« ジャガイモ先進国(笑) | トップページ | 神の見えざる手? »

2015年5月26日 (火)

不出一歩不退一歩…

修業論  内田樹  光文社

 修業とは何ぞや?の答えかなぁ?ある種、修行とは始める前に理由が不明な教育であるかも?よーは計測できないものだろか?で、武術家、合気道の師範として、著者が修業のすゝめというか、修行について語っている感じかなぁ?それにしても武術系というと、やたらと強くなる事に専心しているのかと思っていたら、その実「「トラブルの可能性を事前に察知して危険を回避する」能力」もあると思いますなのか?「実践的な意味でも生き延びる力である」とな…

 何とゆーか、言葉の定義が一つ一つパンピーが思っているのと違う気がするのは気のせいか?で、まず敵とは何か?は「私の心身のパフォーマンスを低下させる要素」となるそな…だから無敵となると「私の心身のパフォーマンスを低下させる要素」の「最小化」となるそな…言われてみればご尤もなんだけど、どゆ事というと敵を人に限定してないとこでしょか?狭義のそれより広義のそれ…武道家とは自身の状態を最大値に保っている人の事なんですかねぇ…

 外向きは、これまた敵について「敵を特定し、排除しさえすれば原初の清浄と健全さが回復される。そういう考え方をする人にとっては、すれ違う人も、触れるものも、すべてが潜在的には敵となる」よーは自分以外がいない世界が無敵な世界とゆー事になるけど、そーじゃないよと…「敵を作らない」が無敵という事になるらすぃ…「心身のパフォーマンスが下がったという思量をなさない主体、それが「無敵の主体」である」って、外的要因に左右されない己かな?もしくは外的要因を回避できる能力とか?

 どゆ事かというと、「武道修業の究極の目的は「無敵の探究」である」なんだそな…

 アリス的に修業…うーん…アリス自身も下積み生活長い(?)からなぁ…七夕の彼女のとこから入賞するまで十年位かかっている事になるんだろぉか?うーん…その期間を修業というなら修業なのかなぁ?

 准教授的には、職場的、教育的なとこで「大学教育とは、何か有用な知識や技術を「加算」することではない、そうではなくて、「学び」への衝動の自然な発露を妨害している学生たち自身の「無知への居着き」を解除することなのである」でしょか?曇りのない目という奴だろか?

 さて、本書は修行というと技術向上とか、他者との比較とか出てきているよな気がするが、むしろ己の表現力の拡大ですかねぇ?それは簡単に計れるものじゃないんじゃね?でしょか?「減点法は、他人に対して適用しても、自分に対して適用しても、作り出すものより、損なうものの方が多い。いくら眼を皿のようにして「減点」しても、それで術技が向上するということはない」とな…なるほろ学校教育ってか(笑)

 更に、無知についてもやっぱ何かが違うで、いやトーシロは無知と聞いて無知の知位しか浮かばないんですが、知らないを知らないと真正面から受け止める度量のある人が知への階段をのぼる事ができるんでしょか?「人はものを知らないから無知であるのではない。いくら物知りでも、今自分が用いている情報処理システムを変えたくないと思っている人間は、進んで無知になる。自分の知的枠組みの組み替えを要求するような情報の入力を拒否する我執を、無知と呼ぶのである」とな…外に対する感度があるか?否か?それが問題だってか?

 まぁある意味、日々新しい発見とゆー奴かなぁ?で、それを取り入れられるか?否か?でしょかねぇ?丸ごとパクるんではなくて、組み込む事だろか?まぁ何にしても自分なりに消化しないと実にはならないもんなぁ(笑)

 それと武道に限らず勝負事となるとその場の勝敗に終始しがちなとこも、どーよ?ですかねぇ…「勝負においては、「私が強い」ということとと「相手が弱い」ということは実践的には同義だからである。そして、「私を強める」ための努力よりも、「相手を弱める」ための努力の方が効果的なのである」だそで、これまたどゆ事よとゆーと「理屈は簡単である。「ものを創る」のはむずかしいし、手間暇がかかるが、「ものを壊す」のは容易であり、かつ一瞬の仕事だからである」とな…なるほろテロと戦争がなくならない訳だと(笑)

 まっスポーツに限定しても考えるというより、追い詰めるの傾向が容認されているじゃまいか?ですかねぇ?数値主義としごき好きはどこの世界にもいるよーな…よーは短期的に効果があるか?否かが問題な訳で、競技系は「長期にわたって、継続的に、自分の身体が蔵する可能性をすみずみまでじっくりと探究し、吟味し、開発する」とゆー世界観の対極にあるという事でしょか?だから引退とかあるのか?選手的に一生このスポーツを極めたいなんて発言はあまり聞いた事がないよーな?

 で、武道の道はまさに道で、日々の稽古は、「努力の成果を示すべき「時間のリミット」が予示されるということは、武道においては本来ありえないからである」だったりして…ある意味、武道って一生もんとゆー奴らすぃ(笑)

 で、武道を通して現実対応能力を上げるとゆー事でしょか?無敵の探究となれば、日常での状況判断能力の強化だろしなぁ?これまた武道的には「想定外」という言葉はない、もしくはないよーにするための稽古という事になるんだろか?まぁ想定外というだけで武道的にはアウトだろーしなぁ…結局、それって対応ができてない訳だから後手に回っている事になる訳で…

 何か変事が起きた時に、武道的アプローチとしては本来はそれを回避してこそ武道だろーけど、世の中、個で回避しきれないものもあると…となると、どーするか?で「反応しない」というのもあると…頭隠して難事が過ぎ去るのを待つのみみたいな…たいていのパンピーはこれで済むというより、「平時に起こるよくある危機には対処できる」けど、「想定外の危機には対応できない」のは、どーするよ?とゆー話…貴方なら、どーするぅぅぅぅ?

 でで、武道的な答えが「瞑想する」なんだとな…どゆ事というと「「今・ここ・私」という不動の定点と思われたものから離脱して、「今」でない時間、「ここ」でない場所、「私」でない主体の座に移動することである」とな…何かえらく抽象的な気がするけど、よーは俯瞰して見て、現状を理解して、行動に移せという事らすぃ…言われてみればこれもご尤もだけど、究極の状態でそれがスッと出来る人は果たしてどれだけいるのか?

 とにかく「「平時マインド」だけしか知らない個体は、非常時には対応できない。対応できないどころか、集団の存続にとっての最悪のリスクファクターになりかねない」というのは、先の震災を思い浮かべるまでもないよーな…

 とゆー訳で「ただひとりの反-兵法者的個体のせいで、危機に臨んで全滅した集団を、人類史は無数に知っている」とな…とはいえ、「自己利益の追求を最優先し、「勝負を争い、強弱に拘る」利己的個体であることの方が、平時においては資源配分の競争において有利である」そで…平時においては、金儲けがいけないんでかぁーっなお人が繁栄する事になると、よーは「どんどん「反-兵法者的」になる」とな…

 問題は「平時は長く続かない」と…「だから、私たちが集団として生き延びることを欲するなら、「彼ら」がもたらす災厄を最小限にとどめるために、できる限りのことを今ここで開始しなければならない」とゆー事らすぃ…いざ鎌倉に備えてですかねぇ…ええ、先の震災で一番足引っ張ったのと、役にたたなかったのと、むしろ愚考を重ねたのが誰か?となれば言うまでもないよーな(笑)

 なるほろ、今必要なのは本当の武道家なのかもなぁ?日頃は君子危うきに近寄らずだけど、突発事項に対して想定外がない人…いるのか?そんな人?だけど、それに近づくための武道もあれば、せめてそれを見抜く目を養うため武道もありか?口だけの人間についていってはいけないのは、これまた先の震災で(以下略)

 それにしても著者の師である多田先生のエピはどれも皆興味深いので詳細は本書をドゾですけど、一つ例をあげるなら、戦国時代の武士が今の時代に生きていたら、何をしているのか?の問いに、刀とか投げ技とかしていないで「おそらく最先端の科学を研究しているだろう」とな…それは何故にと言えば「どうすれば人間の生きる知恵と力が高まるかを知るために、医学であれ、情報工学であれ、軍事科学であれ、そういう研究をしているはずである」とな…武士の本来の意味は「そのときどきの歴史的環境において、生き延びるためにもっとも有効な手立てをためらわず選択することができる」人らすぃ…そゆ意味では確かに今の日本に武士は絶滅危惧種か(笑)

 まぁ著者も、本書の巻頭の方で「卓越した身体能力をもっているせいで、効率的かつ無慈悲に敵を殺傷することができる兵士は、必ずしも統治者としても有能であるわけではない。むしろ、そのような兵士は政治などにかかわらせず、できるだけ最前線で殺傷事業に専念させるのが「適材適所」というものだろう」と言ってらっさるし…

 ある意味武道とは身体を通して考えるの世界かなぁ?むしろ究極の抑止力かもしらん…飲む前に飲むみたいな(笑)日々これフィードバックというか(笑)

 と、他にもたくさんたくさん本当にたくさんエピ満載ですので、興味のある方は本書をドゾ。最後に一つ、本書で一番笑わせてもらったとこを「悪を根絶するというタイプの過剰な正義感の持ち主は、人間の弱さや愚かさに対して必要以上に無慈悲になる。逆に慈愛が過剰な人が、邪悪な人間を無原則に赦してしまうと、社会秩序ががたがたになる」の件は、昨今の国際情勢と自国を思うとワロエナイれべるの話じゃまいか(笑)かくて「そういうデリケートなさじ加減の調整は、身体を持った個人にしかできない。法律や規則によって永続的に「正義と慈愛のバランスを取る」ことはできない」の件は、日本人として考えさせれる文章だよなぁと思うのは気のせいか…

 目次参照  目次 未分類

|

« ジャガイモ先進国(笑) | トップページ | 神の見えざる手? »

書籍・雑誌」カテゴリの記事

未分類」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 不出一歩不退一歩…:

« ジャガイモ先進国(笑) | トップページ | 神の見えざる手? »