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2014年10月28日 (火)

幸福とは人間が何の条件も設置しない時、はじめて感じることができるものだ(笑)

世界のピアニスト  吉田秀和  筑摩書房

 所謂一つの音楽エッセイでしょか?表題通りピアニストを中心としたですが、何より本書の凄いとこは多分20世紀の音楽界の総括的なとこも含んでいると思われで、特に戦後の日本の音楽界の雰囲気が分かる感じかなぁ?いえ、ピアニストとして出てくるのは日本人として取り上げられているのは内田光子だけなんですが、世界中のピアニストが日本に講演に来るもあり、また日本で彼らのレコード、CD等が発売になっていると、世界中のピアニストに触れる機会は、増えたんじゃね?ですかねぇ…

 クラシック界のキャパがどの位なのか?これまたトーシロにはアレですが、一部の好事家もしくは一部のセレブに独占されていたソレではなくて、戦後は特に一般大衆に広がったんだなぁというのが分かるよーな気にさせられるというか(笑)テクノロジーと中産階級ってパネェってか(笑)

 で、本書の音楽評論は、専門的にありながら専門的でありすぎずという絶妙の匙加減じゃまいか?とトーシロでも思う…これからこれらのピアニストの曲を聴く場合は、一度本書を拝読してからだとなお分かるんじゃまいか?と…ある意味とても親切設計の本だと思うんだけど、どだろ(笑)

 アリス的には、もーこの人を上げずに誰を上げるのグレン・グールドでしょねぇ…准教授お気に入りの(笑)本書でも初っ端がグールドでして、やはりピアニストというと、この人を避けて通るのはむつかしーという事か(笑)

 ただ、著者的には「レコードより実演をはるかに、はるかに高く尊重する人間」だそで、そゆ人にグールド…とても厳しい気が(笑)とにかく、媒体で聴いてくらはいの筆頭だもんなぁ、グールドは…そしてグールドの音楽というのは「一面では奇蹟といっても誇張ではないほど独特なものでありながら、もう一面では、あらゆるロマンティックな感情過多とは無縁な音楽である」だそな…「おそらく天才の純潔と呼ぶほかないようなものが息づいている」となる模様…いやはや天才的なあまりにも天才的な、なんだろなぁ(笑)

 尤も、これまた全然知らなかったのですが、そんな「グールドのバッハのレコードが日本で発売された時、批評家の大勢は、否定的な、冷淡な言葉で支配されていたのである」というからおろろいた…成程、批評家とは体制的な人達の集まりなんだなぁと(笑)天才とか、革命とかとは相いれないものなのか(笑)ちなみに日本でゴルトベルク変奏曲とベートーヴェンの後期ソナタ109、110、111が出ていたそだが「それが二枚ともたいした評判にならないどころか、むしろ批評は悪かったという話なのだ!」と著者自身が感嘆符を付ける位…「私は驚き、怪しみ、呆れ、そうしてひどく腹を立てた」と当時の状況を語るってか…

 しかもグールド自身が「各レコードにつけられた彼自身の解説は比類なくすぐれたもので、凡百の解説の水準をはるかに抜いている点で、彼の演奏と同様の性格をもっている」とな…解説者の立場は(笑)ましてや批評家の立ち位置は、皆まで言うなの世界か(笑)

 でもって、「グールドの演奏が奇蹟でありながら同時にこのうえもなく正統的である」し、「グールドは、いわばピアニストであるゆえに、アンティ・ピアニストなのだ」とは…正反合の世界が天才って?

 ちなみに著者はゴルトベルク変奏曲を「はじめてきいた時、私はひどく感激してしまった。そのあげく、知人たちにも喜びをわけあってもらいたくなり、やたらと買いこんでで送りつけたものである」というエピは、何気にあちこちで聞くんですけど(笑)グールドのレコードは布教活動の一環か(笑)

 それにしてもこれまた全然知らなかったのですが、WWⅡ以降というか頃?「合衆国では若い世代のピアニストにとってバッハをピアノでひくのはタブーであり、時代おくれの愚劣な行為に近く見られるようになった」状況だったとすれば、グールドのゴルトベルクって相当冒険だったんじゃまいか?

 そしてグールドのバッハとは「ピアノで描くことを新しく可能にしたというほうが正確だろう」となり、彼の演奏とは「はやい走句たちの水際立った見事さ、よく歌う旋律、胸をすくような精緻なリズムとフレーズの区切り方、テンポの長さ」と、それが見事に凝縮され統合されているという事になるんでしょか?天才は常に新しいよなぁ(笑)そして決して古びない…

 グールドのベートーヴェン論についての詳細は本書をドゾ。何かもー天才を挑めるのは天才しかいないという気が勝手にしてきた…ベートーヴェンとがっぷりよつって、まず凡人には出来ないでしょー(笑)

 後、これまた有名なグールドの低い椅子による演奏のソレについての詳細も本書をドゾ。成程、プロっていうのはその姿勢からだけでもこれだけ読み取れるものなんだなぁと感心しますた(笑)

 とグールドだけで、しかもかいつまんでこれですから、本書がドンダケェー濃いか分かっていただけるかと思う(笑)興味のある人は、今すぐ本書へドゾ。音楽鑑賞って、そんな甘いもんじゃなかったんだなぁと、思わず正座しないといけない気にさせられたりして…

 各ピアニストについての詳細は本書をドゾ。一言でまとめられるならこれだけの厚みの方にはならないと思われでして、どのピアニストも個性というものが際立っているのは確か(笑)それが天才というものだろーけど(笑)ちなみに「スター・ピアニスト、世界中でもせいぜい十人か十二人しかいないだろう」だとな…世界的トップってどこの世界もそんなもんなんだなぁ…忌憚なきご意見としての一例としては「あれほど並はずれた名人でありながら恐ろしく神経質なホロヴィッツ、演奏に恐ろしくむらのあるリヒテル、音楽のロマンティックなものに向かうと妙にくすんでしまうベネデッティ=ミケランジェーリ、あんなに逞しそうでいて演奏を見ていると実に苦しそうなギレリス、逆に落ち着いてはいるが精神的に空虚な影の残るカサドジュ」って…それにしても、「平均的演奏家というものは、せいぜい二ないし三種類のプログラムを用意し、それをとりかえ、ひきかえしながら、世界中を公演して歩いているものだ」なのか…所謂一つの持ち歌ならぬ持ち曲?

 後、アリス的なとこでバッハ論も(笑)「バッハは、あれだけの底知れないような音楽の大天才ではあっても、彼の音楽で最も開拓されなかった分野は楽器の音色ではなかったろうか?」とな…そーだったのか?バッハ(笑)他にバッハ的なとこというと、「バッハでは「絶対に正しい唯一の演奏」というのは原則的にないのであって」の件だろーか?成程、バッハ、受け手に解釈の自由があるという事か?

 そゆ訳で、その他豆知識的なものを拾い上げる方に、ええ、本書的には実に脇道的なんですが(笑)例えば「ルビンシュタインと相前後して、モスクワからきた室内合奏団をきいたのだが、バルシャイに指導統率された若い音楽家たちの合奏の技術の卓抜さと、一人一人の若い音楽家たちの自発性にみちた音楽のみずみずしさは、私たちがかつて耳にした、どんな合奏団のそれをも凌駕したものといってよかった。それでいて、私は不思議に思ったのだが、この若者たちの自発性と技術の卓越は、音楽を少しも深めないのである。なんという無機的な完璧さだろう。この音楽は、私たちを傷つけもしないが、幸福にもしてくれなかった」の辺りは、正直者乙でしょか?そんなハッキリ言っていいんですかぁーっ?

 はっきり言っていいんですかぁーっ?では「アシュケナージは一九五五年の(ショパン)コンクールで二位だった。しかしこの時ハラシェヴィッチが優勝したのは即座にスキャンダルとされた。事実、アシュケナージがその後世界的声価をかちえたのに対し、優勝者は今どうしているのか、私は知らない」って…ショパンコンクールも、どこぞのF〇FAやI〇Cと大差ないって事ですかねぇ(笑)

 ゲルバーのブラームス「第一ピアノ協奏曲」がレコードで発売されていないとは?で八方探索したら「東京の東芝レコード会社にあるかもしれないという知らせを受け、さっそく出かけて行った」ら、「まさにその通りだった」で、「さっそく、きいてみたが、想像を越すすばらしさだった」とな…かくて「こういうレコードが発売もされず、レコード会社の棚に眠っているのだから、日本も本当におもしろい国である」になるとな…はい、ここ笑うとこぉ(笑)

 聴衆論なのか(笑)「ポピュラーな曲に対し、これまだききなれた先入観から脱却して新しくきき直す能力と気構えをもった公衆は、今日、そうどこにでもいるわけではない」は、真理だの世界ッスかねぇ(笑)特に日本なんかでは型にあてはめるのがお好きだからなぁ?そのくせ、個性とか斬新とか多様性とかいう単語が乱舞するとか(笑)

 海外のレコード店との付き合い方のとこも「店員と少し馴染みになり、買いものはなるべくその人を相手にやるようにする。そうしているうちに、こちらの好みとか狙いが先方にわかり、こちらが顔を見せると、むこうからいろいろととり出してくれるようになる」とな…効率の良い買い物の仕方なんですが、この場合「先方が、レコードのことをよく知っていないと役に立たない」とな…「「商品知識のある」人でないと困る」って…そゆ人が「かつては日本にもいたし、ドイツなどには今もずいぶんいる」とな…こゆとこも一つの文化的尺度になるんだろーなぁ…

 お国柄的なとこでは「ドイツの放送は、曲についても演奏家についても、わかりきった月並みの解説はつけないのが普通」だとな…シンブルイズベストという事なんだろか?

 独的これ極まれりではこれでしょで「ヨーロッパ、特にドイツに行ってみると、大学がある小都市などに、気むずかしい、聴衆の一団がいるのに気がつく。そこの大学の先生を中心とした「教養の高い」音楽好きの一団である。この人たちは、たいていが自分でも楽器がひけたり、歌が歌えたりするうえに、ある年齢以上の人になると、前の世紀から二十世紀前半にかけての名人たちの演奏にもくわしくて、新しい演奏家など、なまじっかなことでは通用しない。ことに小都市の住民には、大都市のそれに対する一種のコンプレックスというものがあって、自分たちの住んでいる町こそ小さけれ、文化水準おいては、スノッブや無学なものどもの集まりにすぎない大都市の人間より、はるかに高いことをもって自認していたりする。と同時に、世界の大都市を中心に毎日せわしなくとびまわり、大活躍をしている時代の寵児的大スターにも、ちょっと言葉にはしにくい性質の反感を抱きやすいグループである」というのは、音楽界に限らず、そゆのはどこにてもあるよーな?でもって、たいがい突っかかってくるのは地方の方なんですよねぇ(笑)

 これもお国柄的になるんだろーかでギレリスの感想…「ギレリスは顔をしかめ、ぶっきらぼうに「うるさくて、眠るどころではなかった。日本人というものは夜通し働くのか?」と返事した。ちょうど地下鉄-あれは丸ノ内線というのが池袋と新宿・中野をつなぐ地下鉄の工事現場が、あのあたりにあったころのことである。それにしても、この率直さを通り越したぶっきらぼうな態度は、それまでの比較的愛想のよい<外来音楽家>のそれとは極端にちがっていた」の件でしょかねぇ…銀座線とか丸ノ内線だと地下とはいっても比較的浅いとこにあるのもアレだけど、今と違って防音とか、夜間とかの規制がなかった頃の話なんだろか?

 おべんきょになったなぁというか、言われてみればその通り的では「ピアノはちょうどモーツァルトの作曲家としての天才が開花し、成熟に向かおうとしていたその時に、それまでのチェンバロやクラヴィコードと並列的に置かれていた位置からぬけ出して-いやピアノはその中で一番若かった-来たるべき、世紀の音楽家にとって比較にならぬ表現の担い手になる道を着々と前進しつつあったのである」でしょか?意外とピアノ、新しい楽器って事になるんだろーか?

 も一つピアノ的なとこでギーゼキングの場合「ピアノの音響の魔術師が、現代ピアノの王座にいるスタインウェイ・ピアノを使っていないという事実である。彼はボールドウィン・ピアノを使っていた。ボールドウィン・ピアノを愛するピアニストで私たちに身近な人に、アンドレ・ワッツがいる。ワッツは「スタインウェイ、特にニューヨークのスタインウェイのきらきらした音色、外向的でぎらぎらしたような響きが好きになれないのだ」と、いつか、私にいっていた」何か、ピアノというとスタインウェイかベーゼンドルファーのイメージが勝手にあったので、おろろいた…

 他にもたくさんたくさん、本当にたくさん(コブシとエコー付/笑)ありますよってに、興味のある方は本書をドゾ。本当に本当にドゾ。

 掲載されているピアニストは、グールド、ベネデッティ=ミケランジューリ、ルビンシュタイン、ゲルバー、ホフマン、ソロモン、アノゲリッチ、アシュケナージ、グルグ、ギレリス、バックハウス、ホロヴィッツ、エッシャンバッハ、ボリーニ、ブレンデル、ルプー、コルトー、ピリス、ハスキル、フィッシャー、シュナーベル、ラフマニノフ、フランソワ、ギーゼキング、リバッティ、ガブリーロフ、内田光子、ツィマーマン

 目次参照  目次 音楽

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