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2015年6月30日 (火)

不可視な世界?

厄除け  佐々木勝  名著出版

 サブタイトルが日本人の霊魂感とあるのですが、厄除け(厄払い、厄落とし)も広義で見ると色々あるみたいです(笑)知識ゼロに近いので、厄年に神社仏閣で拝んでもらうものと勝手に思っていたら、全国区で風習は多岐に渡っている模様…日本って広いや(笑)

 本書の特色としては、どっちかというと忌み神様も網羅しているところかなぁ?どーいう事かというと「人に幸いをもたらす、正の作用をする神霊は山や水や田という機能的な名を冠する神として<祝い祀る>対象とされてきた。それが近世以降、祖霊を中核に吸収同化され、祖霊信仰として体系化されつつ今日に至る。これに対して、人に災厄をなす、負の作用をする神霊は<追い祓う>対象として、祖霊信仰体系の埒外に置かれることになった」とな…

 で、本書はこの負の方にも焦点当てましょーぞ、の世界が展開されている模様…光あれば影ありですからねぇ(笑)なので「鬼・悪魔・魔物などに表現される負の作用をする神霊を「厄神」と総称した」そで、これが何かとゆーと「年の瀬など特定の日に訪れ来て、人に災厄をなすと信じられている神霊」となるとか…所謂一つの疫病神みたいなもんなんでしょか?

 で、そんなの来ちゃやだぁーっとゆー事で「それをめぐる一連の民族事象を「厄神信仰」とよぶことにする」で、その時の人々の対応を掲載されているんですねぇ…一番わかりやすいのは、節分の鬼が来たぁーっ、豆撒けぇーっとゆーこれも鬼を追い祓いたいからですからねぇ…

 アリス的に厄払い…准教授だと、ケッで終わりそーだけど、でも婆ちゃん辺りだとちゃんと年中行事として続いていそーな気がするんだけど?どだろ?アリスの雑学データベースには勿論ありそーだけど?夕陽丘で一人で豆まきは寂しいものが(笑)

 さて、本書は厄神信仰として二つに大別されるとして、一つが来訪伝来、も一つが民族事象となり、この二つも幾つか分かれていて、来訪伝来は形代禁忌と外出禁忌に、民族事象は防塞系呪術と祭祀系呪術に分かれます。更にこの防塞系呪術は、防御型、鎮送型、攻撃型、潔斎型に分類され、祭祀系呪術は供物型と奉納型に分かれると…言葉は難しいですが、やってる事は鰯の頭も信心からのノリですので、詳細は本書をドゾ。地域制が半端ないです(笑)

 アリス的なとこで言うと「大阪周辺の農村ではヨウカビとは卯月八日のことで、この日は必ずヨウカビ団子をこしらえ、それを嫁聟に持たせて里に帰らせる。ことにこの一年の新嫁はことごとく里帰りさせる。ヨウカビの風にあたると子ができぬとも、カビが生えるともいって、外で働かせてはならぬとしている」とか、また京都の天田郡では「十一月ごろ子供のひく風邪を庚申風邪という。敷居の上に山盛りのご飯を供えると治る」とか、あったみたいでアリスん家も古い風習あんでしょかねぇ?

 さてさて、厄除けというとパンピー的には厄年にお祓いに行くみたいなノリですが「日本全土を見渡すと、大まかな傾向として、九州から沖縄にかけては厄年というよりも年祝いとする風習がある」そな…いっそ前向きなんだろか?

 で、厄年とは何ぞやというと「厄年の本来の意義は神事の奉仕のための役年だとする説である。神事や仏事の参与資格や隠居の身分入りの契機が還暦前後であったり、42歳の大厄の者が神輿を担ぐ事例などを拠り所として、提唱したものである」(倉田一郎説)、「厄年にあたり者は親類に泊まってでも家にいない方がよいという前者の事例から、別居斎祝を予想し、厄年の者が小正月の訪問者になる後者の事例から、神に近づくないしは神の代理役目をする年齢であったと推測した。その結果、厄年の者は地域社会における司祭者という重責を担う者だったというのである」(瀬川清子説)、「厄年行事の基本形は厄年の人が形代を捨てることだというのである」(井之口章次説)と、諸説色々取り揃えておりますってか(笑)

 結局、行きつくとこは鬼は外福は内ならぬ、厄は外いい事は内にとゆー人の欲望の続きみたいな気がするけど、一概に笑い飛ばせないところが風習の凄いとこだよねぇ…なんたって21世紀の今もまた連綿と続いているんだから…

 目次参照  目次 文化・芸術

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