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2014年8月12日 (火)

草原の祈り…

モンゴル仏教紀行  菅沼晃  春秋社

 いや、今回程、己の教養の無さを痛感した事はないよーな?基本、馬系の民の人達ってイスラム教とばかり思っていたので、実はモンゴルも仏教ではなくてイスラム教とばかり思ってました…それが、これは何とゆーか物凄い仏教国ではないか?と…目から鱗が百枚位落ちてもおかしくない位インパクトあったわぁー…しかも、この仏教がチベットとつながっているんですよ、奥さん(誰?)世界に密教系の仏教ってチベットの日本の二つしかないと言われて久しい今日この頃ですけど、その実モンゴルにもあったぁーって事でしょか?地理的に中国をはさんでの大三角形にならまいか?じゃね?世界に広げよう密教の輪ってか?

 で、これまたモンゴルって「モンゴル国」と「中国内モンゴル自治区」とあって、これまたモンゴルって…な世界だし…本書はその両方を訪ねる旅(調査)みたいですが、まぁともかく「モンゴルは、かつては正真の「仏教国」であった。しかし、歴史はこの地上に唯物論者たちを出現させた。そして、彼らの手によって、後述するモンゴル仏教文化圏の国々の仏教はすべて大々的な弾圧を受け、壊滅に近い状態にまで追いこまれた」とな…

 スターリン、毛沢東、紅衛兵を経て、今のモンゴル仏教、寺院の足跡を訪ねての旅ですかねぇ…ちなみにそれ以前にはモンゴル国内に9000の寺院があったというだけで、仏教的な規模が分かろうというものか?建物、経典、僧侶については…時は1911年の辛亥革命によってモンゴル独立から始まる訳で、その後の歴史の変遷を思うと…モンゴルぱねぇ、あまりにパネェ…

 アリス的にモンゴル…その内モンゴル相撲の謎とか出るのかなぁ(笑)

 それにしてもモンゴルって、外モンゴル、内モンゴル(中国)、ブリアート・モンゴル(露)と三つに分断されているとは知らなんだ…てっきり二つかと…ロシアにもあるんですねぇ…でもって、チベット仏教と同じでモンゴル仏教も活仏信仰なんですよ、おぞーさん(誰?)ちなみに「清朝末期には二四三人の転生活仏が誕生したといわれるほど、活仏信仰は盛んであった」そな…その後の露中による仏教弾圧・粛清についての詳細は本書をドゾ。

 これまたウランバートルですけど、もとは「初代のジェプツンダンパ・ホトクトに認定されたザナバザルの寺院を中心につくりあげられた宗教都市」だったとな…で、当時は「活仏とともに各地に移動できるゲル形式の寺院」だったそな…それが寺院・宮殿と建設していって一大仏教都市に、そして今破壊されて宗教活動をしているのはガンダン寺だけって…「ガンダン寺では毎月、陰暦の八、十五、二十九日、三十日に大勤行が行われる。日常的にも読経が行われており、若い僧たちもしっかり経典を読んでいる様子で、私の見たかぎりではこの寺の読経が最も正確、かつ厳粛であるように感じられた」そー…ちなみに「ガンダン寺の最高位のラマはハンボ・ラマとよばれ、チベット仏教の伝統ではダライ・ラマ、バンチェン・ラマに次ぐ高位の僧とされる」そな…そーだったのかぁ?

 ダヤン・ハーンとアルタン・ハーンの功績はモンゴル史を参照してくらはいということで、この「アルタン・ハーンが青海を支配するようになったとき、チベット仏教の改革者ツォンカパによる改革派(ゲルク派)の高僧ソナム・ギャムツォの名を聞いた。そこで、一五七七年には青海のチャプチャルに大寺を建立し、翌一五七八年にこの高僧を迎え入れた。このとき、アルタン・ハーンによってチベットの高僧ソナム・ギャムツォに諡られた称号が「ダライ・ラマ」である」って、これまたそーだったのかぁーっ?ダライ・ラマ誕生秘話なんですね、分かります(笑)ついでに付け加えるとダライ・ラマ四世は「歴代ダライ・ラマのうちで唯一人のモンゴル人であり、一六〇三年に十四歳ではじめてチベットのデプン寺に入った」お人だそーな…

 ちなみに寺院の閉鎖・焼討等の後、どうなっているのかというと、「倉庫に転用されたり、僧房は漢人の住居とされている。これは「転用」されたというより、漢人が勝手に住みついているのであろう」状態が主みたいです。彙集寺のとこでは「かろうじて残った建物は本当の意味の倉庫にされてガラクタがつめ込まれており、屋根にはペンペン草が生えていた。もちろん、この寺に住む僧は一人もなく、この寺には復興の気配すらない。外壁には「毛沢東同志万歳万万歳」というスローガンが大書きされていた」とか…善因寺では「一九四五年の戦火とその後の文革で破壊された。現在、わずかに残された建物には中国人が住みつき、山門と鐘楼の跡には、何と罰当たりなことに、彼らがここで用をたしている形跡があった」とな…また貝子廟の大廊では「半ば壊れた屋根と柱を残すだけの無惨な姿のまま放置され、かろうじて破壊をまぬがれた建物は住居や倉庫として現地の中国人に利用されていた」とか、広宗寺(南寺)の場合は、文革の嵐は同様にで「その後、数年のあいだには破壊されたままの状態で放置され、盗賊が焼け残った寺の汁器など盗んで行ったというが、一九七一年、政府機関の手によって半壊の堂宇もすべて撤去され、廃材は別の用途にもちられたといわれる」とか…中国人には仏罰という概念がないんだろぉか?とふと過ったりするんですが、でも中国各省の「著名寺院が華僑による大口の寄付金によって立派に復興している」とあるから、一応仏教徒なんですかねぇ?

 後、日本との関係というとこで日本の仏教聖典協会による「モンゴル語訳仏教経典」一万部を寄贈していたりするんですが、「町の本屋で10ドルの値段をつけて売られているのを目にした」になっていたりして(笑)も一つは、日本の(トヨタの)4WD…「一緒に走ったロシア製の4WD車とは段違いの性能を見せつけた」そな…ハハハ…

 また、これまた仏像盗難って日本だけじゃなかったんだなぁで「一九一三年にガンダン寺に観音菩薩像が建立されたが、一九三八年、旧ソヴィエト連邦によってソヴィエトに持ち去られたままになっていた」って…勿論返還は以前に、行方はの世界か?

 経典の方は焼討の被害を一番に浴びたと見えて「現在、内外モンゴルにおいて、完全なモンゴル語訳大蔵経は、内モンゴル自治区図書館、内モンゴル社会科学院図書館、モンゴル国立図書館(ウランバートル)」に、ガンジョール(経蔵)のみなら「内モンゴル大学図書館、北京の北京大学図書館、チベット文化管理委員会」にあるので全てらすぃ…

 例えば、五当召広覚寺では、「文革当時のことを知っている寺院関係者の話によると、当初、大勢の漢人がやって来て文物を略奪した」そで、後に紅衛兵も「何度もやって来てこの寺を襲った」で、また革命委員会の人々が侵入して経典・著作が持ち出されて焼却されたとな…取りあえず、現地の方は命懸けで堂宇だけは守ったそーだけど、それを「一九七三年、内モンゴル自治区政府は五当召・広覚寺を国の重要文物に指定したが、焼き捨てられた経典群は二度と戻っては来ない」って…さすが、中共、自分で壊して、自分で重文、おすてきすぐる(笑)ちなみに現在の五当召は「観光用寺院の性格が強い」そで「観光客はここで拝観料を支払わなければならない」そな…

 広宗寺では1869年に放火があって「ダライ・ラマ六世の遺体(肉身)、ガンジョール(経蔵)などが運び出され、とくに活仏の遺体は延福寺の医療殿に祀られた。広宗寺の伽藍の復興が終わったとき、広宗寺関係者は遺体を同寺に戻そうとしたが、左翼の役人たちはこれを認めなかったので、抗争の末、ようやくとりもどして南寺に霊塔を再建したという」とか、一事が万事のこの調子なんだろか?

 さて、全体的に紀行的なお話なのですが、調査的な真面目なソレでして、そして各地で著者洗礼を浴びてまする…例えば内モンゴル自治区図書館(フフモト)で「経典の一葉を手に取ってみていると、中国人の管理者らしい男が近づいて、いきなり私の手から経典を取り上げ、「日本人は見てはいけない」という」とあったりして「実は一九九七年の調査では、このようなことはしばしばあった」そな…「法禧寺でもちょっとしたトラブルがあった。同行の佐々木浩氏(モンゴル寺院建築研究家)が寺の許可を得たうえで寺内を撮影していたところ、見学中の二人連れの中国人学生(男性)が「我が国の文化財を盗もうとするのか」といって同氏のカメラをひったくり、フィルムを抜き取ろうとした」って、これって通りすがりの一般の学生ですよね…そんな学生にそんな権限がある国なんですか、中国サマは…他にも五当召でも写真撮影枚数の齟齬でトラブルに巻き込まれたり…

 ちなみに「一般にモンゴル人の寺院関係者は私たちの調査にきわめて好意的で、すすんで協力してくれる」とな…

 色々色々本当に色々出ていますので、詳細は本書をドゾ。重ねてドゾですが、個人的に一番おろろいたところはジクメド・ゲゲーン師(内蒙古仏教学校他)のお言葉が凄いなぁと…仏教に対する現実認識とかも凄いんですが、活仏信仰に対するソレは現場の人がそれを言いきっていいんですか?の世界かも?師も分かっているとみえてあくまで「自分一人の個人的な意見であるが」とことわっていらっさいますが、成程モンゴル仏教も岐路にあるという事なんですかねぇ…

 掲載されている寺院は、マンジュシュリー寺院(ポグド山近)、ガンダン寺(ウランバートル)、尼僧院(ウランバートル/モンゴル唯一の尼僧院)、エルデニ・ゾー寺院(カラコルム)、エレーボ・ヘチェー・ガンダン・シャドパラスム(シャンハ)、アマル・パヤスガラント寺院(ダルハン西)、大召(フフモト)、席力図召(フフモト)、五塔寺(フフモト)、烏素図召(フフモト西)、ラマドン・ジョー(フフモト西)、飛来寺(フフモト南)、慶縁寺、長寿寺、法禧寺、羅漢寺、ラマドン・ジョー(大青山山中)、彙集寺(ドロンノール)、善因寺(ドロンノール)、貝子廟(シリンホト)、シラムレン・ジョー(シラムレン)、百霊廟(パオトウ東北)、美岱召(パオトウ)、五当召広覚寺(パオトウ東北)、梅力更召(アガルタイ・スム)、福因寺(パヤンホト)、延福寺(バヤンホト)、広宗寺(サインシリグ)等々…

 目次参照  目次 国外  目次 文化・芸術

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