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2015年5月30日 (土)

記号論とは嘘をいうために利用しうるあらゆるものを研究する学問である(笑)

ウンベルト・エコ インタヴュー集 記号論、「バラの名前」そして「フーコーの振り子」  L・パンコルボ T・シュタウザー C・ノーチボーム  而立書房

 こちらも何を今更な本だけど、うーん…エーコか…インタヴュー集というか、対談集だと思われなんだけど、著者名を見れば分かる通り、三人の人がそれぞれにインタビューしているお話なんですね…目次的にいくと、記号論の魔術(ルイス・パンコルボ/西)、「バラの名前」から「フーコーの振り子」へ(トマス・シュタウダー/独)、講壇から、ピッツァ専門店から(セース・ノーテボーム/蘭)とゆー…このインタビュアーのラインナップをみるだけでも、エーコが欧州でどゆ立ち位置か分かるんじゃまいか?かなぁ…

 本書の凄いとこは訳者あとがきのとこもで、あの世界的ベストセラーのバラの名前に「邦訳が世界最悪なのに、改訳の気配がないのは不幸なことだ」と断言しているとこかなぁ…「邦訳がいかにひどい欠陥本であるかについては、日本イタリア京都会館誌「イタリアーナ」(1990年No.19)所収の拙稿を参照されたい」そーですよ、奥さん(誰?)ちなみに「翻訳賞には値しない代物である。こんなとんでもない訳が評価されるとはおぞましい限り」とまで言い切っていらっさるし…「「国際文化論集」(桃山学院大学紀要、第三号、一九九一年)所収の書評をも参照されることを望みたい(背筋が寒くなるような日本のイタリア関係者の現状が披露してある)」そで…更に「不幸ついでに「朝日ジャーナル」(十月十一日号)にはあきれかえった。親衛隊を名乗りながら原作も読めぬ手合いのなぐり書きを麗々しく掲げるとは!依頼原稿さえ没にする某協会もあるというのに」って…伊文の世界も何だかなぁ…内輪で回っている分にはアレだけど、現実にどよ?というのは…お察し下さいか(笑)

 まぁ著者がエーコというだけで、普通に訳すのはむつかしいのは当然だろし…裏の裏のそのまた裏まで見えてしまいましたの世界じゃないと見通せないだろーし、更に、深読みしたら実はエーコが知りませんでしたみたいなのもあるとゆー(笑)読み手の能力の限界に迫るとゆーか、読み手次第でどーにでも読める本だろーしなぁ(笑)

 そんなエーコの対談…三本中もそれぞれに色々あってなですけど、特に最初の一本目は、インタビュアー共々、いっちゃってる感が凄すぐる…エーコ節炸裂しててまさに分かってんだろーなぁーっ?の世界か(笑)

 アリス的には、エーコ…まぁ小説の方はミステリ的と言えなくもないけれど、アリスがどー評価しているのかは?どかなぁ?それもともかく、他にアリス的というと、記号論学者は「記号という、特殊な"賢者の石"で触ると、すべのものが記号論と化してしまうのだ。確か、古代にミダスなるフリュギアの王がいて、彼にも同じようなことが生じた。彼の野心は注目に値するものだったのであり、なにしろ、彼が触れたものは何でもこれを黄金に変えたのだった」(@パンコルボ)のとこですかねぇ…乱鴉のミダスタッチの件じゃまいか(笑)

 本の概念的なとこもアリス的と言えば言えるのか?ちなみに「エコは、書物をすばやく生産・配布・消費・嚥下することが、"暫定的著書"-更新し続けて行き、後の著書で再検討することになる-を絶えず編集・刊行することを可能にしているのを、理解しているのである」(@パンコルボ)の件かなぁ?「現代のマス文化は古代の書物に対する考え方とは反対に、こういう攻撃的で開放的な書物を存在させる贅沢が許されるようにしている」とな…どゆ事かというと「かつては、書物は一たび出版されるや、幾世紀の風雨に抗して、ゴシック風回廊の柱みたいに不可侵かつコンパクトなものとして、そのままずっと残存してきたのである」そな(笑)本の、著作の存在感というものも時代と共に変遷してきた模様(笑)

 他にアリス的というなら「小説家は殺し屋を登場させる場合でさえ、殺し屋の心理の中に、自分が立腹したときにその心の中で生ずる事柄を挿入するからとて、小説家と作中人物とが同一視されうるとは私には思われません。すべての作中人物の間に自分が配分されており、それぞれの作中人物はみな一つのコラージュなのです」(@エコ)のとこかなぁ?キャラクターとは作者の分身であるはよく言われるけど、全てにおいてもかかるんだなぁと(笑)

 も一つ「出版社にいると、信じられないような奇矯な人物とか、協力者たち、著者たちと競り合うものです。そこでは本当のことや、でっち上げのことだって渦巻いています」(@エコ)って、そーだったのか?片桐さん(笑)

 ついでに伊での読者事情なとこで、エーコの本は難しすぐるというとこで「三か月やそこらで五十万部も出るような本には、昭かに何か思い違いがまとわりついているものです。小説の読者には周知でも、他に人びとには未知な、小説特有のルールというものが存在するからです。イタリアでは、小説特有のルールに通じている読者の数は、推定五万と見積もってました」(@エコ)とな…イタリア共和国の人口が確か約6000万人近くだから、0,1%にも満たない読者層って事なんだろか?もしくはインテリ層という事か?

 も一つ伊的なと言っていいのかで「「バラの名前」とか「フーコーの振り子」のような小説は、あまりに"構成"されすぎているがゆえに、真の文学ではないと主張する評論家たちがいますね。とりわけイタリアでは」(@シュタウダー)の問いに「"構成されている"ことを話題にするのは、イタリアの田舎根性の一例ですよ。マンゾーニを除いては真の小説家をもつことがなかった文明国のね」(@エコ)と答えていたりして…伊の小説界事情も相当にアレなのか?

 記号論、記号学については、これも今更なので…色々と名前が出てきますが、ソシュール、バース、フレーゲ、ポル・ドロワ、エルンスト・カッシーラー、ルドルフ・カルナップ、チャールズ・モリス、ルイス・プリエート、ジュリア・クリステヴァ、ロラン・バルト、チェーザレ・セグレetc.とありますよっての世界か(笑)まぁ予習としてこの辺りはクリアしてるよね、だろぉなぁ…

 さて、我らが「エコの手にかかると、ニュアンス、ほぼ記号に近いもの、記号ならざるもの、これらの探究が興奮させるものとなるのだ。とりわけ次の理由から-つまり、すべては記号であるとの推定から出発する以上、例外がさながら砂漠におけるオアシスみたいに望ましいものとなるからだ」そな…なるほろ、記号でないものを探せ?ってか?

 さて、三人との対談なのですが、いずこの対談も皆それぞれの、だろなぁ(笑)特に最初の記号論の魔術の項は、お題がその通り記号論についてだから、部外者にはこの言葉のとびかいがまさに専門用語、及び言い回しじゃね?だからなぁ(笑)まぁ分かる人には分かると思うので詳細は本書をドゾ…

 まぁバラの名前が出る前ならば、単なると言うにはあまりにアレだけどエーコも学者先生で済んだとこが、小説本を出版した事によって、一挙にどよどよどよとなった感じかなぁ?今後、バラの名前たちは、ジョイスのユリシーズのごとく、多くの人が解釈のソレで喧々諤々していくんだろぉなぁ(笑)欧州文学的に、ああゆーのが王道なんだろか?とふと思う…文学畑ではないので、小説とは何か?と言われると心もとないけど…

 本書の半分以上を占めているパンコルボ関係のとこはマジで本書をドゾ。特に二人の対談のとこは、マジで中の人の会話だよなぁと思いますた(笑)

 他にもたくさんエピ満載ですので、興味のある方は本書をドゾ。まぁ本書でひっかかったとこを一つ、「それから、私たちは風邪が吹き抜けるケイゼルスグラハトを通って、ショルス・古書店に赴いた」(@ノーテボーム)の件で、風邪となっているとこかなぁ?誤植とは思うけど、何せ対談本とはいえエーコ本でですからねぇ…わざと風邪としているのかもしれないし…かくて些細なとこまで気になってしまう症候群に凡人は陥るってか(笑)

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