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2014年10月29日 (水)

価値真空…

ウィーンの世紀末  池内紀  白水社

 どゆ本というと、何とゆーか、19世紀末のウィーンを中心とした色々エッセイだろか?帝国は崩壊へと一歩一歩進んでいるのに、その時市民は?まぁ会議は踊るな世界だったと思われですけど、そんな中に傑出した人物がこれでもかこれでもかと輩出した訳で、例えばフロイトとか、シェーンベルクとか、その他大勢はどーゆーこっちゃ?みたいなエピ満載ってか(笑)

 で、著者はまず、世紀末の定点として1873年を上げるですね(笑)ちなみにこの年にウィーン万博が開催されて、証券取引所で大暴落があり、破産者続出(しかも市民層を巻き込んでの)した年ともなるそで、また「破産ポルカ」(@アントン・ファールバッハ)が大流行した年でもあるそな…破産者いぱーいで自殺者まで出ている中で、破産ポルカで、一山当てた人も一文無しになった人も踊り狂っていたというのは…さすが音楽の都ウィーンって事なんだろか?同じアホなら踊りゃな損々ってか?

 ちなみに世は、フランツ・ヨーゼフの治世な訳で、この人の任期中の歴史もパネぇ「即位直後に革命騒ぎがあり、対ドイツとの戦争に敗れ、一人息子は自殺した。妃は暗殺され、後継者に定めた皇太子夫妻はサライェボで殺され、ついで第一次対戦に突入した」って…それが19世紀末から20世紀にかけても墺の実情だったのだろか?「一方には、もはやとどめようのない帝国の没落があり、他方には、たのしく、やるせないオペレッタの軽薄がある」かくて、ウィーン中で街をあげてのオペレッタとワルツに浮かれていたとな…

 そして軽いあまりにも軽いオペレッタのはずなのに「芸術ジャンルのなかでもっとも非政治的な音楽に、政治的機能さえになわされていたようである」になってしまう辺りも、実にウィーン的な、なのだろか(笑)「もはや変えることのできないものは、忘れるのが一番幸せ」って、歌詞からして、もぅ何と言っていいやら…

 そんなウィーン世紀末に行ってみよーってか(笑)

 アリス的にウィーン…まぁ、本書でいくなら「犯罪における自然主義とは何だろう。それは犯罪を社会的な衛生学から見て、汚れものとみなすことであり、この時代にあいついで登場してきた。シャーロック・ホームズをはじめとする探偵たちの作法だろう」になるのだろぉか?犯罪と自然主義あると思いますなのか?ウィーン?

 他にアリス的というとこで「古代ギリシアのエレウシスの儀式は、オリンポスの儀式とは異なって、秘密裡に行われて、これに加わることができるのは、秘事の手ほどきを受けた者に限られていた。その者たちは「口が堅い」という意味のギリシア語からミステスとよばれた。つまり、ミステリーの語源である」って、そーだったのか?アリス(笑)ミステリーってギリシア語からきてたのか?謎はどこへ(笑)

 とはいえ、謎については「謎は存在しない」と明快に断言したのが、かのヴィトゲンシュタインですけど、何か?の世界か(笑)

 作家的なとこではフランツ・ブライの件とか、並じゃない人達についての詳細も本書をドゾ。カフカとか…

 何とゆーか、これでもか?これでもか?と掲載されているエピがパネェ…例えばフリードリヒ大王(独)の場合、「素人の音楽家であり、素人の建築家であり、素人の造園家であり、素人の哲学者であり、素人の文学者であり、素人の歴史家であった」って、「さらにまた、素人のフランス人ですらあったようだ」…宮廷はおブランス風というのが当時の欧州的にはジャスティスって事でしょか?ちなみに「一時、家庭教師としてヴォルテールを招き、フランス語の教えを乞うた」って言うから、確か露のエカテリーナにも支持されていなかったっけ?ヴォルテール?まぁそれはともかく、当事者のヴォルテールはというと「意地の悪いヴォルテールは、大王の作文を添削しながら賞賛の言葉をふりまいたが、かたわら、友人宛ての手紙に書いたものである。「どうせ、形容詞はタダだから」」って…いやもーさすがヴォルテールなのか、さすが仏人なのか、それが問題以前ってか…ロココばねぇ…

 も一つ、独でこちらはバイエルン…言わずと知れたルートヴィヒ二世登場ってか(笑)ちなみに彼が国王になったのが1864年、18歳の時でござりました…まぁ世紀の狂王で有名ですけど、ちなみに「弟のオットーも変わっていた」そで、「父親のマクシミーリアン二世にしても、並の王様ではなかったようだ」、その父、ルートヴィヒ的には祖父の「ルートヴィヒ一世」も国的には一旗上げた王様でありながら、その王位を途中で退位している(させられている?)なんですよねぇ…詳細は本書をドゾ。「バイエルンのヴィテルスバッハ家は、三代にわたって、国王職の落伍者つづきであった」っててて…ちなみにこの一族には二つの特性があったそーで一つが「徹底した冷やかな生まじめさ」も一つが「独特の夢想癖」と言われれば、成程の世界か(笑)そして欧州の王家は多かれ少なかれ奇人変人を生み出してきたというか、生み出さずにいられない業を背負っていた模様…

 さて、時代は19世紀、ウィーンに戻ってウィーン的にはどよ?というと「一八七五年、ウィーン市に一区が加わり、それまでの全市九区が十区になった」になって、「一九〇五年、ドナウ北部が編入され、計二十一区となる。三十年前とくらべ、面積は五倍、総人口は一九〇万人に及ぶ」とな…崩壊に向かっている帝国なのに、その首都は急速に膨張の一途をたどっていたとな…

 も一つ、ウィーンという街は「東ヨーロッパの埃をかぶった磁石であり、プスタの平原と隣合ったパリである。いつもさほど思想家たちをこのまなかった。むしろ、遊び人や軽薄者に寛大だった」って…「機械の時代に反抗する時代遅れのヒューマニズム」って…何とゆーか、毎日が祭だっの世界だったんだろか?

 で、1890年のウィーンの人口は130万人超「そのうち三人に一人はチェコ人、十人に一人はユダヤ人」だったそで…後ハンガリー、ボヘミアからの女中がいたりする訳で、だからウィーンの「町の中心にそびえるシュテファン教会には、聖シュテファンと並んで、ボヘミアの守護神である聖ネポムク像もまつられていた」とな…となれば、ここに生まれたユダヤ人は「三つの言語を同寺に理解しなければならなかった」とな…「教養と社交と役所用のドイツ語と、女中や農夫のためのチェコ語と、それに少々のヘブライ語である」って…

 後の1923年頃になると「ユダヤ人は二十万をこえ、比率において、十一パーセントに達していた」とな…相変わらず十人に一人はユダヤ人の世界ですけど、「彼らは二つの陣営によっ7て対立していた」とな…一つ「父の代から、あるいは祖父の代からウィーンに住みつき、刻苦して、みずからの地位を築きあげた保守派のユダヤ人」と「世紀末以来、なかんずくドナウ帝国の消滅とともに、チェコやポーランドやルーマニアから流入してきた多くのユダヤ人」(急進派)という構図…ある意味、アッパーミドルと失業者の対立という事に…でまぁ「ウィーンの「ユダヤ化」を、わけても声高に批判したのは、ユダヤ人自身であった。反ユダヤ主義はとりわけユダヤ人に強かったのである」事態となっていた模様…保守派からみたら数で勝負の急進派、どーしてくれよーの世界か?まぁ平和に暮らすなら現地で、もしくは現地人ともめごと起こすはご法度だろーしなぁ…

 さて、1890年代のウィーンは「幸福であるかにふるまう生き方」でいこーであり、「人々は時代の兆候を無視した。あるいは、見たくなかった」に浸っていたらすぃ…ちなみにホーフマンスタールの手紙には「このウィーンには民衆はいない。ただ人々がいるだけだ。たとえ非常に貧しくても、それぞれ、まるでちがった内的世界をもった人々がいるだけだ」「ウィーン以外の町では、民衆は共通の言葉をもち、そして、たぶん、もっと理解しあっているのだろう。しかし、ここではそうではない。ぼくには、この町がそうでないのがうれしいのだ」って…そこまで言うか(笑)

 もっと凄いのは1870-80年代の家って、「祝福された資産家」の家って、「見せるためであり、誇示するためであり、住居とは、その種の集合体にほかならず、住人の安泰のためでは決してなかった」って…よーは見せびらかしの為のお家という事になるのだろーか?様式もなく、イメージ過剰で細部にこだわり、実用性のセンスに欠けるって…「威厳を重んじ、見せかけに執着し、ニセモノに目がない」って、セレブじゃないんです成金ですってか(笑)

 これまたちなみにハンス・マカルトみたいな成金の英雄みたいな画家まで出てきたりして…「マカルトのパトロンは、ニコラウス・ドゥンバをはじめとして、急速に財を築き、爵位を買いこみ、リング通りに壮大な館を建てた金銭時代の英雄たちであった」とな…マカルトは時代の寵児、売れっ子画家だった訳ですが、まさに時のセレブのセンスがなくて、ニセモノに目がないそのものだった結果の話で…死後、彼の名はいっぺんに美術界から消える事になる訳で…

 そんな中、一九二八年の皇太子の心中事件勃発ですから…「皇帝の一人息子が、妻子ある身でありながら、恋人の腕のなかで死ぬなんてことは、ほんらいあってはならないのではなかろうか」、皇太子とは「愛のために死んではなるまい。女と一緒にベットのなかで死ぬなんてことはできない。そもそも、国王制そのものが、そんな死に方が許されない前提のもとに成り立っている」とな…そーっだったのかぁーっ?狂気か、正気か、それが問題だ?というより、これも業なんですかねぇ…王様稼業も踊るってか?

 滅びゆく旧体制というか、結局19世紀というのは市民階級の台頭みたいな話もあって、これは斜陽の(という表現も何だが…)ウィーンも変わりなしとなり、物の見方によるんじゃね?ですかねぇ…ちなみに著者的アプローチの一つが「私が想定するのは、ハプスブルクを中心とした旧体制と、ユダヤ知識人を中心とした新興勢力との「市民戦争」である」とな、で、この戦争(?)は「ひとえに文化の領域と問われ」た訳で、「しかけた側から、つまり市民の側から見るとき、なんともグロテスクで、まるでカリカチュアにも似ていたにちがいない」になっちゃった訳で(笑)

 仏革命以後、市民の平等が欧州の旗印になって久しい訳で、「法務省制定の憲法は、とどこおりなく自由と平等を保証していた。これを信じないのは文盲だけである」とな…だがしかし「現実はどうであったか。それは欺瞞であり、と同時に、それを信じる者あるいは信じたがる者の自己欺瞞ではなかったか」じゃね?と、所謂一つの建前と本音は違うのが、大人の常識ってか(笑)ちなみにウィーンの場合、「議会は旧体制に独占され、一八九五年の選挙では、反ユダヤ主義者のルエガーが圧倒的多数でウィーン市長に選ばれていた」とな…

 この建前の自由と平等に気が付かないウィーンのユダヤ人知識層じゃあるまいに…じゃね?「なんとも奇妙な「市民戦争」であったにちがいないのだ。支配者側はみずからを、他の国のどの支配者よりもリベラルだと信じている」建前上は確かにそじゃね?で「攻める側は「敵」を名指しできない」となる訳で、直接的な暴力、圧政ではないけど、「構造的な暴力であり、その構造のなかにおりこまれて、そのなかで阻害された個人という自分の立場でつねに傷つくしかない」状況に追いやられている、いたとな…

 かくて「世紀末ウィーンの状況には、「つねに傷ついていた者」を考えなくてはならないだろう」という事になるんじゃまいか?で、文化的なそれで行くと、世紀末ウィーンのソレというのは殆ど、それらの人々の叫びというか、積み重ねの結果じゃまいか?ですかねぇ…かくて「シューンベルクの反音楽も、クラウスの言語批評も、ヴィトゲンシュタインの論理学も」「そこには名ざしされない「敵」がいた」とな…多分、合言葉は「もし天の神々を動かしあたわざれば、冥界を動かさん」(@ヴェルギリウス)欧州深部、パネェでございます…

 まぁウィーンのユダヤ人というのは、まさに色々あってなの世界かもなぁ…部外者がおいそれとはうかつに近寄れないそれがあるよな…ちなみにハイネは「ユダヤ人はキリスト者よりも、良いときにはもっと良く、悪いときにはもっと悪人」と名言残しているし…

 これまた知らなかったのですが「旧ハプスブルク帝国では、ユダヤ人は姓をもたなかった」のだそな…「ユダヤ人の行商人や乞食は市中に住めなかった」そで、ユダヤ人は「父親の名に「ベン」を、つまり「-の息子」の綴りをつけた」のだった模様…「ユダヤ人に姓が認められたのは、ようやく一七八二年、ヨーゼフ二世の「解放令」によってである」そな…そしてこの名前(苗字付け)にも、当時の小役人のソレが含まれているとは…

 さて、ウィーン気質じゃないけど「ウィーン人は、ほめられるのにもましてこきおろされるのに、けっこう、満足を見出してきたものである。どうやらそれを反語ととって、愛情の一変種と考えるらしいのだ」って、もしかしてMな人達?まわりはツンデレばかりなんだから、という認識なんだろか?

 ちなみに現代、「ウィーンでは、オペラ監督のちょっとした洒落が、たちまち、ニュースになる」街で、「花形歌手が風邪をひいたときくと、ロンドンっ子が女王陛下の御病気を心配するように心配する」ところなんだそな…「この町のおたのしみの三位一体「酒・女・歌」は有名だが、これの順番って「原級・比較級・最上級」の並びらすぃ…成程「ここは新年を国歌ではなく、ワルツで迎える町である」って、説得力ありすぎじゃまいか(笑)音楽の都パネェ…

 オペレッタやマーラーについての詳細は本書をドゾ。いや、何とゆーか、どこまでもウィーンだよなぁじゃまいか(笑)ちなみに「「ウィーン・オペラの栄光を築いた」といわれる人々は、たいてい、ここから追い出された者たちである。ヴァインガルトナーもカール・ベームもカラヤンも、一度はきって、このたくらみの森も迷いこんだ」となる訳で、ウィーンの音楽の森、ただじゃ済まないんですよ、奥さん(誰?)

 も一つ、ウィーンと切り離せない人物としてはこの人を忘れてはいけないフロイトで、こちらも詳細は本書をドゾかなぁ…精神分析、なめたらあかんぜよってか?

 豆知識的というかで、熱血宰相ビスマルク閣下のお言葉「明日はこうだと、来月はこうだと、来年はこうなると、はっきり予見できなければならない。ついでまた、なぜ予見したとおりにならなかったかを、きっぱり説得できるだけの能力をもたなくてはならない」がおステキすぐる…ちなみにこれ「政治家にもっとも重要な資質は何か」と問われての答え…永田町や霞が関にそんな資質の人が一人でもいるのか?皆まで言うなの世界か…

 更に「いいかえれば、美辞麗句や紋切型のセリフがウソのために転用される。それらが意見を、ひいては「世論」をつくりあげる。ジャーナリズムは人々の好奇心におもね、私生活におし入り、捏造をいとわない」の件は、成程、百年以上前からマスコミってそゆ体質だったのね(笑)

 とまぁ、他にもたくさんたくさん、本当にたくさんエピ満載ですので、詳細は本書をドゾ。世紀末ウィーンというか、WWⅡ前夜、もしくはWWⅠ直後までのウィーンって…ある種ヨーロッパの縮図的なソレなんだろか?西といえば西、東といえば東、ここからヨーロッパなのか?ここからバルカンなのか?何にしてもウィーン、こちらも永遠の都なんでしょか?うーん…何にしても都市は何もかも飲みこんでいるよーな?

 目次参照  目次 国外

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