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2015年1月11日 (日)

客観的でなければ学問ではない。しかし、主観的でなければ実践にはつながらない。

加藤周一 最終講義  加藤周一  かもがわ出版

 いやなんちゅーか、ある意味凄い…知とはこゆもんなんだろなぁと思わされる本でしょか?著者があっちこっちで喋った事をまとめての本なんですが、そのお題は本当にバラバラなのに、その内容は見事に合ってるな世界で、著者の教養の幅とは一体?と思う位…学者先生というと専門バカが多い昨今、こーゆー人もいらっさるんだなぁと納得ってか?

 それでタイトル通り、各界というか、各会、各校での最後のお話となってしまったぁーな講義録をまとめてみたましたが、何か?みたいなノリだろか?で、それがマルキシズム、仏教、朱子学とその日本化(@佛教大学)、何人かの歴史上の人物について(@白妙会)、私の人生、文学の歩み(@清華大学)、京都千年、または二分法の体系について(@立命館大学)のラインナップ…それにしても仏教でマルキシズムを語る…あると思いますなのか?いや、実に著者らすぃという事になるんだろーけど、成程戦前、戦中の教養人にはマルキシズムは普通にあるものなんだなぁ…これが多分六十年代の学生運動位まで続くんだろーけど、この戦前と戦後のソレはまた持っている雰囲気というか、ニュアンスが違うよーな?そこはやはり団塊の世代とは違うという事か?

 いや、何にしても読後の正直な感想は昭和は遠くになりにけりの世界かなぁ?でもって、ツールとしてのマルキシズムもあると思いますの世界か?と、それだけじゃないよな外の国からやってくるものに対しての日本もしくは日本人とは、何か?というより、どうか?どう反応するか?もしくは内包するか?消化するか?かなぁ?それは仏教でもマルキシズムでも芸術でも変わりなしみたいなんですよ、奥さん(誰?)

 アリス的には、本書に出てくるとこがほぼ京都じゃね?ですかねぇ(笑)ただ、お題的には最後の京都とは何ぞや?的なお話のとこが一番分かりやすいのかも?京都の立ち位置とは何ぞや?ですかねぇ?日本的には、江戸時代前なら日本の中心的な存在でしたけど、さて、平安の昔から京都は、中心であり、辺境であったとゆー見方かな?と…辺境って何やねんというと、中国文化圏を中心にした場合、京都というのは端も端、周辺の一部に過ぎない訳だと…で、それが京都的文化の発展、熟成に幸いしたんじゃまいか?的なお話でしょか?

 どゆ事かというと何か一つ生み出される、ミクロで言えば源氏物語一つとっても突然源氏物語が出てきた訳でないと、その前に幾つかの前振りがある訳で…何かが生まれるには、そゆ対立が並存しているとこじゃね?とゆー話だと思うんだが…「文化的持続があると同時に革新、持続との変化との、二つの対立と緊張のなかからそういうものが生まれた。空間的に、中心部と周辺部との関係で言えば、周辺部に独創的な考え方が出てきた」となる訳で…

 中の人じゃないと業界の事は分からないけど、どっぷり浸かっていたら分からないと、中にいながらにして傍観者が、何かを生み出すパワーとなると見ていいのだろーか?

 で、歴史とは何か?は「普遍性と特殊性とのほとんど戦いです。対立し、緊張を生み出すところの戦いのアリーナが歴史です」とな…成程、歴史とは純粋何ちゃらじゃないもんなぁ(笑)

 さて、話は京都に戻って、これまた全然知らなかったのですが、木造建築が「京都のような大きなスケールで残っているところは世界中にない」とは知らなんだ…「これだけの大都会が残っているのは、京都だけです」とな…世界の都市とは石かコンクリの世界だったのだなぁと…都市景観的に京都とは世界に一つの世界だったのか(笑)

 でまぁそれが文化さ、というものらすぃ…日本人は日頃あまり意識していなけど、文化というのはそゆ風に普通にあって、そして血肉になっているとこなんだろなぁと…というのも「私が日本人であるということは、文化的アイデンティティがなければ空虚な言葉でしょう。パスポートの問題にすぎない。もし、私が日本人であるということに国籍とパスポート以上の意味があるとすれば、それは文化的アイデンティティです。そして、文化的アイデンティティは現実のものがなければしようがない。持続というものがそこに生きていなければならない。それがどこに生きているかといえば、京都」という事になるそーな…そーだったのかぁーっ?と日本人ならその位のインパクトだけど、米人だったら、分っかるかなぁーっ?分かんねぇーだろーなぁ?にならまいか(笑)あの人達の場合、国籍だけ揃えばこの国の人でそんな事ありませんなんて言おーものなら、あのお得意の差別だぁーって口角泡飛ばして反論して来そーと思うのは気のせいか(笑)

 何とゆーか、奈良や京都のある有難みというのは、多分日本人が一番気付いていないのかもしれないなぁとか(笑)

 と、京都のとこだけでも結構な内容でございまして、その他の章についての詳細は本書をドゾとしか言えねぇ…それにしても今時こんなに熱くマルキシズムを語る人がいたとは?ありゃ20世紀でオワコンじゃねぇの?なんて思っていたら、甘いぜの世界だったんですねぇ…やっぱ思考ツールとして、どーよ?というのはある模様…物の見方は色々あった方がいいって事でしょか?世は多様性の時代だし(笑)

 も一つ京都的なとこで、京都には「お寺が経営する病院というものはありますか」という著者の問いに、白妙会の会員の方の答えが「京都ではキリスト教系の病院はありますが、仏教にはありません」という事になるらすぃ…ただし「大阪には天平期の悲田院跡地にいまも仏教系の四天王寺病院があります。かつてはホームレスの人やハンセン病患者を受け入れてました」(@会員の方)となる模様…京都の仏教は国の仏教で、国僧、所謂官僚ですからねぇ…昔は病気は穢れですから、国の為に祈るのがメインの僧侶達が穢れる訳にはいかないとゆーのが、未だずっと続いているんですかねぇ…

 も一つ、京都的なだけじゃないだろーけど、日本のお坊さん、宗派が違うと「道で会っても挨拶しない」(とある僧談)となる模様…派閥とは、そこまで行っちゃってるんですねぇ…で、そゆ垣根をはらって話し合ってみませんかみたいな「京都・宗教系大学院連合」の会なんかでも話す人がいない、もしくは天気の話しかしないみたいなノリになるらすぃ…そんな中で著者が話をしたら「話に乗ってまともに聞いてくれて、かつ友好的な議論をしたのは同志社の人。キリスト教関係者はその人だけでした」とな…いや何かもー如何にも京都なエピだよなぁ(笑)

 後アリス的なとこでは、美術の様式についてのとこ、画家というのは「一つの様式を見つけるために、かならずたくさんの様式を何年か試してみて、自分のものを発見すると、発見したときから」「死ぬまで自分のやり方をとおす」となるそな。そーだったのか?アマノン?絵には必ず己のスタイルがあるという事らすぃ…で普通の画家なら一つで済むけど、その例外がピカソと富岡鉄斎という事になるらすぃ…これまた詳細は本書をドゾ。それにしても美術ってこゆ見方もあるんだなぁ…

 他にアリス的なとこというと、「戦後アメリカの一流の社会学者にはユダヤ人が多いのです。ユダヤ人はアメリカ社会のなかで差別されてました。差別が緩みだしたのはやっと一九六〇年代です」とな…で「社会の中心部でもって強大な力をもつことはまず望みがない。差別が強すぎる。そのために社会の端にいるのですが、しかし外国人ではない、アメリカ人ですよ。ですから観察するのに非常に有利なんです。彼らは-アメリカ社会をたいへんよく観察して一流の社会学者になりました」とな…そーだったのか?准教授?多分、准教授も米に留学していた経験があるはずで、となると准教授の米での先生ってユダヤ系の可能性が高いんだろか?うーん…

 何にせよ、日本の歴史的にも、常に輸入の文化ですから、で、取り込んで日本化するとこれをせっせと2000年間(縄文・弥生をどー見るか?でまたアレですけど?)やってきた民族だからなぁ(笑)で、その外からやってきた対応って基本三つあるそーで、「第一の対応は全面降伏」「二つ目の対応の仕方は全面拒否」「三つ目の対応の仕方は、そのまま受け容れるのではなく、良いところを採るというもの」だそな…でまぁ一も二もあるけど、どっちかという日本の場合は「少し変えながら受け容れるというものです」になるとな(笑)いやもーこれ日本の伝統芸能でしょー?

 イデオロギー的な波となれば、明治維新以後にドカーンとビックウェーブだぜとやって来たとな…第一の波が「ブロテスタンティズム」、第二の波が「マルクス主義」、第三の波が「西洋のテクノロジー」だぜっていう事になるそな…でかい波だなぁというか、天気晴朗なれど波高しってか(笑)波にどう立ち向かうか?というより、どう対応するか?は、日本人なら皆まで言うまでもなく、そゆ事なんですよ、奥さん(誰?)

 で、著者はマルクス主義を語るですが(笑)ちなみに著者曰く「とにかく、マルクス主義は流行っていない。私は原則として流行っていないことが好きなんだ(笑)」って、先生自分で言っちゃっていいんですか?いいんですの世界か(笑)

 そのマルクス主義「一つの特徴は、この思想は非常に強く共産党と結びついているということです」という事ですかねぇ…詳細は本書をドゾですが、著者的に「共産党宣言」読めや、比較的薄いし(笑)という事らすぃ(笑)で資本論の方は分厚いし、翻訳も今一だから、こちらは無理に読めとは言わないよって、先生なんて正直な(笑)

 てな訳でマルクス主義とは「第一に、政治的に見れば革命政党の政治的マニフェスト」「第二は、経済理論が中心にある経済学理論」となる模様、それが資本論の中核になるそーだけど、それはアレだから「賃労働と資本」を読めとな、これまた薄いし(笑)

 さて、資本主義とは何ぞやで、「機械や工場といった資本」「原材料」「労働者を雇って賃金を支払う」とな…でその三要素を合わせた支払より「出来上がった商品の価格を少し高くして売ることができれば儲かるわけ」とな、でその儲かった金は資本家の懐へと(笑)で、何を目指すとかといえば「三つの要素をできるだけ小さく、少なくできるかということです」に尽きる訳で…

 で、前者二つについてはコスト削減で何したって「生き物でないからそれ自身文句を言わない」から、いかよーにても出来ると…ただし、三番目の労働者に対してはどーよ?という事になるじゃまいか?でしょか?「資本家の立場から言えば、一番有利なのは、生きて働ける最低限度の労働条件で済ませることです。生存の最低限度。労働の再生産の最も低い水準で耐えられる程度の低い賃金わ支払って労働者を養わなければならない、ということになる」とな…で儲かったお金は、再投資すると、利潤は拡大するやんけというサイクルの世界だそーな(笑)

 でも考えて欲すぃ…ていう事はいつまでたっても「労働者の生活程度は上がらないでしょう。収入が限られると市場における購買力が上がらない」と…ところが「金持ちは資産が無限に蓄積されるから貧富の差は拡大する」と、結果格差社会につながる訳でそれの行き着く先は「社会生活の在りようや福祉に直接影響が出てくるのは時間の問題です」とな…まぁ労働者の賃金が下がれば市場が縮小する訳でから、商圏の縮小になって儲かりまっか?以前の問題になりそーなんだが?だから、今や海外に販路をの世界になっているのだろーか(笑)国内で金が回らなくなったら、何事もお仕舞じゃね?ある意味自作自演乙なんだろか?

 で、これの対応も二つあって、一つが労働組合つくって、労使交渉という奴かで、も一つが制度そのものを変えればいいじゃないで、これが「革命」とゆー事か(笑)まぁ何かとマルクス主義、共産主義が革命革命と口にするのはそゆ訳だったりするんですよ、奥さん(誰?)

 結局、貧富の差という事が単に経済的なお金の多寡によるものだけじゃなくて、「上部構造も独占する」事が問題じゃね?じゃね…「社会が支配階級と被支配階級に分けていくと、いいことはみんな支配階級に吸収されてしまい、下にいる人の不満が極端になると反抗というかたちで爆発します」という事になると…「反抗が組織的になれば革命になる」とゆー事らすぃ…

 で「支配階級は暴力装置を独占していて、軍隊はもちろんのこと、警察権力も彼らの味方です。軍隊はかならずしも対外国用ではない。自国の人民を守るためと称していますが、それは軍隊を持っている側の人たちがそう称しているだけの話で、実際は自国の労働者を監督して、もし労働者が反抗すれば、弾圧するためにそれを使うでしょう。歴史的に軍隊はそういうふうに使われてきました。そういう事実を支配層が広告しないのはあたりまえで、その話はしないで暮らしているわけだけれども、その話をしようとしまいと、事実はそうです」というのは、成程、某天〇門で自国民をローラー引きにする戦車って、あれ支配層的には、軍隊的には、政治的に正しい行動、もしくは歴史的に繰り返してきた行動だった訳か(笑)

 でで、も一つの抑え方が、暴力的な支配ではなくて、洗脳的な支配でしょか?「わが国は無限に平穏で平和な国であるはずだ。何か悪いことがおこれば、それはみんな外国人のせいである、という非暴力的な支配の仕方もある。そういう哲学は、典型的な鮮やかな偏見でしょう。それが階級闘争と上部構造ということの意味です」って…日本もというか、どこの国でも多少にかかわらずあるとしても、どこぞの国とか国とか国とか(笑)はもー他国民を名指しで煽っているのは、そゆ事だったとゆー訳か?オレは(俺達は)正しい、間違っているとしたらみんな〇〇人のせいだって、これって思考停止じゃね?

 本書的にはこれは「ブレーンウォッシング(洗脳)」と表現してますが、「ブレーンウォッシングは現在の秩序を維持するようにはたらきます。学校の教育制度もマスメディアも、その影響力を使ってプレーンウォッシングして、みんなが満足するようにしむける。イデオロギー自体も階級闘争だということです」とな…成程、御用学者や御用記者、御用メディアがいぱーい幅をきかせている訳だ(笑)

 でもって、結局、格差社会オケという事は、人間が平等だとか、人権とか、人間性とかは問題じゃなくて、あるのはただ「階級的人間」だけだという事なんですね、分かります(笑)まぁこれに異議ありとしたのがマルキシズムとすれば、はまりたいのはよく分かる…ただし、その共産党の結果が、ソ連とか中国となれば、何だかなぁになってしまうけど(笑)支配層が支配層になっても支配層に染まらない共産党(もしくは左翼政党)って、どこにあるんだぁーっ?てノリにならなくね(笑)

 まぁ理論と実践の隔離は今更の話じゃね?じゃねだし(笑)で、ここにヴェーバーが通りますよという事になる訳か(笑)「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」キタコレ(笑)ちなみにプロテスタンティズムでは贅沢は敵だぁーっの世界観のはず…だからつましく生活して投資に回すのじゃという…で「神様の気に入るようになるべく善行を積んで、神様に助けてもらえるようにするほかはない」とな、そゆ人が「お金を儲けたときに、相当アコギなことをして儲ける訳ですが、そのお金でぜいたくに暮らすというのは神様のお気に召さない」から、ハーレム作っている場合じゃなくて「早起きして、お酒も飲まずによく働く質素な生活のほうが神様の気に入るだろう」という発想で資本主義回しているんじゃね?という思想らすぃ…お金儲けても質素に暮らして神様の気に入られよーとするのはともかく、それ以前のアコギなことして儲ける方は神様の気に入るか?いないか?のジャッチはいいのか?と思うけど?いーのか?米人(笑)

 さて、こゆ思想は、もしくは理論は過去から現在の状況分析的にはなるほろですけど、それだからこーなんだ的な未来形には、何かアレだなぁと思うのは気のせいか(笑)とはいえ、「マルクス主義が豊富で鋭いのは資本主義社会の分析です。いま日本社会は、市場経済万能論と民営化論で、ある意味でだんだん純粋資本主義に近くなってきているでしょう。それを理解するためにマルクス主義は非常に有効ですよ」という事にもなる訳で…マルクス主義も使い手による便利なツールなんですよ、使いこなせるかどーかは、貴方自身次第という事になる訳で(笑)結局、馬鹿と鋏は使いようという事に落ち着くのだろーか(笑)

 まぁマルクス主義を学んだから、また共感したからといって即マルキストになるかというとそれも違くね?だし…何でも二分に分けたがるのも、如何なものか?とは思うけどねぇ?何かというと旗色をはっきりしろって、結局、自分に組みしなければ、アンチ〇〇で敵認定だもんなぁ…それで世界を語られても狭くね?という(笑)

 日本の近代史とか、仏教伝来、仏教の日本化とかの詳細は本書をドゾ。ただ、著者の宗教区分が、四つのカテゴリーがあって、「アニミズム」「パンテイズム。パンテイズムというのは多神教でも一神教でもなく、宇宙が全体として丸ごと神様みたいなものだという考え方です」と「ホリテイズム」多神教という事で、後一つが「一神教はモノテイズム」となるとな…この区分でいくと「一神教というのは世界宗教地図のなかでは非常な例外ですよ」という事になるんだけど、多分一神教の人達はそんなの関係ねぇー(死語?)だろーしなぁ(笑)

 も一つ、朱子学の誕生ですけど「一二世紀後半の中国にどうして朱子学ができたのか。中国人は仏教の圧倒的なシステムに対する対抗手段として、相手を分解するのではなく、そのままにして強い包括的体系、巨大な世界観の体系をつくり上げたのです。その結果は、キリスト教神学で言えば、聖トマス・アクィナスの「神学大全」に拮抗するようなものになりました」って、そーだったのかぁーっ?あれはアンチ・仏教へのカウンター・パンチだったのか(笑)

 まぁ、その朱子学を江戸時代は「公的イデオロギーでした」にした訳だけど、ここはまた日本たから輸入したものは、そのままじゃね?日本化するぜよの世界、もしくは種々選択の果てにですからねぇ…それでも250年以上関わってくれば、「それなりに大きな文化的意味をもってきます」にもなる訳で(笑)どゆ事というと「おそらく日本人の合理的思考の訓練になったということだと思います」で、その後の蘭との関係、幕末のそれも対応でけたという事になるんじゃまいか?ですかねぇ…おべんきょというのは無駄にはならないとゆー事か(笑)

 他にもたくさんたくさん本当にたくさんエピ満載ですので、比較的薄い本なんですけど、でも一行一行が濃いっそしてジョークも軽いのに濃い(笑)とにかく興味のある方は本書をドゾ。最後に一つ、なるほろなぁとパリの五月革命のとこでしょか?

 「それは雲の上の、密室での取引によって社会が指導され、進んでいくのではなくて、どういうことがおこるかが一般市民が知らないところで決まって、それを押しつけてくるというのではなくて、市民の手に権力を取り戻すことです。それはバリの生活が、それまでは官僚的、保守的な政権の指導するものでしたから、それを市民が自分で参加して自分でつくっていく町に変えるということです。市民の手に市政を、ということでした。そしてそれがフランス全体にひろがると、フランス革命のときと同じで、フランス政府の政治権力を市民の手に取り戻すということなのです」で、実行しちゃう、できる仏人パネェ…仏にはまだ気骨のある人達が住んでいたんだなぁと…とかく仏人ってあれだけど、いざとなったら違うぜというか、やるときゃやるぜなんですでしょかねぇ(笑)

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