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2014年9月 5日 (金)

目利きと寛容と可能性?

中沢新一の宗教入門  中沢新一  マドラ出版

 世の中で一番簡単で難解なのが宗教問題ではなかろーか?迂闊に近寄ると火傷するよ、位じゃ済まないと思われでして…無宗教なら関係ないのか?と言えば、無、宗教、と言っている辺りでアレですし…まぁ本書の科学と宗教辺りのお話はそゆ事も念頭に入れてのお話だと思われかなぁ?20世紀は科学の世紀という事になり「60年代の前半までの、科学や技術を通じて人間の世界が拡大していく、進化していく、新しいものに作り変えられていくというアトム的な明るい未来感覚」で世界に広がったとな(笑)大きく大きく大きくなぁれの世界だった模様…

 これが60年代後半になると「人間の内面の世界、内面の空間をいかに拡大していくか」にシフトしたとな…科学万能の世界から科学批判の世界へ移行したとゆー事でしょか?ある意味、科学信仰という宗教の落日か?

 よーするに宗教なんて古いじゃーんと捨てたというか、別れたはずなんだけど、でも、今一度見つめなおしてみよーとゆー話かなぁ?ある種本書は宗教のリサイクルについてなんだろか?うーん…もしくは宗教のエコロジー?

 アリス的に宗教…ぱっと思いついたのがダリ繭の時の社長の葬式と、海奈良の赤星の実家でお寺が出てきた事位でしょか?うーん?後は准教授とアリスの母校、英都大がプロテスタントだという事でしょかねぇ…まぁ京都的には寺社がいぱーいなので、ある意味宗教都市とも言えなくもない気がしますが、如何なものか?

 さて、宗教の功罪はともかく、ここまで続いてきたのには理由があるで、良い事探しの一つとしては「人間が、いまある自分と違う自分、自分が生きてきたのはとは違う世界が、自分の中に可能性として秘められてあるんだ、人間はもっと大きな生き物、大きな意識を持った生き物に自分を作り変えていくことができるし、そういう自分を知ることができる-そういう確信を持って探究していこうという精神なんだと思います」かなぁ?何とゆーか、ダイヤモンドに目が眩み、もとい可能性に目が眩みですかねぇ(笑)誰しも自分を過大評価というか、肯定してい生きていくものですから(笑)まさに君なら出来るってか(笑)

 さてさて、本書はキリスト教と仏教がそれぞれ一章づつあって、どや?の世界が展開していますが、著者によるとキリスト教は不安定な宗教という立ち位置らしー…「キリスト教の面白いところは、異端がたくさん出たことです。キリスト教の歴史とは異端者を弾圧する歴史でもありました」とな…

 キリストが神なのか?人なのか?だけで議論百出してしまうという神学論大変っすねぇの世界か?実際、正統派とは何ぞや?ではないけれどニケアの宗教会議で新約聖書の福音書の選出としかしている訳だし…キリスト教初期の福音書って他にもいぱーいあったのですねぇ…とにかくこれが正しいキリスト教としてまとめて出発したとゆー事なんでしょか?正統派から見ればそこからずれれば皆異端という…何かもーこの頃から、正義とは何か?の世界じゃね?と思うのは気のせいか?

 でもって、仏教はどーよ?と言うと、「あんまりおせっかいじゃないし、なんとなく元気がないように見えるし、歴史的なダイナミズムということから見ても、あんまりダイナミックなところはないんです」って…よーは地味ーちゃんだという事でしょか(笑)同じものを見ても表現が違うとイエスの復活の見方も、「わたしはよみがえりであり、永遠の命である」(@イエス)だそーでよーは「肉体は死んでも生き残る永遠の命がある」という事らしーんですが、これを仏教的に解釈すると「どんな生き物も、有機体でできた生命システムが死んでも生き残るものがある、持続するものがある、それどころか、生きているときもそれは生命の中で働いている」という、何とゆーか長ったらしー、「哲学的に深い表現」になる模様…だいたい「深い内容を持った表現というのは、往々にして人気を博さないものです」って…今なら一言で済むか?うざい、って切り捨て御免ってか(笑)

 世の中、もんきり調のインパクト勝負、分かり易いのが一番、まどろっこしい事なんてそんなの関係ねぇー(死語?)なんですよねぇ…著者によると仏教というのは「なんていうか電通っぽくない(笑)」ウケが悪い訳ですよ…まぁ一人一人悟りましょうの世界ですからねぇ…西と東では時間感覚の概念が違うんでしょか?そゆ点では仏教っていつも考え中なのかも?かくて、他者から見るとハッキリしろよの世界に見えるのか?

 さてさてさて、宗教の悪かった探しでいくと「宗教というものは、人間の寛容性をなくしてしまう傾向があります。だから、ぶつかると大ゲンカをはじめます」というのは、思い当たる節が多すぎるってか…ものの見方って、何だかなぁ…

 本来は人と人を対立させるものではなくて、本書的に言うなら「人間が生きている世界よりも、より拡大された、次元の高い世界が存在するということを、いろんな形で体験して理解するという面」と「その体験をどう知的に表現していくかという面」であるはずなんですけどねぇ…よーはおっきいなぁおおものよっの世界か、電通っぽく表現すると(笑)

 可能性の末広がりを期待できるアイテムだったのかなぁと?道具というより考え方か?うーん、相変わらず宗教はむつかしの世界ですが、人がある限り宗教もなくならないとゆー事で、どんなもんかぁ?と思いつつ進む道なんでしょねぇ?取りあえずヘタレなんで、原理主義じゃないとこから宜しくなんですけど…甘いか…

 最後に本書で一番ハーヘーホーと思わされたとこは「鉄腕アトムは、ウラニウムの原子炉を胸に納めて空を飛んでいるんですから。飛んでるだけじゃなくて、いろんな敵とも闘う。だから、ヘタすると原子炉が損傷して、放射能が流れ出す事態だってありえたはずで、毎回あのかわいいロボット自体は、けっこう危険なことをやっていたわけです」とな…この本ちょい古なんですけど、何か今を見通した発言に思えるのは気のせいか?

 他にも色々エビたくさんですので、詳細は本書をドゾ。ええ、ドゾドゾ。

 目次参照  目次 文系

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