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2014年12月17日 (水)

りかるしとらしす?

新版 家の神  鶴見俊輔・文 安達浩・写真  淡交社

 うーん、タイトルからこれはトイレの神様みたいな民話系のほのぼのとした話なのか?と思ったら…写真の方は民間行事的な、ですかばーじゃぱんなノリですけど、文章の方はこれ戦後日本の家族・家庭・家系のあり方に物申すの世界で、むしろ、神は死んだの日本版ニーチェな世界か?

 初っ端からシベリアからの帰還兵が故郷に戻ったら…そこに彼の知る故郷はなかったの世界でして、維新といい、敗戦といい、短期間でコロっと世間が変わるのは日本人気質という事になるんだろーか?

 の前に、家とは何ぞや?ですかねぇ…日本的にはこれを存続する為に個人も犠牲にしてきたと思われの世界だったよーですが、果たしてそれは何だろぉ?かなぁ?江戸だったら、村単位のそれになるのだろーか?共同体の概念に行き着くのでしょか?うーん…

 戦前は、家つながりという事は「労働と経済についておたがいに助け合う」事が含まれていたはずなんですけど、今はもー核家族でそんなの夫婦と親子の間位にしかないとな…21世紀の今、それすらどーか?の現状もか?よーは親戚付き合いとは、葬式と結婚式の時に集まる位の話になったとゆー事ですよねぇ…それ以外はノーサンキューってか(笑)

 さて、本書による家の神とは「家を守るさまざまな象徴を、おおまかにすべて家の神と呼ぶことにすれば、家の神は大切なものだ。しかし、それは家の神についての話のはじまりであって、そこで話を終えることはできない」となる模様…探しものは何ですか?の世界が展開しているのかのか?

 アリス的に家の神…パッと思い浮かぶのはアリスママではなかろーか?かなぁ?息子にアリスと名付ける位ですから、ただもんじゃねぇーと思うんですけど、如何なものか(笑)北白川だと婆ちゃん自身ですかねぇ(笑)うん、最強な気がしてきたぞ(笑)

 さて、物理的に家と言えば、土地とか建物になるのかなぁでして、本書路線で行くならば大黒柱の存在を忘れないでくらはいかなぁ?「大黒柱などというものは、そこに祖先代々の霊がこもっていると感じられる大切な場所で、それは丁寧に毎日ふきそうじをされたが、その大黒柱がないような家のたてかたになって今では、そういう家霊のやどる場所があるかどうかはわからない」と…だいたい、床の間がある家がめっきり減ったと思うのは気のせいか?だしなぁ(笑)大黒柱なんて見た事ない人の方が現在、多いのではなかろーか?

 もしくは家とは即ち、育ちか?とも…習慣とも言うですかねぇ…生まれ育った「家の習慣が自分の中に入りこんでいる」という事でしょか?親子関係とか、うーん…ある種の依存関係か?「自分が何も積極的に親にはたらきかけなくとも、親は自分によくしてくれるであろうという期待。そういう「受身的対象愛」を示す日常語は、ヨーロッパ語にはない」(「「甘え」の構造」土居健郎)そな…で、この甘えは「親とおなじように自分と一体化して考えられる。すべての他者に広げられてゆく。学校にたいして、会社にたいして、政府にたいしても、日本政府をこえた権力としての米国政府に」とな…反抗も抵抗も、まずこの甘えありきなんですかねぇ…

 ちなみに戦後は、結婚も家柄よりも金にシフトしたよーで、「現代では家の神が金の神である場合が多くなっている」となる模様…これは21世紀になってますます顕著かなぁ?婚活も基準は経済だからなぁ(笑)

 まぁ何にせよ、日本の家の場合、多かれ少なかれそれに追従していけば生きていけるとこがミソか?ただし、「家の神の魔力は、個人が独立して自分の眼で社会を見て判断する力を封じてしまうところにある」ともなる訳で…その延長線上と言っていいるのか?「戦前の小学校の教師は、決して嘘をついてはいけないと教えた。もしすべての人がこの教えを守るとしたら、権力者は民衆を自分の都合のよいように支配できるようになる」とな…「富の不平等、権力の不平等、身分の不平等がある社会で、民衆に、決して嘘をつくな、つねに真実を言えという思想が貫徹するとしたら、その社会では権力者にたいする民衆の抵抗はかすかにしかなりたち得ないだろう」でしょか?弱者はしたたかに生きなあかんねんってか(笑)

 家庭内の会話についても「中年以上の夫婦の家庭では、夫は妻と話をしたいと思うけれども、妻はこどもとの話のほうがたのしみであり、そしてこどもは自分の母親よりも、むしろ自分の同年輩の友だと話すことを好むのだ」となるそーで…データ的に古いんですけど、これ今もなのかなぁ?夫は妻と話をしたいと思うの件は眉唾な気がするのは気のせいか(笑)

 で、家から押し出されるのは誰か?みたいな話か?むしろ居場所がないのは誰か?だろか?夫もしくは父親なのか?老人なのか?青年なのか?時代を反映して色々あらーなのエビについては詳細は本書をドゾですけど、まぁ昔から世代の若さから見れば、年上は皆老害という事になるんだろーか?その家の中で誰が一番大切にされるのか?は難しい問題だと思われですかねぇ?子供か?世帯主か?姑か?それとも?家庭内の権力の行方って奴ですか?そーですか?

 話したいでは、「自分がなおらないことを自覚した患者の多くは、死について、自分の家族と話したいと思っている」とゆーキュプラー・ロス「死ぬ瞬間」な話も掲載されていまする。書いているのが女医さんなので医者目線で、患者を中心にしての話だよなぁとこれまた思いますた…本書は家から疎外された者としてペーター・キュルテンの挿話なんかもあるのですが、こちらの考察もキュルテン側で動きのある方目線なんですよねぇ…かかわざるをえないまわりの視線というか立場からの考察というのは、どこでもあんまり見ないよねぇ…

 「家とは、個人の立場から見れば、あたたかさの記憶である。それはうまれた時に自分を受けとってくれる場所であり、人びとである。ひとりで生きてゆく力のない自分が無条件によりかかれる人びとのいる場所である」となるんでしょか?更に「家の神への信頼は、権力の原理、弱肉強食の原理、理想社会についての普遍的原理のあらわしやすい酷薄な側面に対抗する力として、われわれの中におかれているものと理解できるのではないか」とあって、これってもしかして集団幻想って奴なんだろか?とふと思ったり(笑)

 家についての概念って人によっても違うし、時代によっても違うという事で、これもあり、あれもあり、多分あり、きっとありの世界ですかねぇ(笑)答えはそれぞれ個人の幻想の中にあるよーな?峠の我が家か、牧場の我が家かは知りませんが(笑)

 さて、本書は豆知識も満載で本当に色々あるんですけど、例えば名付けなんかも「農家では、うまれた子が弱くてそだたないことを心配して、それが名前のせいではないかと考えて、一度家から捨てた形にして拾い親、養い親を別にたのみ、その人に名前をつけてもらうということをした」そな…一方武家では「うまれた時には仮の名前を主人あるいは誰か目上の人につけてもらい、成人式になってから烏帽子親をたのんで名前をつけてもらったという」となるそな…烏帽子親って名付け親の事だったのか?

 ちなみに「武士の元服は十二歳から十五歳にかけておこなわれたらしいが、農民、商人の場合には、一人前のはたらきが何歳からできるかは職能に応じてちがうので、成人式にあたる儀式の行われる次期には十二歳から三十歳までのひろがりがあった」とな…意外とパンピーの方が成人遅かったとゆー事もあるのか?

 名前については、生まれた時についた名前、元服の時のついた名前、更に隠居した際につけた俳名、僧名と変えたとな…「このそれぞれの折り目に、自己意識の変革が必要だととい知恵が働いている」と…これぞ生活の知恵って奴ですかねぇ…リセットして新たな自分として生きよって事かなぁと(笑)

 他にもエビ満載ですので詳細は本書をドゾ。ハードでスパイシーな世界がお待ちしております(笑)

 目次参照  目次 文化・芸術

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