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2015年3月 6日 (金)

イは一月三舟のイ?

食べて、祈って、恋をして  エリザベス・ギルバート  武田ランダムハウス・ジャパン

 サブタイトルは、女が直面するあらゆること探究の書、なんですが、どゆ本とゆーと、著者のある一年の日常みたいなノリか?エッセイというか、ドキュメンタリーというか、実録というか…まぁ半分実話というより、ほぼ実話という話らすぃが、作家の言っている事だからなぁ(笑)とはいえ、女30代の赤裸々な実態、告白かもしれんねぇで、本書は「本国アメリカでは多くの書評で絶賛されて、一躍ベストセラーとなった。また世界の三十以上の言語に翻訳されて、七百万部の売り上げを記録している」そな…米的女性像としてどよ、かなぁ…「夫なし、子どもなし、恋人なし、仕事まずまずあり」な34才が、そーだ伊に、印に、そしてインドネシア(バリ島)に行こうですねん(笑)

 ちなみに書評によく出てきたのが「知性とウィット」と「共感性」なんだそーだが、これが米女性の実態だとしたら、米ってパネェ…とゆーのも傍目からみたら物凄く自意識過剰に見えるのだが、気のせいか?最初は離婚を決意する、そして離婚問題を抱える話なのでそりゃ泥沼でどーしょ?というより半狂乱?状態なので、まさにオレがやらなきゃ誰がやるーっの自分がしっかりしないと離婚へのステップは踏み出せないので分かるとしても、その後もずっと自分、自分、自分に見えるんだが、これが米的な普通なんだろか?でもって、これに共感性を抱くとしたら、米の正義とは何か?もとい人間性って、じっと手を見るってか?

 とゆー訳で、初っ端の伊に行く前に、著者の結婚生活の最終章からドゾ。あれは三年前、NY郊外の自宅のバスルーム、夜の三時、「わたしの不面目と不安と混乱と悲嘆」で毎夜「むせび泣く」事に…心の叫びは「これ以上、結婚生活をつづけたくない。この大きな家に住みたくない。赤ん坊なんて欲しくない」さて、ここからスタートです…

 アリス的に、ある独身女性の悲哀みたいなノリは、うーん…既婚者的なソレなら、ヴェロニカさんになるのだろーか?で、独身的なソレなら朝井さんになるのかなぁ?たいていの結婚劇は、もしくは離婚劇は、男の移り気で卓袱台返しが相場かと思っていたけど、現代は浮気とか不倫以前に、ただもう離婚したいってゆー願望がダダ漏れになるのもあると思いますなのか?著者は米人なので、しかもニューイングランド出身らすぃので、教会で結婚式を挙げましたとなれば、死が二人を別つともと神様に誓っても、でもそんなの関係ねぇー(死語?)となる訳ですね、分かります…よーするに、十代の恋愛みたいに、まぁロミオとジュリエットみたいなのもあるけど(笑)フィーリングが合わなくなってきたから別れましょーとか、熱が冷めたから別れましょうとか、ふと正気に戻ったから別れましょうとか、空気みたいなもんだから別れましょうとかetc.のノリは幾つになっても訪れるとゆー事なんだろか?

 結婚して、二人の関係が冷めてしまったとしても、もしくはどちらか一方が終わっていると認識しても、それを続けるか?否か?それが問題だってか?と、もう一つは女が三十才になる、しかも既婚の場合、子供はどーする?になる模様…本書の場合、結婚はしたけれど、大きなスイートホームもあって、仕事もある、旦那さんが浮気してるよーでもない、じゃあ後は子供だね、な現実が迫ってきた時に、もーこんな生活嫌だぁーっとなってしまった模様…

 ステレオタイプ的な、もしくは模範的な結婚生活というものがあるとしたら、その逸脱した感情にまず著者は混乱に陥る訳だったりして…で、全てをご破算にしてしまいたい衝動に駆られて、これまたその罪悪感にという泥沼に…相手が浮気でもしてくれれば、相手をなじってサバサバと離婚できるけど、こちらが一方的に別れたい時、どーなるか?こーして見ると米人って何事も正義なんだなぁ?自己正当性がないと、何てモロい人達なんだろぉ?でもって、それならば、自己を殺す、抑制できるか?といえば、そんなマネは世界がひっくり返っても米人にできるのだろーか?謎だ(笑)

 とゆー訳で離婚したいから離婚するまで三年以上かかっているのだから、勿論、泥沼…いきなり離婚を迫られる夫側からしたら何言ってけつかるねんで、泥沼…妻が財産権の放棄をしてもなかなか離婚に承諾しない夫側も凄いけど、この泥沼の離婚調停中でも、新たに恋人ができる著者もパネェ…

 で、離婚が成立し、このままじゃ駄目になるとゆーので、自分探しというより、自分を癒しにまずは憧れのローマへ、パリのアメリカ人ならぬローマの米人になる訳ですね、分かりますなんですよ、奥さん(笑)

 さて、そんな訳で詳細は本書をドゾですが、憧れの伊では前半は語学学校、後半は国内周遊の旅で過ごして体力を戻し、何せ泥沼ですっかり落とした体重を戻す為かこの間に10kgも増えてたりして、それでも他から見て太ってるじゃないとなると、ドンダケェだったのか?はともかく、次に印で所謂一つのヨーガ道場、というより精神修養みたいな身体というより祈りみたいな、修道生活に近いのだろーかな合宿に、アシュラムというそーだが、これが全世界から信徒というのか、いらっさるとこに…グルとか、ヨーガとか、もー米的には普通に入り込んでいるんだなぁ…で本場で修業もあると思いますの世界らすぃ…

 そして最後にインドネシア、バリ島、ウプドへ昔出会った、というかあの泥沼の頃の仕事の一貫としてインドネシアへ取材旅行、体験記の時、運命の出会いと著者が信じた、治療師、年齢不詳65才から100才過ぎまで本当に幾つやねんな老師に瞑想を習いにいくというとな…これが一年ですから、伊四か月、印四か月、インドネシア四か月の物語なんですよ…著者、魂の変動、変遷の旅でして、これまた詳細は本書をドゾ。

 途中色々ありますが、最後には新しい彼氏ができて万々歳で終わるところも実に米的ハッピーエンドかなぁと(笑)とにかく、伊の食についての美味かぁーっなとこもありますが、全体を通して、こー言っては何だけど、男がいないと生きていけないタイプじゃね?最初から最後まで、つまるところ男、男、男なんですよ(笑)それともこれが米女性の恋愛事情なんでしょか?キーワードは共感だから、米女性も求めているのは夫ではなくて、恋人という事なのかなぁとふと思ってみたり(笑)

 さすがに著者も離婚と泥沼時の恋人でこりたのか、これではいかんとこの旅の一年では男断ちを誓って、旅に出るぅーなんですけど、でもそれも伊の章の初っ端、第一行が、「ジョヴァンニがわたしにキスしてくれたら…。」ですから、お察し下さいってか…ちなみに唐突に出てきたジョウァンニは「タンデム・エクチエェンジ・パートナー」でして、それは何かと言えば、語学友達というか、会話友達というか、お互いに習いたい言語のネイティブ同士が出会って喋るという関係…ローマでそーゆーパートナーシップを語学のお勉強の為に始めた訳ですね、で、その青年に思うのは語学より、そんな事だったりする訳だったりして…

 で、著者のセックス感というのが「なによりも手っとり早く自分が救われるための手段として、わたしは人生の早い時期からそれを使いはじめた。そこには官能的でロマンチックな喜びもくっついてきた」そで、「十五歳のときから、わたしの人生にはいつも青年か男性か(ときにはどちらも)の恋人がいた」「一週間とあいたことがなかった」とゆー華麗なる男性遍歴…これは米女性として標準なんでしょか?19年間ずっとそーとゆーのもアレだが、それだけのキャリアがあっての結婚で、離婚…こゆのでは殿方を見る目が養われないという事でしょか?それとも、「一週間としてあいたことがなかった」を一生続けるのが米女性的ジャスティスなんだろか?本当に王子様に出会うまで恋愛という名の旅に出るぅってか?

 禁欲の誓いを立てたとはいえ、伊で思う違和感は、19才の時には伊男につきまとわれて辟易としていたのに、34才の今はそゆのが減った…で、著者は何をするか?「わたしはいろんな人に訊いてまわった」で、それはフェミのせーだよと言われて「自分のせいかもしれないと思ってたわたしは、ほっとした」「もう十九歳でもないし、かわいくもないから男たちの注目を引かないのだ」と思っていたから安心したって…気になるのは常に異性なんですよ、いっそ天晴っじゃね(笑)

 何とゆーか、著者がこう言えるのも今まで「わたしはつねに愛される幸せ者だった。両親の、そして運命のお気に入りだった。わたしにとって、この世は居心地のよい、自分を温かく迎えてくれる場所だった」からだそで…よーするに今回の離婚何ちゃらは著者的には人生における初めての挫折という事になるんだろぉか?

 後に印でのアシュラム生活でも「はるばるインドの神聖な修業の場までやってきたあげく、わたしの頭をいっぱいにしているのは元カレのことなのだ。わたしって中学生?」って、まぁ日本ならば中二病というのもありますが、これだけ煩悩が大半を占めているのに、清く正しく美しく、もとい「純粋で、清らかで、無であり、平安であり、そよとも動かず、我もなく、果てなく、衰えもなく、不変で、永遠で、始まりもなく、なにものにも縛られることなく、ただ大きな自分自身のなかにある」(ウパニシャッド)を仮とはいえ目指そうなんて、このたゆまぬ自身への自信に感動したっ(笑)かなぁ(笑)

 後、米女性の嘆き節ってこれが普通なんだろか?毎晩、バスルームに閉じこもって泣き叫ぶというか、泣き崩れるというか、泣き出したら止まらないというか、エンドレスで続く感じに、まず体力が違うと思ったり…「怒りにまかせてソフトボールのバットで長椅子を叩きのめした夜もあった」とか、もー何ちゅーか激しい…それとも離婚調停中の女性ではこれが普通なんだろか?

 それと米人的母と娘…何故自分は母のように結婚を全うする事ができないのか?でしょか?「自立していて、強くて、自足している母」「恋愛という人生のカンフル剤がなくても」夫から「やさしい言葉をかけられなくても、母は存在していられた」という反面教師との比較ですかねぇ…

 結婚観的には友人のソレも何だかなぁ…NYの「成功した芸術家同士の夫婦で、赤ん坊が生まれたばかりだった。そして、その母親は、あるギャラリーのオープニングを彼女の新作で飾った」「新米ママで、わたしの友人で、芸術家」しかも、自宅でパーティを催しているとなればその女主人をこなすという勝ち組の中の勝ち組でしょか?そしてそこに著者が見たものは「あんなに睡眠不足があからさまに出た顔を見たことがない」となる訳で…宴の後、「彼女が真夜中の台所に立ち、シンクの水に肘まで沈めて汚れた皿を洗っていた姿は忘れられない」光景として著者の頭の中に残り、しかも彼女の夫は何をしているかといえば「別の部屋で、コーヒーテーブルに脚を乗せてテレビを見ていた」そで、彼女の協力要請に「放っておけよ、ハニー。あしたの朝、片づければいいさ」と答えたとな、ちなみにBGMに子供の泣き声付…米ってフェミの国かと思っていたけど、まだまだマッチョの国なんだなぁ(笑)

 そんな著者の離婚で「いちぱんつらいのは、元夫が自分を捨てたわたしをぜったいに許さないということだ。どんなに詫びようが弁解しようが、この事実は変わらない」「わたしはいまも彼から憎まれている。この事実はぜったいに変わらないだろうし、この呪縛から逃れられるとも思えない」なんですよねぇ…離婚の大変さはそれこそはかりしれないものだとは思うのですが、今までの著者の人生においての失敗とは、ご免ねで済んでいたんだろーなぁというか、やっぱつまづきのなかった人生だったんだろーなぁ…生涯、最初にして最大の挫折は、相手がいる事だけに難しいという事か?己のリセットは出来ても、相手のリセットは、どーよ?ってか?

 こちらは実に米的かというべきかで、泥沼の中の精神には、抗うつ剤なんでしょか?著者ては、薬を止めたいとしてますが、これは伊での葛藤の一つだったりして…

 も一つ、著者観的に、旅について、決して自分は旅上手じゃないと言いながらも、無類の旅好きなとこが出てきたり、よーするにあちこち旅に出るのが好きとゆー事らすぃ…この辺りで奥さん的には時には家に落ち着く事も必要じゃね?となれば、著者が結婚向きであったか?否か?まずその辺りからどーよ?と部外者は訝しむ(笑)ちなみに著者によると旅向きの己の性質に、「忍耐強い。身軽な旅支度ができる。恐れずになんでも食べる」「誰とでも友達になれる」だそーですよ、奥さん(誰?)

 そんな著者がインドネシアへ事前に長期滞在のビザの申請をしていなかったため一か月の観光ビザしか下りなかったで、「まさかインドネシア政府が、好きなだけこの国にいていいと言ってくれないとは、思いもしなかった」そーですよ、奥さん(誰?)天下の米国民に、インドネシアが何言ってけつかるねんってか(笑)

 これに付随してじゃないけど、過去に著者が中国へ行った時のエピもらすぃと言えばらすぃのか?「中国では、街を歩くと、女性たちが近づいてきて、まるで動物園から脱走した動物かなにかのように、子どもたちにわたしを指さしてみせた」で、その子供達はといえば「わたしをひと目見ただけで、わっと泣きだすことがしょっちゅうだった。中国のそういうところは、本当にいやだった」とな…お気の毒だと思うには思うけど何とゆーか、どんな旅先でも自分をすんなり受け入れてもらえるのが前提にあるんだなぁ…

 伊的な話の詳細は本書をドゾですが、言われてみればなるほろなとこで「ローマに着いてからというもの、ここではヨーガができないんじゃまいかと思いはじめた。わたしは何年もヨーガを一途に実践してきたし、その気持ちのままにこの旅にもヨーガ・マットを持参した。しかし、なんだか勝手がちがう」「わたしの見るところ、ローマとヨーガには文化的に相容れないものがあるようだ」で、米では猫も杓子もなヨーガが、伊では、でもそんなの関係ねぇー(死語?)だった模様…著者も郷に入りては郷に従ったよーで、そんな事できる米人もいたんですねぇ(笑)

 他に伊の郵便事情とかも出てきますが、郵便物が届かないのは伊的には普通なのか?伊人曰く「郵便局は人ではなく天の定めに属するもの」だそな…後はナポリの少年はサッカーではなく、ポーカーに興じるとか…ちなみに伊人によるローマの合言葉は「SEX」だそーで、ヴァチカンは「POWER」、ナポリは「FIGHT」なんだとな…伊ェ(笑)(著者によるとNYは「ACHIEVE」、LAだと「SUCCEED」となり、スウェーデン人によるとストックホルムは「COMFORM」になるとな…)

 も一つ伊人による伊事情…「イタリア人は、無能な将官、元首、暴君、教授、官僚、ジャーナリスト、実業家らには恐ろしく寛容である一方、無能な"オペラ歌手、指揮者、バレリーナ、高級娼婦、役者、映画監督、コック、仕立屋"を断じて許そうとしない」とな…そーだったのか?伊人?伊的価値観パネェ…ここにサッカー選手とか監督が入らないのが不思議な気がするのは気のせいか?

 これまたちなみに伊人曰く米人というのは「抑圧的で、だからこそ、かっとなると危険で手がつけられないのだという。「野蛮なる人々、アメリカ人」と、ジュリオは締めくくった」とな…そんな伊人も「ジョージ・ブッシュの話になると、彼らはうなずき、ベルルスコーニの名をあげて、こう言う。「まあだいたい、わかるよ。こっちにも、いるからな」」って…伊人的にはベルルスコーニってそーゆー立ち位置なのか(笑)

 著者的に見た米人評は「アメリカ人は心地よく混じりけのない楽しみに浸ることが苦手であるようだ。わたしたちは娯楽を求める国民ではあっても、楽しみを求める国民というわけではない。ポルノからテーマパーク、果ては戦争まで、アメリカ人はあらゆることに興を催し、何十億という大金を投じるるが、厳密にいうなら、それはゆったりと人生を愉しむこととはちがう」とな…まぁ自らというより他から刺激によってな話の方があると思いますなのかなぁ?それにしても、全然知らなかったのですが、「多くのアメリカ人が、家庭にいるときよりもオフィスにいるときのほうが幸福で充足していると感じるそうだ」とは…効率のいい仕事とか、残業する奴は無能だとか、私は家族を誇りに思うとか、米人がよく口にする科白だけど、どゆこと(笑)

 その他の国と人について、昔の英の高等遊民とか、印人による「インドにおいて若い女性にとって結婚が遠のく理由とはなにか」は「星占いで生まれの星の巡りが悪い。年齢が高すぎる。肌の色が濃すぎる。学歴が高すぎても、それ以上の学歴の男性を見つけるのがむずかしくなります。このごろのインドで、よくある問題。女は夫より学歴が高いわけにいかないからです。ほかには、女の人が過去に誰かと付き合っていて、村のみんながそれを知っているとき、まず結婚はむずかしい…。」(@トゥルシー/印人少女)とな…印もマッチョ思考の国なのか…

 これは豆知識的になりそーだけど、バリ島の名前の法則…「バリには名前は四種類しかなく、おおかたの人は、男女に関係なく、そのどれか-ワヤン、マデ、ニョマン、クトゥのいずれかを与えられる」そで、この意味が、一番、二番、三番、四番という意味で生まれた順についたりして…じゃあ五番目はどーするというと、「ワヤンの二乗」になったりするんだそな…いやぁバリ島、名前の効率化パネェ…まさにホンマでっかぁーっ?な世界だったんだなぁ…ちなみにバリ島においては生まれた年よりも、生まれた日の曜日の方が「重要であるらしい」となるらしい(笑)これまた詳細は本書をドゾですけど、例えば「木曜日に生まれた子は破壊の神シヴァに守られ、トラとライオンの精霊に導かれて育つのだという」って…トラですとな…ここは阪神ファンのアリス的には、アリスも木曜日生まれ希望ってか(笑)

 も一つ、バリ島の歴史については、南の楽園のようなとこだと認識していたら「血に染まった暴虐の歴史を持っていることがわかった」とな…詳細は本書をドゾですが、どーしてそれが今のよーなリゾートになったかといえば「一九二〇、三〇年代に、西洋の上流階級のそのまたエリートたちがバリ島に着目したときから、この島の血塗られた歴史はいっさい顧みられなくなった」のと「一九六〇年代後半、地上のエデンの夢がふたたび息を吹き返す。インドネシア政府がバリ島を国際的な観光市場にしようと大々的なキャンペーンを展開したためだ」そで、まさにキャンペーンなんだよ、なんですね、分かります(笑)

 それとバリ島の不動産事情、これも摩訶不思議としか言いよーがないよーなお話なのでこちらの詳細も本書をドゾ。いやぁ土地問題も凄いが、バリ島人のメンタリティの在り方も凄い…友人に対してというか、恩人的な友人に対してもこーくるか?というノリで…これが普通のインドネシア人的感覚だとするならば、米人として困惑している著者以上に日本人ならアレだろーなぁ…

 とにかく、伊では食べるのと観光で体力気力養って、次に印のアシュラムで精神修養となり、インドネシアで日常の平安を得るのパターンでいくと、印の生活、各自帰属の宗教をこえて、合宿、瞑想、無私の奉仕生活って…米人が好きそうな世界だけど、米人に向いてないよーな気がするのは気のせいか?著者の魂の遍歴の詳細は本書をドゾですけど、案の定「以前のように、人生は思いどおりにはならなくなった。人生が思いどおりにならねえことほど、仕切り魔をくさらせることはねえんだ」(@テキサスのリチャード)に至る訳で…何とゆーか、米人の揺るぎない選択の正当性って、どこから来るんだろー?とは思ふ…人生、間違える事の方が多いと思うんだが、選択の自由が与えられたら、自分はその中で最良の正しい選択を行えると、それが普通だと、誰にでも行える事だと確信しているんだろーか?正しい選択なのだからそりゃ自分的に正義で、正義はあまねく世界に通用するはずで、それが通用しない場合、世界の終り、自我の崩壊に至るよーな?間違った選択をした場合の結果の責任の取り方というのは、負け犬確定でオワコンなのかなぁ…著者の嘆き節を見ていると、まさにこの世の終わりだし…こんなはずじゃなかったが本書の通奏低音か?かくて、そのセーフティ・ネットがこのアシュラムみたいなノリになっているよな?

 さて、インドでの精神的安寧をうけてのインドネシア入りなんですが、バリ島に着いたら着いたで、「どこへ行くのか?」「どこから来た?」と見知らぬ他人から年中訊かれる事に著者は「初対面の相手にこの質問はいささか立ち入りすぎているように聞こえる」と受け取っているとこが、米人というか、欧米か(死語?)じゃね?これ日本なら究極奥義「ちょっと、そこまで」で済む話だと思うんだが?気のせいか?三番目の質問は「結婚しているか?」らすぃ…今なら個人情報何ちゃらになるんだろぉか?

 バリ島での治療師のクトゥとか、ワヤンとか、フェリペとか、色々出てくるのですが、インドネシア編では一人あげるとしたらユディかなぁ?何とゆーか、物凄い流浪の人生じゃね?まだ20代なのに…どゆ人というと「彼はインドネシア人の両親のもと、ジャカルタに生まれた」クリスチャン、十代に少年の頃からの夢、ショービズに憧れて、クルーズ船に雇われてNYへ上陸。ニュージャージーに住みながら仕事をし、米人女性と結婚…夢に向かって順調に米暮らしを軌道にのせていた頃あの9.11が起きたとな…かくて「米国愛国者法」が施行される事になると…「新しい移民法は、アメリカに滞在する全インドネシア人に、アメリカ國土安全保障省に現状を届け出るように義務づけていた」とな…9.11以前ならば、既に米人と結婚している以上「滞在資格を更新し、米国市民にな」ることに支障はなかったはずだった、が今は、以後であると…出頭したユディは、ニュージャージー州エリザベスの収容施設に送られ、収容期間が過ぎると、「米国政府はわれらがクリスチャンの友ユディを、イスラム系テロリストの可能性ありと見なし、インドネシアへ強制送還した」とな…かくて「ジャカルタのスラム街が肌に合わず、ユディは生活を立て直すべくバリ島に渡ってきた」となるそな…

 この話の凄いとこは米政府の強権もさる事ながら、バリ島の実態も浮き彫りにしているとこだろーか?「パリ人はジャワ人が好きではなく、ジャワ人を泥棒か物乞いだと決めつけているという」とは、これ如何に…インドネシア、国内の人の中も一枚岩ではない模様…尤も、ユディがNYに行く時の乗ったクルーズ船で働いていたのもインドネシア人とフィリピン人なんだけど、「インドネシア人とフィリピン人は、船内の別々の部屋で寝起きし、けっして交わらなかった」そーだから、国外の中の人的にも含むところはある模様…どこの国もご近所の国民同士は…皆まで言うなの世界か?

 ちなみにインドネシアとは、「世界最大のイスラム国家であるということを心に留めておいているだろう。社会の土台は不安定で、法務大臣からあなたの車のガソリンを入れる男(あるいは満タンにしたと見せかける男)にまで不正がはびこっている。いつなんどきある種の革命が起こってもおかしくはない。そしてそのとき、あなたの全財産は革命の勝利者によって取りあげられるかもしれない-もしかしたら銃口を突きつけられて」というお国柄らすぃ…最早、すっごいですねぇーっとしか言う事できないよな…額の大小を問わず「とことんぼられて、ふんだくられる」は様式美と思いねぇってか…

 全世界的には、著者が昔出会った「百歳近い老婦人」の言葉が一番合っているのかなぁ?「人類の長い歴史のなかで、人間を戦いに駆りたててきたのは、つねにこのふたつの質問です。"わたしを、どれぐらい愛している?"もうひとつは、"誰が主導権を握る?"」なるほろなぁと感心すると共に、愛はないのかぁとか、自称兄だぁとかコボンゴホン…

 何はともあれ、本書で著者ってパネェと一番納得させられたとこが終章の「お伽ばなしの蜃気楼に呑みこまれてしまわないようにわたしを踏みとどまらせているのは、この揺るぎない真実、この数年間、自分自身で自分の骨組みをかたちづくってきたという真実だ」ときて、とどめに「わたしはけっして王子様に救われたわけではなく、この自分を救い出す作戦の司令官はわたし自身だった」と言い切っているとこでしょー…米人って、ヨーガだの瞑想だの修行だの修養だのと言っても、己をむなしゅうするとかは、でもそんなの関係ねぇー(死語?)なんだなと悟りますた…いや凄いです。それしか言えねぇ(笑)

 さて、他にもたくさんたくさん本当にたくさんエピ満載ですので、興味のある方は本書をドゾ。でもって、既婚であろーと独身であろーと30代の女性に本書をお薦めしとこーになるのだろーか?私は私なのよ、という向きには、本書は最適かも?私から始まって、私で終わる、とにかく全編私しかいません(笑)読む前は伊、印、インドネシアとイがつくとこばっか行ってるんだなぁでしたが、読後の率直な感想としては伊はともかく、ステイツ、印、インドネシアへ行こうとは思わなくなったとこかなぁ…本書で著者と被って行きたいと思ったとこは一つ、ローマの国立パスタ博物館だと思われ(笑)こゆのをマジで造るとこが伊ですよねぇ(笑)

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