけど、1985年頃、ブンデスリーガに所属していた奥寺と尾崎をW杯予選に参加させるため、「日本サッカー協会から各クラブに要請が出されたが、クラブ側から拒否され、両選手の起用は断念された」とかあるんですね…年々サッカーは過密スケジュールとなっていく訳で…この問題も根が深いよなぁ…

 も一つ、代表的なとこでオフト以後、ファルカンに決まるまでに日本サッカー協会は、テレ・サンターナ、ミシェル・イダルゴ、オズワルド・アルディレスに打診していたんです…アルディレス、この時引き受けていたらその後どーなっていたんだろぉ?と町田とか…

 後、ありがちな話としては2002のソレですか(笑)「欧米出身のFIFA理事たちにとっては、日本と韓国の違いすらよく理解していなかったから、どちらに開催させるかについてはあまり興味もなかったのだ」ですか、そーですか(笑)後のW杯の歩み、FIFA創立100周年記念DVDとかに繋がる訳ですね、分かります(笑)

 それにしても著者、淡々と事実を綴っていらっさるのだが、時々のチラリズムが見え隠れして楽しい本だぁの最たるとこが「フィリップ・トゥルシエという、コーチとしての能力は高いが、人間的に問題を抱える監督」って…正直者乙ですか、そーですか(笑)

 いやもー上げていったらキリがない、何しろ90年分ですから(笑)なので詳細は本書をドゾ。そーだったのかぁーっ?の連発に驚く事必至でございます(笑)歴史の1ページって凄いや(笑)

 目次参照  目次 スポーツ

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