« あーるはれたひぃーに(笑) | トップページ | 特別なハンドメイドティーとは? »

2014年10月23日 (木)

音のある世界?

二十世紀10大ピアニスト  中川右介  幻冬舎

 20世紀と言わず、21世紀の現代でもピアニストは星の数程いるじゃまいか?なんだろーの中で、10大となれば10人選んでみますたになる訳で、所謂その業界のトップ10いってみよーになるのだろーか?ただ、芸術の場合、この基準は選択した人それぞれにになってしまうんじゃね?じゃね(笑)で、本書の著者の場合の選考基準は、既にお亡くなりになっている人、録音が残っている人、そして人生がドラマチックであるかどうかだそーで…いずこのピアニストも皆それぞれにですけんってか(笑)

 新書にしてはかなり分厚い本になるんじゃまいか?で450頁弱、その紙幅を費やしても十人ものピアニストの一生を追っかけるのは相当に難業だったよーで、ピアニスト一人一人の比重についてはちょっと偏っている感じかなぁ?どゆ事かというと、ピアニスト同士の出会いとか、重複する出来事とかを避けるために年代順で始まっているんだけど、何と言っても20世紀、二つの世界大戦がありますよってにで、ピアニストの活躍の場って戦後は米もあると思いますだけど、戦前は欧州の方が比重大きくね?なので…モロに影響被る事になれば、これはもードラマチックにならざる得ないよな…

 とは言え、本書のスタイルでいくなら、ユダヤ系のピアニストに絞るか、もしくはロシア(ソ連)系のピアニストに絞るかした方がすっきりしたんじゃまいか?とも思うんだが(笑)結局、ドラマがあるという事は外部からの抑圧の方が分かりやすいという事なんですよねぇ…

 それはともかく、ピアニストの話のはずが壮大な20世紀史になっているよーな…成程、20世紀とは、こーゆー時代だったのだなぁとしみじみする一冊だろか?前書きにもあるよーに、「音楽に国境はない。しかし音楽家には国境がある」なんですよ、奥さん(誰?)

 アリス的には、ピアニストとなれば准教授のお気にのグールドという事になるんだろーけど、本書にもグールド取り上げられてはいるんだけど、年代的には最後に誕生したお人なので、本書的にも後半に登場で、殆どラストで駆け足紹介のノリなのだ(笑)ちなみにグールドのロシア公演の時の演目に「当時のソ連ではタブー視されていたベルク、ウェーベルン、クルシェネクとバッハを弾いた。ソ連では新ウィーン楽派はブルジョワの退廃した音楽として演奏が禁じられていたので、これは事件だった」とか、やらかしてますが、何か(笑)

 後、グールド逸話的には「グールドが音楽の世界に入ったのは、学校が嫌いだったからだ。つまりは同年代の子供たちの世界が嫌いで、そこから逃れるために音楽という別世界へ入ったのだ」となる模様…でも、グールドって字よりも先に楽譜覚えた人のはずで、就学以前から音楽してたよーな?むしろ、音楽と人間なら音楽を取るみたいなノリじゃね?

 他にアリス的というと、アルフレッド・コルトー・コンサート協会が1904年に最初のコンサートを開いた時「まずショーソンの「愛と海の詩」をソプラノ歌手ジョルジェット・ルブランが歌った。ルブランはアルセーヌ・ルパンで知られるモーリス・ルブランの妹で、夫がいたが劇作家メーテルリンクと二十数年にわたり愛人関係であった女性だ」とミステリ的にどよ?と思ったら「メーテルリンクの「ペレアスとメリザンド」がオペラになるにあたりドビュッシーに協力したにもかかわらず、初演のメリザンド役から外され、それが原因でメーテルリンクとドビュッシーの関係が悪化したという経緯があった」って、メーテルリンクってあの青い鳥のメーテルリンク?って事はアリスの愛車がアレですから、メーテルリンクどこまでも被ってくれてありがとうってか(笑)

 さて、それぞれのお人の詳細については本書をドゾかなぁ…ただ、面白いというか、奇妙な一致とでもいおーか、ここに登場してくるピアニストって、たいてい上に姉がいる弟が多いんですよ、よくあるパターンとしては姉のピアノのレッスンを聴いていて、門前の小僧よろしく姉より上手に弾けてしまったとか…後、本人が末っ子とか、母親が音楽的素地を持っていたとか、もしくは理解があったとか…今も昔も楽器系は3歳位からやってないとアレなのは変わりなしで、となると天才の下地って、かなり環境に依存するよーな気がするのは気のせい?

 後も一つは、20世紀の音楽科の先生って、出来不出来に物凄く差があったのだろーか?という素朴な疑問が…技術的とか、教師的とか、人柄的とか…後音楽界的な影響力というか、これらを全て備えている先生に巡り会えるか、どーかも、生徒にとっては死活問題だよなぁ(笑)

 面白豆知識としては、モスクワとペテルブルクの関係でしょか?露的には「革命後、モスクワが首都になった」そな…だけど昔から「二つの都市の人々は対抗意識に燃え、それは音楽院も同じだった」になる模様…かくて「音楽界もモスクワ派とペテルブルク派の二大派閥が対立する」とな…してその内容はというと「ペテルブルクはロシア固有の音楽を重視する民族派であり、モスクワは世界中で通用する音楽を目指す国際派だった」そな…そーだったのかぁーっ?で、「ラフマニノフのように双方で学んだ者は、この大派閥の確執で苦労を強いられることにもなる。それは次の世代のショスタコーヴィチも同じだった」となる次第…いやー、どこの世界も殿方が集まると派閥が出来るのは世のならいってか(笑)で、これはもー革命前からのお家芸で「一八九一年になると、モスクワ音楽院の教授たちの間で派閥抗争が激化した」と、これまた中の人は中の人でもめる訳ですよ、おぞーさん(誰?) 

 後、これも言われてみればそーだったのか?で、教師以外で音楽家が食べていける方法が、「ロシアでもこの時代には、音楽出版が一つのビジネスとして成り立っていたのだ。チャイコフスキーが専業作曲家として生計が立てられたのにもそうした時代背景がある」って…

 一方パリでは「一九〇五年は、ラヴェルがフランス芸術アカデミーのローマ大賞にチャレンジすること五回目にして、またして落選したことで大事件に発展する年でもあった」とな…どゆ事というと「すでに新進作曲家として名高いラヴェルが予選段階で落ち、予選を通過した六人全員が審査員のひとりシャルル・ルヌヴーの門下生だったことで、情実審査だと問題となったのだ」って、どこの社会も縁故社会ですからねぇ(笑)ええ、世の中で一番大切なのは、金より運より才能より、コネなんですよ、姐さん(誰?)

 それと「音楽界にはモーツァルト以来、「神童ビジネス」がマーケットとして成立していた」って、「しかしそうした神童の多くが潰れていった」って…二十歳過ぎればただの人って…見世物か…

 音楽事情的には、「ウィーン・フィルハーモニーがそうであるように、この時代、オーケストラは歌劇場で演奏するのがメインの仕事で、コンサートのみのベルリン・フィルハーモニーのようなオーケストラは珍しい存在だった」とな…そーだったのか?でもって「ベルリン・フィルハーモニーの演奏会には、ピアニストもソリストとして客演することが多い」って…これまたそーだったのか?

 そのベルリン・フィル創生秘話(笑)「ベルリン・フィルハーモニーのマネジメントはヘルマン・ヴォルフ音楽事務所が請け負っていった。この会社は音楽マネージメント会社の嚆矢ともいうべき存在だった」そで、「ベルリン・フィルハーモニーは一八八二年に音楽家たちの自主運営で始めたはいいが、破産の危機にあった。それを見かねたヴォルフが、当代一の指揮者ハンス・フォン・ビューローを連れて来て立て直し、ベルリン一のオーケストラに育て上げたのだ」っ、そーだったのかぁーっ?音楽家に焦点が集まり易いけど、音楽ビジネスとしてのそれもあるよなぁ…他にというと楽器会社とか、後のレコード会社とか…

 後、音楽の都的なそれでいくと、誰しも最初に浮かべるのがウィーンな気がするが、どーも時代はベルリンとかパリに移っていってた模様で…ウィーンで習っていたシュナーベルもベルリン目指すし、「十九世紀後半から音楽の中心地はすでにウィーンからパリへ移っていた」になっちゃうし…

 で「新興経済国であるアメリカではこの頃、ようやく主要都市にオーケストラが形成されつつあった。しかしそのレベルは低く、ヨーロッパから高額の報酬で指揮者を呼んで鍛えてもらっていた。アメリカの主要オーケストラが、アメリカで生まれ育った音楽家を音楽監督として起用するのは、一九五〇年代後半のレナード・バーンスタインまで待たねばならない」とは…となると、米の音楽環境というのもここ半世紀位の話なのか?ちなみに、1909年の公演の時のラフマニノフの米観がパネェ…「連中はいたるところから現れて掴みかかり、ビジネス、ビジネスと言って私を追い立てる。そのおかげで、とても忙しく、とても疲れた」「誰もが丁寧に扱ってくれる。しかし私は全てにうんざりしている。この国では、私は駄目になってしまう」(妻への手紙@ラフマニノフ)何様、俺様、米様も当時はまだ金の為には働き蜂の時代だった模様…

 他にも米的なとこではルービンシュタインの米公演でも、「当時のアメリカではショパンはあまり人気がなかった。もっと派手な曲が喜ばれたのだ」で、ピアニストは芸術か、興業かの選択に迫られる国、米って事になる模様…さて、1921年頃「当時のアメリカでは、たとえばショパンの「二十四の前奏曲」を全曲弾くと客が退屈してしまうので、せいぜい八曲までだと言われていた」という事で、でもって当時からスター・システムの国だものの世界だった模様…真面目に音楽を拝聴するというより、スター見に行くみたいなノリか…これには繊細なシュナーベルみたいなタイプはダメ出し出すだろー、双方共に…

 米つづきでWWⅠの頃、米に退避していた音楽家的にはラフマニノフ、ホフマン、クライスラー、ジンバリスト、エルマン、イザイ等になるよーで…さて、WWⅠも過ぎてのコルトーの演奏会となると、米式とはこーゆーもんだとなる模様(笑)さすが仏仕込みは違う(笑)「コルトーはアメリカ式のショーマンシップにも対応できた。カメラマンが望むポーズで写真を撮らせた。ハリウッド女優からの招待にも応じ、花束を持って出かけ、その姿を雑誌のカメラマンたちにちゃんと撮らせた」で大成功ってか(笑)とはいえ、コルトーの米観も「典型的な国民音楽が欠けている。音楽家はいる。しかし音楽は、まだない」って…

 その後、ホロヴィッツの米公演も「何をすれば聴衆が喜び、それによっていくら稼げるかを計算して行動した。アメリカのコマーシャリズムのなかで生きていける資質があった」となる訳で、どーも、米での演奏というのは、げいじつというよりざっつえんたーていめんとな側面の方が大きかったよーな?

 また「アメリカ・デビューをする際は、ニューヨーク以外の都市で何回か演奏した後、ニューヨークに来るというパターンが確立されている」そで、「とにかく、ニューヨークで成功しないことには、アメリカで成功したことにはならないのだ」って…ニューヨーク、ニューヨーク♪

 一方、露(ソ連)はというと、「新生国家ソ連は国際社会に認めてもらうために必死だった」訳で、「外国の著名人にソ連がいかに素晴らしい国であるかを見てもうら目的と、ソ連は外国の名演奏家が来てくれる素晴らしい国なのだと自国民にアピールする必要もあって、外国の演奏家を招いていたのだ」そー…いやー、ソ連って本当にいい国ですね(笑顔)でも実際公演旅行に行ってみたらば「ソ連の官僚的で非効率的な面はこの時点で露呈していた。モスクワで予定されていた演奏会は理由が何も説明のないまま、四日延期された」りしたり…さすが露的お・も・て・な・しってか?「シュナーベルは洞察力に優れていた。ソ連という国の状況を、役人の力があまりにも強く、そしてその役人たちがあまり有能でないと、この時の滞在で見抜いていた。さらに聴衆のレベルが低くなっていることも知った。たまに来て演奏するだけならばいいが、ずっとこの体制の下にいたのでは、この若者の才能は伸びないのではないかと危惧した」とな…ちなみにこの若者はホロヴィッツの事だったりして…

 ちなみに露ではスターだったホロヴィッツもやがて「ロシアでいくら成功しても、世界は認めてくれないことを知るのだ」になる訳で、青年は世界を目指すってか(笑)取りあえず、スターリンが台頭してくるまではまだ何とか露脱出はでけた時代だったという事らすぃが詳細は本書をドゾ。

 大粛清前なので、例えばシュスタコーヴィチが音楽院の口答試験で「ショパンとリストの作品の違いを社会学的・経済学的見地から説明せよ」なんて問題が出てきたりする訳で…「この問題を聞いたショスタコーヴィチは、思わず噴き出してしまい、そのまま試験場から追い出された」りしていたりして…で、その後「どうにか頼みこんで再試験を受ける」事ができたとか…まだマルクス主義方法論とやらも「笑い話ですんでいた」時代だったとな…まぁ束の間の話ですけど…

 ちなみに「戦後のソ連を代表する二人は共にオデッサで少年時代を過ごしていたのである。年齢はリヒテルが一年上になるがモスクワ音楽院ではギレリスが二年先輩という関係だ。二人はあまり仲がよくなかったことでも有名だ」そーだそーだけど、後に「同時代のピアニストで先に西側へ出たのはギレリス」コンクールなんかでも優勝していたりするんですが、西側で絶賛される度にギレリスは「あなたがたは私を良いピアニストだと言ってくれるが、そう言うのはリヒテルを聴いてからにしてほしい」「ソ連には私よりもすごいリヒテルというピアニストがいる」と答えていたというから、意味深だよねぇ(笑)

 悲喜劇的なとこでは、ラフマニノフが亡くなったのが自身のお誕生日の四日前だったとな…「ソ連作曲家同盟は予め祝電を打っており、それが悲しみに包まれている遺族のもとに届いたのだ。最後までソ連政府とラフマニノフは縁がなかったとしか言いようがない」って…おそロシアさま渾身の捨身ギャグだったのか?ちなみに、「レニングラードでは爆撃が始まってからでなければ、ラジオの警報は出ない」(@リヒテル)だそで、ニュースの速度があなたとは違うんですの世界だったのか?

 さて、戦争中のソ連の音楽・音楽家はどだった?というと「戦争中は、文化や芸術に関する製作は優先順位が低く、保護育成もされなければ、抑圧もなかった」とな…「芸術家にとっては、生活こそ厳しいが、統制がなく比較的自由な時代であった」となる模様…しかし、戦争が終わると「スターリンの感心は再び内政に向かう。知識階級や芸術家の統制強化に転じたのだ」って…大粛清キタコレになるのだろぉか?でショスタコーヴィチも、その渦中にででして、これまた自己批判キタコレとな…詳細は本書をドゾですけど、1953年にスターリンとプロコフィエフが同じ日に亡くなったそーだけど「「時代は変わるだろうか」と友人に質問されたショスタコーヴィチは、「時代は変わったけど、密告者は昔と同じだろう」と答えた。まだまだ本心を明かせる時代は来ない」って…露ェ…ちなみにショスタコーヴィチは「共産党に入党し、日本でいう国会議員にあたる役職に就き、ソヴィエト政権に従っていた」お人とな…ショスタコーヴィチ的には音楽とは何か?ですかねぇ…

 「ソ連は衛星国であるポーランドのショパン・コンクールが権威を持っていることが不満で、それに対抗すべく、新たなコンクールを開催することにしたのだ」とな、それがチャイコフスキー国際コンクール(1958)って…そーいやどっかの国もノーベル賞に対抗して新しい賞を始めたとこがあったよな、その後はゴホンゴホン…それはともかく栄えある第一回ピアノ部門の優勝者はクライバーン(米)って…「動揺した審査委員会はフルシチョフ首相に「アメリカ人を一位にしてもいいでしょうか」とお伺いを立てた。首相は「そいつがいちばんうまかったのか。それなら、そいつにやれ」と言った。ようやく、クライバーンの優勝がきまった」って…コンクールの実態って…

 そしてポーランドの場合、言わずと知れたショパン・コンクールなんですが、1927年のそれにショスタコーヴィチも参加しているんですね、ショスタコーヴィチは虫垂炎の影響で特別賞を受賞しただけに過ぎなかったという事らすぃんですが、ソ連代表が上位を占めるのはいかがなものか?という舞台裏があった模様…「審査員は全員がポーランド人だったので、自国の代表を二位と三位にしてしまったのだ。コンクールの趣旨がショパンを讃えることでの国威発揚にあったのだから、この結果はそれに適っていた」となる訳で…いやどこの国もげいじつと政治(国)が絡むと、メダルの色はそんなの関係ねぇー(死語?)になる模様…

 それにしても、「ポーランドは第二次世界大戦ではドイツとソ連の双方に侵攻され、さらにスロバキアとリトアニアもこれに加わり、四か国に分割占領されていた」とは知らなんだ…地続きの国ってパネェ…そんな波乱の波ですが「戦後のポーランドはソ連の衛星国となった。事実上の属国である」になる訳で…しかし、そんな中に波にはショパン・コンクール(第五回/1955)があるで、「ポーランドのハラシェヴィチが一位、二位はソ連のアシュケナージだった。この時、審査員だったイタリアのベネデッティ・ミケランジュリは「ハラシェヴィチの一位は納得できない」と審査の確認書へのサインを拒否した。審査委員会はミケランジュリの退場を認めた。このコンクールはこの頃までは常に政治がつきまとうのである」って…コンクールの実態ってって…

 二十世紀的な特徴では「大作曲家が大ピアニストでもあった時代が終わる」とな…「ラフマニノフは大作曲家が大ピアニストであった最後の世代だった」になる模様…まぁ確かに今となってはラフマニノフって作曲家のイメージだもんなぁ…

 作曲家のソレでいくとワーグナー熱というのは、まさにファイヤーって奴なんでしょか?まぁコルトーのワーグナー好きはまだ音楽家として分かる気もするんでずか、バイエルンとのルートヴィヒはともかく、「ウィーンにはワーグナーに取り憑かれていたひとりの青年がいた。アドルフ・ヒトラーである。一九一〇年には二十一歳だった」って…何か、あの手に人に受ける要素があるんでしょか?ワーグナー?

 も一つ、この時代の移動も色々変遷ありか?例えば、「シュナーベルの最初のベルリン旅行は一八九八年だった。ウィーンからベルリンへは汽車で十六時間かかった」って…で、時は変わってWWⅡ中1943年なんかでは、米国内を戦時中だという事で軍優先となってパンピーは汽車で移動とかになっているんですよ、かくて病倒れたラフマニノフなんかもニューオリンズからLAに移動するのに六十時間もかけていくことになるんですが…という事はそれ以前は飛行機でバンバン移動していた訳で、WWⅡ以前から米は航空機の時代だったという事だったりするんですよ、奥さん(誰?)というのもLAに自宅があったというのもあるけど、ラフマニノフが「ロシア人以外の医者を信用しないという民族主義者だった」からとな…

 後、これまた時代的なとこで「バックハウスはレコードに録音した最初期の音楽家である」となる模様…1908年から録音を開始しているそーで、当時バックハウスは24歳。「録音という新奇なものに取り組むのは、冒険心と野心のある若者なのだ」そな…何かバックハウスというとお爺さんなイメージでいたら、そりゃ若い時もあった訳で…

 レコード会社の変遷についての詳細も本書をドゾ。電気録音形式を開発したのがベル研究所(米)系列の「ウェスタン・エレクトリック社」で「同社の特許を最初に導入したのはビクター」、そのビクターの母体となったのが「蓄音機の製造・販売会社ベルリーナ・グラモフォン社である」とな…ちなみにこれは米の会社…で、このベルリーナ・グラモフォン社の英国での販売権を持っていたのが「英国グラモフォン社で、同社のレーベルがHMV」となる模様…「その関係でHMVが日本ビクターの商標となる」と…ちなみに「HMVといえば現在のCD販売会社の社名でもあるが、いまのビクターとは直接の関係はない」というよーに、ナニコレ伝言ゲームのよーな来歴が続くので、本当に詳細は本書をドゾ。それにしても米の次々会社が身売りしたり合体したり傘下に入ったりと、昔の名前で出ています?的な話はどこへってか?本当に文化より儲けの国なんだなぁとしみじみしてしまいまする(笑)

 それにしても開発したのは米のはずなのに、その後のレコード録音なんかでは「スタジオに籠ったが、どうもイギリスのエンジニアのようにてきぱきと仕事をしないので、不信感を抱いた」事態になっていたって、どーよ(笑)

 時代的なソレでいくと、1910年代にロマン主義の終焉となり「作曲の分野では調性とリズムにおける革命が始まっていた。演奏においても、演奏者が編曲に近いようにまで楽譜を自由自在に変えて、その日の気分のままに演奏することは「ロマン主義的」と評され、やがて「時代遅れ」となってしまう。それに代わり、楽譜に忠実に弾くことが大前提となるのが、新即物主義だった」って、そーだったのかぁーっ?かくてピアニストの奏法も変化していきますよっての世界到来ってか?ついでに言うとレコードの時代がくると「聴衆はミスタッチにうるさくなった」という傾向も出てくる訳だったりして…

 それと戦争の爪痕は、その時もアレですけど、その後のソレの方が尾を引くよーな?ルービンシュタインの「僕は絶対ドイツではリサイタルをしないよ」宣言あったり、特にWWⅡのそれはナチ政権下で演奏していたとなれば「戦後はナチ協力者とみなされた時期もあった」になっちゃったりしてで、バックハウスなんかは住まいはスイスだったけど、独でコンサート開催してたし、何よりも「ヒトラーがバックハウスのファンだったことが、後に問題視される」になる訳なんですよ、奥さん(誰?)

 「ヒトラーのために演奏したピアニストはバックハウスだけではない。エドウィン・フィッシャー、ヴィルヘルム・ケンプも弾いたし、ヴァルター・ギーゼキングはナチ党員だった。首相に呼ばれれば行かざるをえない-これが彼らの言い分であろう。しかしユダヤ人でない彼らにとって、当時のドイツは居心地がよかったのも事実だ。少なくとも、苦悩や葛藤のドラマは公にはされていない」とゆーのも…追い出されたユダヤは何かと表現されますが、追い出されなかった非ユダヤは、その時どーゆー待遇だったのか?というのは…

 これまたちなみにイザイ・ピアノ・コンクール(エリザベート王妃主催/白/1938)でのルビンシュタインとギーゼキングの会話の件もなかなかにアレなよな…ここにもヒトラーによるコンクール監視のためのナチ党員の音楽家を派遣していたりして…で「どういう意味ですか。私は信念を持ったナチ党員です。ヒトラーは我が国を救おうとしているんです」(@ギーゼキング)に「ギーゼキング君、今後二度と私に近づかないでくれ」(@ルービンシュタイン)なんて事もあった模様…

 そして独の波進攻から英と仏は独に対して宣戦布告でも同じく進攻したソに対してはしないよと…ちなみに露はドイツ・ソヴィエト境界友好条約を結ぶ事になると…勿論独ソ間に宣戦布告はこの時点ではなし…

 さて、コルトーはというと仏で政府のお仕事をしていて、それがヴィシー政権時になろーとお仕事続けていたという事でしょか?「この政権に参画したことが、後に禍となってコルトーを苦しめるのだった」になってしまうと…かくて「ドイツとその占領下にあるフランスでは、フルトヴェンクラーやコルトーが演奏を続けていた。彼らは音楽に身を捧げていたのであり、ヒトラーに捧げているとの意識はないが、外国からはナチの宣伝塔にしか見えない」とな…

 戦後のコルトーの覚悟というか、奮闘の詳細は本書をドゾ。逆を言えば相手によって音楽を変えるという事をしなかった人とも言える訳で…成程、政治と音楽はむつかしーですかねぇ…ちなみにフルトヴェンクラーが来米して「シカゴ交響楽団を指揮するというニュースを聞くと、ルービンシュタインはシカゴ交響楽団に対し、「フルトヴェンクラーに指揮させるのであれば、今後二度と共演しない」と通告した。これにユダヤ系を中心とした多くの音楽家が共闘した。そのなかには、ハイフェッツ、ミルシュタイン、ピアティゴルスキー、そしてルービンシュタインと決裂したホロヴィッツもいた」で、「ルービンシュタインはフルトヴェンクラーが亡くなった後も彼を赦さなかった」とな…しかも「ルービンシュタインはナチ党員だったカラヤンとも絶対に共演などしない」となる訳で…

 他にもたくさんたくさん、本当にたくさんエピありますよってに、興味のある方は本書をドゾ。最後に一つ、本書で一番ハーヘーホーと思わされたとこは著者の後書きによる「ピアニストとして成功するには同性愛かユダヤ人でなければならないという格言があるくらいですからね」とは知らなんだ…ホンマでっかぁーっ?

 掲載されている10人のピアニストは、ラフマニノフ、コルトー、シュナーベル、バックハウス、ルービンシュタイン、アラウ、ホロヴィッツ、ショスタコーヴィチ、リヒテル、グールド

 目次参照  目次 音楽

|

« あーるはれたひぃーに(笑) | トップページ | 特別なハンドメイドティーとは? »

書籍・雑誌」カテゴリの記事

音楽」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 音のある世界?:

« あーるはれたひぃーに(笑) | トップページ | 特別なハンドメイドティーとは? »