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2015年3月30日 (月)

聖なるかな、聖なるかな?

<母>の根源を求めて  ジュリア・クリステヴァ カトリーヌ・クレマン  光芒社

 サブタイトルが、女性と聖なるものなんですが…うーん…タイトルの母は、狭義のソレというより広義のソレって感じかなぁ?ある種、大母神みたいなノリとでもいおーか?えーと、本書は著者二人により書簡集です。両氏共に作家と見る事も出来るし、もしくは精神分析医と外交官という見方もできるとゆー、よーするに仏のインテリゲンチャとゆー事か?しかも、両氏ともに女性であると…で、女性の女性による女性の聖性をお題に往復書簡となるのだろーか?それにしても、メールがあるじゃまいか?の時代に、Faxすら飛ばして手紙…何を悠長なと本人達も当初は思っていたみたいですが、始めてみるとこのタイムラグがいいの世界が展開していく模様…脊髄反射の思考ではなくて、ちょっと熟成させてみましたが、何か?な話とでもいおーか(笑)

 手紙なので二人の日常みたいな話や、その時の時勢が出てくる事もあるのですが、トータルするとお題について延々延々議論している感じで、同じ話の回りをずっと周回し続けるさまは、その体力に感服するしかないよーな…アプローチが凄いとゆーか、根気が凄いとゆーか、こればかりは説明のしよーがないので、興味のある方は本書をドゾ。

 まぁとにかく、仏の知性の激突を見る事になるのかなぁ?聖とは常に俗との表裏一体だけど、こちらは更に穢れ汚れ的な裏面史的なそれも言及している感じかなぁ?清濁合わせのんでこその世界だろっ?みたいな(笑)上品な筆致の中で、全世界をベースに語るミクロコスモスみたいなノリか?まぁある意味仏的な、実に仏的な世界かもしれないが(笑)

 アリス的に、女性の聖性とか、女性による往復書簡集とかとなると、むしろこれは朝井さんの出番ですの世界か?作家的なとこで重なるかもしれないが、どちらも母親というところの立脚がどーかなぁ?まぁ片方は離婚していらっさるらしーが…

 他にアリス的というと、「アラン・トゥレーヌがこう主張していたことです。精神分析学は社会学への道を開くものだ、フロイトなくして人類学と社会学はありえないと。これは非常に説得的です、と思いませんか」(@クリステヴァ)のとこかなぁ?社学的にはどーなんでしょー?准教授?で、更に「精神分析学というのは結局のところ、ミクロ深層人類学だと思うのです。そこでは民族や国籍による境界があいまいになり、私たちの永遠なる異邦性にその地位を譲るのです」(@クリステヴァ)とな…

 さて、聖なる場所での祈り、儀式等の際に、必ずトランス状態に入る人がいるよねみたいな話から、本書は始まります。場所は北アフリカからの例なのですが、著者の一人が外交官とゆー事で、本書の手紙はその任地と仏との間をいったりきたりという様相もあったりする…でもって、仏からの外地はあちこちに移動していたりして(笑)まぁそれもともかく、このトランス状態に入るのは主に女性だけじゃない?な、しかも「マイノリティー、召使い、そうした女性たちがトランス状態に陥ります」(@クレマン)とな…でもって、著者は言う訳ですね、これは一体何故なんだぜ?ちなみに「私の考えでは、瞬間的に聖なるものに行き着く才能は、実際マイノリティーまたは、経済的に搾取される身分のものだということなのです」(@クレマン)じゃね?とゆー事らすぃ…「結局のところ、だれかの「女中」であるということが反乱を引き起こすのです。トランスもその一つです。隷属させられれば、当然敵意を抱きます」(@クレマン)とな、その発露がトランス状態とゆー事らすぃ…「女性における聖なるものとは、身体を突き抜け、叫びという形を取る、一種の瞬間的反乱と捉えることができるでしょう」(@クレマン)これって、どーよ?とな…

 それはヒステリーとは違うんかい?な話も出てくるのですが、女性の瞬間的な発作みたいなのは、それこそフロイトの昔からとゆー話になるのだろーか?フロイトのそれだと性みたいな話に帰結したよーだけど、むしろこちらでは女性の立ち位置についてのソレな話かなぁ?「白人のブルジョア女性たちは、神経発作の演出と相手の心情につけこむことで、うまく金銭を手に入れる能力においてはだいぶ同僚の黒人女性より優れているようですが…」(@クリステヴァ)とゆー件もあり、淑女の演出じゃね?な話も出てくる訳で…レディは気絶するってか?

 現代の母性という事で、現代としての技術、母性としては妊娠と切っても切れない関係であって、どゆ事とゆーと「避妊法や人工授精のおかげで私たちは自由を手に入れましたが、そのことは、母性的欲求が女性としての経験をもたらす波であり、またあり続けることを妨げるものではありません」(@クリステヴァ)とな…

 更に、ここで今流行っているのか?のハンナ・アレントの見解もキタコレで「ハンナ・アレントはギリシャ人同様、ゾエ(生物学上の生命)とビオス(伝記の対象となる、語るべき生命)とほ区別しました。技術のおかげで、女性たちはかつてないほど生命への決定権をもっており、ということは同時に、彼女たちはもはや単に産む者であろうとはしていないということなのです」(@クリステヴァ)の件は、現代の見解、もしくは意識の相違が出ているよーな…これを女性が口にしているとこがミソかなぁ(笑)どこぞの国の大臣は「女性は産む機械である」なんてさらっと言っていたりしますが、この認識の差はいかんともしがたいものがあるよーな?「技術と実利に支配された社会が、女性たちを(動物学的な)生命の保持者としてしか見ないということは十分にありえます。また、ある「運命」、一つの「伝記」を作り上げてゆく瞬間、精神の不安に答えてくれないであろうことも」(@クリステヴァ)とな…

 もー何ちゅーか?何ちゅーか?なんですが、詰まるとこどよ?というと、「この柔らかな全体主義という新しい形態は、例の「価値観の喪失」の後に来るものとして、生命を「最高の価値」とします。しかしそこにあるのは、生命それ自体のための生命、問いの存在しない生命であり、女性である母は当然、この「動物学」の自然な遂行者ということになるのです」(@クリステヴァ)って、物事の見方が生き物の物理的な側面、もしくは生理的な側面だけじゃないだろ?な話になるんですが、その観点で理解している人がどれだけいるのか?は神のみぞ知るの世界かなぁ(笑)

 ちなみに聖人ベルナールは女性とは「「私たちの身体は仕えるべき精神と肉体の欲望、言い換えると魂に挑む闇の力、その二つの間にある。農民と盗人の間にある雌牛がそうであるように」」「女性を「ゴミ袋」のようなものだと語って非難されたこともあるというのです」(@クリステヴァ)とな…また「マコンの公会議において、「一人の司教が、女性を人と呼ぶことはできないと主張した」と書いているのです」(@クリステヴァ)キリスト教素晴らしス(笑)

 まぁ一つの道を示したのか?それともな先駆者的ソレでいくとフロイトか?で「女性の身体というのは一つの奇妙な交差点なのです。ゾエとビオス、生理学と語り、遺伝学と伝記の合流する-。フロイトはこの分裂の地図を描くにあたり、生物体としての貯蔵器に無意識、前意識、意識という段階を付け加えました。言葉はそこを通過しますが、そこに限定されてしまうことはありません。ある境界によって生物学的興奮とは区別されるのです」(@クリステヴァ)となるのか…

 ついでにいうと「聖なるものを信奉する者たちは、聖なるもの/犠牲/禁忌が内包し、それらがもたらす暴力を強調しようとはしません」(@クリステヴァ)だそーだけど、ただし、あのマルキ・ド・サド以外はと付け加えるところ、何とゆーか、もしかして、はいここ笑うとこ、のノリなんだろか(笑)まぁ何にせよ、女性というのは聖なるものであると同時に反乱者でもあるとゆー事らすぃ…

 とまぁ、こーゆー議論が延々延々一冊分続くのであるでごさるの巻でして、続きは本書でとしか言いよーがないよーな…興味のある方は本書をドゾですが、多分、女子的にはなるほろなぁの世界かなぁ?逆に殿方的には、わっかるかなぁの世界かもしれんねぇかもなぁ…何とゆーかマッチョ思考の対極にあるよーな話じゃまいか?だし(笑)そゆ人から見れば女同士が延々とこんな事を語っているなんて、小賢しい以外のなにものでもあるまいし(笑)

 議論はともかく、著者二人の教養が教養なので、豆知識も満載で、そちらも凄いかなぁ?例えば「サヘル地方のアフリカにおいては、一家の父が絶対的な権威を持つ家族集団によって、社会は成り立っています。さらに悪いことは、一夫一婦制も一夫多妻も法的に認められているにも関わらず、あらゆる社会的オリジンを巻き込んで、一夫多妻が若者の間で広まっているということです。さらに忘れてはならないのは、一部のイスラム聖者は無制限の一夫多妻を行う許可を得ているということです」(@クレマン)「マホメットの教えは粉々に砕け散り、この聖者たちは資本主義的事業に熱心な上、何人もの正妻を回りに置いて、苦もなく前イスラム的伝統を復活させているのです」(@クレマン)とな…イスラム教って奥さん四人までと思っていたが、大本も末端もどよ?なんでしょか?うーん…

 も一つ、憑依もしくは悪霊祓いについて…何かこれも前時代的だなぁと思っていたのですが、今も現役とは知らなんだ…「貧困がスラム街に押し寄せると、祈祷師がそれを引き受けるのです」(@クレマン)って…「ダカールのヌ・ドュブ、バイアの貧民街でのカンドンブレ、リオのスラム街のマクンバ、エジプトのザール、範囲をさらに広げてみれば、カルカッタのマリア・テレサ、カイロの修道女エマニュエル…がいます」(@クレマン)って、そーだったのか?所謂一つの狂気に走った女性の精神(及びその社会集団)を救う、もしくは戻すのが女性祈祷師の役割だとな…現代社会的に言えば祈祷師とは精神分析医的な側面もあるじゃまいか?でしょか?原始では医療と宗教が結びついているとゆー事なんだろか?ちなみに著者は「私はこの現象が、あらゆる種類の原理主義への解毒剤だと思うのです。非常に近代的で男性的な、多くを科学技術に頼る原理主義は、女性たちを排除します」(@クレマン)とな…何とゆーか、汝自身を取り戻せの世界なんだろか?

 ちなみに精神分析学というのは「ミクロ深層人類学だと思うのです。そこでは民族や国籍による境界はあいまいになり、私たちの永遠なる異邦性にその地位を譲るのです。それと同じ数だけ、際限なく移動する個々の領土があるということです」(@クリステヴァ)とゆー事になるそな…これまた現役精神分析医が言うと意味深だよなぁ…

 世界各国色々あるけど、ヒンズー教徒と雌牛…「雌牛から落とされたものはすべて、神聖であるばかりでなく、有効だというのです」(@クレマン)牛乳、バター、脱脂粉乳の凝固物カード、尿、牛糞…「その代表的な聖なる飲みものを、これら五つの要素を用いて-糞も含めて-作るのです」(@クレマン)って、そーだったのか?印人というより、ヒンズー教徒というべきか?それは聖なるものなんですよ「たとえ、それが悪臭を放つものであっても」(@クレマン)は…悪臭はアレだが、公衆衛生的にオケなんだろか?そこが気になります?だなぁ…

 更に印において「そこでは他の地と同様、この加速する近代化の時代に寺院は増えてゆきます。豊かになったミドルクラスがコンピュータを導入し、ヒンズー教徒というアイデンティティーに閉じ込もります。そして崇拝物を精選するのです」「彼らが好むのは太った赤ん坊や、主人に忠実な奉仕者である猿の姿をしたかわいらしい神々なのです。富俗化、クーラー、テレビ、コンピュータ、従順、そして子供たち…。聖なるものは家族中心主義のために後退してゆきます」(@クレマン)とゆーのが印の実態らすぃ…現世利益って事でしょか?そこの聖性とは何ぞや?は…うーん…

 印のエピはまだあって、「インドの神聖な踊り子たち」についての件は…「今日、かつての聖なる踊り子たちはできたてのショービジネスという、神とは無関係な世界にいて、そのパフォーマンスにわずかなギャラを得ています」(@クレマン)とな…「一九四七年のインド独立までは、彼女たちは寺院で神の彫像を前に踊っていたのです」「だれが彼女たちに寝場所と毛布を保証していたのでしょう。古い寺院のバラモンたち、そして後には裕福な商人たちでした」「踊り子たちは、その立派な有料会員たちの性の相手だったのです。よく見れば、それは「神聖なる売春」です。上流社会に許された売春宿」(@クレマン)…日本で言う白拍子みたいなもんなんだろか?まぁどこの世界でも舞と性は結びつくもんなんだなぁ…

 更に、その聖なる踊り子のおぞーさん達は「髪を洗うことが許されていなかったのです。絶対に」(@クレマン)って、これこそまさにホンマでっかぁーっ?の世界じゃね?「洗わない髪の植物体は人のものではなく、神のもの、唯一神だけのものとされるのです」(@クレマン)どゆ事かとゆーと、一つの神聖物を見立て、「踊り子を自分のものとする「二度生まれた者」たちは不浄を禁じられており、カーストの最高位にある者は、身体的な禊に関しては非常に厳格」(@クレマン)が触れても穢れなーいとゆー事らすぃ…性の為に聖があるってか?

 印の例が続くのですが、ヒンズー教徒がキリスト教に改宗するのは「それは不可触賤民、カーストの低身分層から抜け出ることです。それが最終地点、ピリオドです。この目標に達するためならすべてが許される」(@クレマン)は、階級制とか、身分制とかと宗教って、ローマの昔から変わりなしなんだろか?ちなみにイスラム教の場合「人間の間の平等について、コーランは一切の譲歩をしていないからです。コーランにおける女性の地位は、平等であると同時に補助的な人間とされています」(@クレマン)とな…イスラムの女性観も今一部外者には不明だよなぁ?ちなみに「インドにおいて、女性が神学的自由を手にすることがてぎる唯一の宗教が、シク教であることは認めざるをえません」(@クレマン)となる模様…「両性の平等が、一つの揺るぎない教義の重点となっているのです」(@クレマン)とは、これまた知らなんだ?そーだったのか?シク教?

 も一つ、「二十世紀インドで起こった虐殺はすべて、多神教のヒンズー教徒と一神教のイスラム教徒、または一神教同士のイスラム教徒とシク教徒の間の対立によるものだということ」「一神教は狂信を起こさせるのです」(@クレマン)って、キリスト教徒とはいえ一神教の人が指摘するとは…

 知らなかった系では、「カブールでは、女性たちは籠に鳥を飼うことが許されていません、それが歌うという理由で」(@クレマン)って…宗教においての音楽とは何か?でしょか?「体面を重んじるあらゆる原理主義と同様に、音楽の危険性に固執するのです」(@クレマン)後は禁止するだけってか?「イランの古典音楽、世界でもっともすばらしい音楽の一つこのイスラムの共和国で禁止されていました。ハタミ氏が一九九七年にイラン大統領に選ばれ、やっとこの禁止は解かれたのです」(@クレマン)って、今はどーなんだろぉ?

 欧米の外も劇的だけど、内の仏はどーよ?でも「現在のフランスをおける哲学の流行をごらんなさい。一九七八年に現れた新哲学派たち、彼らのような優秀で魅力的な第三タイプの哲学者たちはみな男性です」(@クレマン)「哲学者が再生するとき、女性はそこにいません」(@クレマン)女性の社会進出において、今政治まではかろうじてあっても「思想においてはノンなのです」(@クレマン)とゆーのが仏の実状らすぃ…自由、平等、博愛、でもそんなの関係ねぇー(死語?)ってか(笑)

 また、宗教性と欧州人、もしくは仏人というとこで父祖の宗教との決別としての「共産主義的無神論」キタコレになるのか?「彼らの無神論が宗教的な用語が叙述されていることがすぐにわかります。まさにそれは、過去の(しばしば両親の)宗教に代わる、一つの反宗教を打ち立てることにちがいありません」(@クリステヴァ)とな…イデオロギーって(笑)

 そしてオックスフォードでは「イギリス人たちは、その時代遅れの形式主義で多少私をいらつかせましたが、興味も起こさせたのです。なるほど彼らは、なかなか女性を大学に入れず、私のイギリス人の友達も、下働きをしながらいらいらしていました。イギリス王国の頂点には女王がいますが、その冠をつけた優雅な顔も、サッチャー夫人の力強いこぶしと同様、女性蔑視の森を隠すことはできないのです」(@クリステヴァ)の件は、詳細は本書をドゾですけど、仏人に英人語らせたら右に出る者はいないんではないかと(笑)それにしても「ユーモアは憎しみの高尚な側面」(@クリステヴァ)だったのか?おべんきょになるなぁ(笑)

 でまぁ西洋で今一番席巻している宗教はといえば「「グローバリゼーション」が経済の女神として君臨しています。この聖なるものに私はこのうえなく不満です」(@クレマン)とゆー事で、「このお金という重石」(@クレマン)という事で拝金主義、拝金教は欧米でも巣食っているとゆー事らすぃ…神に祈るなら金に祈れなんでしょか?

 まぁその最たるものが米だろー事はこれまた今更なんですけど、米と仏この間も深くて暗い川があるのノリかなぁ?「「アメリカの文化というのは神に関しても、性に関しても、神の摂理の文化であり、そこから抜け出ることはできない。私たちは一つの救済を要求します。あなた方フランス人は違います。あなたたちの文化はことば・パロールの文化であり、すべてはある隔たりに行き着くのです。笑いかもしくは無神論で終わるのでなければ」」(@クリステヴァ)はとある英語教師のお言葉だそーだが…言い得て妙か?ちなみ「アメリカの書店に溢れる、健康セックスに関する本」(@クリステヴァ)って…米ってそちら系も健康産業の仲間入りなのか…「セックス宗教」ってこゆ事なんでしょか?米では?ちなみに仏では「ことばを示すこと(約束をすること)は、一つの愛の行為だ」(@ラブレー)とゆー事になるらすぃ…愛、それはぁー(笑)

 米的なソレでいくと「興味深いのは、一方に機能している民主主義、もう一方に、暗黙に示される「神の摂理」-大統領の聖書への誓いによって、また一種の宗教的雑居性によって-との間にある激しい緊張感です」(@クレマン)じゃまいか?でしょか?ちなみに米では「この土壌の上にあらゆるセクトが勢力を延ばしており、歴史的に新しいものの一つは、アメリカの司法当局によって実際に…悪魔的であると判断されるのです」(@クレマン)悪魔か?否か?って見よーによっては米の司法って宗教裁判所って事?21世紀にさすがにそれは…

 も一つ欧米の現実的なとこで「聖なるものはもうたくさん、見切りをつけて、理性万歳、あらゆることをきれいに「マネージメント」しよう!と。少しばかりの外交手段、コンピューター、中央銀行…。けれどある日、トップの外交官たちは街の中心でテロと出会うことになります」「民主主義国家がセクトの教祖で溢れ、この夢想家たちが自分の宗派を法廷で宗教として認めさせようとしていることを知るのです」(@クリステヴァ)とな…政教分離というけれど、欧米もこの頃から既にアレだったんだなぁ…

 だばだだばだばだで男と女も「「存在することの後で、行動することと存在することがなされる。ともかくさいしょにあるのは存在することである」と。存在することとは、女性性です。行動することと存在すること、これが男性原理なのです」(@クレマン)の辺りは、存在に拘る辺り実に仏的なのか?われ思うにわれあり…

 男女比較的なとこでも「キリスト教という一神教でいうと、ある女性像、特に聖母と、自己を同一化しえた聖人は一人も見当たりません。またイスラム的一神教は、一切それを受け入れません。みじんも余地はありません」「エルサレム寺院が崩壊するまで、ユダヤの一神教には、その神以外何も入り込む余地はありませんでした。その後、ユダヤ人たちがシェキーナーと呼ぶ、神の女性の分身が存在するようになります」「チベット仏教のなかに菩薩と双性をなす一つの神性が現れてきます。タラ、双子のチベットの神は、菩薩の涙の表象とされています」(@クレマン)って、そーだったのか?各宗教?でもって「イスラム教の神秘主義的分派であるスーフィー教徒たちのなかでは、男性も女性も、女性への同一化、両性性、「そういったさまざまな揺らぎ」に対して非常に寛容です」(@クレマン)とはこれまた知らなんだ…ちなみに「同性愛はコーランによっては禁止されていますが、スーフィー教ではそれは関係ないのです」(@クレマン)って、ホンマでっかぁーっ?

 も一つ男と女で、物語的でいくと「トリスタンとイゾルデ」が欧米的にはあるじゃまいか?ですけど、これが「彼らと同じ死をかけたアラブの恋人たち、メジュヌンとライラ」(@クレマン)があったとは知らなんだ…アラブ圏で有名なお話なんだろか?所謂一つの「狂気の愛」の物語になるみたいだけど、「コーランは確かに一夫多妻制、離婚、その他一切を規制していますが、愛の狂気に対抗することはまったくできなかったのです」(@クレマン)って…これはもしかして燃え上がれ燃え上がれ燃え上がれの世界か?

 これも全然気がつかなかったのですが、「多神教の地域ではどこでも、身体離脱は両性に起こります。けれどヨーロッパでは十五世紀、夜空を飛んだのは女性だけだったのです」(@クレマン)って、かくて魔女裁判始まるですか?そーですか?

 で、女はどこに行った?は「教会が女性でいっぱいになっている一方で、至るところでフェミニズムは、優しさのかけらもない頑固な女性たちを輩出しています」(@クリステヴァ)とな(笑)ちなみに「セクトは時間をかけ、多くの信者、組織力、教祖のカリスマ性によって宗教となっていきます。教祖とあえて言っておきます。今までに一人も、宗教の女性教祖を知らないからです。セクトの女性教祖なら、一ダースほどはいるでしょう。けれど宗教は?一人もいません」(@クレマン)って、そーだったのか?宗教?

 また女性の本音的か、それともジョークかで「女性たちが子供だけで満足するなんて悲しいではないですか」(@クリステヴァ)の件は、現代的な実に現代的な意味深さだよなぁ…

 現代女性の有名人的なそれで仏人はどー見ているのか?辺りもこれまたパネェでごさるの巻か?「一般に男性でも女性でも、宗教の創始者が「謙虚」なのは見かけだけです。むしろ聖人独特のナルシシズムが、彼らに崇高であるという思い上がりをもたらしています。マリア・テレサは修道女たちに何を求めたでしょうか。究極の謙虚さは個人的な苦行を伴い、それはつまり、神の前に人間は卑下されるということです」「博愛主義者、教育者、改良主義者、愛他主義者たちの無意識のサディズムに関するラカンの、すばらしい文章がいつも頭にあります。そう、是が非にでも根本的な変化を刻もうとする人々は、無意識的サディズムの力に頼ろうとします。それは強要することなのです」(@クレマン)とは…ノーベル平和賞のお墨付きもどーよな話か…

 でブリジット・バルドーの場合は「動物にはすべてを与えるのに、自分の息子に、そして移民たちにも何一つ与えてはいません。動物保護とその無意識の改革主義的サディズムは、直接には人間を攻撃しているのです」(@クレマン)の件はどこぞの環境保護団体の擁護と関係はマジだったんだろかゴホンゴホン…

 マドンナの件は本書をドゾ。まぁいずれにしても「マドンナは聖なるものを模倣する術を心得ていたのです」(@クレマン)に尽きるのかなぁ…「そして彼女の芸名、すばらしい商業基盤。この供給に対する需要は、膨大なのですから」(@クレマン)とな…最早お察し下さいの世界に突入している模様(笑)

 他に聖女がたくさん出てくるとこが、これまた実に欧米か(死語?)ですかねぇ?修道女ルィーズ、アンジェラ・デ・フォリーニョ、また現代人と言っていいのかのインディラ・ガンジー、エヴァ・ドゥアルテ・ド・ペロン、ちなみに「重要な、金髪-エヴァは生まれつき褐色の髪でしたが、ひとたび大統領夫人になるや、金髪に染めたのです。重要な、優雅さ-エヴァはそれを貧しい者たちに示し与えました。重要な、美しさ-醜い者は、世俗の宗教において利益を得ることができません」(@クレマン)とな…宗教って利益を得る為にあるものだったのか?とゆー素朴な疑問が?とはいえ「政治における真の神聖とは、エヴァとインディラが避けて通れなかったように、死の犠牲を伴うものだということも」(@クレマン)だそで…

 後は、「今日では、私の見るところ、真の交渉のスポークスマンはただ一人、ニコル・ノタという女性です」(@クレマン)とか…

 ちなみに聖母マリア、「東方教会の伝統のなかでは、神なる父と息子を仲介する力として、マリアの役割は非常に強調されてあるのです。不死さえ暗示されています」(@クリステヴァ)とは知らなんだ…そーだったのか?マリア様?ちなみに「カトリックの教義ほど首尾一貫したものはないのですから。論理的一貫性がなければ、科学も社会の管理もありえないことはだれもが知っています」「無原罪の御宿りが教義として成立するのはやっと一八五四年、聖母被昇天は…一九五〇年です」(@クリステヴァ)そな…巷の話と教義の間には物凄いタイムラグがあるとゆー事なんだろか?も一つちなみに「一九五四年にピウス七世によって初めて王女となるのです。そして一九六四年以降は、ただ教会の母となります」(@クリステヴァ)ローマ教皇のおふれも色々あるんだなぁ…

 そして著者のマリア観もパネェと言えばパネェのか?「マリアは女性たちを抑圧しないまでも、束縛するのです。ひざまずきなさい、女性たちよ、あなた方は通過の場でしかありません。子供たちや病人の世話をしなさい。性も政治もなく、傾聴と理解とが性的な身体よりも価値をもつのですと、-このことはいくら言っても言いすぎることはありません」(@クリステヴァ)マリアとは何か?でしょか?

 何にせよ、引用は圧倒的にキリスト教が多いかなぁ…著者達が立脚しているのが、キリスト教もしくはユダヤ教の世界のよーで、著者の一人は「その限りない偉大さにもかかわらず、仏教は少しも私を引きつけはしないのです」(@クレマン)とな(笑)まぁ結局想定しているのがそゆ一神教の世界にどっぷり浸かっているとこは、誰でもそんなもんなんですかねぇ?「私はヘーゲルの読者として、男性も女性も、その自由な主体性が開花するのは、キリスト教を通過することによってなのだと確信しています」(@クリステヴァ)ですし、おすし(笑)

 宗教性のところを問題にしているんだろーけど「あらゆることがセクト化してしまわないための唯一の解決策、それは戦い続けることです。つまり、あらゆることを、自分自身を、秘密それ自体を永遠に問題にし続けることです…」(@クリステヴァ)は、さらっとこゆ事が言えるところが実に欧米か(死語?)だと思われですけど、だからこそこんなに延々と書簡が続いていると思われもあるけど、まぁ個人で内向きにやってる分にはあると思いますだけど、外に向けた時のフラットさ加減はどーなるのかなぁ?と…いやもーゴホンゴホン…

 も一つ、やはり一神教といってもキリスト教がメインじゃね?なのでこの書簡集を振り返って思う事の一つが「絶えず心に引っ掛かりながら、一つの問題を避けてきたように思われます」「聖なるものを横切るこの旅において、イスラムとは?と。その原理主義は現代世界を恐怖に陥らせており、あなたや私のように専門家でない者たちは、「原理」と「行き過ぎ」の微妙な区分けを決して試みようとはしません」(@クリステヴァ)とな、しかし、さすがは仏人、アルジェリア問題にかかわる人達は身近にいるみたいで、その件も本書をドゾですけど、こちら側から見たアルジェリアイスラム社会というのは「女性たちにスカーフの「壁」を課し、信仰に従うことを強要します。そして、過激派の教義を共有しない者たちを冷酷にも抹殺していくのです」(@クリステヴァ)等々、現状が語られていらっさいます…

 かくて、仏は英的な「さまざまな民族と宗教の習慣を「尊重する」閉鎖的な共同体として硬直すべきではないと思うのです」(@クリステヴァ)で目指すのは「「フランス式モデル」-実際には、「普遍的精神」というモンテスキューのモデルですが-を、何としても養う必要があります」(@クリステヴァ)とな…うーん…この辺りはもー著者の理想主義的な話になってゆくんだろかで「一神教の張りつめた情熱のもとで息苦しさを感じる時、その情熱が、妥協を許さない論理のなかで動きがとれなくなっているのに気づく時、人は空虚を、しなやかなエリクチュールを、水田にまどろむ鳥たちを、そしてかつて「寝室の作法」を吹き込んでくれたような中国の女性を求めるのです」(@クリステヴァ)って、何かもー、うん、まぁ、アレだ、がんばってくらはい、それしか言えねぇ(笑)

 とゆーか、仏はシノワズリー大好き国家なんだろか?「今日、未だ全体主義の中国が近代化を試み、東ヨーロッパで行われたよりも穏やかな速度でそれが実現されてゆくのを見るとき、私は再び道教への愛着を覚えます。「女性を食いものにする」あの孔子という大家に立ち返り、そして上海から私のところに来た中国人の女学生たちのことを理解したいと思うのです」(@クリステヴァ)だそーですよ、奥さん(誰?)にしても、道教って老子だよね、孔子は儒教だと思うんだけど、このセンテンスは何を意味しているんだろーか?教えてエロい人?

 時事的なとこでは、遺跡の破壊ってそーいやつい先月もメソポタミアの遺跡が爆破されたよーな記憶があったよなですけど、こちらでは「アフガニスタンのタリバンたちが、ギリシャ彫刻を爆破しようとしています。そのマホメットの啓示よりも古い像の示す神のイメージは、コーランの教えと相容れないというのがその理由です」(@クレマン)って、そーだったのか?タリバン?で「起源の純粋性と歴史の不純との間の緊張、それらは終わることなく破壊的結果をもたらすのです」(@クレマン)のとこは…いやもー起源と歴史と出たとこで、どこかで聞いたはなゴホンゴホン…

 ちなみに「愛情の欲求不満から恐怖政治まではほんの一歩のところです」(@クレマン)とな…

 こちらは時事というより歴史的なかもしれないけど、「確かに、「悲しき熱帯」が出版された一九五七年にはまだ、ユダヤ人虐殺を一般的にホロコーストと呼んではいませんでした。隠された大問題が姿を現すのにはほぼ二十年が必要だったのです」(@クレマン)のとこはおべんきょになるなぁ…となると今からやっと声を上げ始めたどっかの国の反論は、先は長いという事か…

 最後に一つ上げるとしたら、日本的にここだけは把握しておきたい交渉に関する記述のとこかなぁ?「一つの交渉の始まりは、聖なるものにも似たある種の重苦しさのなかで過ぎて行きます。すべては内密に準備されます」「場合によって、秘密を守ること、もしくは一部秘密を明かすことが強制されます。人質の解放という時、秘密は絶対です。平和交渉の場合、秘密は部分的、さらには偽りの秘密、牽制作戦となります」「交渉は公のものであると、うまく行かず、ときとして裏で移動の作業を伴うのです。公式であることは大前提ですが、隠れたことは秘密のうちに取り引きされているものです」「交渉は秘密がなくなることでしか意味をなしません」「一つの平和条約が締結されると、秘密は書面となることで秘密でなくなるのです」「平和が効果あるものかどうかは、基本的に、交渉時のことばの象徴性をうまく使用するかどうかにかかっています」「精神的な要素が、交渉のメカニズムのなかで重要な位置を占めているからです」「運が悪ければ見せかけだけで終わってしまう短い時間(締結されるや否や破棄された、アフリカでの無数の平和条約を考えればわかります)、この曖昧な段階が重要なのです」(@クレマン)公式交渉がマドリッドで行われている時に、実際の交渉はストックホルムで行われていたりする件は、なるほろヨーロッパな実例も出ていたりして、パネェっす(笑)ニュースって一体?というより、これが政治だ、なんでしょね…

 と、他にもたくさんエピ満載ですので興味のある事は本書をドゾ。そして、詰まるところ聖なるものとは何ぞや?で始まり終わる本書ですけど、「いずれにせよ、聖なるものはおそらく宗教ではないのです」(@クリステヴァ)と、巻頭の方でぶっちゃけているとこからして、アレですが(笑)聖なるものとは「時も空間も凌駕してしまう。規則も条件もない、それこそが神性の属性である、無限性のなかを過ぎてゆくものです。要するに、聖なるものとは神への瞬時の到達のことです」(@クレマン)だそな…

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