« 人間よ、自然に還れ(笑) | トップページ | 全部の卵を一つの籠に入れてはならない(笑) »

2015年2月11日 (水)

メニューは語る?

図説 宮中晩餐会  松平乗昌・編  河出書房新社

 宮中というだけで、凄いイメージなんですが、それに晩餐会がつくともー何か庶民には想像もつかない世界が展開しているのではないか?と勝手に妄想が(笑)で、本書のメインは明治以降の宮廷でのソレらで、データの元は秋山徳蔵コレクションからという事になる模様…この秋山徳蔵とは誰?というと、宮内庁大膳所主厨長、所謂、天皇のシェフになったお人…この方自身も凄い人で、戦前、戦後の宮中の食を支えた人だし、所謂一つの日本のエスコフィエじゃまいか?だそで、これだけでもー分かろーというもの(笑)

 で、振出に戻って宮中晩餐会…「奈良・平安時代にはすでに宮中で盛大な饗宴の儀式すなわち大饗が行われていた」とゆー歴史がある行事だったんですねぇ…で、「大饗はじめ宮中のさまざまな儀典は、年中行事として後世に伝わったものの、多くは式微し、江戸時代を通じての再三の朝儀復古により、かろうじて命脈を保っていた」そな…そして時代は明治維新…宮中晩餐会も文明開化じゃあーという事でフレンチの流れにとなな(笑)

 ちなみに「明治二十年代でも、政府の役人でさえ西洋料理は公的なもの、非日常的なものであったようだ」の世界が展開していた模様で、その一方で、西洋料理は上流社会のものへ、やがて庶民の食卓へと変遷していったと…また「西洋料理そのものも素材や味付けが日本風に徐々に変化する」もあると(笑)アレンジ大国日本ですから、料理だって魔改造ってか(笑)ある意味、そーゆーお家芸の足跡じゃまいか?

 でで、「近代宮中における饗応・饗宴とは、市井のいわゆる「宴会」というものではない」となる訳で…大きく三つに分けられるとな…その一「法的根拠に基づく儀式の一環として行われる性格のもの」、その二「法的な位置づけはないが明治以降に諸外国などの接遇例を取り入れ慣例として行われるもの」、その三「こうした公的な性格を持たない私宴」だとか…

 まぁ何にしても試行錯誤でもいいんですかぁー?、いいんですっ(キパッ)かなぁ(笑)

 アリス的に仏料理、ダリ繭の准教授のお誕生日会ですかねぇ(笑)記念日にはフレンチをってか(笑)後は、亀のスープのとこに出て来るのですが、「大英図書館で以前見つけたイギリス最古のカレーのレシピもウミガメのものだった」とあったりして、アリスは牛推奨みたいですけど、元祖大英帝国サマは亀から始まったんでしょか?亀カレー…字面的にもインパクトある気がするのは気のせいか(笑)

 さて、メニュー的な話でいくと、当たり前ですが、初期のメニューのそれはそれは何ですか?の世界がこれまた展開していらっさると…よーするに訳が定着していない時代の話ですから、最早それは判じ物じゃまいか?な単語がズラリと(笑)例えば、牛羹タツピョーカって、タピオカ入りのビーフスープの事だとか…何故にスープにタピオカ?と思わなくもないが、当時「何故かタピオカのことを「日本の真珠」と諸外国で呼んでいたという話も」って…タピオカの原産国ってアフリカじゃなかったっけ?他にも蒸焼舌鮃牛酪馬鈴薯なんてのもあったり(笑)

 面白いといっていいのか?松茸と松露(トリュフ)の組み合わせって…どんな味以前にどんな香りだったのだろー?と私気になりますってか(笑)後、日本の素材的なとこでメニューによく出てくるのがスッポンのコンソメ(スープ)、スッポンってアジアなのか?欧州にはないそーで…ただあちらには「ウミガメのスープなど亀の料理は珍しくないので、その転用と思われる」って、そーだったのか?

 そして、マカロニなんてのもメニューに出たりしているんですが、伊料理が出るのは珍しいらしーんだが?まぁそれはともかく、今だと日本だとパスタでその手のもの総称しているけど、「アメリカではパスタ全般をマカロニと呼ぶ傾向があったりする。戦後の日本においても、そのような傾向があったようだ」って…そーだったのか?だからマカロニ・ウェスタンなんて言葉もあったんだろか?うーむ(笑)

 かくて、公的なソレは仏(西洋)料理が定番となっていった訳ですが、まぁ関わった日本人側もそれなりにアレな世界が展開していた模様で、「もともと、京都の古めかしい公卿の家で過ごされた明治天皇は、洋食がお嫌いだったという」お人だったらすぃ…プライベートでは和食、でも朝食はパン、好物は「鯛と鮎」だったとな…ちなみに大正天皇の場合は、「とろろ、しらす干し、クレソンのおひたしなど、和食がお好きだった」となる模様…これまたちなみに昭和天皇の場合は「朝食用にはトーストがふつうだったようだ。朝夕が洋食で、お昼が和食ということが多かった」らすぃ…しかも「半つき米に丸麦混入の御飯で、おすしの場合も、白米の使用をお許しにならなかった」とな、「戦時中は一般国民と同じくすいとん等の食事であったという」となな…好物は「ざる蕎麦」だった模様…意外と天皇家ってサッパリ系が好みなのか?あっでも昭和天皇はサンマも好きだったらしーが(笑)

 また、これまた当時の話として「超一流のコックが宮中にいたので、各国使臣の間でも、その味は評判で、特にのスープの味は、本場フランスの歴代大使が賞賛を惜しまなかった」って、ドンダケェー(笑)な一方、給仕の方は「もともとは宮内省の役人だがお仕着せを着せられた宴会の給仕係は、とうてい模範的だとはほめるわけにはゆかなかった。皿、ナイフ、フォークなどの食器類がガタガタと大きな音を立てて寄せ木細工の床に落ちるなど、ものすごい騒音が広間を満たした」のが実状だったよーで、「この給仕の問題はもと在日ロシア公使の執事、ベルギー人のデヴェッテを宮中執事として高額で雇い、給仕の作法を彼の指導に任せることにより解決された」とな…サービス業は一夜にしてならずなんですよ、奥さん(誰?)

 こんな涙ぐましい日本側の汗と涙と根性の努力道(?)も「日本側の欧化政策に、外国人は必ずしも好感を持っていた訳でもない」となるよーで…「英国公使ハリー・パークスは、明治十六年その離日を前に明治天皇の午餐に招待され、その席上日本の急ぎ過ぎる欧化を批判し、また皇室制度の欧化を図った宮内大臣伊藤博文によりドイツから招聘された御雇外国人オットマール・フォン・モールも、伊藤と井上の欧化政策を内心で日本にとり好ましからぬことと批判していた」そな…

 それにしても世界各国のセレブと食事会という事になるんですけど、本書の中で一番異彩を放っているのは「発明家に午餐」(昭和五年十二月十一日/千種の間)じゃまいか?招待されている10人の中には鈴木梅太郎、御木本幸吉、本多光太郎、丹羽保次郎、田熊常吉等の名前が…国内向けの叱咤激励的なそれの意味も食事会にはあったんですねぇ…

 生きる昭和史では、「五月二十五日の東京大空襲により皇居は全焼し、午餐の会食場は参殿者休所であった」とかあって、何と皇居も燃やしていたのか?米軍?

 でもって、生きる昭和史、そしてこのメニュー収集を実行していた秋山徳蔵についての詳細は本書をドゾ。いや、本当に凄い人物ですので…一例としては「徳蔵はエスコフィエの下で働いたのだ」だけで分かろうというのもの…日本西洋料理界の草分けなお人だったのは間違いないという事でしょか…昔はこーゆー骨のある人がいたんだなぁ…

 まぁ何にせよ、積み上げてきたもの、実績とはこゆ事を言うの世界かなぁ?西洋料理なのに、スッポン、鯛、鮎、和牛組み入れたり、しかも結構初期からやってるし(笑)「異文化を受容していくプロセスで、伝統との調和を重んじる姿勢は、古代から脈々と続くものである。そして、より古層の自国文化との融合を繰り返す中で「日本らしい」文化を築きあげてきた。私たちの文化はそのようにして作られてきた」というのは、料理だけでなくて全般に対して言える事じゃまいか?ですかねぇ?でもって、怒涛のよーに外から入ってきても何故か全て日本的なものに帰着するとこがこれまた(笑)ある種日本ってクラインの壺か(笑)

 他にもたくさん面白エピありますよってにの世界ですので、是非本書をドゾ(笑)で、最後に一つエピを選択するとしたら、私宴(内宴)についてのとこで「昭和天皇の侍従長であった入江相政の日記からは、内宴が皇族と侍従・女官などの側近者、一部の宮内庁高官が参加し、隠し芸なども披露される和気藹々たる宴であることが伝わってくる」とあったりして…それにしても皇族の隠し芸…何なのか?も気になるけど、隠し芸なる概念が皇族にもあったのか?公的なイメージが強すぎてパッと頭に浮かびませんでした…

 たかが食事会、されど食事会、会議は踊り、晩餐会は巡ると…歴史ってパネぇもんなんですねぇ…

 目次参照  目次 文化・芸術  目次 食物

|

« 人間よ、自然に還れ(笑) | トップページ | 全部の卵を一つの籠に入れてはならない(笑) »

文化・芸術」カテゴリの記事

書籍・雑誌」カテゴリの記事

食物」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: メニューは語る?:

« 人間よ、自然に還れ(笑) | トップページ | 全部の卵を一つの籠に入れてはならない(笑) »