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2015年9月13日 (日)

もしジャーナリズムが存在していないなら、まちがってもこれを発明してはならない(笑)

新聞王伝説  鹿島茂  筑摩書房

 仏の19世紀というのは、まさに激動の時代であって、傍目から見ると毎日が革命記念日みたいなノリなんだが、実態としてはどーなんでしょ?帝政、王政、共和制それにブルジョアジーとプロレタリアート…参加者全員思惑が違い過ぎるとゆー(笑)

 さて、そんなどっかんどっかんな毎日ですが、それだからこそなのか新聞が雨後の筍のよーに乱立したのもこの時代とゆー事になるらすぃ…そして、ここに現代の新聞を確立した男が登場すると…それが本書の主人公、エミール・ド・ジラルダンその人なりとな…ある意味、メディアの申し子であり、仏を代表する19世紀人だろぉなぁ…現代のマスコミ的には、この人に足を向けて眠れないよーなお人なんですけど(笑)

 ジラルダンの生い立ちについての詳細は本書をドゾ。訳ありの私生児出身だったとゆーだけでお察し下さいかなぁ…ちなみにナポレオン帝政下は戦争につぐ戦争で、男は皆戦場へとなれば、銃後の女性達は皆まで言うなの世界で19世紀は私生児の多い時代だったそーだけど特に私生児が多かった時期とゆー事になるそな…

 そんな19世紀前半、「とくに王政復古期には、まだ紙をパルプから作り出す技術が確立されていなかったため、書籍や新聞は一般の生活水準に比べてはるかに割高で、個人が新聞を定期購読したり、新刊本を購入することは不可能ではないにしても、そう簡単にできることではなかった」そな…

 今に続くマスコミの繁栄って、技術革新、大量生産の上に成り立っているのねもあると思いますだけど、エコロジーと反対方向から始まったとも言える訳か(笑)木を伐ってみんなみんな新聞紙にしてしまえばいいんだわってか(笑)

 さてさて、若き日のジラルダンは自身の生い立ちの嘆きを小説として発表し、一躍時の人になる訳ですが、これを皮切りに小説家の道にではなくて、これを機にジャーナリズムの道に進む事になるんですよ、奥さん(誰?)でもって、自らで新聞を立ち上げる事になると…

 で、その記念すべき第一号の新聞名が、ヴォルール…日本語に訳すと盗人…このネーミングからしてジラルダンの人となりが分かるんじゃまいか(笑)

 アリス的にとゆーと、因幡さんですかねぇ?新聞記者的に?遠い仏からここに繋がると思うと灌漑深いものがあるのか?うーん(笑)

 後は、ジラルダンが本を発行した件のとこかなぁ?「この当時、文学や思想の単行本は七フラン(七千円)から十フラン(一万円)もしたので、よほどの金持ちでない限り、本は借りて読むもので、買うものではなかった」とな…しかも「発行部数自体が少なかったから、かなりの名作でも入手不可能な作品も多く、文学作品を読もうと思ってもままならないのが実情だった」そな…かくて、ジラルダンは今でいう文学全集みたいなのを出して、更に文庫本も出しましたが、何かみたいな、ここでも価格破壊した模様…これでパンピーも買って読める時代がひらけていくと…

 さて、時代の申し子というか、時代のちょい先を見る能力に優れていたというべきか?のジラルダンでして、何といきなり新聞社主、記者、大成功なりになるんですよねぇ…一番の理由は「それまでの新聞とはまったく逆の道を行ったことである」でして、ここが仏の凄いとこですけど、仏の新聞って「政治党派が主義主張を展開するための機関紙であり、一般的なニュースはあくまで添え物にすぎなかった」って…仏、アジびら配っていたんだろぉか?

 じゃあ、仏には政治新聞しかなかったのか?というと、そーではなくて文学、演劇、モード、法廷など専門紙としての新聞は独立してあった模様…ただ、当時はバラ売りではなくて、年間購読しかなかったので、パンピー的に一紙でもどよだから、数紙もとるなんて無理じゃねでして、ジラルダンはオールジャンル…それらの中で主な記事をとってきて、当時は著作権なんてそんなの関係ねぇー(死語?)ですから…所謂一つのキリバリ新聞を作成したとゆー事らすぃ…

 で、こんなの専門紙か許す訳がないと思うやんかぁー?でも、多かれ少なかれどこの新聞も「剽窃記事で紙面を埋めていた」から、被害者は加害者で加害者は被害者みたいなカオスな世界が展開していた模様…元祖おまゆうか(笑)

 かくて時代のニーズというか、読者のニーズに応えたヴォルールは当たったんですね、当然の如く…そして、ここからジラルダンのジャーナリスト人生が全面展開していく事になると…

 とにかく、今までのフレームワークにとらわれない人だったよーで、新聞の紙面改革もしてしまうと…思想ではなく、対象でしょか?よーはノンポリの気の赴くままにってか(笑)一般大衆的には政治思想なんかより興味のある事いぱーいなんですよ、奥さん(誰?)で、その欲望の赴くままにとなれば、「流行のモード情報を伝えるための週刊新聞「ラ・モード」」を発行する事になると…女心をくすぐるにはこれ以上のモノはないよーな…このほど左様に時代のニーズに合わせて市場の新規開拓で新聞界に躍り出たとゆー事らすぃ…

 そんな訳で、予約購読者に懸賞とか、景品のアイデアも「ジャーナリズムの歴史のなかで、ジラルダンが初めて実行したもの」とな…更に巻末のモード画を一枚から二枚に増やし、「時々、最新流行の馬車の絵を加えたこと」…何だかピンと来ないけど、これよーするに今だと新車カタログみたいな物で、絵とともに馬車製造所まで掲載されているんだから、マジ広告じゃね?でリベート入るがなの世界に…ある意味カタログ雑誌の先駆ともなってしまったと…そして新人作家・ライターの発掘でしょか?ちなみにこのライターに、あのウノレ・ド・バルザックきたこれで、その他ウーシェーヌ・シュー、フレデリック・スーリエ、ジョルジュ・サンドもここから始まったのノリだし…当時は写真がまだなので絵が主流、でガヴァルニの発掘じゃまいか?とな…

 とある意味順風なジラルダンに七月革命勃発ですよ、奥さん(誰?)歴史的詳細は本書をドゾ。ですが、その前にラ・モードとヴォルールを売却していたんですね…先見の明があるというべきか?でもってこちらの詳細も本書をドゾてすが、1831年10月に「ジュルナル・デ・コネサンス・ジュティル」(実用知識新聞)を発刊すると…よーするにこれからの時代、読者に必要とされるのは「実用的な科学知識である」で、仏の中間層に向けてとな…ちなみに新聞とはいえ、月間なんですが(笑)そして、ここでも価格破壊を決行し、ジラルダンは「巨万の富を手にしたのである」とな…

 徒手空拳の青年が筆一本でのし上がる、元祖立身出世物語か(笑)とはいえ、ジラルダンの場合、儲かりゃなんでもいいとか、儲けるだけがメインという当時のブルジョワ的思考ではなくて、儲けるのは当然にしても、更に新聞の明日と社会の明日もきっちり視野に入れていた人だったよーで…仕事に誇りを持っていた人でしょか?まっ金こそ全ての守銭奴ではなかった模様…だから記事も「究極の利益とは、社会全体が潤うことである」であるでして、一人勝ちの世界観じゃなかったんですねぇ…

 てな訳で、青年は政治を目指すとゆーか、当時の政治家よりは余程真っ当な政治理念の持ち主じゃまいか?で、しかも実現可能な対案ありのお人ですから、政治の世界に飛び込んだりもするんですけど、いかんせん根が一匹狼な性格ですから、政治ってとゆーか政治家って徒党を組んでナンボで正しいか否かじゃなくて、モロに数の勝負なんですよねぇ…世界の中心で一人で叫んでも新聞なら反響はあっても、政治じゃ完全無視なんですよ、かくて、この後も何回か時の政府と接点持つかなな?邂逅を繰り返すんですが、みんな破断に近いというか、政治家的には正しいよりも権力保持ですから…

 まぁ、逆にこの逆境というか、何で受け入れられないんだぁーっとゆー魂の叫びが更なる新聞街道突っ走る事になる訳で、結局とりついたよーに生涯新聞人やる羽目になるとゆーか、根っから新聞人だったんだろなぁ(笑)ジラルダンの半生の政治的な紆余曲折の詳細は本書をドゾ。それにしてもジラルダンという人はどこまでも破天荒な人だったよーで、政体よりも中身だろっも生涯変わらずでして、民衆にとって、社会にとって、良い事なら誰がやってもええじゃないかだったよー…自分が、もしくは自分の所属する派閥がやらない事は全て反対が身上の政治家多しというか、だいたいこんなもんの中で、一人ドライな思考だったよーで…政治は群れ社会だから、これじゃあハブにされるのも致し方ないのかも…今も昔もオスの群れって己の地位と面子の椅子取りゲームだもんなぁ(笑)

 かくて政治よりペンだと、1836年に全国版日刊紙「プレス」(新聞)という新聞を発行するに至ると…でここでも価格破壊の為に広告をドーンと増やせばいいんじゃね?とゆー今の新聞紙のスタイルを確立した事になる模様…勿論こちらも中間層向けという事に…

 でもって、その紙面にパリ頼りとか流行モノの先駆けみたいなものも掲載したりして人気を博していたとな…今の流行りはゲランの香水の〇〇よみたいな(笑)で、読者殺到とか(笑)所謂、流行通信系雑誌の元ってか(笑)

 また、新聞紙上に連載小説始めますも初めてしまったとな…1836年では「小説は大衆的な文化メディアではなかった」そな…それがここから一挙に花開く事になると…それまでは作家は「小説では飯が食えない」が当たり前だったのに、数の論理でドーンとこれも開けてしまったとな…娯楽の少なった地方の大衆の心を一挙に鷲掴んじゃったとゆー事らすぃ…とはいえ、第一陣のバルザックではまだまだだったらしいけど、1839年になるとウージェーヌ・シュー、アレクサンドル・デュマ、フレデリック・スーリエが台頭し、新聞の発行数というのは「新聞小説の人気と連動」するよーになってしまったりして(笑)よーするに「読者は政治的な主張の違いで新聞を選ぶのではなく、連載小説の面白さで予約購読をするようになるのである」になっちゃったんですねぇ(笑)

 そうこうしている内に、この間の詳細も本書をドゾですが(笑)今度は二月革命勃発(1848/2)とな…こちらの歴史的な詳細も本書をドゾですが、今度は六月革命勃発…で、自称共和派のカヴェニャック将軍の弾圧により、決起した人達を軍隊により射殺、略式処刑で射殺を決行してしまったんである…「ブルジョワたちはこの弾圧に満足し、労働者たちはブルジョワに激しい憎悪を抱くようになった」とな…

 結局、どこも国の国家も国民の政治とか理想をぶち上げながら、やる事はセレブの権力争いにすぎないとゆーしかし、この特権階級の持ち回りに、また一人キタコレになる訳で、それがルイ=ナポレオンとな…そして国民投票で彼が大統領に就任してしまうと(笑)

 多少なりともかかわったジラルダンは彼の行政案を実行に移せる時がキタコレになるはずが、結局これもご破算になる訳で…というのも議会を掌握しきれていないナポレオン三世にはそれを採用する事が出来なかったとゆーのがあると…政治は数の論理なんですよ、奥さん(笑)政治的に挫折すると筆が唸るジラルダンですから、皆まで言うなでしょか?ちなみにこの時、このジラルダンの行政案を採用していたら、仏は時代の寵児というか、この後百年は世界の先頭を突っ走っていたかも位画期的だったらすぃ…

 まぁそちらの詳細も本書をドゾ。どこかの国の行政官僚より余程いい仕事してますねな事だけは確かのよな…とはいえ、議会的にはブルジョワと貴族の為に世界はあるで、三年以上の定住者にしか選挙権あげないよみたいな法案を可決したりして…労働者は今でいう派遣業務と変わらないわけですから、季節ごとに契約ごとに移動する訳で、よーするに労働者の選挙権の合法的とり上げ以外のなにものでもないと…

 で、これに反対したジラルダンは何と署名運動を始めるんですね、これもジラルダンが元祖らすぃ…

 まぁそれもともかく、大統領だったナポレオン三世はついにクーデターで帝位につくと、第二帝政の始まりってか…これが1851年12月…何かもー日替わり定食のよーに変る仏の政体と言っていいんだろか?これに対してジラルダン今度は史上初めてのゼネストの呼びかけをしてしまうと…ストライキの事初めもジラルダンだったのか(笑)

 とまぁ歴史的な流れより、問題はナポレオン三世下、第二帝政はジャーナリズムを抑圧した事でしょか?ジラルダン的に言えば、新聞発行差し止めじゃね?で彼はパリ処払いになってしまうと…第二帝政は行政的には結構やってるの世界なんですが、仏史的には暗黒時代が共通概念でして、よく言う人はまず皆無な気がしないでもないんだけど、これの主因はこの言論弾圧だろーなぁ…虐げられたインテリの恨みつらみはパネェでごさるで帝政瓦解復活したら、皆声を大にして最悪だぁーっとゆー事になってしまったらすぃ…

 とはいえ治世も安定してくると政治的じゃないのならみたいなノリも出てきて、ジラルダンもリベルテを買収して、また新聞業を始めるんですけど、こちらの紆余曲折の詳細も本書をドゾ。こちらで初めて物語は、何とスポーツ欄キタコレで、元祖スポーツ新聞の父でしょか?それと印刷スピードの改善と新聞事業の改革も進んでいく訳だったりして…

 再び車輪が回ってきたジラルダンですけど、ここで普仏戦争勃発ですよ、奥さん(誰?)こちらの歴史的な経緯も本書をドゾですが、ここだけはチョイスさせて下さい(笑)「極言してしまえば、普仏戦争は、ビスマルクが用意した爆弾にジラルダンが火をつけたために勃発したようなものなのである」とな…今までずっと戦争反対だったジラルダンが何をとち狂ったのか今回は戦争賛成に回ったりして…

 これで仏勝利ならまだ救いはあったかもだけど、独の勝利、第二帝政瓦解、国防議会がボルドーになのに、パリではパリ・コミューンきたこれで…で、またこれも自国の軍隊投入でジ・エンド…何かどこぞの広場の戦車でゴーも歴史的には伝統芸能だったんだなぁ…

 戦後処理その他歴史的なそれも本書をドゾですが、ジラルダン的には世間は冷たいってか…その中であのティエールだけは違ったそで…「ティエールはパリ・コミューンの血の弾圧を行ったことで日本ではなはだ評判の悪い政治家だが、普仏戦争後はむしろ圧倒的多数の王党派をむこうにまわしてよく共和制を守り抜き、フランス経済を立て直した功績は評価さるべきものだろう」とゆーお人らすぃ…

 ちなみに「ジラルダンはティエールの相談役として、ようやく、自分の意見を政治に反映できるようになった」とな…苦節何十年なんだろぉ(笑)でもって1872年に「ジュルナル・オフィシエル・ド・ラ・レピュプリック」を発刊すると…

 仏史的には1873年5月には第三共和国初代大統領のティエールが、王党派によって更迭されてマク・マオン元帥が大統領に、更に王党派はこのまま王政復古に走ろうぜあり、更に1887年にも共和制と王政かでもめることになりで、仏の政治は常に迷走ってか?ジラルダンのジャーナリストとしての活躍とゆーか、アジってゴーは健在でこの度も何とか勝つ事ができたよーで…後代議士として出て「長年の夢であった言論の自由を完全に保証する一八八一年の法律の作成に貢献した」そな…仏革命のフランス万歳から紆余曲折で言論の自由まで百年って事ですか?そーですか…

 さて、ジラルダンの私生活や晩年についての件は本書をドゾ。何とゆーか、新聞に生き新聞に死んだとでも言うのかなぁ?一つジラルダンの生い立ち的な経緯からのソレとしては、「私生児問題を解決するために、子供はすべて母親の姓を名乗るべし」と主張したとこかなぁ…キリスト教をはじめ一神教は家父長制が厳しいから、私生児問題は、自身が二重で経験しているだけに心の叫びに近いんじゃなかろぉか?「こうすれば、嫡子も庶子も父親の認知に関係なく、同じ姓を名乗ることができるし、また今日のように離婚が大きな社会問題になっている先進国では、親が再婚するたびに子供の姓が変わるという不都合をさけることもできる」とな…まぁ何が子供にとって最適か、だよなぁ…

 他にもたくさんたくさん本当にたくさんエピ満載ですので、興味のある方は本書をドゾ。激動の時代に新聞を立ち上げて、そして今日までの道筋を作った人となれば、もう少し世間の注目を浴びてもいいと思うんだけど、とかく世の中ままならぬってか(笑)

 最後本書の中で一番インパクトのあったとこを一つ…ジラルダンがどれだけ最先端を突っ走っていたか?でして、自身の社内で既に「労働時間が平均十三、四時間だった時代に実施された八時間労働制、労働者が給料を全部飲み代に使ってしまうのを防ぐ天引き貯金、葬儀のための社員共済、機械導入による労働条件の改善」を実施していた事でしょか?ちなみに「左翼系や共和派の新聞社においては、紙面では労働者の権利を主張しながら、社内では低賃金長時間労働と給料遅配が当たり前のようになっていた」とな…まさに皆まで言うなか、おまゆうか(笑)

 目次参照  目次 文化・芸術

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