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2014年11月29日 (土)

なんでもないことは流行に従う、重大なことは道徳に従う、芸術のことは自分に従う(笑)

うほほいシネクラブ  内田樹  文芸春秋

 サブタイトルは、街場の映画論なんですが、新旧何でもありまっせの世界かなぁ?いえ、新聞連載分は新作ばかりなりなんですけど、これは著者が前書きでおっさっているよーに「メディアの映画評では新作しか扱うことが許されないからです。ビジネス優先ということを考えればそうでしょう」とな…最低でも製作費を回収しないといけないわけで、ショーほど素敵な商売はないという事でしょか(笑)

 ただ、著者的立ち位置でいくと映画とは「あらゆる時代のあらゆる作品はつねに現時点におけるレビューの対象となりうる」じゃね?と(笑)よーは著者から見て仕事以外なら琴線に触れた作品を気ままにしゃべってみたらこーなったのよーな(笑)で、古今東西の映画がこれでもか、これでもかと出てまいります(笑)世界的名作ありの、B級ありの、芸術ありの、娯楽ありのと映画って何でもありなんだなぁと本書を読んで思ったった(笑)まぁフィクションと現実を同じとするなんてはあると思いますだけど、これも一つのリアルのなれの果てなんじゃなかろーか?と(笑)

 全体としてトーンは明るく軽やかで平易な雰囲気なんですが、ただ一つトーンが変わるのは「ドキュメンタリー映画「靖国YASUKUNI」の上映が予定されていた映画館五館が、嫌がらせや営業妨害を懸念して、上映を取りやめた」と「日教組の教研集会会場に予定されていたグランドプリンスホテル新高輪が同じ理由で使用を断ったのである」の項でしょか?うーん、詳細は本書をドゾですけど、映画的側面からいくと「ホテル・ルワンダ」と比較対象されているとこで、この映画を知っている人はお分かりになるかも?

 いざという時にどういう振る舞いをするか?は人として馬脚をさらす一番の瞬間なのかもなぁ?と…ただ著者はいつになく手厳しいですというか、これを言い切れるとこがさすが先生という事か?「私の経験が教えるのは、平時に卑劣なふるまいができる人々は、軍国主義の時代や恐怖政治の時代にも同じ種類のふるまいを(もっと葛藤なしに)できるということである」とな…それにしても「人間が卑劣であったり、情弱であったりすることを私は責めない。けれども「言論の自由」を二束三文で売れるタイプの人間にはメディアの仕事にはあまりかかわってほしくないと思う」と言い切るとは…そーいえば昔、どこぞで大本営発表ってあってなってか(笑)

 アリス的に映画となると、紅雨荘かなぁ?となればこちらは日本映画になるのだろぉか?本書だともがりの森(済みませんもがりの漢字見当たらないよな?)で作家性のある作品についてのスタンスまずは「黙って身を委ねる」とか、小津安二郎では家族と周辺についてを、語っていらっさいます…小津はもっと色々あるので詳細は本書をドゾ。

 後はジャッキー・ブラウンの項での「作家は「登場人物が経験したこと」以上のことを書いてはならないと言ったのはサルトルです」に始まる文学のスタンスについてのソレかなぁ?所謂一つの「節度」って奴ですかねぇ?まぁそゆ点ではアリスはいつもアリスですけど(笑)そしてめげずに現場で思いつきを展開ってか(笑)

 他に准教授的なバリトンで、ヒューゴ・ウィービングとか、オーウェン・ウィルソンでしょか?映画的に魅惑のバリトンボイスは破壊力がパネェという事でFA(笑)

 まぁ世界各国映画ありますよってですけど、やはり世界のハリウッドという事で米に言及しているとこが一番多いかなぁ?きみの読む物語では「アメリカの観客が今いちばん見たがっているのは、「1930-50年代くらいの時代背景」「アメリカの田園(できたら南部諸州のどこか)」で展開する「純愛物語」なんです」とな…米人ノスタルジーに生きていらっさるんだろか?と思いつつ、チャーリーとチョコレート工場では「母親に対する子供の抑圧された悪意」が表現されているとな…米の親子関係もアレだよなぁ…

 ブロークバック・マウンテンではカウボーイ達の抑圧された記憶は二つあるそーで、一つが「黒人やアジア人のカウボーイたちの姿」で、も一つが「カウボーイ同士の愛」だそな…本当はこあいカウボーイのお話だったのか?一方コンスタンチンでは「誰もがやりたがらないけれど、誰かがやらないと、あとでどこかでほかの誰かが困るような仕事があります。そういう仕事は、特別な対価や賞賛を期待せず、ひとりで黙ってやる。そういうささやかな「雪かき仕事」を黙々と積み重ねることでしか「邪悪なもの」がこの世界に湿潤することを食い止めることはできない。そういうものなんです」ってこれサッカーでいう水を運ぶ人の事に近いんだろか?まぁ日本的に言うなら縁の下の力持ちみたいなノリか?一昔前はそーゆー人の評価もあったけど、今は目立てば正義みたいなノリになってきているからなぁ(笑)

 ザ・フォッグでは米人の素朴な疑問「グローバル・スタンダードであるはずの「自由と民主主義」を掲げて「市場原理」でカタギの商いをしているだけなのに、どうして血の復讐に怯えなければならないのか」とな…いやまずアメリカン・スタンダードとグローバル・スタンダードが完全に一致という辺りからアレなんですが(笑)

 その一方でチャーリー・ウィルソンズ・ウォーでは「「日常生活感覚で国際政治の現場に出て行く」チャーリー・ウィルソンの生き方をマイク・ニコルズはいささかの皮肉と愛情をこめて描き出しています。「そういうふるまい」方が許されているのはアメリカ人だけです」になるんでしょか?「ローカルな政治感覚しか持たない政治家が世界史的決定を下すことができる力を持たされている」って…「悲喜劇」かもしれないけど、これこそまさに不都合な真実だと思うのは気のせい(笑)

 で、更にボーン・アルティメイタムになると「「アメリカの敵はみんな暗殺」しちゃう組織という設定が本当に好きですね」で行こうとなる訳ですね、分かります(笑)さすが原爆を落とした国の人達は違う…邪魔者は消せじゃないんですよ、正義の戦いなんですよ、奥さん(誰?)まぁ手ばなしではなくて葛藤があるとこが、最後の良心って奴でしょか(笑)

 又、自虐的と言っていいのかではハンコックのスーパーヒーロー像…「どれほど力を発揮して、悪者を退治しても、さっぱり尊敬されず、子どもたちからさえ「アスホール」呼ばわりされます」とな、本人的は頑張っているのに…これが「現代アメリカの国際社会におけるセルフイメージなのでしょう」とは…アメリカンヒーローの行き着く先は?果たしてどっちだ?

 グラン・トリノなんかも米の男性のイメージ、立ち位置とは何ぞや?の世界なんでしょか?「男性は本質的に虚構的な存在である」とは、これまた女は実体、男は幻想とよく言われるアレと同じなのか?それによーやく米人も自覚し始めたとか(笑)かくて「虚構だと知りつつ、命がけでそれを演じきったとき「男は男になる」。それがアメリカ的男性の自己形成プロセスである」とな…何つーか米男性もやせ我慢の時代に突入したという事なんですかねぇ?

 まぁそんな男男していた男の論理の塊みたいなハリウッド映画もプレシャスでついに次世代ver.突入か?新世界の夜明けか?脱「女性嫌悪」記念日ってか(笑)今までの映画の女性の登場人物達は「男たちの世界から厄介払いされた(「悪い女」は殺され、「良い女」は一人の男の専有物になる)。女たちはそういう話型を通じて父権制秩序を補完し強化する役割しか許されなかった」そな…そーだったのか?ハリウッド(笑)ある意味、マッチョ時代の終焉ですかねぇ…「アメリカの文化は、「女性的なもの」へと補正されなければならないという見通しに私はは深く同意する」と著者はきっぱりおっさってますが、殿方的にそれを言い切れる人はドンダケェーなのか(笑)何とゆーか「男にはアメリカを「住みよい社会」にする仕事において果たす役割はほとんどない」に至っては、成程米の政治も混迷するのも当たり前と言えば当たり前なのか(笑)何かもーマクベスの科白が他人事じゃない時代なんだなぁ…

 後、LAコンフィデンシャルのとこで著者は「「西部劇」は「時代劇」ではない。あれは「ついこの間の事件」なのであり、彼らが経験した100年前の決闘と、父の時代が経験した50年前の戦争と刑事ドラマの銃撃戦は、彼らの中では、すべて地続きなのだ」ですかねぇ…歴史の違いというより、タイムスケールの違いかなぁ?建国200何十年って、そゆ事なんですよねぇ…まぁ突き詰めると西部劇時代もグレーゾーン多しで、含むものはそれなりありそーな悪寒?

 8mmでは犯罪についての米のスタンスについて言及しているけど、この辺りはむしろ准教授の研究と被るのか?ちなみに米では犯罪を「心の病」と規定して犯罪者に必要なのは「愛と癒し」だそな…かくて「犯罪を犯せば「愛と癒し」が待っているという考え方が支配的な社会では、犯罪を抑止するロジックは根付かない。自分の行為の責任をひとりで引き受けようとする主体の成熟は期待できない」とな…まぁ心の病とするなら性善説だよなぁ…でも欧米か(死語?)は性悪説に立脚していらっさるよーに見えるんですけど、そーじゃなかったのか?

 ちなみにクライ・ベイビーにおける主張ですかねぇ?癒しを求めているのは皆同じな世界か?むしろまっとーならまっとーな程、そじゃね?じゃね?か(笑)「アメリカ社会が奉じている「弱肉強食」のロジックにきっぱり「ノー」を告知している。「バカにも、ゴミにも、オケラにも生きる権利と、楽しむ権利はあるぞ」というジョン・ウォーターズのスタンスを私は断固支持する」と著者言い切っているし…まぁ米はもー少し差別じゃなくて平等についての概念を考えた方がいーと思うんだ…

 そしてハリウッド版ゴジラとなると、「アメリカ人の生活では、もう「未知」のものが神話的な恐怖をもたらす、ということはなくなってしまったらしい」とな…何が起ころうが「既知のトラブル」で、「かねて用意の「トラブル・シューティング・マニュアル」通りに片づければ、ま、なにとかなるわなという感じで」日常を過ごしていらっさる模様…「きっと「戦争」なんかもそういう気分でやってるんだろうな」って…先生、それ言っていいんですか(笑)

 米人的人生観とゆーのでは「スリー・キングス」のとこか?ちなみにのこの映画には「「アメリカが正しいことをしてるんだか悪いことをしているんだか、おいらにはわかんないよ」という素朴な「疑問」が語られている」そな…何せ徹頭徹尾、正義の戦争、の国だものですものねぇ(笑)ちなみに米では「「すみません、よくわかりません」という無能の告白は、アメリカ社会においては「倫理的・知的劣等性」のしるしである」そで、「それをあえて表明することはアメリカにおいては随分と勇気の要ることだ」そー…でも、無知と誤解と無理解をこねた中身のない主張をした方がアレだと思うのは気のせいか?何でもいいから取りあえず言っとけ?もしくは旗色決めちゃえってか?

 その他韓流的なとこでトンマッコルへようこそでは「南の連合軍は(韓国軍人もアメリカ軍兵士も)物語的にはトンマッコルを滅ぼす「敵役」に配役されている。そして、最終的には南北統一朝鮮が力を合わせて、壮絶な銃撃戦でアメリカを撃退する」とな…成程、そゆ映画だったのか?

 一方中国ではシャンハイヌーンで「「中国人はアメリカ人に屈服しないぞ」というメッセージはおそらくアジア・マーケットには強くアピールすることであろう」とな…アジアってどのアジアか気になるところだよなぁ(笑)南シナ海周辺諸国の皆様もそー思っていらっさるのだろうか?と素朴な疑問が?

 目を欧州に向けてで仏はどーか?とゆーと、小間使の日記では「啓蒙思想と進歩の国フランスが「本質的に排他的な農村」を醜悪な双子のように、おのれの暗部として、抱え込んでいるのがよく分かる」というのが、何とも…しかも「本質的にシティ・ボーイであったルイス・ブニュエルがもっとも憎んだのが、この「田舎ものの頭の悪さと欲の深さ」だということも」と続ける辺り、著者ェ…何とゆーか自然に還れのルソーあり、でもそのルソーが語ったのは市民に向けてなんですよねぇな話を同じと見て宜しなんだろか?もしくはカレーの市民視点不統一とか(笑)ちなみにコレ米だと、ロミーとミッシェルの場合で「この「下剋上映画」そのものを貫徹する非情なまでの「田舎蔑視・貧乏蔑視・人種差別・女性差別」のすさまじさ」ってか…何かフィッツジェルラド夫人を思い出してしまったが…一方で田園の純愛を夢見ていながら、マンハッタン最高って事なんですかねぇ?

 ダニー・ザ・ドッグでは舞台は「霧深いグラスゴーの街」だそで…「スペンサーの「進歩について」以来の英国人的視線から見れば中国人は「未開人=幼児」に他なりません」となる模様…ちなみにこの監督リュック・ベッソンなんだが…こーして見ると欧米視点というものがよく分かるという事なのか?うーん、ヴァリニャーノ、やはり革新的な人物だったのか(笑)

 独になると、鉄十字章でしょか?一応これハリウッド映画ですけど、舞台はロシア戦線後退戦を独側からの視点で描かれているところかと…「「ロシア戦線でほんとうに起こったこと」を究明する、それが80年代のドイツ「歴史家論争」のひとつの重要な主題であった。それは学術論争のかたちをとって展開したが、左翼知識人の猛然たる反撃にであった。ドイツ人たちには「義のない戦い」で犬死した兵士たちを弔う「権利」がない。ドイツの人々はそう言い聞かされてきた」とな…いやもー何てゆーか…何てゆーか、以下エンドレスで…

 で、まぁ米の最後の良心的な存在になるのか?クリント・イーストウッド…父親たちの星条旗と硫黄島からの手紙の項はそれぞれに、うーん…あえて言葉にしている著者は凄い…誤解なきよーに詳細は本書をドゾ。ただ、「天皇陛下万歳」と「靖国で会おう」に対して「間違いなく多くの日本の兵士たちは死に際して、最後の希望をその言葉に託したのです。その動かしがたい事実が淡々と、どのような判断も込めずに、ただ記述的な仕方で示されているときに、「そのような言葉を口にすべきではなかった」というようなあと知恵の政治的判断はほとんど力を持ちません」とある辺りだけでも、花はどこに行った、魂もなってか…

 さて、これまた米製ですけどロスト・イン・トランスレーション…こちらは舞台は日本とゆー事で(笑)まぁ見た人には色々色々意見はあると思いますが著者の言うとこの「日本の宣伝業界というものがどれほどバカかよくわかる」というのは皆さん完全に同意じゃね(笑)

 他にも色々色々色々、たくさんの映画について語られているので詳細は本書をドゾ。映画を見る切り口は一つじゃないとゆー事ですよねぇ…という事で最後に個人的に気になった二作品をで、一つ目はバベルのとこの「「あなたの言いたいことはよくわかった」という宣言は「だから、私の前から消えてよろしい」という拒絶の意志を含意しています」は、さすが著者手厳しい指摘じゃまいか?だけど続けて「僕たちはむしろ「あなたの言いたいことかよくわからない。だから、あなたのそばにいたい」という言葉を待ち望んでいるのです」と言い切るところ…救いは那辺にありや?でしょか?

 も一つはライフ・イズ・ビューティフルのとこですか?「想像力がない人間は世界を滅ぼすだろう。けれど想像力があっても世界は救えない。微笑みながら滅びるだけだ」とは…バルスと唱えなくても世界は滅びでいっぱいで、おりゃー映画にさわっちまったんだからってか…映画って本当にいいものですよね、では次週また、お会い、しましょー(笑)

 目次参照  目次 文化・芸術

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