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2014年8月17日 (日)

国民総充足とは♪

ブータン仏教から見た日本仏教  今枝由郎  日本放送出版協会

 うーん…著者は「チベット仏教圏を中心としたアジアの仏教史を、フランス国立科学研究センター(CNRS)の研究員」として40年近く研究してきたお人らしー…日本生まれの日本育ち、大学までを日本で過ごして以後仏というのが著者の略歴か?仏で仕事をしているからなのか、国籍は仏という事になるみたいだが…

 で、まぁ幼少のみぎりからというか、青少年の頃からの素朴な疑問を解明する為に進んでいったら、こーなった?みたいなノリか?ちなみ実家は浄土真宗の檀家、こーいうと語弊があるかもだけど敬虔な仏教徒の家庭に育ったという事になるのだろぉか?で、その疑問がお経って何?仏教って何?

 よーするに檀家で毎日お経をあげていたとしてもその内容なんか知らね、だし…お坊さんにしてもさしてかわりなしで、これは自分で調べていくしかないじゃまいか?と高校生が自力でサンスクリット語とバーリ語に挑むとこからして著者パネェ…

 そんな訳で大学も仏教大学を選択して邁進する訳でござると…で、大きくなるにつれて日本の仏教の不可思議な、歪な、奇形な面に目がいくよーになっていったとゆー事だろか?では、大本の仏教とは何か?で、仏陀、インド、チベット、ブータンの道ですかねぇ?かくて男子一生の仕事になると…何事も一念って凄ーござんすなんですよ、奥さん(誰?)

 アリス的に浄土真宗はダリ繭の時のしゃちょっさんの葬儀でチラっと出ていたよーな記憶があるんだけど?それにしても著者は仏教大学のそんな感じが出ているんですが、英都大も神学部あるはずで、こちらはプロテスタントだけど、宗教系ってやはり普通の大学と違う雰囲気があるのだろーか?と、ふと思ってみたり?ちなみに学生的には「寺院出身の学生が多く、彼らの目的が、将来僧侶に就くための資格取得であり、仏教の知的・学問的探究ではなかった」とな…大学も自動車教習所みたいなもんだという事だろか?

 著者の略歴・半生記についての詳細は本書をドゾですが、仏教の流れ、出会い、歴史なんていうのを追っていくと、何とゆーか、日本の仏教って所詮、中国経由って事に尽きるんじゃまいか?かなぁ?今更なんですけど、お釈迦様の地元はインド、ネパールって事になって、そこから派生して外に広がっていったことになる訳で、中国にもいったけど、チベットやタイ、スリランカとか、広くアジア全般に広がっていっているんですよ、おぞーさん(誰?)

 で、仏教的に流れでいくと北部と南部、大乗仏教と上座部仏教、この大乗仏教の流れの果てが日本に繋がる訳ですけど、この大乗仏教も元をただせばインドに戻る訳で、ある意味著者のしている事は平成の三蔵法師みたいなノリか?大本はどーなってけつかるねん、という(笑)で、ここで何でブータンとなるかというと、原義(に近い)経典を保持しているのがチベット仏教だからという事になる模様…でもって、御存じの通りチベットが中国に占領されてしまった今、この手のソレって亡命しているチベット僧のとこもあると思いますかもしれないけど、そのお隣のブータンにもチベット仏教が伝播して残っているじゃまいか?という事になるらすぃ…

 お寺があり、お坊さんもあり、経典もあり、その信者・檀家あり、という文化が残っているという事でしょか?この辺りの詳細も本書をドゾ。ブータンは国教が仏教である唯一の国だそな…かくて国民全員、敬けんな仏教徒という事になる模様…何かもー、日常における仏教に対するスタンスがずぇんずぇん違うんですよ、姐さん(誰?)

 とにかく、本書は著者の目線がこれまた普通の日本人の眼でないので、経験があまりに違うという事か(笑)なので、目から鱗がのエピ満載(笑)世界って広いわぁーと、やっぱ日本って井の中の蛙だわぁーっと思い知らされる感じかなぁ?

 本書における日本人的視点からするおろろきは、まず仏での仏教、も一つがブータン(チベット)仏教、そして外から見た日本の仏教ですかねぇ?仏とブータンはほぼ著者の体験記が元になっているので説得力が高い、というより仏でも、ブータンでも、仏教的にはやる気に満ちた、あるいは徳の高い人達との出会いがパネェ…これぞ仏縁というのだろぉーか?なんですよねぇ…そーゆー人との仏教からすれば、日本の仏教、所謂一つの生臭坊主なんて…かくて日本仏教に対する著者の姿勢は厳しい、超厳しいのじゃなかろーか(笑)

 まぁ日本の場合、一番の問題点は僧侶の妻帯にあると思われ…これ仏教国でやってんの日本だけだそーだし…この点からして世界では日本の仏教は仏教に非ずという意見もあるというのは、分かる気にさせられるかなぁ(笑)戎はどこへ行ったぁーっ?でしょか(笑)でもって、日本の仏教というのは、仏陀に還れではなくて、宗派の開祖にまでしか戻らないというとこも、一つの問題点だと思われで、ここで一つ基本に戻って考え(直し)た方がいいんじゃね?という事なのかも?まぁここら辺の詳細も本書をドゾ。仏教に長く携わってきた著者だけに歯がゆいところもあるとゆー事ですかねぇ…

 さて、「歴史的にもっとも初期の仏典はバーリ語で書かれたもの」だそーで、これはスリランカ、タイに伝搬した上座部仏教の「大蔵経を形成している」そな…その後、「インドで仏教が歴史的に発達・変遷し大乗仏教になると、仏教はサンスクリット語で書かれるようになった」とな…「そこから 中国語に訳され、日本にもたられさたのが、現代の日本の大蔵経である」そで、ただし「インドのサンスクリット語の原典は、ほとんどが散逸して現存しない」とな…だから「中国語訳仏典が本当にインドの原典に忠実に訳されているかどうかを確かめるすべはない」となるそーな…そーだったのか?経典…

 だが、しかし、実はこのサンスクリット語の原典を「八、九世紀以後チベット人は」「組織的にチベット語に訳して」いたとな…『現状ではチベット語大蔵経がもっとも整備された仏典の集大成である」となるそで、しかも中国語訳が意訳なら、チベット語訳は直訳・逐語訳だから何とチベット語訳から「サンスクリット語原典が復元できるほどのものである」というから、チベット語訳経典パネェ…

 アジア仏教圏という広い目で見た場合、大乗仏教に関してはチベット仏教の存在価値って相当にパネェって事でFAなんですかねぇ?こーなるとチベット占領時、及び占領後に中共が焼き払った経典の価値ってとてつもない文化財だったんじゃまいか?かなぁ?

 とはいえ、著者が10年もいたのはブータンであって、チベットに非ずなんですよね…まぁ「その理由は簡単である。チベットは中国による不法占拠下にあり、私はそこに行きたいとは思わない」になっちゃう訳で(笑)正直者乙でしょか(笑)でまぁ、仏教が色濃く残っているというより日常なブータンに行ってみたら、これがまた凄い、この件の詳細も本書をドゾですが、チベット仏教とブータン仏教のこんにちなとこもあり、これは大変仏教国として、また仏教民として頭下がる事多しなんですけど、この著者のチベット、ブータン贔屓なとこは、やはり出会いがものいっている気がするなぁ(笑)

 というのも、その二つの仏教を具現したかのよーな人物が基準になっているんですよ、で、一人がこれまた世界的に知らない人がいないダライ・ラマ十四世、でブータンの方はといえばロポン・ペマラでしょか?いやもー徳の高い人というのは、見れば分かるの世界じゃね?でして生き方がもー、マジで仏教しているというか、仏陀しているというか…本書的にはこのロポン・ペマラのシーンは結構紙幅を費やしていらっさるんですけど、そこだけでも有り難い気にさせられるというか、こーゆー人が本当に生きているだけで、世界ってまだ捨てたもんじゃないんじゃない?と思わせる人物ですので、詳細は本書をドゾ。いや、ここだけは騙されたと思って是非、ドゾ。

 この二人の師を前にして日本仏教はとやられたら、返す言葉がないよーな…

 後、仏の仏教研究というのも、これまた少数精鋭なのか、西洋的に本気度が違うという事ですかねぇ?まぁブータンというと国民総幸福論で一躍時の人、もとい国になったよーな気がするけど、ある種これ物質文明への警鐘じゃね?と西洋は受け取ったとみていいのだろーか?というのも国民総生産、もしくは国内総生産は上昇したけど、国民が幸せになったかというとその実感はむしろ下がってないか?というのが欧米の現状という事に…ある種西洋的行き詰まり感が反映されているんでしょか?

 ちなみに欧州が仏教を知ったのは19世紀前半の事になるそな…それ以前にも名前は知ってた程度で「イエス・キリスト以前にインドに生まれたシャーキャ・ムニという歴史上の人物を開祖とし、アジア全域に広まった一つの宗教であるという認識はなかった」そ(笑)「断片的に知られていたアジア各地の諸々の宗教形態が、一つの宗教のヴァリエーションであるいう、全体的認識が生まれたのは、一八三〇年代のことで、そのとき仏教は「虚無の信仰」として、畏怖の念をもって迎えれた」とな…

 この後は知的一部の方に知られていた知る人ぞ知る宗教だったのが、20世紀後半になると状況が変わってくると…第一陣がベトナム戦争によってベトナム人がやってきたで、第二陣がダライ・ラマ十四世のインド亡命だとな…高僧行くところに信者ありという事でしょか?更に、日本の禅もやってくると…ちなみに「現在フランスで知られている、もっとも代表的な仏教者は、チベット仏教のダライ・ラマ十四世、ベトナム仏教のティク・ナッド・ハンである」だそー…更にダライ・ラマ十四世の通訳も務めているという仏人仏教徒で「フランスの哲学界・思想界で、仏教の代弁者として注目されているマチウ・リカール」もいたりして(笑)

 で仏人の人にとって仏教のポイントとは何か?となれば「生命の尊重、寛容、自由、実用性」「神の存在を絶対的前提とせず、教条主義的でないところ」が「高く評価されている」そな…仏人というとカトリックの国で、唯一絶対の神の世界に住んでいらっさると思っていたら、そーでもないのか?

 仏でも真摯に仏教に帰依なさってる人が少なからずいらっさるという事らすぃ…この変遷についての詳細も本書をドゾ。

 とまぁ、仏教について、ブータン(チベット)、仏(欧米)、日本と何か三都、もとい三国物語みたいな気がしないでもないけど、仏教という接点だけでこれだけ色々見れるというのはこれまた凄い話だなぁと…さすが2500年の歴史は伊達ではないという事か?それぞれに昔かり、そして今ありで、一概にどーのとは、うーん…ものが宗教、ことが宗教だけに一口でくくれるじゃなし、かなぁ(笑)高僧一つとっても、あちらとこちらじゃ、ねぇ(笑)きっと日本的お坊さんの側的には、これも一つの想定外なんだと思われ、今更責任の所在とか、心得とか、心がけとか言われてもねぇな世界だろーし、危機感はあったとしても大半は東電するに1ジンバブエドル賭けてもいいってか(笑)

 仏教という風呂敷はあまりに大きいって事でしょかねぇ?あれも仏教、これも仏教、多分仏教、きっと仏教なんですよ、奥さん(誰?)てな訳で詳細は本書をドゾ。著者のある意味仏教にかける情熱というか、意気込み、焦燥感がよく分かるってか?

 てな訳で、最後に本書で一番ハーヘーホーと思わされた一言を「仏教と西洋の出会いは、二十世紀のもっとも有意義な出来事である」(@アーノルド・J・トインビー)合掌。

 目次参照  目次 文化・芸術

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