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2014年9月18日 (木)

ある日、洞窟で…

イスラム教  M.S.ゴードン  青土社

 イスラム教というより、イスラム教史と言った方があってるんじゃまいか?で、何とゆーか中東史、イスラム圏史的な様相を呈しているよーな?

 さて、立ち位置的には「イスラムは、世界でもっとも広範囲に流布した宗教の一つである」て゜「信者数から言えば、キリスト教に次いで二番目に位置する」とな…でもってイスラム教徒内的には「ほとんどのイスラム教徒はスンニー派に属」しているそな…でもって「これ以外のイスラム教徒はすべて、シーア派である」になる模様…そーだったのかぁ?でもってでもってそのシーア派の「最大の分派は十二イマーム派と呼ばれるものである」になるそーな…それでもって「イラン人の大半がこの派に属する」事になるとな…イスラム教の中にも宗派色々という事なんだろか?うーむ…

 とはいえ、全ての始まりはムハンマド・イブン・アブト・アッラーからでして、ちなみに「西暦五七〇年ころ、アラブ人の一氏族ハーシム家に生を受けた」そーだけど、父親が誕生時頃に他界、母親も六歳頃に他界、その後育ててくれた祖父も八歳頃他界で、叔父のアブー・ターリブに引き取られると…という何とゆーか激動の幼少期を過ごしていらっさった模様…

 そして、転機は四十歳の時に、でしょか?「天使ガブリエルが人間の姿で彼のまえに現れたのである」とな…かくて宗教者、伝道者として後半生を過ごす事になると…

 アリス的にイスラム教…今のとこ接点があるとしたらモロッコ水晶位かなぁ?英都大的には、キリスト教というかプロテスタント系だし、京都的には寺社の街的要素多しだし…後はマレー鉄道かで「メッカの方位は「キブラ」と呼ばれる、コーランもイスラム教徒に礼拝の時にはメッカのカーバの方角に「顔を向けよ」と呼び掛けている」でしょか?大龍のホテルの部屋にもあったよね(笑)

 イスラム教的ソレで行くと、例えば「イスラムでは一週間のうちで金曜日が特別の祝日となっている」とな…しかも「イスラム諸国の多くでは、正午ごろには会社も商店も休業にして雇用者も被雇用者も金曜日の集団礼拝に参加するのが習わしとなっている」とな…ちなみに旅行者用のお店とかも「そこでも午後には店を閉め、家族や友人と過ごすイスラム教徒が多い」って事は、まずイスラム圏にいったら肝に銘じておかないと…下手すると食いっぱぐれる事になる可能性もあるって事じゃまいか?ってか?

 イスラム教徒的には食のタブーとして豚肉とお酒はよく聞く話だけど、「アルジェリアやモロッコやエジプトのように、国営のビール会社やワイン会社をもつ国もある」で、一応旅行者用だと思われですけど「バーやレストランではピールやワインが売られている」となる訳で…となると「敬虔なイスラム教徒や宗教家はすべてのアルコール飲料の販売および製造の中止を呼びかけている。ときおり、イスラム活動家にバーやホテルが襲われる」って…「彼等は酒瓶を粉砕しつくし、バーを全焼させることもある」って…そーいや昔どっかの国で禁酒法とかゆーのもあったよぉな…

 さて、本書のメインである歴史系というか、イスラム教のたどった道的なソレの詳細は本書をドゾ。これを一口で言うのはまず無理と思われ…どこの宗教も山あり谷ありはあるよなぁとゆー事で…

 さてさて、本書的にはイスラム教は世間的に誤解を受けている宗教じゃけんで、その一つが「イスラム世界は強い敵意、とりわけ西欧人に対する反発に満ちた粗暴な社会である」でしょか?「このイメージは、欧米の新聞、テレビ、ラジオなどのマスコミにしばしば現れる。過激派の暴力的な活動はとくに注目が払われる」とな…で、具体的な例として゛「一九七〇年代初めの石油危機、一九七二年のパレスチナ人急進派によるオリンピック選手および無垢の市民の殺害、イスラム教徒過激派による欧米人人質事件」があったとな…でも本書によると「問題はしばしば報道する側にある。このような事件を短絡的にイスラムに関連づけて、イスラム教徒はことごとく暴力的であるとか、さらにはイスラムの教えは暴力を唱導しているかのように仄めかす報道の仕方が問題なのである」だそーですよ、奥さん(誰?)

 しかも「イスラムあるいはイスラム教徒に対しても、欧米人の多くが抱く否定的なイメージには古くからの経緯がある」そで、十字軍の昔から「教会の指導者たちはイスラム教徒を野蛮で非文明的な人びとと描写した」とな…そして未だにずっとそのイメージは変わらずに続いているじゃねとゆー事らすぃ…ちなみに「のちにアメリカ人も加わり、イスラムとイスラム教徒のイメージをより肯定的なものに塗り替えようという試みもあるにはあったが、徒労に終わってしまった」って、そーだったのか?どこぞの元大統領もご存じなんだろか?

 政治的に正しい何とか?とか、宗教的に正しい何とか?はともかく、歴史的に、慣習的になそれを見ると、例えばムハンマドの頃のアラビア地域、遊牧民の場合、「遊牧民の多くは貧しく、家畜のほかには財産を呼べるものはほとんどなかった。だから、運べるものなら、他人のものでも奪い去ることがあった」って…略奪(ガズワ)の目的は「敵対する部族から動物や物資を、さらに、できたら女を奪うことにあった」って…「略奪は、部族にとってはその力の誇示を意味した。同時に、各個人には自己の勇気を示す機会であった」って…しかも「敵対する部族員の殺害は、略奪の意図に反していた。しかし、しばしば避けられないことでもあった」って…かくて復讐には復讐をの世界が展開していた模様で、それも「それを防ごうにも、できることはほとんどなかったのである」…まさに力の世界だったよな?

 命について考えるですけど、まぁムハンマド自身も暗殺者を避けてのメッカ脱出行もあったり…なかなかにハードボイルドな世界なよーに見えるのは気のせいか?

 ちなみにこの後メディナで布教活動していたムハンマドご一行様なんですが、当初はユダヤ教徒とも共存していらっさった模様…「イスラム教徒とユダヤ教徒は一緒にエルサレムに向かって礼拝していた」とな…だがしかし「六二四年に神からの啓示があって、信者たちをメッカに向かって礼拝させるようになった」とな、そーだったのかぁーっ?何かイスラム教というとメッカに向かって拝むイメージでいたら、最初の頃はエルサレムだったのか?で、これによって両者の「関係は悪化し、最後には暴力沙汰にまで至った」とな…かくてユダヤ教徒の人達はメディナを追放・処刑となった模様…何かユダヤ教徒の流浪感も昔から半端なかったんですねぇ…

 で半端ないでは「メッカからついて来た信者にどのように生活の術を与えるか」という問いに対してのムハンマドの答え…「もともと慣れ親しんだ仕事につかせることにした」とな…で、それが「略奪である」って…何か色々アレなんですけど、一番の疑問は略奪って仕事だったんだぁー…かくて「略奪はどれもこれもうまくいった。このように、イスラム共同体は必要を満たしたのである」だそーですよ、おぞーさん(誰?)

 さて、ムハンマドのメッカへの帰還ですけど、「一団の信者をしたがえてメッカに赴き、カーバで伝統的な儀式を行うと宣言した。しかし、彼らはメッカの手前で武装勢力に迎えられた」とな…ここで「ムハンマドが戦意はないと主張しても、メッカ軍は微動だにしなかった」とな…一旦、退却となる訳ですがこれに「メッカを攻撃しないという決定に落胆したイスラム教徒も多かった」って…いやもーパネェとしか言いよーがないよーな…でもって、この後「ムハンマドはその地域で敵を応援している部族の征服に努めた」になる訳ですよ、姐さん(誰?)「そして撃破するごとに、イスラムへの忠誠を誓わせていった。この積み重ねによって、ムハンマドはアラビア半島の掌握を揺るぎないものとした」そな…この時代、政教軍は一体なのが当たり前の世界だったという事でしょか?

 で、メッカ奪回すると…ここでもこれまた色々あるんですが、ここでムハンマドのした事の一つが「カーバにある偶像を破壊せよと命じた」だったりして…とにかくムハンマドで一つになったイスラムですが、彼の死去するとこれまた「離反する部族が少なくなかった」だそで…アブー・バクルがカリフに就き、「軍を送って、彼らをイスラム支配下に戻した」で再び「アラビア半島はすべてイスラムの傘下に入った」になるとな…

 この後、シーア派やウマイヤ朝とか出てきますので詳細は本書をドゾですけど、ウマイヤ朝下も一枚岩ではなかったよーで、「ほかにも王朝の支配に憤るイスラム教徒は多かった。彼らが漏らす共通の不平は、富と特権がウマイヤ家とその支持者に偏っていることであった」って…

 歴史的にヘーヘーヘーと思わされたのはカイロのとこ…「九六九年、このシーア派はエジプトを占領し、新しい首都を建設した。これがカイロである」って、そーだったのかぁーっ?ちなみに「この王朝はファーティマ朝と呼ばれ、二百年間エジプトを支配した。その間、アッバース朝の正当カリフの支配下にあるスンニー派の地域と絶えず紛争を繰り返した」って…

 さて、歴史の流れの詳細は本書をドゾですけど、イスラム的にはムガール、サファヴィー朝、オスマンの三帝国の崩壊が未来の不透明感を醸し出す事になっていった模様…かくてイスラム改革運動なんかも出てくる訳で…「一八世紀中ごろ北アラビアに起こったワッハーブ派」だそで、説教師の「イブン・アブト・アル・ワッハーブ」「ワッハーブ運動はイブン・サウードという名の族長の注目を引き、支持を得た。この部族の兵士によって強化された運動は、一八〇三年メッカを含むアラビア半島の大半を征服した」とな…でこれまたちなみに「十九世紀の初め、ワッハーブ派の国家はエジプトからの侵略で破壊された。およそ一世紀のあいだ、サウード家の一族は中央アラビアの一隅で暮らした。二〇世紀の初めにようやくアラビアを再征服した。これが現代の国家サウジアラビアの始まりである」とな…

 その他改革者達はというと、ウスマン・ダン・フォディオ(ナイジェリア/西アフリカ)とか、シャー・ワリー・ウッラー(印)とか出てきますので詳細はこれまた本書をドゾですが、彼らの「重要な信念」の一つが「イスラムの復興には信者が信仰のために「ジハード」つまり奮闘を行う必要がある。これは、イスラムの原理に則するようにイスラム教徒各自が行う個人的な戦いのことである。それはまた、必要とあれば、イスラムを護るための武闘も意味する」とな…かくて「改革とジハードの精神は一八世紀から一九世紀にかけてイスラム世界のすみずみに浸透していった」そな…ある意味、立て万国のイスラム教徒ってとこでしょか?うーん…

 その他改革者達は、ジャマール・アル・ディーン・アル・アフガーニー(イラン)、ムハンマド・アブドゥー(埃)、ラシード・リダー(埃)、サイイド・アフマド・ハーン(印)、ムハンマド・イクバール(印)とか出てくる訳で、またトルコ民主主義運動の指導者ムスタファ・ケマル・アタチュルクとか、ムスリム同盟を指導したムハンマド・アリー・ジンナー(印)とか、出てきまする。更にラシード・リダーの弟子のハサン・アル・バンナー(埃)とか、マウラーナー・マクドゥーディー(印)、アル・バンナーとかとか出てきます。こちらの詳細も本書をドゾ。

 政治的なとこで「イランのシャー、シリアのアサド、パキスタンのシャー・ウル・ハック、エジプトのサダトといった支配者はほとんど人びとの支持もないのにその地位にあった」になっていた模様…これらの政府に共通していたのが富の再分配の不平等でしょか?で、これらに対して「敬虔なイスラム教徒にはこのような社会問題の原因は明らかだった。それはイスラムの価値観をしきたりの衰退に由来するものであった」になる模様…

 「イスラム世界の外側の共通認識では、若い活動家の大半は下層階級の出身で教育もあまり受けていないはずである。事実は逆で、熱心な運動家の多くは中産階級の出身で、教育程度も高かった」とな…「増大する失業と物価の高騰に我慢できず、イスラム運動に参加した者もある。社会の世俗化とイスラム的生活の崩壊に辟易していた者も多い」となるそーで…そして時代は1970年代に入り、神学者のアーヤトゥラー・ホメイニーでイラン革命とな…

 駆け足ですがのイスラム世界の概観でしょか?今だとこれにアフガン問題とか、パレスチナ問題とかも絡んでくるのだろぉか?とにかく、興味のある方は本書をドゾ。それしか言えネェ…最後に本書的まとめは著者的にも末尾の文が一番そーなのかなぁで「イスラムは今後も多種多様の意見を包含した宗教そして文明であり続けるだろう、というのがもっとも妥当な将来像である」とな…

 目次参照  目次 文化・芸術

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