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2014年9月10日 (水)

フォースの力じゃ…

神は妄想である  リチャード・ドーキンス  早川書房

 サブタイトルが、宗教との決別なんですが、うーん…何とゆーか、欧米、本書的にいくと舞台の殆どは英米って感じですが、宗教的にいっちゃってる感じなのかなぁ?と…まぁキリスト教一般のソレがベースにある訳で、端的に言うと向こうの人達の宗教観半端ねぇの世界か?そして、宗教と距離をおこうとするだけで相当に軋轢があるよーで、グレーゾーン認めませんの世界がこれまた展開している模様か?こー言ったらアレだけど、妄信者か、断固拒否の二択しかないよーな?だから、本書のよーに真っ向勝負でいく事になるのだろーか?と、何事も旗色をハッキリしろ?と迫る文化の人達だもの?ってか?こー言ったら何だけど、正義と宗教しかない国に住んでいらっさるのだろーか?と逆に不思議に思うんだが?

 かくて、著者は無神論者の看板引っさげてというより、頭上に高々と掲げているもんね、文句があるなら来るなら来いの世界で、この啖呵のきり方、いっそ天晴じゃね?でしょか(笑)ここまで突っ走ると著者の安否が心配になりますが、淡々とした主張とはいえ信じる信じないの世界ですからねぇ…この信じるという人間の業は、特に宗教とか、結婚の場合、冷静に聞いてくれる人の方が稀なよな(笑)今だとそれに正義もついてきますが、何か?の世界だし(笑)

 ちなみに本書、ハードカバー的にそんな厚みがあるよーに見えないのですが、字のポイントからしてもしかして小さかったか?と(笑)いや、マジで読みであります(笑)論証というより、反証じゃまいか?だけど、こんな事あったけど、それってどーなの?と証拠を一つ一つ提示しているとこがまた…まぁともかく、一読してオーバーフローな時は目次に逃げようのいつものパターンで、はじめに、第一章 すこぶる宗教的な不信心者、相応の敬意、不相応な敬意、第二章 神がいるという仮説、多神教、一神教、世俗主義・建国の父たち・アメリカの宗教、不可知論の貧しさ、NOMA、祈りの大実験、ネヴィル・チェンパレン学派の進化論者たち、リトル・グリーン・メン、第三章 神の存在を支持する論証、トマス・アクィナスの「証明」、存在論的論証およびその他の先験的論証、美を根拠にした論証、個人的な「体験」をもとにした論証、聖書にもとづく論証、崇敬される宗教的科学者をもちだしての論証、パスカルの賭け、ベイズ流の論証、第四章 ほとんど確実に神が存在しない理由、究極のボーイング747、意識を高める道具としての自然淘汰、還元不能な複雑さ、隙間の崇拝、人間原理-惑星版、人間原理-宇宙版、ケンブリッジでの幕間劇、第五章 宗教の起源、ダーウィン主義の命ずるところ、宗教の直接的な利点、群淘汰、何かの副産物としての宗教、宗教への心理学的な準備が整う、そっと踏んで、あなたはミームを踏んでいるのだから、カーゴカルト(積荷信仰)、第六章 道徳の根源-なぜ私たちは善良なのか?、私たちの道徳感覚はダーウィン主義的な起源をもつか?、道徳の根源についてのケーススタディ、神がいなければ、どうして善人でいられるのか?、第七章 「よい」聖書と移り変わる「道徳に関する時代精神」、「旧約聖書」、「新約聖書」は少しでもましなのか?、汝の隣人を愛せよ、道徳に関する時代精神、ヒトラーとスターリンについてはどうなのか?彼らは無神論者ではなかったのか?、第八章 宗教のどこが悪いのか?なぜそんなに敵愾心を燃やすのか?、原理主義と科学の破壊、絶対主義の負の側面、信仰と同性愛、信仰と人間の命の尊厳、ベートーヴェンと中絶にまつわる大嘘、「穏健な」宗教がいかにして狂信を育むか、第九章 子供の虐待と、宗教からの逃走、肉体的・精神的な虐待、子供を守る、ある教育スキャンダル、ふたたび、意識の高揚を、文学的教養の一部としての宗教教育、第十章 大いに必要とされる断絶?、ビンカー、慰め、インスピレーション(霊感)、巨大なブルカ、のラインナップ…いやもー先生絶好調でございます(笑)

 アリス的に宗教…うーん、二人の母校英都大がそもそもプロテスタント系の学校だしなぁ(笑)でも、アリスはともかく、准教授は多分本書の著者以上の無神論者だろーしなぁ(笑)となると、ある意味本書は准教授的には今更感あるのだろーか?まぁ他にと思ったんだけど、アリスを始め登場人物達皆バリバリの日本人が多いからなぁ(笑)日本人の宗教観って、原理主義から一番遠いところにいるよーな(笑)信じる者は救われると言っても、困った時の神頼み程度が一番層として多そーと思うのは気のせいか(笑)

 まぁともかく、本書は本当に一読してくらはいとしか言いよーが無いよーな…この問題にがっぶりよつで挑んでいる著者には脱帽しかないかと…何せ「この時点で、アメリカの読者に対してとくに一言述べておく必要がある。なぜなら、現在のアメリカ人の信心深さは、本当に目を見張るものだからである。弁護士のウェンディ・カミナーはかつて、宗教をからかうのは、米国在郷軍人会館のなかで国旗を燃やすのと同じほど危険であると述べたが、この言葉は現実をほんのわずかに誇張しているにすぎない」と前書きにあったりして、まず身の安全からして、どーよの世界に突入しているんですね、ある意味…

 で、日本人的には無神論者って別にどーって事のない言葉なんですが、「アメリカ人に対して、その他の点では十分な資格をもつ次のような人物に投票するかどうかが質問された(1999/ギャラップ調査)」の場合「女性(95%は投票する)、ローマ・カトリック教徒(94%)、ユダヤ人(92%)、黒人(92%)、モルモン教徒(79%)、同性愛者(79%)、無神論者(49%)という結果だった」って…さすが米と言うべき?ただし「無神論者の数は、多くの人が気づいているよりも、もっとはるかに多く、とくに高い教育を受けたエリートのあいだに多い」とな…

 「米国科学アカデミーの会員に選出されるほどにすぐれているとみなされているアメリカの科学者のうちで、人格神を信じているのはわずかに約七%でしかないことを示していた。この無神論者の圧倒的な優勢は、九〇%以上の人が何らかの超自然的存在を信じているという、アメリカの人口全体の統計データとはほとんどまるで正反対である」とあるそーで、「アメリカの科学者はアメリカの大衆全般よりも宗教的でなく、もっとも傑出した科学者は総じてもっとも宗教心が薄い」となで…米、間の普通(?)の科学者はともかく、知的エリートと大衆の間は深くて暗い川がある位の溝では済まないんじゃまいか?米の格差って貧富の差もアレだが、教養・知性の格差はもっと半端ネェの世界だったのか…

 聖書を「文字通りに受け取っている」人は「米国の有権者のおよそ五〇%がこれに含まれる」(ギャラップ調査)だそーで…自然災害も「人間の品行不良の報いとみなすように仕向けてきたのである」ノアの方舟的な世界観らすぃ…「聖書が丸ごとすべて文字通りの事実だと受けとっており、しかもそういう人物が私たちに対して、とくに米国およびイスラム世界において、非常に大きな政治権力をふるっていることである」って…政教分離じゃまいか?なのか?

 有名著名人達はどーだったのだろー?で一番、アインシュタインいきまーすで「私が信じるのば、存在するものの整然たる調和のなかに自らを現している神であり、人間の運命や所業に関心をもつ神ではない」とな…それとも「…もし<神>という言葉によって、宇宙を支配する一連の物理法則を意味するのであれば、そのような神は明らかに存在する。この神は情緒的な満足を与えてくれるものではない。…重力の法則に祈ってもあまり意味がない」(@カール・セーガン)って…「(宗教的な科学者な知り合いは)事実上ゼロだね。たまに出会うことはあるが、ちょっと困るね(笑)なぜって、ご存じのように、私はお告げで真理を受け入れるような人間は信用しないからね」(@ジム・ワトソン)で「われわれが何かのために存在するとは思わないよ。われわれは進化の産物にすぎない」(@同上)とな…

 何か科学者留まるところを知らずの勢いですけど、「宗教は人間の尊厳に対する侮辱である。宗教があってもなくても、善いことをする善人はいるし、悪いことをする悪人もいるだろう。しかし、善人が悪事をなすには宗教が必要である」(@スティーヴン・ワインバーグ)となるし、「人間は、宗教的な確信をもっておこなっているとき以上に、完璧かつ快活に悪をなすことはない」(@ブレーズ・パスカル)に至っては暗示的なと言っていいのか…

 辛口一献でいくなら「信仰者のほうが懐疑論者よりも幸福であるという事実は、酔っぱらいのほうが素面の人間よりも幸せだという以上の意味はない」(@ジョージ・バーナード・ショー)じゃまいか?それとも「神と国は無敵のチームだ。抑圧と虐殺のあらゆる記録が、彼らによって破られる」(@ルイス・ブニュエル)だろか…

 それとも「宗教は大衆を静かにさせておくのにはすばらしい代物だ」(@ナポレオン)か、「宗教は大衆からは真実と、賢者からは偽りと、そして支配者からは便利なものとみなされる」(@小セネカ)となるのだろぉか?

 「ジェファーソンは、そのカルヴァン主義批判において、彼の言うところの「三つの神が存在する」という教義に冷笑を浴びせかけた」とな…ジェファーソン的にはも一つ「父たる至高の存在によって処女の子宮で生みだされたというイエスの謎に満ちた誕生が、ミネルヴァがユピテルの脳のなかでつくられたというのと同じ寓話として分類される日が、いつかやってくるだろう」って…もー冷笑通り越しているよーな…

 米の政治家としてはバリー・ゴールドウォーターの発言は「もしあなたが、特定の道徳的な問題について、こうした宗教グループと意見が一致しなければ、彼らは文句を言い、金か票か、あるいはその両方を失うぞと言ってあなたを脅す。率直なところ、国中から政治的伝道師がやってきては私に向かって、もし一人の市民として道徳的な人間でありたいのなら、あなたはA、B、C、Dを信じなければならないと言うのには、うんざりし、疲れ果ててしまいます。彼らはいったい自分が何様だと思っているのでしょうか?人に道徳的信念をを押し付ける権利を自分がもっていると、どういう根拠から思いこんでいるのか?そして私は、議会におけるあらゆる点呼投票ごとに、私の投票を支配する、神から与えられた権利をもつと思っているあらゆる宗教グループの脅しに耐えなければならないことに、一人の国会議員として腹を立ててさえいます。私は今日、彼らに警告したい。保守主義の名において、もし彼らが、すべてのアメリカ人に道徳的信念を指示しようとするならば、私はあらゆる段階でたちふさがって闘うつもりである、と」な…何か大国の論理と似ている気がするのは気のせい?上から目線争奪戦のよーな気がするのは気のせい?

 更に「キリスト教はこれまで人類に投げかけられたもっとも倒錯した体系である」(@ジェファーソン)とかもあるし…聖職権主義に対して「多かれ少なかれ、聖職者の傲慢と怠惰、信者の無知と隷属、そして両者における迷信、偏見、迫害をもたらした」(@ジェームズ・マディソン)、「灯台のほうが教会よりも役に立つ」(@ベンジャミン・フランクリン)、極め付けは「もし宗教さえなければ、この世界は、およそ考えられるあらゆる世界のなかで最善のものであっただろう」(@ジョン・アダムズ)じゃまいか…建国の父達の筆舌とまる気配なしか?他にもたくさんあるので詳細は本書をドゾですが、これが後の大統領となると「私は無神論者を市民として認めるべきだとは思わないし、彼らを愛国者とみなすべきでもない。わが国は神のもとにある一つの国家なのだ」(@ジョージ・ブッシュ父)となる訳ですね、分かります(笑)

 宗教と社会の関係においてで「戦時において、良心的徴兵忌避者という身分を獲得するためのもっとも安直な理由が宗教である。たとえあなたが戦争の悪について論じた賞をもらうほどの博士論文をものにした優秀な論理学者であったとしても、良心的徴兵忌避者になりたいというあなたの主張は、それを評定する徴兵委員会で手ひどい扱いを受けることになる。しかし、もしあなたの両親のどちらか一人でもクエーカー教徒であるということさえ示せれば、あなたが良心的戦争忌避にかかわる理論、あるいは実際にはクエーカー教そのものについてさえ、どれほど歯切れ悪く無知でも、何の苦もなくまかり通る」って、そーなんですかぁー?

 また逆に、「闘う党派間に宗教的な名前を使うの婉曲的に避けようとする態度がある」とな…例えば「北アイルランドでは、カトリック教徒とプロテスタントはそれぞれ「ナショナリスト」と「ロイヤリスト」」となり「「宗教」という言葉そのものが「共同体」に改竄され」て「共同体間戦争」に、「イラクは2003年の米英軍の侵攻の結果として、スンニ(スンナ)派とシーア派というイスラム教徒の宗派間の内戦状態に陥ってしまった。明らかに宗教戦争である」はずなのに、メディアでは「民族浄化」と「表現していた」とな、しかし「私たちがいまイラクで見ているものは、実は宗教的浄化なのだ」って…更に旧ユーゴにおける「民族浄化」も「ギリシア正教のセルビア人、カトリックのクロアチア人、イスラム教のボスニア人がかかわる宗教的浄化」だとな…花はどこに行ったではなくて宗教はどこに行った、というより宗教がど真ん中なのか?

 成程、宗教は理由に使えるが、表だったりはしないと…これを著者は「宗教が特権的な扱いをされている」とな…

 さすが米な事例が幾つか出てくるのですが例えば2004年のオハイオ州の12歳の少年が「同性愛は罪だ。イスラム教徒は嘘つきだ。中絶は殺人だ。良いか悪いか単純明快な問題があるのだ!」と書いたTシャツを学校に着て行く、着て行かないで裁判となったそーで…ちなみに言論の自由ではなく、「信教の自由という憲法上の権利に訴えた」とな…「「あなたは「オレが同性愛者を侮辱するのをもし止めさせようとするなら、それはオレの信教の自由を侵害することになるぞ」と言うだけで、罪を免れることができる」「しかし、「それは私の偏見の自由を侵害する」と言うだけでは、罪を免れることができない」かくて「宗教は万能の切り札なのだ」って…法的にどよ?というのでは、法学部卒のアリスさんに聞いてみよー?ってか?米では言論の自由より信教の自由の方が上と見ていいんだろーか?うーむ?

 で、イスラム教の方はどよ?というと詳細は本書をドゾですが、一例としてアンドリュー・ミューラー(ジャーナリスト)の記事でしょか?「イスラム教徒の価値観は他のいかなるものに勝る-これは、イスラム教徒の誰もが実際に思っていることで、他のどの宗教の信者も自分たちの宗教が唯一の道であり、真理であり、光であると信じているのと同じことだ。もし人々が自分の家族よりも七世紀に教えを説いた人間を愛したいのであれば、それは彼らの勝手だが、他の誰もそれを本気で受けとるように強制されることははない…」はずなのに、現実は「こういう価値観を本気で受けとめ、しかるべき敬意を払わない限りあなたは、中世以降、他のいかなる宗教もふるわなかったほどの、肉体的な脅威にさらされることになる。誰しも、なぜそのような暴力が必要なのかと訝かざるをえない」と言うのがイスラム圏以外の人の率直な感想だろぉなぁ…

 著者が言いたいのは「宗教に対しては敬意を払うべしという比類なき前提があるという事実を鑑みてのことである。私は要らぬ侮辱をするつもりはないが、宗教を扱うのに、ほかの事柄よりも手控えた扱いをして甘やかすつもりもない」って、言い切れる著者パネェ…どこぞの電力会社に対するどごぞのマスゴミ、御用記者とは違うんですね(笑)これも一つの公正、公平、客観って奴かしら…

 なのでキリスト教についての突っ込みが凄い(笑)「「旧約聖書」の神は、おそらくまちがいなく、あらゆるフィクションのなかでもっとも不愉快な登場人物である」と言っちゃうし「嫉妬深くて、そのことを自慢している。けちくさく、不当で、容赦のない支配魔。執念深く、血に飢え、民族浄化をおこなった人間。女嫌い、ホモ嫌い、人種差別主義者、幼児殺し、大虐殺者、実子殺し、悪疫を引き起こし、誇大妄想で、サドマゾ趣味で、気まぐれな悪さをするいじめっ子だ」ってこれまた言い切っていいんですか?

 しかも「現在でも人々が、ヤハウェのような怖ろしい役割モデルを生き方の基盤にしているということであり、こちらはもっと始末におえないことだが、彼らが同じ邪悪な怪物(事実であれフィクションであれ)を、残りの私たちにも居丈高に押し付けようとするにちがいないことである」って…ホンマでっかぁー?ちなみにイエスの言動もどよ?で「もし、だれかが私のもとに来るとしても、父、母、妻、子供、兄弟、姉妹を、さらに自分の命であろうとも、これを憎まないのなら、私の弟子ではありえない」って…家族の解体じゃないと信じたい…十字架以下懲罰理論についての詳細も本書をドゾ。原罪しかり、信者の想定枠内しかり… 

 それはそれとして「世の中には、聖書が一から十まで本当だと思っている学識のないキリスト教徒がいっぱいいる-彼らは聖書を、実際に歴史の史実で正確な記録であり、したがって彼らの宗教的信念を支持する証拠であると、まったく真剣に受けとめている」もいらっさる訳で…ちなみ著者はここで一言「もしイエスが処女から生まれたのであれば、ヨセフの先祖などどうでもよく、イエスのために、救世主はダビデの子孫であるにちがいないという「旧約聖書」の預言はかなえたくとも何の役にも立たない」って、これまた一刀両断、突っ込まずにはいられないってか…そゆ意味ではイエスって女系、母系という事になるんだろか?うーむ…

 ちなみに「一九世紀的」という表現は「嘲り」だった模様…根底にそゆものが含有されているという事か?「「あなたはあまりにも野蛮で粗野にすぎる。私に向かって直接に、「奇跡を信じますか?」とか「イエスが処女から生まれたと信じているのですか?」といった単刀直入な質問をするなんて、どうしてそんな無神経で不作法なことができるのか。上流社会では、そんな質問をしないということを、あなたは知らないのか?そうした類の質問は一九世紀で終わったのだ」とゆーよーに用いるらしー…だがまって欲すぃ「今日において信仰をもち人々にそのような直接的で、事実にもとづく質問をすることがなぜ不作法なのか考えてみてほしい。それが困惑させられる質問だからである!しかし、本当に困惑させられるのは、もし答えが「はい」だったら、その答えのほうだろう」って…これがドシリアスな場面だけに何だかなぁ…

 聖書的にとこに戻って、よーするとどーよ?というと「聖書は、内集団特有の道徳意識の青写真であり、外集団の虐殺と奴隷化、および世界支配のための指示といった必須要素が完備されたものだ。しかし聖書は、そういった目的をもっているから、あるいは殺人・虐待・強姦を賛美することまでしているから邪悪なのではない」と他の古典も似たりよったりじゃね?とな、だがしかし「「イーリアス」を道徳の手本として売りこんでいる人間は誰もいない。そこに問題がある。聖書は、人々がどう生きるべきかの手引きとして売り買いされている。そしてそれは、世界でつねに群を抜いたベストセラーなのである」(@ジョン・ハートゥング)とゆー事は世界最大のハウツー本という事なのか?うーむ…

 それにしても英にはチャリティ法というのがあったそーで「多神教に非課税待遇を与えないことで差別する一方で、一神教の普及を目的とするチャリティは簡単に許し、世俗的なチャリティに当然要求されてしかるべき厳格な審査を省略していた」とな…そーだったのか?英?とはいえ、「立憲君主を首長にいただく国教会をもつ英国がもっとも宗教的でない国の一つ」なんだそーな…英の宗教観もクリスタルな多面体の輝きってか?

 英的だなぁというのでフランシス・ゴルドン(人類学者)の場合「祈りが人間にとって有効かどうかを初めて科学的に分析した」とな…「英国中の教会においてすべての会衆が、王家の健康を公に祈ることに着目した」結果、より多く祈られているんだから王家の人はより健康で長生きだと思うやんかぁー?でも「統計的な差はないことが判明した」って、他にもお祈りを捧げた土地の植物が成長するのかもテストしていらっさる模様…英「諷刺」パネェ…どこまでも真面目にやるとこがパネェ…この当時でさえ「諷刺」だと分かっていた事を、現代で「病人のために祈ることがその健康を改善するという命題を実験的にテストしようとする発案」(ラッセル・スタナード/物理学者)をやったらしーから…英ェ…

 そして、そんな宗教生活じゃないけど、「英国の子供を研究している社会学者たちの研究結果からは、両親の宗教的信念から離脱できるのは一二人に一人しかいないことがわかっている」って…宗教それ自体が十字架って洒落にならないよーな…その他、英の「ブレア政権のご自慢のイニシアチブで設立された「シティー・アカデミー」の一つ「エマニュエル校」の件の詳細は本書をドゾ。

 それにしても、今日こんなに宗教的なというか、宗教が幅をきかせている米ですけど、建国当時は違ってたとは知らなんだ…例えばトリポリ条約(1796-7)の場合「アメリカ合衆国の政府はいかなる意味でもキリスト教の上に築かれたものではなく、それ自体として、イスラム教徒の法律、宗教あるいは平穏に敵対するいかなる性質ももっておらず、わが合衆国はこれまで、いかなるイスラム国家に対しても戦争ないし敵対行動に突入したこともないがゆえに、宗教的意見のちがいから生じるいかなる口実によっても、両国のあいだに現存する調和の途絶を生むことはないと、両当事者によって宣言される」って書かれているそーな…ちなみ起草はジョージ・ワシントン、署名はジョン・アダムズによってなされているとな…

 いやまぁこれ「この引用文の冒頭の言葉は、現在のワシントンの支配層に大騒ぎを引き起こすことだろう」位で済むのだろぉか?それにしても建国の父達パネェ…何とゆーかスーパーリアリストだったのか?建国当時は「世俗主義」だったのに、それが今では「キリスト教圏におけるもっとも宗教的な国家」って…歴史ってパネェ…

 米パネェ伝説では「米国における党派関係は、宗教性の完璧な指標ではないが、「赤い(共和党の)州」はもっぱら保守的なキリスト教徒が圧倒的な政治的影響力をもっているおかげて赤いのである」そな、ちなみに「暴力犯罪の発生率がもっとも低い二五の州のうち、六二%は「青い」(民主党の)州にあり、三八%が「赤い」(共和党の)州にある。もっとも危険な二五の都市のうち、七六%は赤い州にあり、二四%は青い州にある。実際に、米国でもっとも危険な五つの都市のうち三つは敬虔なテキサス州にある。押し込み強盗のもっとも高い発生率をもつ一二の州はどれも赤である。窃盗の発生率がもっとも高い二九州のうちに四州が赤である。もっとも高い殺人の発生率をもつ二二州のうちで一七州が赤である」(「キリスト教国への手紙/サム・ハリス)って、そーだったのかぁーっ?准教授?米の犯罪分布図パネェ…超パネェ…

 更に米の実情の一つとして著者の米での同僚の手紙曰く「ヨーロッパ人は、実際に旧約聖書の法-同性愛者は死罪など-の復権を唱え、被選挙権、あるいは選挙権すらキリスト教徒のみに限定すべしと主張する神様狂いの巡回ショーが存在することを知る必要がある。中産階級の大衆は、このレトリックに喝采する。世俗主義者がよくよく注意していないと、統治主義派と再建主義派がやがて、アメリカにおける神権政治の本当の主流派になってしまうだろう」って、これもー警告文じゃね?米ェ…

 そして今、「ヨークシャーの切り裂き魔、ビーター・サトクリフは、女性を殺すように告げるイエスの声をはっきり聞き、彼は終身獄に囚われることになった。ジョージ・W・ブッシュは神にイラクに進攻するように告げられたと言っている」になると…まぁ米的に更に付け加えるなら「私はこれがご婦人方には辛い話であるのはわかっているが、あなたが結婚すれば、男、つまりあなたの夫の主導権を受け入れたことになる。キリストは家長であり、夫は妻の長なのだ。世の中はそういうことになっている。以上」(@パット・ロバートソン)もありますよっての世界か…

 その他の国についても幾つかエピがあって、加のエピもパネェ…1966年10月17日のモントリオール警察のストライキの時の出来事…「午前一一時二〇分には最初の銀行に強盗が入った。正午までにダウンタウンのほとんどの商店は略奪を受けて店を閉めた。それから二、三時間のうちに、タクシー運転手たちは空港からの客をめぐって競合していたリムジン・サーヴィスのガレージに放火し、車の屋根にのぼった男が銃で現地の警察官一人を射殺し、暴徒がいくつものホテルやレストランを破壊し、一人の医師は郊外の自宅で押し込み強盗を射殺した。その日の終わりには、六つの銀行に強盗が入り、一〇〇ほどの商店が略奪され、一二件の放火があり、貨車四〇両分ぶんの商店のフロントガラスが割られ、市当局が軍隊、ならびにもちろん騎馬警官も召集して秩序を回復するまでに、三〇〇万ドルの損害を受けた」(「人間の本性を考える-心は「空白の石版」か」/スティーヴン・ビンカー)って本当にあった出来事なんですか?加人パネェ…加って穏やかぁな国かと思っていたら、米と大差ないって事なんでしょか?しかもこれ現代じゃなくて1960年代、「誇るべき平和なカナダ」での出来事なんですよ…

 アフガンにおけるイスラム教徒がキリスト教徒に改宗した場合、「背教に対する罰が死であることが、いまだに「解放された」アフガニスタンの憲法の一条項なのである」とは…ちなみに「英国の指導的な「穏健派」イスラム教徒として触れたサー・イクバル・サクラニーとテレビ番組で出会ったことがある。私は彼に、背教の罰としての死刑について異議を申し立てた。彼はもじもじしてうろたえたが、私の非難を打ち消すことも、批判を返すこともできなかった。それどころか、それは重要でない些事だと言って、話題を変えようとしつづけた。これが、よき「信仰間の関係」を推進した功績で英国政府からナイト爵位を与えられた人物なのである」…

 伊のカトリックの洗礼って「カトリック教会は、どんな人間がとんな人間に洗礼をほどこすことも許していた(そして今も許している)。洗礼をほどこすのは司祭でなくてもいいのである。その子供も両親も、ほかの誰も洗礼に同意する必要がない。何一つ署名されることもない。何一つとして正式に目撃される必要がない」って、ホンマでっかぁー?どゆ事かというと異教徒の下にカトリックの乳母がついた場合、乳幼児に対して秘密裡にしかも簡単に洗礼がほどこせるという事である…その結果、その子供が「宗教裁判所の命令を受けたヴァチカン警察に逮捕され」両親から引き離され「洗礼志願者館につれていかれ、それ以後はローマ・カトリック信者として育てられた」って「こうした聖職者による誘拐」が是認されているカトリックばねぇ…異教徒の下にローマ・カトリック信者(この場合その実子)をおいておく選択はないそーで…しかもこれが珍しくない行動というのが…「教皇以下のカトリックの信者たちは、自分たちのの行ないが正しいと心底から信じていたということである。道徳的に絶対に正しく、子供の幸福にとっても正しい」って、これは伊版、正義とは何か?なのか?

 インテリジェント・デザインの件についての詳細は本書をドゾですけど、いやもーこれマジっすかぁの世界だなぁ…著者的には「設計は偶然に対する唯一の代案ではない。自然淘汰のほうがよりすぐれた代案である」に尽きるよーな…統計学について考えるとか(笑)あらゆる仮説について言えるとな(笑)

 その他テンプルトン財団とテンプルトン賞についての詳細も本書をドゾ。ちなみにテンプルトン賞の「設定賞金は、明らかにノーベル賞よりも高額である」そな…

 また善良である為にはまず宗教ありきで、それが昂じると「同じ信仰を共有しない人々に対する憎しみの発作へと、信仰をもつ人々を駆り立てる」の件についての詳細も本書をドゾ…ただ、「神について意見を異にするというだけで、なぜここまで毒々しい敵意を抱くのか、私にとっては心底から謎である」の世界ですかねぇ…時に暴力的な手段をもってまでして主張するそれに「なぜ、神をそこまで凶悪な手段で護ってやらなければならないと考えるのか、私は驚きを禁じえない。神が自分の面倒を見るくらいの能力は十分にもっていると想定してもいいはずではないのか」全知全能だしねぇ…ここはアインシュタインに登場願うのが一番かで「もし人々が、罰を怖れ、褒美を期待するというだけの理由で善人であるならば、私たちはまったくじつに惨めなものではないか」とな…

 宗教とは何か?で「宗教は疑いなく、不和を生みだす力であり、これが宗教に対して向けられる主要な非難の一つである」というのも…「宗教は、内集団/外集団の対立を巡る敵意と確執を物語るラベルであり、肌の色、言語、あるいは好きなサッカー・チームといった他のラベルよりもかならずしも悪いとはいえないが、ほかのラベルが使われないときに、しばしば使われる」とな…そしてそれは「宗教と、宗教的に分離された教育がなければ、そうした分裂は絶対に存在しなかっただろう」に導かれ「コソボからパレスティナまで、イラクからスーダンまで、アルスターからインド亜大陸まで、対立する集団間の手に負えない反目と暴力が見られる世界のどの地域」でも内集団と外集団のラベルは「宗教がその大半を占めていることに、たぶんあなたは気づくだろう」って…宗教(聖書)とは生き方指南じゃなかったんだろか?対立せよと書いてある訳じゃないよね?どどどどど?

 分離の指標としては、言語、人種、部族とあるけど、宗教は「被害を増幅し、悪化させる」って一つ「子どもラベルを貼る」(例ストリック教徒の子供etc.)、二つ「学校の分離」、三つ「異教徒との結婚の禁忌」…いやぁ「異宗婚」という単語を本書で初めて知りました…ちなみに著者の子供の頃「ローマ・カトリック教徒と国教会員が結婚したときには、子供はつねにカトリック教徒として育てられるというルール」だった模様…これまたそーだったのか?だけど今でもそーなんだろか?教えてウルフ先生ってか?

 ちなみに異宗婚があるなら「同宗婚」という言葉もある訳で、こちらの詳細も本書をドゾ。「内集団を好み、外集団を避ける」世界ですかねぇ…ちなみに「パキスタン(およびイスラム)の法律では、イスラム教徒の女は非イスラム教徒の男と結婚することが許されないからである」そな…

 現代の病理と言っていいのかテロ系のエピの詳細は本書をドゾ。こちらは法と宗教の話になるのか?「こういったイスラム教徒は、自分たちは、自分を受け入れてくれた国の民主的に定められた法律にではなく、イスラム法にのみ制約されると公言している」とな…他にカトリック系の中絶廃止絡みのテロ(殺人)についての詳細も本書をドゾ。

 西側のテロ観については、ロンドン爆破事件(2005)についての記事(グラスゴー・ヘラルド)「この悲惨、騒乱、暴力、恐怖、および無知すべての原因は、もちろん宗教以外の何物でもなく、もしそのようなわかりきった現実を述べなければならないことが馬鹿げて見えるとしたら、真相は、そうではないととりつくろうべく、政府とメディアがかなりいい仕事をしているということだ」(@ミュリエルル・グレイ)とな…ある意味印象操作なのか?「わが西側の政治家たちはR(宗教)という単語に言及するのを避け、その代わりに、自分たちの戦争を「テロ」との戦いとして性格づけており、まるでテロが独自の意志や心を持つ一種の霊ないしは力であるかのようである。あるいは、テロリストを純粋な「悪」に憑き動かされた人間として性格づける」とな…

 だがしかし「(彼らは)自分たちが正義であり、彼らの宗教が語りかけることを忠実に追究しているのだと感じることによって、憑き動かされているのである」それは「彼らは宗教的な理想主義者であり、自分なりに理性的なのである。彼らが自らの行為を正しいと感じる」のは「彼らが生まれ落ちたときから、全面的かつ疑いを抱くことのない信仰をもつように育てられてきたからである」とな…実行犯のコメントなど詳細は本書をドゾですが、まとめると「これらの人々は、自分たちが信じていると言うことを実際に信じているということである」最早貴方しかいないの世界だろか?ちなみにここでの貴方は宗教となるのか…

 これに対して著者がパネェのは「宗教上の過激主義を責める」「本物のまっとうな宗教が堕落してできたおぞましい変種」という限定に逃げる事なく「宗教そのものを非難すべきだということなのである」と言い切っているとこかなぁ…欧米でこれを言い切れる人って、他にいるのだろぉか?まぁ「不条理なことをあなたに信じ込ませることがてぎる人間は、あなたに残虐行為にかかわるようにさせることができる」(@ヴォルテール)とか「多くの人間は、考えるよりも先に死んでしまうだろう。実際、彼らはそうしている」(@バートランド・ラッセル)はいるけれど(笑)

 そんなに宗教が悪いのか?だけど「キリスト教は、あるいはイスラム教でも事情はまったく同じことであるが、疑問を抱かない無条件の信仰こそ美徳であると、子供たちに教える。こと信仰の問題に関しては、自分が信じていることを論証する必要はない。もし誰かが、それは自分の信仰の一部であると宣言すれば、その社会の残りの人間は、同じ信仰をもっていようが、別の信仰をもっていようが、あるいは無宗教だろうが、根深い慣習によって、疑問を発することなくそれを「尊重」するように強いられる」というのが、今までの、そして今の現状ですかねぇ…だが著者は続ける、それは世界貿易センタービル、ロンドンやマドリードの破壊行動のような「大虐殺という形でその信仰が表明される日がこないかぎりのことである」じゃね?と…

 事後、「この過激主義が「真の」信仰からの逸脱であると説明するために、聖職者や「共同体の指導者」たちが雁首揃えて、自分たちはかかわりがないという大合唱がなされている」そーな…そこで純粋な疑問「もし信仰が客観的な正当化の理由を欠き、何が逸脱かについていかなる明白な基準をもたないのであれば、そもそも信仰の逸脱なるものがなぜ存在しうるのか?」教えてエロい人ってか?よくある一部の人の仕業で済む問題なのか?でしょか?何かもー何と言っていいのか…言葉に詰まるのですが、バトリックス・スックデオ(イスラム教学・キリスト教学研究所所長)の論考は非常に興味深いです。詳細は本書をドゾですが、凄い、真に凄い…

 で、どゆ事というと「本当の意味で有害なのは、子供に信仰そのものが美徳であると教えることである」しかも「信仰は、それがいかなる正当性の根拠も必要とせず、いかなる議論も許さないという。まさにその理由によって悪なのである」と一刀両断…まぁ個人の趣味の範囲なら異論は認めないも蓼食う䖝も好き好きで済む話かもしれないけど、宗教の場合全体性をおびているからなぁ…

 更に子供の虐待についてで「聖職者による子供の虐待といえば、今日では性的な虐待を意味すると受けとられてしまう」って、マジっすかぁー?かくて、「昔は子供の楽しみの一つであった放浪の自由も奪われてしまった(一般的な認識とはちがって、実際に痴漢にあう危険性はおそらく、当時も今もさほど変わらなかっただろう)」ってあるんですが、この性的虐待って、痴漢程度なのか?レイプ程度なのか?で犯罪の軽重のニュアンスがこれまた一般的には変わってくるのだろか?詳細は本書をドゾですが、著者も殿方ですので性犯罪については殺人より軽いという法的立脚点に立っていらっさるみたいかなぁ?何にしても犯罪は犯罪ですが…

 他に子供問題も色々(地獄の業火による心理的トラウマとか)ありますよってなので詳細は本書をドゾですが、正統派科学の教育の権利についてはやはり根深いものがある模様…一例を上げればダーウィンの「種の起源」を読む読まないだけでも物凄い事になっている模様…身体的なとこでは割礼とか「何らかの事情で子供のときに割礼を受けそこなった女性の誰一人として、のちの人生で手術を受けたいと志願したりしない事実」って辺りでお察し下さいの世界か…

 も一つ地球の年齢は以下の天地創造の年代についてのソレも根深いみたいです…しかも聖書こそ全ての世界がこれほどまでに展開しているのにもかかわらず、「カトリック教徒とプロテスタントの四分の三は、「旧約聖書」に出てくる預言者の名前を一人もあげることができなかった」(@米国の世論調査)という結果も出ているとな…モーセ辺りなら日本でも結構知っている人多いと思うんだが?これ如何に…

 無神論者伝説系では、ヒトラーが無神論者だったというのは「きわめて念入りに熟成されてきたもの」だそで、ちなみに1941年時点でも「私は永遠にカトリック教徒のままでいるだろう」の言が残っている模様…詳細は本書をドゾ。それにしても「キリスト教徒のユダヤ人憎悪は、カトリックだけの伝統ではない」って、もーある事が前提されているのか?しかもプロテスタントも「すべてのユダヤ人はドイツから放逐されるべきだ」(@マルティン・ルター)の議会証言まであるという伝統が…ちなみにルターは「ユダヤ人をマムシの子」と表現しているそだが、それと同じ表現をこれまたヒトラーが演説で使っているとな…うわぁ…入念な都市伝説系では他にもベートーヴェンと中絶の話もパネェ…詳細は本書をドゾ。

 面白豆知識系では北アイルランドの古いジョーク「わかった。で、あんたはプロテスタントの無神論者なのか、それともカトリックの無神論者なのか?」はい、ここ笑うとこ?なのか?のか?

 日本的なといっていいのか系では「多くの信仰心篤い人々は、宗教がなければ、人がどうして善良でいられるのか、あるいは善良でありたいと望むことすらできるのか、想像しがたいと感じている」のとこの答えの一つに先の大震災のソレですかねぇ…日本人的には困っている時はお互い様とか、自然的にドカーンときている時に更に人為でドカーンとしてどーなるよ?という実に合理的な判断の結果みたいな気がしないでもないが?ただあちらさんから見たら唯一絶対じゃないのにおかしいという事にもなるのか?解せぬってか(笑)

 さて、著者の立ち位置はというと「あらゆる種類の超自然主義を非難している」「私は神というものを、すべての神を、これまでどこでいつ発案された、あるいはこれから発案されるどんなものであれ、超自然的なものすべてを攻撃しているのである」でもって、「私は神の存在が、他のあらゆる仮説と同じ科学的な仮説だと言うつもりである」、で「問題は、神が反証可能(神が存在しない)かどうかではなく、神の存在がありえるかどうか(蓋然性)なのである」とな…わっかるかなぁ?わかんねぇだろーなぁじゃなくて、わかりましょーの世界か?しかーし「宗教の本当の意味で悪い影響の一つは、理解しないままで満足するのが美徳だと教えることなのである」ですかねぇ…または「科学者として、私が原理主義的な宗教を敵視するのは、それが科学的な営為を積極的に堕落させるからである」等々、いやもー凄い勢いです。本書はある意味著者の挑戦の軌跡みたいなノリか(笑)

 何しても宗教生活というか、信仰を持つ事によってプラスもあるのかもしれないけど、マイナスにも目を向けよの世界かなぁ?プラマイどよ?というのも何かアレだが、でも煉獄の教義的にはまさに人生のプラマイ総決算だしなぁ…で、とある老人ホームの看護師の観察によると「彼女は長年にわたる観察の結果、死をもっとも怖れるのが信仰をもった人間であることに気づいたのである」って…煉獄の教義によって、カトリック教会はあの「免罪符」を発行したとな…「金を稼ぐためのあらゆる詐欺行為のなかでも、免罪符の販売こそ、まちがいなく歴史上、最高に位置するペテン」であると著者は指摘してますが、こーしてみると宗教とはどこも死後の世界のお約束の上に成り立っているのだろーか?と勘繰ってしまうんですが?どーか?

 そして、ここまで書いてもコレ本書のほんの一部なんですよ、ドンダケェーな世界がこれでもかこれでもかと続く続く続く…極東の島国にいると、世界のソレが今一アレなんですが、それでも宗教も信仰も、排他的でなく、他者に強制しないだけでも随分違うと思うんですけどねぇ…いや、本当に甘ちゃんで申し訳ない…

 その他、ホントいぱーいですので、詳細は本書をドゾドゾドゾ。重ねてドゾ。

 目次参照  目次 文化・芸術

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