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2014年8月26日 (火)

放身捨命?

道元との対話  岩田慶治  講談社

 サブタイトルが、人類学者の立場からになっているんですが、どの辺りがそーか?というとどの辺りなんでしょ?何の本かというと、正法眼蔵への私的アプローチという事になるんだろーか?解説かもしれないし、エッセイかもしれないし、フィールドワークのご報告かもしれないし(笑)というのも、純粋に正法眼蔵の解説っぽいとこもあれば、何かアジア各地でのフィールドワークの説明も入ったりで、見た目には軸先が二つあるよーな?まぁ著者的にはどちらも同じ、マクロで見ろよの世界かもしれないが?

 てな訳で、実を言うとどゆ内容か、よく分からんというのが正直な感想かなぁ?己の頭が悪いのは重々承知してるんですが、最初から最後まで、なんじゃそりゃの世界でして、歯がまったく立ちません、安西先生助けてくらはいの世界か…

 ただ、何書いてあるかはちんぷんかんぷんなんですけど、不思議な程、最後まですらすらと読めたんですよ(笑)話は分かるけどなかなか読み進めない屈折率120%な、もの凄く時間かかる本もあるとしたら、その対極なのがこれじゃね?と私的には何も分からないけど何だか最後のページまでいつの間にか読めた本のNo.1かもしらん(笑)

 これも道元先生のお導き、なんだろか(笑)ありがたやぁ~

 アリス的に関係ありそーなのが著者の学生時代が京大って事で京都でござるの巻か?で、戦後直後だったよーで、下宿先がこれまたお寺みたいなんだが?その当時ってお寺で学生さんを受け入れていたのか?そんな訳で白川のバス停のシーンとかも出てきまする(笑)今でも今白川女、野菜売りの行商のおばさんいらっさるんですかねぇ?

 さて、道元の正法眼蔵なんですけど、うーん…知っている人は知っている…むつかしの極致じゃなかろーか?これを著者は多分人生の座右の書にしていらっさって、何かある度に、何もなくとも、引き合いに出さずにいられないという事らしー…ある意味何をしてもお釈迦様の手のひらの上にいるみたいなもので、著者が何をしても、何を見ても、何を思っても、正法眼蔵のお導き、道元の手のひらの上ってか(笑)

 例えば調査であちこち移動していらっさる著者ですが、これはリアルのそれだけでなく、「目に見えない台地を足に踏んで歩こうとしているのである。目に見えない大地、それが「正法眼蔵」なのかもしれない」とあったりしてでして…

 人生これ全て正法眼蔵なのか?これまた禅、座禅、仏教、宗教にいっちゃった系かと言えば、これまた「あたりまえのことであるが、宗教ができたから人間の宗教意識が目ざめたわけではない。宗教によってはじめて人間のこころが開かれたわけではない」と、のめりこんでいるわりに他者視線というか、つき離しがパネェってか…

 この辺りについても「いずれにしろ、「正法眼蔵」を読むときに一番大切なことは、私の執心をはなれて読むことである」と言い切っていらっさいますから…ある意味実にアジア的というより、仏教的なのか(笑)よーするに「自分の眼が自分の眼として、曇りなく世界を映すことができればそれでよいわけで、そのとき、ことさらに仏の眼である必要はない」となる模様…

 まぁ何にせよ正法眼蔵というのは、「よくもこれだけ難しく書けたと思うほどに難解で、どこに取りついても理解の手がかりさえ得られないような章、節を読むには、いったいどうしたらよいのだろうか」なんて、著者自身がおっさっている位でして、いやもー元々がとてつもなくむつかしなんですから、パンピーは理解する前に敗北宣言で、拝むしかありません…

 ちなみに正法眼蔵は「はなはだしくパッチワークふうの構成をしていて、いい方は悪いけれども、ぎくしゃくと読みづらいところ、意味のとりにくいところがあるということである」…准教授とアリスならいつもの理解理解と言ってくれるかな(笑)

 他に現代的な読み方と言っていいのか?言霊なんかの解釈のとこでマルセル・モースの贈与論が出てきたり、正法眼蔵を一枚の絵にしたらなんてとこでダリが出てきたりしまする「ダリふうの写実だろうか。しかし、ダリの絵では-時空についての五かいを出発点としているから-どっちに転んでも「教えを充たす」には足りない」となるそな…も一つ、生とは何かに参与することと道元はおっさっているらしーけど、参与とは「問うことである」とな…で「問う、自らに問う。それにたいして自ら答える。自問自答する。それが参与を深めることであった」って…デカルトじゃないけど我思う、我ありですか?と思ったら、我思う、で我は全世界と完全に一致の世界らしー…「世界の全肯定である。それがもっとも端的な知の世界であった」となる模様…疑うんじゃなくて信じろの世界っスかねぇ?

 結果的にどよ?的なとこではしょりにはしょって行く末は「道を志す心、宗教心をおこしたものは、先ず、何はさておいても、この世の常なるもの、確かなものはないという事実に身をもって直面しなければならぬ」という事でしょか?何か、コレ准教授のフィールドワークに繋がりそーな気がするのは気のせいか?

 いや、もー元が凄い上に、本書もパネェで、詳細は本書をドゾですね…己の教養じゃおっつきません…そして本書はあちこち至言の嵐でして、「われわれは「進歩した文化」のなかに暮らしていて、沈黙、「余白」に弱くなり、「間」のとり方を忘れてしまった」とか、「倫理が人間を動かしているのではなくて、透察が人間を導いているのである」とか、他にもいぱーいありますのでこれまた詳細は本書をドゾ。ドゾ。ドゾ。

 目次参照  目次 文系

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