« 甘くて旨いぞ♪ | トップページ | 現実とプライド? »

2015年8月 6日 (木)

国民に嘘をつく国家は滅びる…

私が最も尊敬する外交官  佐藤優  講談社

 サブタイトルが、ナチス・ドイツの崩壊を目撃した吉野文六なんですが、所謂一つのその時歴史が動いたでしょか?インタビューを元にした戦時史的な意味合いもあるよーな気がするけど、舞台は欧米か(死語?)になるんでしょかねぇ?その上、著者も元外交官、でもって答える方も元外交官…入省間もない一外交官が初めて目にした米とは、欧州とは、そして戦時下とは、まさに激動の昭和史なんでございますよ…

 その前に、本書の主人公の吉野文六の名にピンときた人もいるかも?で、沖縄返還密約問題の渦中の人の一人…「沖縄協定は氷山の一角で、外務省はまだ公表していない、あるいは公表すると差支えがあると思うような、協定がほかにもあるでしょう」(@吉野)とコメントしているとこからして…闇は深いってか?まだまだ沖縄問題は裏の裏の裏があるかもしれんねぇの世界なのか?

 著者は「外交官は国民と歴史に対して謙虚でなければならない。重要な外交交渉について真実の記録を残さないという現下外務官僚の為体が外務省の隠蔽体質を助長し、犯罪を多発させる温床となっているのだと思う」は全くもってその通りだと思うけど、果たして当事者達の意識は如何に?だよなぁ?でも、そんなの関係ねぇー(死語?)に1ジンバブエドル賭けるまでもないよーな(笑)

 それにしても著者自らが「外務官僚の回想録は、そのほとんどが自慢話の羅列か、たいして重要でもない話にふくらし粉をいれたものがほとんどだ。この種の本は読むだけ時間の無駄である」って、そんなハッキリ言っていいんですか?でもって、逆に著者の強い自負がある訳だったりして、でもこの本は違う、そして吉野文六は違うと…

 では、何がそんなに違うのか?それを知りに1940年代の吉野青年と旅に、もとい仕事に出ようじゃあーりませんかぁ~

 アリス的に、WWⅡ…本書的な主なそれは米と独ですが、国名シリーズ的にはアレか…関係あるとしたら、英とスイスかなぁ?

 さて、話は吉野の生い立ち、青年時代からふれられていますが、詳細は本書をドゾ。東大法学部卒のエリートであったのは確かですが、時代が時代であったのに、吉野が他と違うところはその時代の空気にあっても自由主義的思考の持ち主であったとこでしょか?この一貫性はむしろ、凄い事じゃね?とゆー事になるんだろぉなぁ…本書は1945年の8月の頭までしか掲載されていませんが、その後の外交官の職を全うした訳ですから…その先の方が長いと(笑)でもって、その先の一つの業績が沖縄返還問題だったりする訳で…

 で、何がそんなに凄いのか?と言えば、変更していないところでしょか?戦前と戦中と戦後と、そのポリシーがくるくると変わっていく人多しの中で、吉野の生き方はずぇんずぇん変わっていないよーな?故に、官僚としては非常に珍しく省内の派閥にも属さなかったお人らすぃ…それでも人の上に立つ、順調に出世していった訳だから、如何に優秀かも分かろーものか?ある意味、日本の最後の本物のエリートかもしらんってか?

 そゆ人の激動の四年、五年は、それだけで歴史の証言の重みが違うよーな悪寒じゃまいか?お題が凄いのに、これまた双方中の人だった訳だから、多分、本書は存分に行間を読めなんだろーけど、上っ面だけでもトーシロには追うのが大変というか、能力がないのはいつもの事ですけど、何よりも覚悟が足りないって事だろなぁと痛感しますた…生きるか、死ぬかのその時に淡々としていられる人は凄い、マジ凄い…

 ある意味冷徹なリアリズムの人かもしれないかも?事実で間に合わせるしかないじゃないと…「私の見解では、吉野はマルクス主義による社会革命という処方箋の中に知識人としての思考を停止させる病理を見たのである」で、まさに今でしょ(死語?)で、現実で辻褄を合わせていくしかなくね?じゃね(笑)格差を是正するのはあった方がいいとは思う、だが、しかし「みんな適当に自分たちのタレント(才能)を伸ばして生きていく余裕くらいの世の中になったほうがいいと思ってはいたんですがね」(@吉野)とな…他者危害排除の愚考権が許容できるか?否か?それも問題だってか(笑)

 前振りが長くなりましたが、吉野青年独に行くですけど、シベリア鉄道経由でのビザがおりなかったとな…で、船で行く事になるんですが、何故にソ連はNOと言ったか?「軍事インテリジェンス(諜報)の基本的訓練を受けた者ならば、シベリア鉄道に乗って、沿線の様子、すれ違う列車の数や、軍人の移動の様子、積載貨物などについて観察することで、ソ連の戦争準備態勢を把握することができるからである」とな…ちなみにこれは帰国の時も利用されます。インテリジェンスというより国の騙し合いパネェ…

 で、若き吉野外交官は、米経由で独入りする事になると…横浜、サンフランシスコ、ワシントン NY、リスボン、南仏、スイス、独とゆー大まかなルート…何か物凄く遠回りな気がするのは気のせいか?ちなみ時は1941年4月に出航…歴史的には日ソ中立条約に調印したのがこの年の4月13日というから、まさにその時歴史が動いたの頃なんですよねぇ…

 この移動期間の先々で出会う人も物も全てが、何気に凄い歴史の証言じゃまいか?ですかねぇ?例えば、ホノルルに寄港して真珠湾に米海軍の艦隊が停泊しているのを目撃したりします。しかもまだその船は白い…「戦争が近くなると、カモフラージュするために、ペンキを塗り替えて、波のような色にするんですが、その当時はまだ、全部白く、奇麗に塗られていた」(@吉野)とか、サンフランシスコで上陸して、鉄路でロスに向かい、あちこちを見て回るんだけどこの時点ではまだ「一般のアメリカ人の対日感情は決して悪くない」「民主主義を揚げるアメリカにおいて、政治エリートと一般民衆の認識に相当の乖離があることを実感する」なんですよねぇ…

 途中経過の詳細は本書をドゾ。

 とにかく語学習得の為、ハイデルベルク大に通う事になると…独は対ソ戦に突入し、ユダヤ人の胸にダビデの星をつけるよーにしてた頃とゆー…「ドイツの体系知は、ドイツ人とアシュケナージ(中東欧)系ユダヤ人の伝統が合わさってできているもので、大学町にはユダヤ人が多い」そで…そんな学都からもっと独をで、ミュンヘン大に移籍するとな…ちなみにここは「バイエルンの中心都市で、またヒトラーが旗揚げの一揆を起こしたところでもある」とな…そーだったのか?ミュンヘン?

 それにしても独におけるビアホールって「ドイツのような身分制の伝統が強く残る社会で、ビアホールは、中産階級と労働者が平等な立場で出会うことができる「公共圏」なのである」とは知らなんだ…市民、国民ってそーやって拡大していくもんなんだろか?なるほろ、政治ってで、ヒトラーが演説したのもビアホールから…理に適っているってか?

 研修あけて陽が暮れてじゃないけど、ベルリン大使館勤務となって日米開戦で、日独間の軍事物資が行きかう事になるとな…尤も日独軍事同盟は1940年に締結済み、なのに日米開戦から機材や情報のやり取りが始まっていたとこ「日独の軍事同盟が紙の上での約束を超える実体的関係ではなかった」とな…連合側とはえらい違いとゆー事らすぃ…

 しかも、独での戦況もいとあやしゅうばかりなりで、独は政府をベルリンから移転、日本大使館も移転とゆー話が浮上してくるけど、結局は日本大使館がバードガスタインに移動する事に、ただし吉野氏はベルリン大使館の留守部隊となる訳で…ここが運命の分かれ道でしょか?こんな状況にありながら大使一行は物見遊山な逃避行で、激戦下しているベルリンの大使館から酒や食料を何度か運ばせるまでしていたりして…

 で、戦況からしてこちらは命懸けの物資調達、運び屋をこれまた吉野氏が担っていたりするんですよね…日本の大使館って…「大使命令には絶対に従わなくてはならないのが、外交官の宿命だ。吉野からこのときの話を聞きながら、私も、某大使の命令で、日本から来た国会議員に対して行ったいかがわしいアテンドのことを思い出した」の件は、駐在の大使館の外交官の一番の仕事って先生のアテンドじゃないのけ?というより、むしろそれ以外何をしているんだろーと思ってしまったりして(笑)

 でで、ベルリン陥落が目前となった大使館で外交官がなすべき事とは何か?「第一は、在留邦人の保護である」「第二は「日本国家に対して、ドイツ崩壊の実状について、正確な報告を行うことである」そな…外交官とは最前線の生き証人たれなんでしょか…なのに「いよいよソ連軍が迫ってくるとなると武官たちの逃げ足が速いのは、実に見事です」とゆー事に…しかも「自分で身を守るために小銃か何かを携帯して、いざというときに迎え撃つという発想なんてなかった。そういう武官たちでしたよ」(@吉野)とな…そーいや、現在もあちこちの大使館に武官派遣されている訳で、それって外務の外交官以上に何やってんだろ?

 まぁともかく、独が降伏してその知らせを独外務の日本課長が穴ぼことがれきまみれの道を自転車こいで日本大使館に知らせにくるんですね…ある意味、上層部よりも下の人間の方が仕事を全うしていたのはどこの国でも一緒か(笑)「ドイツが敗北し、その結果、三国同盟から物理的に離脱せざるを得ず、事実上三国同盟の義務をもはや遂行できないならば、ドイツはこのこと日本に対し、速やかに通告しなければならない条約上の立場にあった。だから私は、敗北が明らかになったとき、日本大使館に伝えようと、当時爆弾や砲弾で穴だらけになったドイツ外務省から日本大使館への道をヨロヨロと自転車に乗って、それを伝えに行った」(@日本課長/当時)何とゆーか、条約をちゃんと履行しているというか、まともにとらえていた人がいたんだなぁと、そこに感心した(笑)昨今、法とは何か?法治国家とは何か?条約とは何か?と考えさせられる場面が多kゴホンゴホン…

 そしてその後占領軍、ソ連軍がやってくる訳で…本書で一番圧巻なのは、この春から夏にかけての件じゃね?でして、「最前線の兵隊でした。戸を開けろといって、大使館の敷地に入ってきたわけですよ。だから我々はドアの外に出ていって、「ここは大使館だから不可侵権がある。おまえたちの入るところじゃない」と。」(@吉野)とな…で押し入って「時計、万年筆、食料品など略奪しただけでは、ソ連兵は収まらず「マダム・ダワイー!(女をよこせ)」と叫びだした」で、いないというのに地下室まで押し入るとな…で、いないのを確認すると出でいったとな…

 ちなみに当時の日本大使館のタイピストにはユダヤ人女性が二人雇われていたそーで、その二人を地下室の更に下にかくまっていたそな…ナチスのユダヤ人迫害から逃れる為に向こうから日本大使館で雇ってくれときた人達だそで、そゆ人脈が当時の日本大使館にはあったんですねぇ…勿論ユダヤ側はその外交特権を知っていた訳で…

 でもって、その外交特権を全然考慮しないのが、ソ連(露)だったとな…この当時ではまだ来年以降の批准はないよとはいえ、日ソ中立条約中だった訳で…まぁ、その後の結末を見れば今更な話ではありますが、上も下もソ連(露)という国はこーゆー国なんだとゆー事は、日本人は肝に銘じて覚えておいた方がいいと思われ…

 これには「ベルリンの町中の女性たちが暴行を受けたという噂を聞いていた」(@吉野)とな、「敵と認識しているルーマニア、ハンガリー、ドイツではほんとうに滅茶苦茶なことをします」だったよーで、「ベルリンの二つの主要病院によるレイプ犠牲者の推定数は、九万五〇〇〇人ないし一三万人。ある医師の推定では、ベルリンでレイプされた一〇万の女性のうち、その結果死亡した人が一万前後、その多くは自殺だった。東プロイセン、ポンメルン、シュレージェンでの被害者一四〇万人の死亡率は、ずっと高かったと考えられる。全体では少なくとも二〇〇万人のドイツ女性がレイプされたと推定され、くり返し被害を受けた人も、過半数とまではいかなくても、かなりの数にのぼるようだ」(「ベルリン陥落1945」/アントニー・ビーヴァー)って…強制的に連行された人が20万人じゃなくて、200万人とゆー事ですか、そーですか…これがソ連(露)の実態ってか…

 さて、ベルリン統治ですが、「ソ連に亡命していたドイツ人共産党員を市長に任命するほうが占領政策を徹底するためには都合がよいはずであるが、あえてナチス時代に投獄され、「国民と苦楽を共にした者」を市長に据えたのである」とな…その心は「ソ連は、東側の占領地で、「一握りのナチス指導者を除き、ドイツ国民はナチズムの犠牲者であった」という神話の構築にいち早くとりかかったのである」って、それってどっかで聞いた覚えが?でもってゴホンゴホン…

 ちなみに日本大使館員達はソ連は中立国であるし、まだ日ソ中立条約締結中であるから、日本への公電を送ってもらえると思っていたらしー(笑)そんな訳でソ連司令部を訪ねると、「ソ連軍に五月三日から二日間、軟禁されてしまう」とな…下が押し入り強盗強姦魔なら、上は拉致監禁ってか?それが露クオリティ?

 しかも、他の大使館員をソ連軍が保護するから皆連れて来いとな…国際法なんて、そんなの関係ねぇーとゆー事らすぃー…ついでに言うと、駐ソ日本大使館(モスクワ)からもベルリン大使館についての問い合わせが、ロシア政府に出されていたのだが華麗にスルーされていた模様…さすがソ連、このぶれなさ、そこにしびれるあこがれるぅ…ついでに言えば、いざという時の日本の外交力も素晴らしスですよねぇ…これで在留邦人の保護なんて出来たのか?私、気になります(笑)

 も一つ、ソ連軍には政治将校と情報将校がいらっさったよーで、こちらの違いについての詳細も本書をドゾ。ソ連はソ連でまた色々ある訳で…

 それにしても連合軍も一枚岩ではなかったのは当時からその通りで、ソ連軍がベルリンでした事の一つが「イギリスがアメリカを巻き込み、ナチス・ドイツ軍の残党を味方につけて、対ソ戦争を展開することをスターリンは本気で恐れたのである。したがって、連合軍とナチス・ドイツが提携することに関する情報を、ベルリン陥落当時のソ連は、必死になって収集していたのである」とな…まぁこの疑心暗鬼呉越同舟が後のベルリンの壁であるになるんでしょーか?うーん…

 まっそんな訳で日本の大使館員拘束もその辺りが絡んでいた模様…少しでも疑わしければ皆まで言うなか…外交官だろーと国際法だろーと「「スパイに対して国際法は適用されない」というのがロシア人の常識なのだ」そな…

 で、問題ないというより用済みとなったらどーするか?「ソ連軍からのベルリン退去命令は、五月十八日の午前に出された」とな…いきなりきて「四時間以内に出発してほしいと申し入れてきた」って、そんな無茶振り…しかも大使館員だけじゃく「ソ連軍占領地域に在留している邦人すべて」である…更に「ソ連側の提案に応じないで独自の行動をとる場合には、日本大使館員の生命財産の安全を保障することはできないとまで極言した」(「新関回想録」)とな…さすが、おそろしあサマやる事が一々おステキすぐる…

 でまぁ英米軍が来る前に日本大使館員をロシア経由、シベリア経由で逃がしてあげるよというのは、ある点からしたらとても親切な行為という事になるんじゃまいかってか?「敵の手に落ちずに帰国できる便宜をソ連が図るということは、明らかにソ連による日本に対する「友好の印」である」とな…で、その心は「「ベルリンに残留した日本人の帰国の便宜を図れば、ソ連が近未来に日本を攻撃することはないと日本政府は誤算する」と考えたインテリジェンス工作が展開されたのだと私は見ている」とゆー事らすぃ…ちゃんと中立守ったよ、しかも日本人助けたよ、だからシベリア派兵なんてあーりませんよぉー(エコー付/笑)ですね、分かります…

 とゆー訳で、ベルリンからモスクワ、新京への移動についての詳細は本書をドゾ。この激動というか激務に移動中に黄疸を吉野氏は発症し、新京にてようやく満鉄病院にかつぎこまれることになると…「満州国では、満人も朝鮮人も中国人も五族協和といっていたんだけども、そういう人たちを全部平等で扱うという姿勢が満鉄病院では徹底していた」「患者にとって、満鉄病院は非常にありがたい存在だった。診察も先着順だったし、薬も平等に出していたしね」(@吉野)だったそで、これがあの終戦間際の夏の話ですから…この辺りの証言も歴史的にとどめておくべきじゃね?ですけど、所詮日本人の証言だと却下されちゃうんでしょかゴホンゴホン…

 普通は海路で帰国するとこを、緊急時で帰国要請キタコレで吉野氏は当時としては危険でもあったけど、破格の空路で帰国する事になるんですね…そして日本は終戦へなんですがまでが、本書の長い?短い?物語でしょか?時間にして四年間位の話だと思われなんですけど、世界は戦争中だった訳で…若き日にそゆ命懸けの修羅場を見れば、その後の吉野氏の外交官人生に影響を与えない訳はない訳で…何が凄いって、濃すぎて消化不良起こしそー…甘ちゃんで申し訳ない…リアル日本近代史、の一部、一側面、なめたらあかんぜよの世界だった模様…

 ちなみに巻末に、吉野氏自身の独語おべんきょの一環での独語日記が公開されているんですが、書かれているのは日本から独へ道中記で、世界情勢はともかくほのぼの感がパネェっす…米も独も庶民的には、戦争何それみたいなノリだったんだなぁ…ですので詳細は本書をドゾ。当時の世間の空気感が分かります(笑)

 豆知識的なソレでいくと、入省した時のトップは松岡洋右外務大臣だったそで…「松岡というと、人事粛清を行い、独断専行で国際連盟脱退や日独伊三国軍事同盟や日ソ中立条約を締結し、独ソ戦が勃発するとソ連攻撃を主張した無定見で傲慢な人という世評が定着しているが、吉野が見聞した松岡はそれとはほど遠い、若手外交官の意見にも耳を傾け、ユーモアのセンスに富んだ魅力的な人物であった」「威張らず、新入省員や三十歳前の外交官補とも隔たりを感じさせることなく話かける、松岡の気さくな人間性に、吉野は今でも親しみをもっている」そで、まぁ外務大臣の能力としては歴史的にどよ?はあれど、人柄的にはまっとーな人だったよーで…有事ではなく限りなく平時だったら、また評価も違っていたかもしれないかもなぁ?

 また、外務省の閉鎖性については今も昔も今更な話なんですが、当時の中の人的には、右派は『対米戦争を恐るべきでないと主張する勇ましい人々」、左派が米との国力の違いを自覚して米との戦争回避が日本の国益に適うという「「力の論理で外交戦略を組み立てる人々」で、まぁ右だろーと左だろーと対米で国益を一番にあげるならまだしも、「当時の外務省には、潤沢な機密費があった」そで、「そのカネで飲み食いして、身内を懐柔するためにも用いられていたるのだ」とゆー事になってたりして(笑)

 外務省あるあるは続くで、「当時は、外務省の人たちはみんな、特に機密費とか接待費を使わなくても、国内で相当借金しても、外国へ出ればそれはすぐに払えるたげの手当がついた」(@吉野)で、外務の宴会好きってこの辺りからもあると思いますなんだろか?お金の使い方が企業で言う営業的だけど営業なら利益を上げるからねぇ(笑)ちなみに著者、入省当時でもその伝統は残っていたとみえて「昼間なんか、しょっちゅうニューオータニであるとか、帝国ホテル、夜は「口悦」であるとか、「大乃」とか、料亭はよく使いましたよ。料亭は、公の接待の後、外交官たちが残って飲むこともよくありましたが」って…本当に必要なんですかはここで使うとこじゃないのか(笑)

 後、外務省的には「戦後、外務省は「大島大使による二元外交が国を誤られた」という論理で、外交案件をすべて外務省が独占する「外交一元化」を実現した。しかし、「軍部による二元外交」という言説は、実際には牛島信彦をはじめとする日独伊三国同盟を推進した外務官僚の責任から目を逸らす役割を果たした」って事じゃね?で、やっぱ官僚って責任回避能力が一番大事ぃーになるんだろーなぁ(笑)おサスガです、外務省(笑)

 とはいえ、「世間一般には、今の日本の外交官は自己保身しか考えないので、日本国家や日本民族のために身命を賭すような外交官はいないという先入観があるが、そうではない」とな?そーだったのか?外交官?「イラクやアフガニスタンなどの紛争地域に勤務する日本の外交官は、職務遂行のために命を投げ出すことは覚悟している」そなもし…そんな人は絶対いないとは言わないけど、その比率が、私、気になりますっだな(笑)半々よりも、十中八九よりも、むしろ万に一つ位じゃね?と思うのは穿ちすぎか(笑)

 その時歴史が動いたでは、公電というか、宣戦布告なとこでの件が幾つか出てくるのですが、まず日米で対立、緊張感漂う状況だったにも関わらず、現地ワシントンの日本大使館員達はどちらかというと「アメリカ式の生活をエンジョイしているように感じられましたね」(@吉野)とゆー事じゃまいかでして、それが後の12月6,7日の公電も「彼の認識のもとにおいては、あんなものは一日ぐらい置いといたって大丈夫だよ、というような感覚で電信に対処していたんだろうと思いますね」(@吉野)とな…ちなみに著者は「ですから裏返して言うと、外務本省も事前に公電の重要性についてそんなに強く言わなかったわけですね。普通だったら、その公電の前に、「この公電は大至急、訳せ」ということをちゃんとパイロット電で打って、一番最初にやらせるはずですからね。そして、「何時までに絶対に転達ありたい」、とか」と、おっさってます…宴会で遅れたという噂は本当だったんですかねぇ?まぁ送る方も受ける方も危機感がないとゆー、素晴らしきかな外務省ってか(笑)

 でもって、今度は露の経緯の方は「モロトフ・ソ連外相は、八月八日午後五時に砂糖尚武駐ソ大使と会見すると答えてきた。それは近衛特使受け入れに関する返答ではなくて、一九四五年八月九日午前零時(日本時間午前六時)を期して、ソ連が日本と戦争関係に入るという宣戦布告であった。こうして、ソ連は、当時有効であった日ソ中立条約を侵犯して、対日宣戦布告を行ったのである」であったぞなもし…そして日本では「マリクが東郷外相に宣戦布告文を手交したのは九日午前十一時十五分のことであり、ソ連国境でソ連軍が攻撃を開始したから五時間以上経ったときであった」(「新関回想録」)となっていた模様…「この経緯を考えれば、ソ連は、実質的な宣戦布告を行う五時間前に、日本を闇討ちしたのである」だとな…ソ連(露)という国がどゆ国か?というのはもー今更なので、これについては宣戦布告に一家言のある米はどーゆー見解なのか?是非聞いてみたいものよのぉ、越後屋ってか?

 まっそんなソ連に終戦の仲介を真剣に画策していた日本って…インテリジェンスが足りないのか?ワキが甘いのか?それとも、じあたまが悪いのか?真珠湾の外務、対ソの外務と外務省って本当に必要なんですかぁーっ?な人達の群れかと思っていたら、そんな外務にも見えていたお人はいらっさって、それが宮川舩夫ハルビン総領事だったとな…

 ただ外務省としてはソ連の事はソ連の大使館じゃね?で、モスクワをとり、ハルビンを捨てたとゆー顛末らすぃ…で、モスクワの方は事態を予測できていたか?というと…こーしてみると戦前の大使館は一定レベルというより、格差があったんじゃないか?と思うんだけど?どだろ?でもって、外交とは外交官のレベルに直結するんだなぁととも…これを見る分にはスイスとハルビンの大使館・領事館はそれなりのレベルにあったが、ベルリンとモスクワは生まれ変わってやり直してこいのレベルだったよな気がするのは気のせいか?

 それにしても、そんなできる宮川総領事がソ連に拘束されて獄中死している訳で、おしい人材を日本は亡くしたとゆー事なんだろなぁ…「ソ連当局はロシア語を勉強した外交官は、みんなスパイであると見なしていた」(@吉野)とゆー事か…ついでに言うと新居次郎電信官も「ソ連軍は連行していった」「自国の安全保障にとって必要と思えば、国際法で定められた外交特権など平気で無視するというのがロシア流である」なんですと…しかも「後に、新居さんはソ連に捕まって、スパイ容疑で殺されたということを聞きました」(@吉野)になる訳で…対ソはいつもでっとおああらいぶやでの世界か?

 まぁ対ソ的には、「関東軍がその前にノモンハンでさんざんやられて、もう日本の北進はダメだなとということを、彼のみならず陸軍も全部承知していたんです」(@吉野)という事で、対ソ戦に最初から消極的だったとこも、心理的にあったかもしれんねぇ?かなぁ…ちなみに独も対ソ戦は、WWⅠの教訓でやってはいけないで、日独双方がその深みにはまったって事でしょか?後から見れば?

 日本の動き的なとこで、独からのノウハウの中に、「ドイツ軍が蓄えたゲリラ戦に関する情報」があったとな…「ドイツは、フランス、ポーランド、ウクライナなどで、ゲリラ戦に悩まれた。従って、ゲリラ対策に関する情報がゲシュタポに蓄積されている」とな…それを活用しよーじゃまいかで日本としてはきたる「アメリカに対するゲリラ戦の準備をしていた。そのゲリラ戦の準備の中心になって担っていたのが陸軍中野学校であった」とは…とゆーのも「ゲリラ戦は、長期的に守勢に立たされた側が行う戦法である。過去、長期的に守勢に立たされた経験を持たない日本にとって、ゲリラ戦に関する情報も経験も不足していた。そこで、中野学校は敵である中国共産党の手法から学んだ」って…この辺りの詳細も本書をドゾ。

 また、海外ってば、どよ?系では、米と英では外交哲学が違うとな…まず米の場合、「自由と民主主義という価値観を全世界に広げるという「価値観外交」をアメリカ人は本気で追求する傾向がある」そで、でもその価値観とやらは「アメリカの国益を体現したもの」ですよで、この「価値観が普遍のものであるという建前を重視する」そな…

 対して英の場合、「徹底したリアリズムである」「イギリスの国益と合致するならば、基本的価値観を異にする国とでも平気で手を握る」そな…成程二枚舌外交、三枚舌外交なんてお手の物なんですね、分かります…

 でまぁ米の立ち位置としては「アメリカの本心は、日本よりもドイツを先に叩きのめそうというものでしたからね」(@吉野)パールハーバーがあろーとまず独、次に日本とゆー算段だったとな「だからドイツにとっては、アメリカへの宣戦布告は本来ならば、大変なマイナスです」(@吉野)とな…いずこの国もそれぞれに思惑ありって事でFA?

 とはいえ、米は米で日本占領前の情報収集とか、更に対ソに関しての情報とかもあって詳細は本書をドゾ。みよーによってはトルーマンになってから対ソも視野に入れてになったんだろーか?うーん…

 他にも日本が宣戦布告してからの外交という事で、日米双方の断交とゆー事に…「外交関係が断交すると、中立国の中から利益代表国を指定する」事になんだそー…当時の日本はスペインを、米はスイスを指定したとな…

 でもって、この中立国の概念がまたパネェでござるで…「国際政治の現実において「純正中立」なるものは存在しない」というのが常識らすぃ…ちなみに当時の中立国は、スイス、スウェーデン、アイルランド、スペイン、ポルトガルだったとな…で、その内訳が「スイスは英米などの連合国に好意的な中立国」「スペイン、ポルトガルは日独伊など枢軸国に好意的な中立国」「スウェーデンは当初、枢軸国に好意的だったが、戦局が米英優勢になってから連合国寄りに立場を徐々に移すという日和見主義をとった」「アイルランドは、反英だが親米というねじれた立場」だそで、アイルランドでインテリジェンス的有名人がホーホー卿らすぃ…中立色々、国も色々だけど、スウェーデンってそゆ立ち位置だったのか?ヴェロニカさん?

 そして枢軸側、独の場合、ナチズムのアーリア人種の遺伝子至上主義なんたらの詳細は今更ですが、「そもそもナチズムは日本人についても劣等人種であるという認識を隠さない。ヒトラーは、日本人に文化を創造する能力はなく、アーリア人種から受容した文化を維持するのが精一杯であるという認識を「わが闘争」の中で示している」とな…ちなみに戦前の翻訳ではこの部分は削除された模様…「ナチズムの本音の日本人観を広まることを当時の日本政府が嫌がったから」だそな(笑)

 も一つナチズムで当時の独では「富裕階層はもちろん、ある程度教養がある人たちは、ナチスが大嫌いなんですよ」(@吉野)というのが現実だったらすぃ…ちなみにヒトラーが旗揚げしたミュンヘンでさえそゆ事とゆー何だかなぁですが、そのミュンヘン大にはケルロイター教授がいてこの方が「ナチスの憲法を書いた」お人…ちなみにそんな先生曰く「権力のあるところが正義である」とな…「なぜナチスが出てきたのかわかりました」(@吉野)いやもー現場は凄いなぁ…

 後、「国民に対して、無関心で冷たいヒトラーやナチス・ドイツのエリートの感覚は、ナチズムの思想に起因する問題である」とな…優秀な民族、人種が世界のトップに君臨するのが当たり前ってとこで、元祖上から目線乙な人だった事は徹頭徹尾そーだったとゆー事らすぃ…

 また、当時の独軍的にどよ?では、その場を死守せよの「参謀本部の指示に現地の司令官が従わなかったこともあった。ところがヒトラーに対しては、それができない。なぜなら、命令に背くと非情な報復が待っていたからです」(@吉野)とゆーのが実状だったらすぃ…「ヒトラーは基本的に職業軍人を信じていない」(@吉野)で、あのSS、親衛隊ができたのぞしとゆー事だとな…

 で、末期にヒトラーに離反する人達が出てくるけど、こちらは「支配層のうちでも貴族・官僚・軍部上層部などの伝統的・保守的分子であって、資本家はほとんど含まれていなかった」「独占資本家たちはナチス支配権力と癒着したといえよう」(「ファシズム体制の崩壊過程」/吉田輝夫)で、むしろそっち系がズブズブの関係だったのか…

 その後のナチ系では、戦前戦中たとえ名ばかりのナチ党員であったとしても、戦後それがバレるという事は、特に公職についていた場合「当時の常識では大スキャンダルだった」となる模様…まぁ西独的には悪いのは皆、ヒトラーとナチだとゆー事になってるからなぁ…

 後、ヒトラーのソ連侵攻についての件は、今ホットな話題の一つとも重なるのか?当時、独は英に空挺部隊を送って占領下するというの話が主流だったよーで、それがいきなりソ連へ…「結局、ヒトラーはソ連のウクライナの穀倉をドイツの支配下に置かない限りは、ドイツに長期戦をするだけの体力がないと考えたのではないか」(@内田藤雄)とな…だが、ウクライナの穀倉地帯にそれだけの価値があったのか謎だみたいな話が吉野氏の口から出てきますが、著者は石油をあげていまする。WWⅠとⅡの時「今は忘れられていますがヨーロッパの産油国として重要なのはルーマニアなんです。ルーマニアというのは、戦前は大変な産油国だった」とは知らなんだ…そーだったのか?東欧?よーするに独も資源・エネルギー戦争へどっぷりって事ですか?そーですか?で、ルーマニア→カスピ海→バグー油田(アゼルバイジャン)→グローズヌイ(チェチェン)を押さえようとゆー…何か現代につながるきな臭さと思うのは気のせいか?そしてブレスト・リトフスク条約(1918)のラインも忘れるなとゆー…

 それと、忘れてはいけない露(ソ連)とは何か?でしょか?ちなみに露人とはウオトカとタバコと黒パンとジャガイモがあれば、どこまでも踏ん張れる人達らすぃ…何だかなぁ…「ゴルバチョフ政権がどうして瓦解したかというと、一つは反アルコールキャンベーンです」って、そゆ事?でその後ついだエリツィンは大酒のみって、本当にありがとうございました…更に煙草不足も起きたからとゆー…露ェ…

 それと露人は「あんまり野菜を食べない」そで…移動時のソレも「黒パンと白パン、それから豚の脂身、サラミソーセージにチーズ」だとな…凄い野菜が一切ない…栄養学的にどーよと近年なってきても「食糧を大量に摂ってビタミンを補給するようなシステムをつくるよりは、科学的にビタミンをつくって国民に補給したほうが安いというソ連的な発想ですね」とな…もしかして露ってサプリメント大国だったのか?それにしてもウオトカに一番合うつまみがハムの脂身って…それを組み合わせて飲食となれば相当に身体に悪い気がするのは気のせいか?でもって、野菜食べないとはいえ、活力源にと「ニンニクの酢漬けと生のネギを食べるんですよ」とな…ニンニクより臭いネギって、どんだけぇー?勿論体臭は、皆まで言うなの世界か…

 著者実体験の露話もパネェで、自らが生命の危機を感じた時が二回あるとゆーので一つが、「一九九一年一月、リトアニアの首都ビリニュスで、ソ連軍が独立派の住民十数名を装甲車によってひき殺した「血の日曜日」事件のときである」で、も一つが「一九九三年十月のモスクワ騒擾事件だ」そな…デモなのか暴徒なのかアレだけど、それを包囲していた民警の小銃には「内戦に発展することを恐れたクレムリンの命令で実弾が支給されていなかった。デモ隊がその事実に気づくと民警をつかまえてリンチにかける」大衆暴動に巻き込まれたとな…

 も一つ、そゆ混乱期の貨幣とは何か?で「一九九一年になると、ソ連国家の弱体化が急速に進み、秘密警察もワイロに米ドルを要求するようになった。その瞬間からドルが流通するようになりました」って…ハードカレンシーとは何ぞや?ですかねぇ?

 後、駐露日本大使館の建物の顛末…戦前のソレは「モローゾフという帝政ロシア時代の大財閥の屋敷を接収したもの」で「御殿みたいな、お城みたいな造り」だったよーで…「それとは別に、ゲルツェン通りに大きな大使館事務棟もありました」とな…ところが「戦後、国交回復しても、大使公邸も大使館事務棟も返してくれないんですよ」ちなみに、大使公邸は「民族友好会館」の本部、事務棟の方はナイジェリア大使館にしたとな…では戦後、日本の大使館はどこへとゆーと、「元大使公邸の裏手の横丁みたいなところにある十九世紀の砂糖商人の愛人の家を大使公邸にして(笑)。その横にくっついている使用人の小屋があるんですね。それが大使館事務棟で、そこで私は勤務しました。つまり敗戦国へのいやがせなんですよ」「ロシア人は、そういうことをする連中なんでね」だそな…ヘーヘーヘー(笑)

 人としてこの人を見よ系では、カール・バルトでしょか?ボン大学プロテスタント神学部の教授だったけど、ヒトラーに対する宣誓書で喧嘩売って、スイスのバーゼル大にゆく話も今更なので、詳細は本書をドゾ。またヤスパースについても、ヤスパースも哲学的にはどよとゆー事らすぃ…「(ヤスパース)夫人がユダヤ系でなければ、ヤスパースとナチス・ドイツ第三帝国の関係はかなり異なっていたと私は考える」だとな…

 後、日本人的には、坂本端男特命全権大使(ベルン・スイス)でしょか?「ノーブルであり、リベラルな教養を身につけた坂本の国際情報認識に吉野は親近感を覚えたのである」とゆ…そゆ時勢でも見えていた人は見えていたとゆー事か…「坂本は生前、妻に「自分は外交官として、英国のイーデン外相を尊敬する。敵国であるが、それ以前に、彼は外交官の中の外交官だ」と言い残した人ですから…敵ながら天晴、ある意味武士道精神もこの頃までは残っていたんでしょか(笑)

 同じ大使でも大島浩独大使に対しては詳細は本書をドゾですけど、「この程度の情報認識と判断しかできない人物が、強引に日独の軍事同盟を押し進め、日本を戦争へと引きずり込む上で大きな役割を果たしていたという事実を歴史にきちんと刻み込んでおく必要がある」と著者言い切っているし、何とも最早手厳しい…まぁ色々あるけど、いざという時に逃げる男は、人としてどよ?というのは、あるよなぁ…

 豆知識的には、今何かと話題のウクライナですが、「ウクライナというのは西と東で文化が違うんですね」とな…「西のガリヴィア地方はカトリックなんです。ただしそのカトリックというのは、見た目がロシア正教と一緒なんです」でもって、正教会系とローマ教会系とのすみわけというか、違いを上手く利用したのがナチスという事になるらすぃ…ユニア教会(現地カトリック系)を味方につけて「ウクライナ解放軍みたいな部隊をつくっているんです」とは…今を巡るウクライナの対立も色々地下水脈がありそーな悪寒なんだなぁ…

 とにかく、ここまで書いていいんですかなお話がいぱーいで、とはいえ、著者の姿勢は「「敵が嫌がることを徹底的に行う」というのはインテリジェンスの定石」だそーなので、ある意味世界各国の裏集大成みたいなノリもあると思いますなのか?後、欧州の民族主義(ナショナリズム)と日本のソレの違いとか、「日本の大東亜共栄圏などは、国民国家的ナショナリズムとは逆の発想になりますね」なんだそな…これに「そういうことになりますね。日本の思想はそう簡単にはいかないということですよね。あれは本当に日本的な考え方です。一種のジャスティフィケーションにはなるでしょうけどね」(@吉野)は、もしかしてはいここわらうとこなんだろか?もし?

 後、気になる記述では「社会が匿名を好むようになる状況の背後には、異論を唱えるものを排除しようとする全体主義的な力が存在するのだ。現下日本でも、個人情報保護という大義名分によって匿名化が急速に進んでいるが、その背後に少数者を排除する同調圧力があることを、多くの日本人は認識していない」は、まぁ出る杭は打たれる国だからなぁ日本は、めだたないのが一番みたいな空気も半端ないし(笑)

 他にもたくさんたくさん本当にたくさんエピ満載ですので、詳細は本書をドゾ。でもって、最後に一つ、本書で一番インパクトのあったとこを一つ、それは大島独大使のインタビューのコメント「大使は日本の訓令に従って動いているだけである。従って政策の遂行に対しては責任はない」そな…自分の仕事に責任がないって、どこかの電力会社の役員を思い出すのは気のせいか?…凄いな日本の伝統芸能(笑)

 目次参照  目次 未分類

|

« 甘くて旨いぞ♪ | トップページ | 現実とプライド? »

書籍・雑誌」カテゴリの記事

未分類」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 国民に嘘をつく国家は滅びる…:

« 甘くて旨いぞ♪ | トップページ | 現実とプライド? »