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2014年8月 3日 (日)

猛き者もついには滅びぬ、ひとえに風の前の塵に同じ…

池上彰と考える、仏教って何ですか?  池上彰  飛鳥新社

 表紙コピーは、仏教の誕生、日本への伝来から、葬式や戒名の意味、新興宗教まで-。仏教のまつわる疑問をわかりやすく解説。なんですが、うーん…いやトーシロ向けなんで非常に平易です。これ一つで仏教の今昔が分かる気にさせられるというか、とっかかりはオケな世界か(笑)

 さて、時は紀元前五世紀、「古代インドに現れたブッダという人物が説いた教えが、後に仏教になりました」となるそで、ちなみに世界史的に眺めると当時「西方ではバビロン虜囚で故郷を追われたヘブライ人たちがイスラエルに帰国し、後にキリスト教とイスラム教の源流となるユダヤ教が成立しました」となる模様…て゜、「東洋では、中国でおこった、孔子を始祖とする儒教という思想がさかんになっていた時代」とな…西と東の間で仏教は生まれたという事なんだろか?

 仏教の宗教的に立ち位置で決定的に違っているとこが、一神教でないところじゃまいか?で「仏教は、人知を超えた神や創造主といったものを想定しません。多くの神が役割分担をもって共存する多神教です」って、そーだったのか?仏教…いや、何か仏様と神様って漠然と違うイメージでいたりして…

 そしてブッダというのがサンスクリット語で「目覚めた者」という意味は何となく聞いた覚えがあるよーなの世界だけど、あのゴータマ・シッダッタ(バーリ語)、ガウタマ・シッダールタ(サンスクリット語)はこれ本名だったのか?で、釈迦とは「シャカ族の聖者を意味する尊称「シャーキャムニ」を漢字で書いた「釈迦牟尼」の略」だったとか、釈だけとって「釈尊」とも言うって、お釈迦様の呼び名一つで色々あるんだなぁ…

 そして仏教というと煩悩との付き合い方の世界じゃね?一切皆苦の世界観から出てるとこですかねぇ?四苦八苦とか、ちなみに四苦の生苦、老苦、病苦、死苦はこれまた何となくどこかで聴いた覚えがあるが、八苦の残りが「愛別離苦」「怨憎会苦」「求不得苦」「五蘊盛苦」とは知らなんだ…それにしても怨憎会苦、嫌な相手に向き会う苦しみって、トレビの泉にコイン三枚じゃ済まない世界か(笑)

 アリス的に仏教というとこの人聖徳太子キタコレになるのかなぁ(笑)あの十七条の憲法の第二条が「篤く三宝を敬うべし、三宝とは仏・法・僧なり」だったのか?「天皇について述べた第三条よりも先に、仏教を推しています」ってとこに仏教基盤の国造り、中央集権国家への道を託したとな…聖徳太子半端ないというか、苦労したんだなぁ…かくて聖徳太子曰く「世間虚仮、唯仏是真」(この世は仮のものであり、ただ仏だけがまことのものである)って…

 海奈良じゃないですけど東大寺もキタコレで、こちら「日本で初めて戒壇院が設けられた」とこになるとな…この意義は大きい訳で話はあの鑑真の話にまでつながる訳でこれまた詳細は本書をドゾ。仏教と戒律、これ大切(笑)

 さて、煩悩がいかに手ごわいか?は悟りを開いた仏陀自身でさえ、人々に啓蒙活動するべきか?躊躇する程根強いものなんですよねぇ…いわんやパンピーなら…だから何もかも捨てて出家せーという論も出てくる訳で…

 それにしてもこんなに四苦八苦、煩悩まみれで大変なんだから、仏教的には「二度とこの世に生まれてこない状態が理想だと明言しています」となるとは…て、事は悟れない限り振出に戻るで輪廻転生状態って事なのか?

 も一つ仏教の普遍性という事で、仏教的には身分差別の差異は無しの世界なとこか?皆悟りの道に進む一個人にすぎないんだよというスタンスは、ある意味弱者救済的な側面もあったとゆー事でしょか?

 そして時代は仏陀後に、「ブッダの時代のルールをそのままに守るべきだという保守派(上座部)と時代に合わせてルールを変えていくべきだという改革派(大衆部)の二つに分裂していきます」とな…で「上座部はスリランカに伝わり上座部仏教となり、大衆部は大乗仏教へと変化していきました」とな…

 個人で出家して、個人で悟りへという個の世界から僧侶だけじゃなくてパンピーにもあるじゃないという大衆化と言うか、民主化、一般化が大乗仏教になるんでしょかねぇ?

 仏教的なエピというとあの三蔵法師の話が出てきますが、これから分かる事が他宗教との違いとな…何かと言えば「ブッダの教えは向こうからは、やって来ない。こちらから求めるものだということです」って、言われてみればその通りってか(笑)仏教に宣教師いませーん(笑)ダライ・ラマ十四世が「仏教徒になる必要はありません。よい生き方をすればいいのです」と言い切る位、仏教って押し付けがましさがないんですよね(笑)

 更にお経って「ブッダ本人が説いた言葉は、ほんの一部です」ってこれまたそーだったのかぁーっ?あれって殆どは後の関係者が「ブッダは本当はこう言いたかったのだと書き綴ったもの」なのか?成程、ある意味経典って解釈本みたいなノリなんだなぁ…

 も一つそーだったのかぁ?系では「ブッダの教えを振り返ってみると、「死んでからどうなるのか」ということは、いっさい説いていないことがわかります」って…何せよりよく生きて悟りの道へがメインだもんなぁ(笑)

 死と仏教のそれって「日本独自」のものだったのか?仏教と葬式との出会いはどこで?といえば「それは中国だとされています」とな…「儒教に由来する先祖供養に、仏教の僧侶が関わるようになったのです」って、位牌も元は「儒教の習慣に由来します」って、これまたそーだったのかぁーっ?「日本では十世紀には、天皇の葬儀を僧侶が執り行うことになりました」って…でも、これはセレブだけなんだぜの世界か?

 パンピーはどーしていたか?「河原や海岸、林に遺体を捨てるということも一般的だったようです」って…で、パンピーも供養して欲しいという需要があったとゆーとこと、「国家と密接に結びついて俗化した奈良仏教に対抗し、改革派として開かれた比叡山も、時がたつと貴族の子弟がこぞって入山する名門となり、俗化が進みました」とな、何事も官になると腐敗の温床となるのが必定なのか(笑)真面目な人ほどやってらんねぇーとなるのもこれまた必然ってかで、鎌倉仏教の開祖達キタコレになるのか?で、彼等は庶民の中に入っていったと…

 でまぁ江戸まではお寺選びも庶民側にあったけど、江戸になって檀家制度キタコレで、葬式仏教に一挙に進む訳ですね、分かりますの世界か?となると寺も僧侶も「修行や布教に努力する必要」がなくなったとゆー話にも繋がるとな…結局、何かを手に入れる度に腐っていく仏教って…繰り返す煩悩か?出家って何だっけ?何だっけ(笑)

 も一つ、僧侶の妻帯もキタコレで、世襲制だもんねとなれば家業としてのソレ、「ろくに修業しない僧侶を生み出すという悪弊」もあると思いますじゃねと…よーは葬儀と法事でお経でお布施ボロ儲けの世界に突入か(笑)それを庶民が見逃す訳もなく、「「葬式仏教」時代以降、日本人は特定の宗教を信じているという自覚をもたない「無宗教」の民族になったといわれています」とな…ある意味有り難い話でもあるのか(笑)

 そして新興宗教やカルトきたこれにもなる訳で…人々がそれに走るのは「既存の宗教や価値観が人の心を惹きつける力を失っているからです」「多くの人が伝統仏教の姿に、すでに救いを見い出せなくなっているからでしょう」って…まぁこれもある種、本当に必要なんですか?の世界だろーしなぁ(笑)

 そんな私が、もとい著者が旅に出るぅーじゃないけど、仏教とは何ぞや?でその答えを聞きに向かうはインド、ダラムサラ…言わずと知れたナムギャル僧院があるところ…ええ、ダライ・ラマ十四世が住んでいるとこでございますよぉーっ(エコー付)

 で、著者はここでナムギャル僧院長のタムトク・リンポチェとダライ・ラマ十四世と対談する事になると…ちなみにチベット仏教とは、タムトク・リンポチェ曰く「ナーランダー僧院から直接、小乗、大乗、密教というすべての教えを受け継ぎ、学び、修行してきました。チベットは、仏教の本来の形のまま受け継ぎ、実践を通じて仏教の繁栄に貢献してきた唯一の国だろうと考えています」になる模様…これまたちなみにこのナーランダー僧院って「玄奘三蔵も学んだ仏教大学です」とな…いやもー歴史というかタイムスケールが違いますの世界か?

 でで、この二人との対談の詳細は本書をドゾ。いやもー何とゆーかね、ぶれないとこが凄いとしか良いよーがないよーな…それにしてもダライ・ラマ、東北大震災に対して、事実を受け入れろ、忍耐強くといいながらも「復興の遅延が政府高官の自己満足のせいだとしたら、もっとアピールして、必要とあれば抗議のデモもするべきでしょう」って(笑)日本は民主主義の国で、言論の自由もあるんのだから要請すべきって、さすがだ、ダライ・ラマっ。

 それにしても「法王は英国BBCの衛星放送で世界のニュースをチェックするのを日課にしていらっしゃいます」って、そーだったのか?ダライ・ラマ…

 ちなみに日本へのエール、地震にしても、原発にしても、経済にしても、前見て頑張れば出来るの世界観かなぁ?原爆や焼け野原から復興した事もあったじゃまいかはこの手の話でよく出てくるフレーズですが、ダライ・ラマはそれに自身の事も重ねます。「私は十六歳のときに自由を失い、二十五歳のときに祖国を失ったのです。しかし、希望と決意を失ったことは一度もありません」って…何かふと、お釈迦様を思い出すのはアレなんだろか?お釈迦様も出家して国を捨て、やがてその国は滅ぼされて二重で国をなくした人だもんなぁ…それでも悟りがあるわの世界なのか?仏教…

 「「多分、私たちには真実があったからでしょう。私たちの闘いの本質は、真実の力と銃との戦いなのです。私たちチベット人には真実の力があり、もう一方(中国)は、銃による戦いを挑んでいます」って言いきるダライ・ラマばねぇ…

 そしてそんなチベットにも「以前チベットには、真面目に勉強をしていた僧院もありましたが、ただ毎日のお祈りと儀式だけを行って、勉強をしない僧院がたくさんあったのです」とこれまたダライ・ラマが言うとは…自分達のトップが過ちを認める、そして自ら改革に進む、チベット的にはそれが21世紀の仏教徒になるための道なんでしょか?

 何より凄いのは焼身自殺の話のとこでしょか?未だ中国による弾圧の中、焼身自殺をするチベット人が絶えない事について「中国当局は、チベット人たち焼身自殺をさせているという罪を私に着せることで、中国当局の身代わりに罪を背負ってくれる贖罪の山羊を見つけたわけですから、わたしは嬉しく思ってますよ」って答えるダライ・ラマもパネェ…焼身自殺とは「万策尽きたあとの人々の絶望を示すしるしなのですから、どうしてそういう悲劇が起きたかを推しはかることができるでしょう」って…ちなみに「一九五〇年以前のチベットにはそのようなことをするチベット人はいませんでした」という事からもお察しくださいの世界か?

 それにしてもよい動機による自殺は認められるということか?の問いに「はい、認められます」ときっぱり答えるダライ・ラマ凄すぎる…よい動機というのがポイントだけど、その死すら、もしくはその咎すら引き受けるって、いやここでダライ・ラマが否定すれば、その人達の思いはどこへ行ってしまうのか?という…犠牲について考えるの世界だよな…リアルな現実がダライ・ラマの前にも厳然としてあるという事か…非暴力とは何ぞや?まさに何ぞや?…

 そんなダライ・ラマ十四世は、「中国共産党当局は、私のことを悪魔だと非難しているのです」となる訳で…いやもーこれも悪魔とは何ぞや?ですかねぇ?中共以外の人に訊いてみたらどんな答えか?なんて聞くまでもないよーな気がするのは気のせいか(笑)

 他にも仏教と科学とか、対談の詳細についても本書をドゾ(笑)こーいっては何だけど、仏教とはただあるの世界かなぁ…目の前にそゆ道もあるよと丸飲みごっくんはしなくていいよ、でも考える一助にはなるかもね?かな?と…

 まぁ21世紀、仏教色々あると思いますが、こー言っては何ですけど、チベット仏教だけが仏教じゃなし…でも何故に人々はチベット仏教、ダライ・ラマの下に訪れるのか?と言えば、結局それはダライ・ラマが命懸けで仕事をしているからに尽きるんだろなぁと…こー言っては何だけどお腹痛いからダライ・ラマ辞めます、辞めましたとは絶対言わないし、しないだろーという事を分かっている、いたからだろなぁ(笑)も一つ言うならダライ・ラマは絶対に想定外だからと言って責任逃れはしないという事も…

 逃げも隠れもしないトップを持つ事の難しさを痛感するこの世かなと…物の見方とはある意味残酷かなぁと…この世の悲惨の全てをかぶっているよーにすら見えるチベット人だけど、でもそのトップにダライ・ラマがいるチベット人と、中共がトップの中国人とどちらが幸福なのか?となれば…

 他にもたくさんエピ満載ですので、詳細は本書をドゾ。著者によると最近の大学生はオウム事件も知らないのが普通らしいので、で、それが本書を執筆する動機の一つになっているみたいですが、宗教とは毒にも薬にもなるじゃまいか?でしょか?無菌でいる訳にもいかず、さりとて堕ちる訳にもいかず、成程仏教、奥が深いです(笑)

 目次参照  目次 文化・芸術

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