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2015年1月14日 (水)

あっかるいつっきー(笑)

定家明月記私鈔  堀田善衛  筑摩書房

 さて、何かと言えば、著者による明月記読書記だろーか?定家とついているからすぐに分かると思うけど、というより明月記となれば定家の日記というのは、古文の授業であったよな?の世界で日本人なら名前だけは誰でも知ってるのノリか?でもって、それを作家である著者が読み解くとな…ある種文学者が文学者を追うみたいなノリで、さすが文学畑の人は違うというか、これはもー教養の違いじゃね?の世界かな(笑)

 そして本書はその明月記、治承四(1180)年から承元三(1209)年位までを本書は検討してますが、だいたい定家19歳から48歳位まで…平安京都の一貴族、多分中流の日常が出てる感じなぁ?時代が平安末期、もしくは鎌倉初期で、院政どっぷりの時代ですから、ある種乱世、こー言っては何だけど京都の公卿や貴族にとってはもろに斜陽の時代でして、更に定家となれば歌人の一門としてのソレもあって、なかなかにスリリングな展開というか、もしくはそんな世の中激動なのにのほほんなノリというか、良くも悪くも定家って骨の髄まで都会人だったんだなぁとゆーのがよく分かるってか(笑)

 そんな平安貴族の毎日とはどんなもんであったかというと、結構お忙しの日々だったよーで…「朝っぱらからあちらの御殿へ、こちらのお屋敷へと御機嫌伺いやら挨拶やら火事見舞いやらで、氏は本当にいそがしいのである。車に乗ったり騎行したり、歩いたり…。またこの頃にいったい何種類あるのか数限りないかに思われる儀式への参列やら法会やら加持祈祷、方違などの用事で、朝から晩まで京じゅうを駆け廻っているような生活が、彼の実態なのである。しかもこの日の記事に見られるように、衣服衣装の種類からその色模様、布の種類、乗り物などまでを彼はまったく毎日飽きもせずに書きしるして行く」とな…いつどこでだれが何をした+何着てたとか何贈ったとかの世界…行事が多いって、しかもTPOが今以上に煩かった時代だから、大変大変大変だだだっの世界が展開していると…お貴族様も楽じゃないんですね…

 本書の後半になると、夏、初夏?に冬の直衣を着てきたとゆー事で除籍になってしまう貴族も出てきたりして…貴族の窮状はかりしれないの世界ですが、でも面目あっての貴族ですから衣も整わないとなれば貴族に非ずの世界もそれもまた人生ぃぃぃぃって奴らすぃ…定家も中年期に入って荘園からこないで貧乏生活してますが…宮廷はそゆ状況でも宮廷しているんですよねぇ…

 何より京の治安問題が物凄い事になっているのは如何なものか?本当に機能しない朝廷って、そしてそれにしがみつくしかない貴族って…更に武士階級の台頭って…何ともアレです(笑)

 アリス的に定家…歌人としてのソレでいくと広義での文学畑だものの世界か?舞台が京都という事の方がアリス的にはあると思いますかなぁ?京は燃えているか?実際、火事が絶えない京都かな、の世界だし…

 世の中乱世だというのに施政者としての自覚があるのか?ないのか?の後鳥羽院のしていた事はというと、「遊蕩、遊山、博突、蹴鞠、競馬に鳥合、賭弓、遊女あそび、それに処々方々に別荘をつくる土建狂い、造園、琵琶その他による音楽。隠れん坊に双六などに耽りはじめ、ひょいと思い付けば女官の車だろうが何だろうが、「惣ジテ毎日毎晩此ノ儀アリ。牛馬ヲ馳セラル」という次第であり、押し掛けられた家では朝まで遊宴、御機嫌とりどもは別として、大抵の連中にはたまったものではない行状に及んでいたのであった」とな…でも言われてみればどこぞの永田町や霞が関と変わりなしな気が(笑)接待ゴルフじゃいけないんですかぁーっ?の世界だしなぁ(笑)

 働くの意味が違うよーな気がするが、まぁ…太鼓持ちも仕事と言えば仕事だし…とにかく宮廷生活というものは、明けても暮れてもそんな感じぃなので歌人としてゆっくり歌なんか作っている暇はなしと…職業歌人としてのソレでいくとその年によって、創作した歌の量というのの差の上下動が激しいよーな?これまた詳細は本書をドゾですが…

 しかも「歌合せは和歌を詠むだけではなくて勝負事の一つでもあってみれば、お互いに遠慮もあり、むげに勝負判定するわけにも行かないのである」にもなっちゃう訳で…歌の良し悪しもあるけど、空気読めもまたある訳で…いや実に日本です(笑)

 そんな生活を定家はしていた訳で「雨が降ろうが風が吹こうが、後鳥羽院のあとを追って文字通り駆けまわらなくてはならないのである。二流貴族、職業歌人の悲しみもここにきわまれりとでも言うべきであろうか」になっちゃうとな…

 そして彼らがしている遊興、遊びとは「そのほとんどが社会の下層階級が創出したものである。ということは、これを逆に考えれば、社会の上層部に実は文化的創造の力が無くなって来ている、それが衰えて来ていればこそ、俗間のものが宮廷までひたひたと侵入して行くのである」とな…定家的には和歌も風前の灯状態なのは目に見えてきている模様…宮廷のソレは何もかも、ふっるいじゃーんっな世界に突入していて、今様は皆、俗世間のものなりの世界…王侯貴族もそれに追随するしかないって…

 歌人の一門としてこれだけでも将来に対して暗澹たる気持ちになるのも分からないではないじゃまいか?ですかねぇ…そんな古臭い事有り難がってやってるのはだぁれ?で今後もやり続けていく人は、どこにいるんだぁーっ(エコー付/笑)

 それに歴史も淡々と通奏低音のよーにある訳で、貴族の日記的には京の暮らししか出てこないんですけど、例えば治承四年(1180)という年は「源頼政が以仁王を奉じて平家追討のために立ち上り、平氏の軍と宇治川で戦って敗れ平等院で自決し、その首を上皇が清盛邸まで出掛けて行って見物したり、また福原遷都のことがあったりしたとしても、爾後のことに比べれば、平氏の悪政はきわまれりと言えても、まだまだそれほどに差し迫った乱世とは言い難いのである」になるよーで…こーして見ると定家は平氏から源氏へと時代が移行しているその真っただ中に生きていたんだなぁと分かりますじゃね?

 ちなみに治承四年は定家は19歳だけど、あの鴨長明も同時代人でこちらは26歳…この年齢差と身分が、この明月記と方丈記の違いにも出ているとな…何とゆーか、見比べて、読み比べてご覧の世界か?

 でまぁ、建築、造園にあけくれていたわりには、治水なんかほったらかしで、京都内を流れる川、賀茂川も堀川もそんなの関係ねぇー(死語?)で、「かえって貴族の邸内に鑓水として流れが引き入れられたりし、右京は事に湿潤で、それが疫病流行の原因にもなっていた」って、祇園祭で疫病退散より、むしろ公衆衛生、治水監理の徹底の方が必要だったんじゃまいか?都市計画なんて、そんなの関係ねぇー(死語?)だったのか…そんなわけで左京に貴族や富裕層が、右京に下層階級が暮らしていたとゆー…平安王侯貴族、施政者の鑑じゃね(笑)

 ちなみにそんな中での福原遷都したいなぁな話も「政治、経済、社会状況が頽廃して来て始末におえなくなったときに、支配階級がそこから逃げ出して、自分の気に入った連中だけ掻きあつめて新都を作るという、そういう状況なのである」で「政治的にまことに無責任な施策」というのは千年前も変わりなしという事か?成程、政治家が遷都と言い出したら、無為無策の無能の集まりと見てFAなんだなぁ(笑)

 まさに京都というより、朝廷・宮廷・王侯貴族のオワコンという事でしょか?そんな中、著者のつき離し感半端ネェで、「二流貴族、職業歌人などというものは、神主候補者の長明とともに、時代の危機に際しては無用の人物であり、彼らの復讐は文章においてはありえないのである」になっちゃう模様…後に歌人として名を残す定家にこれか…まぁ確かに実践知識は室内芸術家に求めても…有職故実でも、歴史とは何か?は全く抜け落ちていそーだしなぁ…

 この点についても著者は「官僚体制内の人としての定家には、歴史意識というものが、別に皆無とまでは言わぬにしても甚しく欠けていることである」と指摘しているし(笑)故に、この日記はまさに中の人の感覚そのままに反映されている訳で…事件は現場で起こっているんだぁーっ的なノリはないんですよね(笑)何とゆーか、常に京都の片隅でな世界観とでもいおーか(笑)で、中の人達はどーだったというと「事実としてこの頃の京公卿たちは、やはり多少ともヒステリー状態にあったと見え、実によく泣くのである」だったよーで…何もできない者は何もできないなりにストレス溜めていた模様…

 さて、日記の期間には、平清盛が亡くなったり、源頼朝が鎌倉幕府開いたりするのとほぼ同時代でして、この移り変わりの詳細は本書をドゾですが、京都から見たソレは歴史の教科書のソレとはまた若干ニュアンス変わるみたいで、これもまたこの日記の醍醐味かも?歴史的大事件も日記には出て来ないもしくはさらりと流していたりするんですよ、奥さん(誰?)養和の大飢饉とかも大問題だと思われですけど、お貴族様的には、そっ、みたいな…

 定家的には明月記、欠落しているとこがいぱーいあって、年単位でないとことか一年の内でも一日だけとかいうとこもあって、どゆ事?みたいなノリもあると…

 定家個人としては、平安貴族だからなのか?物凄く大家族だったんじゃまいか?ですかねぇ?異母兄弟とはいえ、27人もいて、これまた自分の子供も27人いた事になる模様…まぁ通い婚の時代ですからというのもあるだろーけど、こーなると叔父叔母、甥姪などの親戚関係は一体どーなっているんだぁーっ?更にこれに主家があったり、宮廷の人間模様もある訳で、また荘園や屋敷内の家人達もいると…京都の貴族とは人人人の世界だったんだろーか?

 そんな中で定家のやっている事といえば自作の歌集出していたり、和歌集の選定に参加したりの世界だから、乱世でも文化活動やってますが、何か?の世界か?も一つ定家個人的なとこでは、建久五年位に再婚しているとこでしょか?で、この相手が西園寺公経の姉…そして「この二人目の妻がもしいなかったとしたら、歌の家としてのつづきというものが不可能であったろうということも、疑いの少ないところである」になってくるそな…縁続きという事になるんだろぉか?うーむ…

 そして上皇制は続くよで、後白河が逝っても、後鳥羽が継ぎますけんで「制度上のことはいかがともあれ、政治上の実効としてはまことに狡智をきわめた責任廻避体制である」というのは、言われてみて納得したっ(笑)日本のトップの伝統芸能は、何が何でも責任回避これに尽きね?そっかー千年前から、そんな男ばっかだったのか(笑)

 また歌人だから家で歌詠んでいればいいという訳ではなくて、宮廷官僚としての生活もある訳で、「おどろくべきことは、夜勤が非常に多く、勤務時間などという一定のものはないように見受けられることである。上日と称する出勤日数による勤務評定に類したものはある」そーだけど、朝出かけて、夕出かけて、何してたというと雨戸の開け閉めやらされてたり、夜中までこき使われているそな…まぁ今みたいな兎小屋な小さい家と違って宮中となれば、部屋数も多く、それに伴い雨戸も多くなるんだろーけど、それを一々中流とはいえ貴族自身が開け閉めしていたとは…何とゆーか、全自動シャッターが欲すぃの世界だったのだろーなぁ(笑)

 朝議も名の通り朝とか午前中の話ではなくて、昼も夜も会議がぁーって、これ現在のサラリーマンと大して変わりないんじゃね?しかも深夜の帰り路は真っ暗でござるで、下手すると上級貴族の牛車に引かれかねないとゆー…闇夜の交通事故を心配しないといけなくなると…相手が自分より身分上なら死んでも文句言えないとなれば、夜道も命懸けになる訳だったりして…

 仕事的にどよ?というのはあるとしても、じゃあ歌人的に浮かばれたか?と言うと、これまた後鳥羽院は「それまで歌作にさしたる才能も興味も示していなかったのである」という人だったりして(笑)こーして見ると、宮廷官僚としても終始浮かばれなかったよーな気がする定家ですが、歌人的な方も浮き沈み激しいというか、絶賛大好評中みたいな話はそーそー出てきてないよーな…何かもー、こー鬱屈してくるのも仕方ない気にさせられるよな…これに荘園系の抵抗がで、貧窮な生活もある訳で…

 まぁ何にしても定家39歳の時に87歳の父親から賄賂の送り方指南を受ける位ですから、いい年齢こいてどーよ?という以前に、京もマッチョ思考に染まっていたとゆー事ですよねぇ、よーは色と金がものを言うと…

 まっそれもともかく正治二年になって、「後鳥羽院直属の歌人となるのである」でして、ここから定家は歌人としての独り立ちという事になるらすぃ(笑)それまでは主家の九条家の歌人という立ち位置だった模様…とはいえ、後鳥羽院はとなれば遊び人そのもので、歌一筋にの世界でもなし、ましてや歌の世界も連歌とか、今様が台頭してきている訳でその中の一つとしての和歌ですから…定家的にはある意味一生危機感しかない人生だったのかもなぁ?京の貴族としても、歌人としても…

 というのも、「歌道が公家貴族を特異なものたらしめる文化であり、ひいては歌道の心得あるものが、あるいはさらにそれだけが公家たりうるというところまで昂進していたとすれば、故障の生ずることは、これはもう必至である」になっちゃうと…しかも経済的なとこでは武士階級の台頭で、貴族側からは「社会的不満」も高まっていく訳で、貴族的な縋るものは歌道しかないの世界か(笑)ある意味、貴族の最後の砦的なソレか(笑)

 そんな中、新古今和歌集が編纂される訳で、この件に関しての紆余曲折の詳細は本書をドゾですが、歌人としての定家としては仕事したの世界かなぁ(笑)色々あったみたいですが…それでも「後世の今日から見ても、これだけつきつめた抽象美を形成した詞華集は、世界文学のなかでも唯一無二であろう」となるそな…平安貴族、宮廷文化恐るべしってか?

 定家の生涯を通して、定家の性格というものが、これまたあまりいいとは言えないよーなで、まぁ鬱屈しているげいじつかというのもあるだろーし、これまた鬱屈している宮廷官僚というのもあるだろーし、同じ位ではたいてい一番年齢上、という事は定家的には出世が物凄く遅いという事になって職場での形見が狭いという事になるんですよ、奥さん(誰?)院の評価もアレで、また本人も「気位の高さが、しかし、定家の身上なのであり、かつこれがさまざまな故障を引き起こすもととなるのである」で、上司としては扱いにくい部下、かわいくない部下という事になるんじゃまいか?

 そゆ男の日記ですから…京の貴族にして遊びごとも、お酒もあまり好まないとなれば、お貴族サマ的お付き合いとして、どーよ?という事にもなる訳で(笑)そして定家のスキルの一つがジャーナリスト的才能というのもあって、明月記は「新聞の合冊本の如きのものとして」読む事も可能だとな…何とゆーか、中の人なのに、定家の書き方は常に突き放した感じなんですよねぇ…

 も一つ定家的というとこでは、「歌学の家としての家の擁立である」で、後半になるにつれ、家の存続、継承というとこにも力点が動いていく訳で…こちらの詳細も本書をドゾ。貴族的に根回し必須なんですよ、奥さん(誰?)

 そして時代は「親幕府派であった九条家と、仙洞を中心とする上皇派の近衛家との抗争」があって、これまた貴族達を二分していた模様…歴史は確実に動いてるよなぁと(笑)そして、「この時代の権力形態を、京都を公、鎌倉を武として、公武という言い方で表現するとして、そこにもう一つ、国家宗教としていの法という、もう一つの単位が入らなければならないだろう」とな…こーしてみるとお坊さんの権力もまた絶大だったのが分かるってか?

 その他、豆知識的には「天皇の性行為は皇嗣をうるための公事、すなわち国事行為なのである」とは知らなんだ…ところが院政はというとこれに男色が大っぴらに入ってくる訳で、こちらは「男色は、しかし、国事行為ではなく、これはまず趣味、好みの問題であるであろうか」になる模様…そーだったのかぁーっ?

 も一つは定家の日記は漢文で書かれていたよーなんですが、父の臨終の言葉なんかは日本語、やまとことばをそのまま併記するしかなく、この辺りから「すでに日本での生活のなかでの漢文の限界というものが明らかに見えて来ているのである」とな…おとこもすなるにきというものおんなもしてみんとするなりってか(笑)まぁ定家の場合は、当時の言葉のスペシャリストですから、その定家にして漢文に訳せない言葉があると…やはり言葉も現場なんですよねぇ…どんなに浸透していたとしても借り物は、第二外国語でしかないんですよ、奥さん(笑)

 とゆー定家48歳位までの日記を追っての世界ですが、他にもたくさん、いやマジでたくさんありますよってに興味のある方は本書をドゾ。日記的には欠損があるとしても、凄い量なのは変わり無しでしょか(笑)いや、実に京都的なお話だと思われですかねぇ…

 最後に一つ、本書で一番インパクトがあったというか、著者言い切るなぁとゆーとこで「こういう危機に際して、如何なる為政者もがほとんど絶対に気付かないことは、朝廷などというものがなくても、人民は永遠に存在し得るという一事である」ですかねぇ…危機対応の有能なトップが必要だって話はよく出るけど、実際はあってもなくてもどーでもいい存在に過ぎないかもって…いやぁ3.11を経験した後には、いざという時一番頼りにならないとこが、政財界のトップ達だからなぁ(笑)

 とゆー訳で、歌人としてだろーけど、一人の男としての本音ダダ漏れな明月記、さめざめと分かる話なんだろか?で、宮仕えの貴方に捧ぐ、ですかねぇ(笑)

 目次参照  目次 文系

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